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魔女の使いは戦わない  作者: 柚月 ゆめる
7章 未来は君のためにある 【ベテルギウス突入編】
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自他犠牲

 見慣れない天井と合わない枕。開け放たれた窓から吹き込む風が、空いたままのカーテンを揺らしていた。

肺の中いっぱいに、新鮮な空気を吸い込み理解する。ここは、現実だ。


「い……ってぇ」

 唸るような頭痛。上半身を起こし、エリィは頭を押さえて目を閉じた。

 今見た夢は、全て過去の事実なのだと確信した。

 自分ではない自分の記憶であると、確信した。


 ディアナに抱きかかえられた体。

 アレクシスの視線の先に、赤く染まった剣を握るジェシカの姿があった。彼女の表情は、歪んでいた。

 ジェシカは、『マリー』のために彼を殺した。きっと彼女は、今もその贖罪を抱えて生きている。


 罪滅ぼしのつもりで、自分を拾ったのだろうか。答えは出なかった。


「っ、と……」

 立ち上がろうと足を上げたが、掛布団が持ち上がらない。エリィは、ベッドの脇に頭を乗せ、寝息を立てるニーナの姿に気づいた。ずっと、傍にいてくれたのだ。


 彼女へ伸ばした手と共に、体中に巻かれた包帯が視界に映る。この結び目は、ゲルダによるものだろう。傷を思い出し、痛覚を思い出す。

 痛みに眉をひそめながらも、エリィはニーナを起こさないようにとゆっくり体を動かした。とはいえ痛みに逆らえない体は、素早く動くことなど出来ないのだが。


 エリィが視線を上げると、柑橘のような香りが鼻をくすぐった。部屋の端にあるローテーブルに、花瓶に刺さったオレンジの花が咲いていた。

「あれは……」


 夢で、過去で見た色だ。あの花の名は、何だったか――。

「っ」


 鈍器で殴られたかのような痛みが、エリィの頭を叩いた。これ以上ベッドの上で悩んでいては、頭が割れてしまいそうだ。エリィは両足に力を入れ、ゆっくりと立ち上がる。

 小さくニーナに礼を述べ、部屋を出た。


 今会うべき存在には、見当がついていた。


   * * *


 見張りの兵士に断りを入れた後、崩れた街をそう進む必要もなかった。

 思いの外、探し人は早く見つかった。


「ヨル」

「……もう、動いて、大丈夫なの?」


 振り返った青年に、エリィは頷く。人気のない家の屋根の上で、人型を成したヨルが立ち上がった。重力に逆らい、ヨルの体がゆっくりと宙を降りてくる。


「探したぜ」

 人の姿がないとはいえ、人型の彼を街中で目にすることには少しの違和感があった。

 ヨルは微笑んでいたが、エリィの険しい表情に気づき、口角を下げる。


「どうして、僕を?」

 優しい瞳に、これまでエリィは幾度となく助けられてきた。その理由も知らず、知る必要もないと、そう彼を信じて。


「さっき、俺の前に姿を見せたマリーとやらは……、お前とおんなじ匂いがした」

 ヨルの眉が動く。それは少しの困惑と、それをもみ消すような納得を示していた。

「あいつは誰だ」


 ヨルではないヨルを見ている気分だった。そうエリィは思う。彼と同じような存在をこれまで目にしたことがなかったからか、その違和感はエリィの意識に深く刻み込まれた。


