失敗と牽制と失敗
マリーが再び口角を上げると、止まっていた周囲の環境が一機に動き始める。彼と顔を合わせてから、エリィはこの出来事を何度も経験していた。
五十年前、この世界に現れた『アレクシス』が生まれてから、今までの出来事を。途切れ途切れに、こうして追体験していた。
エリィが目覚めたと思った途端、説明も無しに。
歪む空間を前に、エリィは何度目かわからないため息をついた。彼の名前がマリーだと言うこと以外に、こちらからの質問に答えが返ったためしはない。
やがて空間が形を成すが、そこにこれまでのような情景は映し出されず、暗黒を示していた。
その意図が分からず、エリィは黙って目の前の男を見る。
「なんで俺を、と言うのは、なぜもう一人の『アレクシス』では無いのか、ということでしょうか」
初めて問いかけに答えるそぶりを見せる。怪訝に思いつつも、エリィは小さく頷いた。
「あなたに見ていただいたように、僕の中にはアレクシスとマリー、二つの存在が在りました。現代の『アレクシス』はまさに、その二つが独立して存在していると見て良いでしょう」
見せられたものとは違い、彼はずいぶんと流暢に言葉を操る。いや、もしかしたら、マリーの時は、こうして話せていたのかもしれない。
エリィが追体験したのは『アレクシス』の記憶だ。すべてを思い出す最期の瞬間まで、マリーの存在をエリィも知り得なかった。
「おそらく神は、二度と僕のような失敗作が表れないようにと、『アレクシス』を二分しました。それは確かに妙案で、現在『アレクシス』は神の狙い通りに動いている」
それはダリアラのことだ。
「ですが。同時にそれは、確実に『マリー』を生み出す事実につながった。……より人間に近く、『アレクシス』にも近い存在。……危険分子ともいえる存在が」
エリィの眉が動いた。その様子に気づいたのか、マリーは彼に話す機会を与えないままに言葉を続けていく。
「簡潔にお伝えすると、僕はあなたを牽制したいのです」
「牽制……?」
マリーはにこやかに頷いた。
「あの時、僕は神として間違ってしまった。本来ならないはずのこの世界で、今も人々が争い続けているのは『アレクシス』の責任です。今度こそ、失敗は許されない」
マリーの手が、エリィの手を握りしめた。体温の無い、冷ややかな手。
「マリーであるあなたが、アレクシスの邪魔さえしなければ。この世界は、あるべき姿に還ることが出来る。凡そ五十年のズレは生じてしまいましたが、この際そんなものは誤差にすぎません」
エリィの瞳が、まっすぐに目の前に立つ男を見上げた。
「わかるでしょう? 僕たちは今度こそ、『アレクシス』としての目的を果たさねばならないのです!」
マリーがエリィの手を握る力が、徐々に強まっていく。握り返せと言わんばかりに。
彼の言う通りなのだろう。本来ならば、あるはずのない時間を、自分たちは生きている。
あるべき姿に還すために、『アレクシス』は目的を達成しなければならない。今度こそ。
兵器にとって、『マリー』は不要な存在なのだ。どの時代であっても。
「そうでしょう、マリー!」
「うるせーな」
マリーの手を、エリィは力強く振り払った。
少し赤くなった手をさすりながら、エリィは男を軽蔑するように睨みつける。
「神サマにとっての正解が、俺にとっての正解だと思うなよ! 俺の選択に、指図すんじゃねえ!」
驚きの表情を隠せないマリーに、エリィは鼻で笑う。
「それとな、紛いなりにも俺だって『アレクシス』だ。お前が前の『アレクシス』かどうかなんて、すぐに分かんだよ」
「な……ッ」
そんな動揺の声は、有無を言わさずエリィの言葉を肯定する。否定の言葉を重ねれば重ねる程、この者の嘘は表にに出てしまうだろう。
理由は知らないが、この男はエリィを傀儡しようとしたらしい。言葉巧みに。
なんて、舐められたものか。
「さぁて、話は終わりか? そろそろ目を覚まさねーと、ヨルに心配されちまう!」
エリィは一度伸びをして、両頬を叩いた。
「ゲルダもニーナも、あの王子二人も? もしかしたら、俺を心配してくれてるかもしんねーし」
コキコキと軽く首を鳴らして、エリィは迷わずに『マリー』へ背を向けた。
「……ダリアラが、俺を待ってる」
不思議と、この夢の出口には察しがついていた。
「じゃーな。これ以上俺に変なことしたら、ジェシカにチクっちまうぞ!」
呆然とその姿をを見送る『マリー』へ、駆けたエリィは一度足を止めて振り返る。
言い忘れていたことがあった。
「あと、俺は『マリー』じゃなくて『エリィ』だ!」
指さした先に立つ男へ、胸を張って伝えなければならない。
これだけは間違えて貰っては困る。
ジェシカからもらった、『エリィという個人』の証なのだから。
「もう間違えんなよ!!」
そう言い残して、エリィは暗闇へと姿を消した。
* * *
立ちすくむ『マリー』は、遂にエリィの姿が見えなくなるまで、彼の姿を見つめていた。
やがて『彼』を呼ぶ声が聞こえて、ビクりと肩を震わせた。
「あーあ、失敗かあ」
暗闇からひょこりと顔を出したのは、桃色の髪の少女だ。彼女の存在に気づいた『マリー』の姿がゆっくりと形を変えていく。
「ごめんなさいピアンタ……」
「仕方ないよ。ボク、ちょっと彼のこと見くびってたかも! やっぱりペルドゥが執心するだけはある。ね、スッピナ!」
湧き上がる涙を手の甲で拭うスッピナに、ピアンタは笑いかけた。
「あの子さえどうにかできちゃえば、『アレクシス』を止められる人は誰もいなくなるのにね。ボク、やっぱりちょっと心配だな~」
「……この世界が壊れなくても、ペルドゥは、約束を守ってくれるんじゃないですか?」
涙の止まらないスッピナの問いかけに、ピアンタは「え~?」と肩をすくめる。
「正直、ボクって今のペルドゥのこと、信用してないんだよね。スッピナだって愕然としたんじゃない? だってもう、ボクたちが憧れたペルドゥじゃなかったんだも~ん」
言葉の割に楽しそうな声色だ。スッピナが同意した。
「……確かに、ペルドゥは変わりましたが」
「まあ、関係ないけどね!」
くるりと体を回転させ、ピアンタはスッピナの前に躍り出る。
「どんなに『ポンコツ』になっちゃっても、ボクはペルドゥオーティが大好き! だから」
口元に手を当て、無邪気に笑う。
「ボクたちが、絶対手に入れるんだ!」
それは、意志の先にある欲望。しかしそれを抑制する存在は居ない。スッピナはそんな半身に朧な瞳を向け、ほんの少しだけ口角を歪ませて答えた。
「……ええ、そうですね」
やがて、暗黒の空間から二人は消え去り、いつの日かその空間もまた、誰に気づかれることもなく消えていった。
まるで最初から、その場には何も無かったかのように。