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魔女の使いは戦わない  作者: 柚月 ゆめる
8章 愛されなかったこの世界で【ベテルギウス突入編】
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王未満、神未満。


 ニーナは目を覚ました時、そこに居るはずの姿がないという事実に戦慄した。

 自分が眠りこけている間に、彼の身に何かあったのではないかと。


「エリィ、どこ……?!」

 民家の何処にも、エリィの姿は無い。

 乱れた髪もそのままに、ニーナは慌てて民家を飛び出した。門番の静止も聞かず、一人の少年を探して。


 人気のない街並みが、夜に埋もれている。

 今はこの街並みと同じように暗闇に潜む、王宮の姿を思い出した。その中から、玉座に腰かけた自分が統治したかもしれない――、そんな街並みだ。


 ハイドラは民のためにと、誠意一杯に動くことが出来る人物だった。少し不器用なだけだ。アンジエーラ城下の民に話を聞けば、誰もが納得する王になるだろう。


 ダリアラは、まさに神だった。病弱体質で寝たきりの第一王子に、今も尚支持が集まり続けている一番の理由。それはアルケイデアの王としての、信仰の対象としての威厳に他ならない。

 事実、彼は『アレクシス』という神であったのだから、威厳があるのも納得だ。


 では、自分は?

 この国のために、出来たことはあっただろうか?


「……っ」

 自分は王になるための資質を、何も持ち合わせてなどいなかった。

 当然と言えば当然だろう。王女ステラリリアとは、多くの杞憂の中に生まれた偶像に過ぎなかった。

ステラリリアの存在価値は、彼女の生涯を通して、見出されることは無い。あってはならない。


 だからこそ彼女は、王族ではなく高貴なるアンジエーラの少女だったのだ。彼らを慕う従順な従者として存在し、二人の王子と同じ生活が送れるわけでもなく、誰からも敬われることもなく。


 王族に成りきることも許されず、使用人に許された自由も無い少女。

 結果、彼女の元に何も残らなかったとしても。


(それでよかった。そうでなければ、駄目だった)