 この存在の正体を探ろうと思ったことはない。しかし、これまで疑問を抱かなかったと言えば、それは嘘だ。

 ジェシカとは異なる魔法を使い、人にも鼠にも変化する相棒。


 聞くのは簡単だ。それでもエリィは、意識して彼の過去を探ろうとしなかった。

 必要以上に踏み入り、彼に嫌われるのが怖かったのだ。


「……マリー、か」

 ヨルが呟き、視線を落とす。


「そのマリーは、エリィに、『アレクシス』に対して手出ししないようにと忠告をしたんじゃないかな」


 満月の夜景に、ヨルの桃色が映える。エリィの背筋が震えた。

「今回の件に関して言えば。その人物と僕は、無関係だ」


 すらすらと、ヨルの口から言葉が溢れていく。普段の彼からは想像もつかない程に。


「大丈夫だよ。エリィは、彼らの意志に従わなくていい」

「それって、どういう……」


「彼らは、この世界を消し去りたいだけだよ。その目的のためだけに動いている。そこには、兵器に対する敬意も、人間に対する慈悲もない」


 奇妙な説得力が、エリィの思考を拘束した。

 ヨルは嘘をつかない。そう知っていても、エリィはその言葉に従わなければいけないと、本能が告げているように感じた。


「どうして、わかるんだよ」

「エリィが会ったマリーは、僕にとって昔の知り合いなんだよ。近くに居るんだって、感覚がする。彼らの考えることなんて、僕には手に取るようにわかる」


 普段から顔色の悪いヨルの頬が、ほんの少しだけ血色を帯びていた。それは彼の体調が良い証拠――、魔力を得ている証拠だ。


「魔女、なのか」


「神だ」


 考える時間を与えず、首を振ってヨルは答える。

「神……?」


 ザデアスを創り、人との共存を諦め、『アレクシス』を創り、この世界を去った存在。

 ジェシカの師匠でもあると聞いたことがある。


 しかし神はもう、この世界にはいないはずだ。それを、どうしてヨルが知っている?


「エリィ、僕が何者なのかを話すには、今は時間がない。君には、やらなければならない使命があるから」


 このまま時間を浪費し続ければ、エリィが朝日を見ることはもう二度とないだろう。それは彼だけに留まらない。ダリアラの体に兵器の力が馴染めば、数時間後にもこの世界は消滅する。


 そうなればこの世界の全人類が、夜明けを迎えることは無い。


「……わかった」

 納得など到底出来ていない。それでも、エリィは承諾を選んだ。

 ヨルの言葉はいつだって正しい。そしてエリィもまだ、ヨルの正体に最大の関心は抱いていないのだ。


 ヨルが大丈夫だと言った。エリィはただ、その言葉を信じている。


「でもなヨル。お前が『アレクシス』のこと、全然知らねー訳じゃないってこともわかった」

 無反応の姿に、エリィは肯定の意を汲む。


「知ってることがあるなら、教えてくれ。きっと俺は、ダリアラに『アレクシス』の力を奪われたんだと思う。それでも……、今の俺でも。ダリアラを止められる方法は、『アレクシス』を止める方法は、あるのか?」


 エリィの脳裏に浮かぶのは、たった数十日前まで当たり前に在った日常だ。

 日が昇り目を覚まし、母親である魔女と会話をし、食事をとって仕事に出る。狩猟のため森へ向かい、商売をしに村へ下りた。ノブルへ行けば賑わう街並みに変わらない住人の姿。幼馴染の声を何度も何度も聞いた。