 夜闇が、余計な思考を働かせる。

「馬鹿らしい……」


 民家を飛び出してから走り続けていた足が、止まってしまった。


 どうして自分は、ここに居るのだろう。なぜ走り出してしまったのだろう。

 エリィを見つけたとして、自分に出来ることは何もないかもしれないというのに。


 ふと、呼ばれたような気がして視線を上げた。その先には、街路樹の傍に座り込む少年の姿があった。

 今の今まで思い悩んでいた物事を、一瞬にして忘れ去ってしまう程の安堵感。彼の身に危険はなさそうだ。


 数歩近づき名前を呼ぼうと開いた口が、止まってしまった。

 彼の様子が普通ではないと気づいたからだ。


「エリィ」

 数歩近づいてから、確実に聞こえるように声をかけたつもりだった。しかし少年は、ニーナの声に反応を見せない。


 さらに足を進め、ニーナは俯く肩に手を乗せた。

「どうしたの、エリィ?」


 エリィが、弾かれるように顔を上げた。その顔はひどく青ざめている。

「大丈夫……?」


 ニーナはエリィの隣にしゃがみこみ、その肩を撫でる。周囲からの視線は無い。彼の体力が消耗している様子もない。なにか、交戦が起きたわけではなさそうだ。


「……ニーナ、か」

 間違いなくエリィの声色だ。なにか考え事をしていたのだろうか。


「まだ体が本調子じゃないのね。早くみんなのところに帰りましょう。ゲルダが心配しているわ」

 病み上がりの体に、この冷えた夜風は毒だ。立ち上がったニーナは周囲の様子を確認し、エリィが立ち上がるのを待った。


 しかし彼は、一向に立ち上がる素振りを見せない。疑問に思ったニーナが再び膝を折り、エリィと視線を交わらせた。


「立てないのなら、肩を貸すわ」

 なぜ突然民家から姿を消したのか、ここで何をしていたのか。聞きたいことは山ほどあったが、彼の体調が優先だ。


「……違うんだ」


 返ってきた答えは、短いものだった。

「エリィ……?」


 こういう場面に似合う良い言葉が、咄嗟に浮かばない。

 再び俯いてしまったエリィの姿をただ見つめ、ニーナは黙り続ける彼の隣に腰を下ろした。


 膝を抱えるエリィの姿を、視界の隅に捉える。

 励ましの言葉か、心配の言葉か。はたまた叱咤なのか。彼にかけてやるための言葉は、一つも浮かばなかった。


 ふと天を仰ぐ。満天の星空が、現実を忘れさせようと必死に輝いているようだ。

 この数日間。そこにあったのは、一片も欠けることのない満月だった。


「行ってくれ」


 声が聞こえた。喜びと同時に、その言葉の意図に困惑する。

 体ごと視線を向けた先で、少年は抱え込んだ膝の間に視線を落とした。


「俺を置いて、行ってくれ」


 冷ややかな空気に攫われてしまいそうな程、その声はか細かった。


「本当にどうしたの、エリィ」

 ニーナの感情を請け負ったのは、困惑だった。


「俺は……行けない」


 握りしめた両手が震えている。エリィの赤髪が、夜風に揺れて輝いた。

「どうして、そんなことを言うの?」


 ニーナは再びその肩に触れる。

「動けないの? 私が、無茶をさせてしまったから?」


「っ、違う!」

「そうじゃないのなら、何があったのか話して! 言ってくれなくちゃ、私は……!」


 ニーナの手のひらが力んだのが分かった。

 話せない。自分自身の中でさえ、この感情を言葉に形成することが出来かねているのだ。


 自分が消し去ることになるかもしれない。この世界と引き換えに、その命を奪い去ってしまうかも知れない。

 そんな少女の姿を、どんな顔をして見ればいいのかわからない。


「ごめん」


 何に対する謝罪なのかも、わからなかった。ただ今は、肩に感じる温もりが苦しい。

 エリィはなにも言わず、ただ彼女が離れていくのを待っていた。


「私には、話せない?」


 違う。そういうことじゃない。

 奥歯を痛いほど噛みしめて、それでもエリィは無言を貫き通した。

「…………そっか」


 冷え切った空気を肺に流し込み、ニーナはゆっくりと体を元の態勢に戻す。

 諦めてくれたのだろうか――、そう虚しさと安堵に瞳を閉ざしたエリィだったが、彼女の気配が離れていくことはない。


 ニーナは彼の隣に座り込み、動く意思を見せなかった。

 その様子に痺れを利かせ、エリィはようやくその頭を上げる。


「ニーナ、いい加減に……っ!」


 エリィの視線の先で、ニーナは背を伸ばし、まっすぐに舗装された道を見つめていた。

 凛とした横顔が、やけに大人びて見えた。


「――――馬鹿」


 その短い一言が、エリィの息を詰まらせた。

 鼻の奥がつんと痛い。


 そうだ、自分はきっと、大馬鹿者だ。


 ここまで来て、ここまで、頼り続けて。

 たどり着いた自分には、結局何かを成す力も、意志もなかった。


 意識の隅で見た五十年前の『アレクシス』であれば、選ぶ余力もあったのかもしれないと、ふと不毛な考えがエリィの脳裏をよぎる。

 彼のように、それを成せる力があれば。

 彼のような、完全な神だったならば。


「…………ッ」


 人間として生まれた自分に、そんな力はない。

 殺すか、見殺しにするか。そんな二択しか選べないのなら。


「どうしようも、ないんだ……」


 望まない未来ばかりが、エリィの手のひらに舞い込んでくる。その未来でさえ、必死に追いかけても、手が届くかわからない。


 せっかく、ヨルが指示をくれたというのに。

 これではジェシカの前で泣いたあの時と、何一つ変わらないではないか。


「……ごめんな」


 掴めるものは何だ。掴みたいものは何だ。守りたいものは何だ。守れるものは何だ。

 自分がやりたいことは、何だったろう。


「俺は――」

「どうしてわからないの!!」


 喝を入れられたように、体がびくりと動いた。

 立ち上がったニーナの影に、満月が消える。見上げた先の少女の表情は、見たこともないほど怒りにあふれていた。


「どうして一人で悩むの? どうして話してはくれないの!」

 感情に身を任せ、ニーナは口を動かす。


「置いて行けるわけないでしょう?! 私をここまで連れてきたのは、あなたなのよ!」


 ニーナの本能は、喉の痛みを訴えていた。ここまで大声を上げたのは、生まれて初めてかもしれない。そう思っても、言葉は止まらなかった。


「あなただったから! だから私は、ダリアラ様を置いて、ここまで来たのに!」


 八つ当たりだと、ニーナ自身もわかっていた。

「あなたまで!」


 選んだのは自分だ。わかっているのに。


「私を、裏切るのね……!」


 その一言が、エリィの体を動かした。

「違う!」

「違わないわ!」


 感情が溢れて、止まらない。

「エリィなんか、もう知らないんだから!!」


 彼女の影が、突如大きくなった。彼女の背から、アンジエーラの翼が姿を現したのだ。

 ニーナの感情の高ぶりに答えるように、エリィを威嚇するように。


 美しいと賛美の言葉を口にするには、この状況が似合わなすぎる。


「ニーナ……」

 くるりとエリィに背を向け、ニーナは速足でその場を去っていく。

 返す言葉など、あるはずも無い。


 残されたエリィは、伸ばしかけた手をゆっくりと地面におろした。

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