「確かに、俺は『アレクシス』だ。けど、五十年前の『アレクシス』と同じ気持ちなんだ」


 非日常が動き始めた中で、エリィにとって初めての依頼人が表れた。たくさんの出会いがあった。自分とよく似た他人に出会った。


「世界を破壊する兵器なんて、要らないはずだ!」


 記憶の中のどこを切り取ったとしても、必ず桃色の小鼠が隣にいた。


「なんでもいい! 俺に出来ることだったら、なんだってする! 俺はこの世界を、みんなを、守りてぇんだ!!」


 出来ないと決めつけるのは簡単だった。諦めることを諦める。その苦しさを、エリィはよく知っている。


 守りたい、取り戻したい。五十年前の自分(他人)が、そうしていたように。


 ヨルがほんの少し視線を落とした。視線の先にある石畳を足の裏に感じ、エリィはその冷ややかさに息をのむ。


「『アレクシス』を無効化する方法は、一つだけある」

「本当か?!」


 期待に目を輝かせたエリィだったが、その胸の高鳴りは一瞬にして消え失せた。


「僕が知っている限りでは、一つだけあるよ」

 ヨルの瞳に、希望や期待は無い。


「ヨル……?」

 焦燥感と共に、エリィは胸騒ぎを感じた。


「この世界に残された、全ての神の残滓を抹消すること」


 一度言葉を脳内で再生し、エリィはゆっくりとその言葉の意味を咀嚼していく。


「この世界に在る神の残留物を、エリィがまとめて消し去ればいいんだよ」


 難しい言葉だとエリィは眉を寄せるが、それは単純明快なのだと気づいた。


 それでもエリィは、ヨルの言う神の残滓とは何なのかがわからない。

 神の兵器と呼ばれるのだ、『アレクシス』であるダリアラを指すことは間違いないだろう。


 しかしヨルの言い方では、どうやらそれだけではないらしい。


「『アレクシス』を消すだけじゃ、駄目だってことか?」

「今のエリィに、きっとそれは出来ない」


 辛辣な言葉だったが、エリィはその言葉を否定出来ない。今の自分では、本当の意味でダリアラには敵わないのだと、彼の本能が知っていた。


「だから、『アレクシス』の力を利用して、自滅させるんだ」

「自滅……」


 夢の中でマリーを名乗った青年は、エリィを牽制しようとした。『アレクシス』の力を失って尚、エリィは彼を止める手段を持っているということだ。


 それはなぜか? ダリアラが奪っていったのは、『アレクシス』の全てではなかったのだろうか。否、それが事実無根であることを、エリィの体が一番知っている。

 それでは、「魔女の使い」としての力が作用するのだろうか? それならばきっと、適役はエリィではなくジェシカだ。


 必死に思考を動かし、自分の無知さに息をつく。

 もう少し、ジェシカの教えをしっかり聞いておけばよかっただろうか。


「俺がもう一回ダリアラに会えば、『アレクシス』は止められるってことだな?」

 理由は分からないが、それならば都合がいい。もう一度ダリアラとは話をしなければいけないと、エリィは覚悟していた。


「でも、自滅ってなんか、嫌な言葉だな」


 それではまるで、ダリアラ諸共『アレクシス』を破壊するようだ。苦笑いを浮かべエリィはヨルを見るが、彼の表情が綻ぶことは無い。エリィの体が、再び湧き上がる胸騒ぎに震えた。


 自分が考えていた最高の未来を、ヨルはその目で捉えてなどいないと気づいた。


「……っ」

 考えついてしまった未来に恐怖しながらも、エリィは明るく振舞って笑う。


「『アレクシス』の自滅って……、俺も含まれてんのかな?」

 ほんの少しの期待を抱いて、エリィは冗談めかしに問いかけた。


 力が失われても、エリィは『アレクシス』である。そう言ったのは、エリィだ。

 ヨルからの否定は無い。


「…………」


 思い描いた未来は、来るのかもしれない。

 自分の視界に収めることがないだけで。


 考えたこともなかった。

 自分が居なくなった、未来の景色など。


「……そ、か」


 声が震えた。――情けない。ジェシカの胸で泣いたあの夜に、それなりの覚悟はしていたはずなのに。


「エリィ」

 ヨルの声が、エリィの心を握り締める。


「っ、大丈夫だ!」


 俯いた顔を上げて、エリィは引きつった笑みを浮かべた。

 簡単に受け入れられるわけがない。それでもエリィは、無条件にヨルの言葉を信用する。


 怖い。辛い。心から嫌だと思う。

 それでも。ジェシカが、ヨルが、ゲルダが。ニーナが。


「それで、みんなが守れるなら――!」

「違うよ」


 恐怖も葛藤も、一瞬で消え去った。

 ヨルの短い言葉は、エリィに困惑すらも与えない。


「消えるのは王子様やエリィ()()じゃない。僕は言ったはずだよ。消し去るのはこの世に残された、全ての()()()()()()だって」


 最後の手段なのだと、ヨルは付け加えた。


「『アレクシス』だけじゃない。その力を受け継ぐジェシカや僕、そして」


 聞きたくない。体全てが拒絶していた。



「神の末裔でもある、()()()()()()()()()()()()()んだ」



 体の奥底から湧き上がる絶望感に、エリィの喉が鳴った。

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