意志を持った兵器
「マリー!!」
僕の肩を、誰かが力強く抱く。
「しっかりしろ、なあ!!」
狭まった視界に、誰かの顔が映った。その顔は傷だらけで、髪も随分とぐちゃぐちゃだ。それでも、僕の肩を抱くその両手は、執拗に僕を締め上げていた。
痛みは、感じなかった。
『マリー』。
その言葉が、僕の意識の全てを捉えて離さない。
それは名前だ。
彼は、誰を呼んだ?
それは僕だ。僕の名前だ。
違う。僕はアレクシスだ。
僕は。僕は僕は僕は僕は。
「!」
背後に、人の気配を感じた。
「――――」
僕を刺した張本人だ。彼女は、『アレクシス』を止め、世界の破壊を阻止したのだ。それでも彼女は、何一つ喜びの言葉を発しない。
なぜかと、考える必要はなさそうだった。
この行動は、僕のためなのだと知っている。
僕が、彼女に、頼んだのだ。
* * *
「僕を、『アレクシス』を、殺害するようにと、僕はジェシカへ依頼します」
「胸部の臓器を、破壊するように依頼します。その結果、人間と同じように『アレクシス』は停止します」
「僕は、二人を、二人が生存する、この世界を――」
「消し去る未来を、望みません」
* * *
ぐるぐるぐるぐると。回る、湧き上がる。
なんだ、この声は。これは、僕の声だ。
覚えている。思い出していく。
欠落した、幾つもの記憶が――。
そうだ、僕は。僕は。
「妾に任せておけ、マリー」
欠落したんじゃない。僕が、『マリー』が、しまい込んだのだ。
草原で、彼らを利用していることを謝った。
何度も、ディアナに家族だと言われて喜んだ。
船の上で、これから起こる未来に不安を覚えた。
この大陸に来て、僕は二人との別れが近づいたのを感じて――泣いた。
僕が眼鏡をかけていた朝、ジェシカの指がが僕の頬をなぞったのは、その痕があったのだろう。
ディアナが日に日に気分を害していたのは、きっと僕のマリーになる頻度が増えていたことを懸念していたのだろう。
いくらでも溢れてくる。思い出す。
これはすべて、僕が自我を持ってから、今この瞬間までの全ての記憶だ。
まるで事細かに書き記した、絵日記を読んでいるかのように。
「――ぁ」
そうだった。
忘れようと努力し、実際に思い出せないようにしたのも、自分自身だ。
「マリー……!!」
僕は、その名前で呼ばれることが、大好きだった。……今も。
どうして忘れていたのだろう? どうして『マリー』としての全てを、しまい込んでいたのだろう。
簡単な答えだ。
アレクシスである僕は、生まれた意味を果たすため、この短命の意味を示すため、この世界を破壊したい。
体験した死の香りを、これ以上生まないために。
この世界の人との関係を諦めた、神の意志を示すために。
それでもマリーは、彼らが大切だった。
この世界を、彼らの居場所を、壊したくはなかった。
でも、そうしたら。
僕は一体、何のために――?
「あ、ぁ……」
だから僕は『マリー』を封印したのだ。何度も表面に現れ彼らと会話をしては、そのすべてを消し去って『アレクシス』に戻る。
僕が、『兵器』であるために。
「……ディア」
そこまで言って、喉奥からこみ上げる何かに咽てしまった。口内に広がる生暖かさが、僕の体を震わせる。
「いい、喋るな!」
その言葉に甘えるつもりは無かったが、僕は彼に従うしかなかった。改めて言葉を発せば、次に溢れるのは血液だけでは済まないかもしれない。
「クソ、どうにか、どうにかなんねーのか!」
意識こそ朦朧とするが、この程度の傷で神は死なない。
彼もまた神を師に持つ男だ。そのくらいは、知っているだろうに。
……どちらにせよ、僕はもうすぐ死ぬはずだったのだけれど。
「くそお……ッ!」
自分の衣服を破って、僕の胸元に押し付けてくる。止血のつもりだろうが、背部から溢れる紅には対応出来ていない。
なんて、無意味だ。
「マリー!!」
僕にはもう、この世界を壊す力は残っていない。
それでも、このまま消えてなくなりたくはない。
ジェシカは、一歩遅かった。『アレクシス』は、破壊の扉を開けてしまった。
ほんの少し、鼠一匹さえも通ることの出来ない隙間から、終焉が溢れる様子が見えた。
この先も、彼らが生きるこの世界に。こんな中途半端な破壊を、残したくはない。
だが、その前に。
僕は今ある力を振り絞って、顔を背後に立つ人間へ向けた。
真正面から彼女を見ることは出来ない。それでも視界の端にどうにかその銀髪を映して、ゆっくりと、唇を動かした。
「……!」
ジェシカの表情を、もう、僕は見ることが出来ない。
「ッ、マリー……?」
ディアナは『マリー』の意志をくみ取って、『アレクシス』に協力してくれた。
記憶をしまい込んで、兵器の使命を全うしようと決意した『マリー』に。
そんな彼を裏切るような形になってしまう。
僕の意志が、弱かったばっかりに。
「…………っ」
どうして声が出ないのか。僕は、神なのに。
もしも僕が、ただの人間としてこの世界に降り立ち、彼らと出会っていたら。
もっとずっと、彼らと共に、生を楽しめただろうか。
アレクシスではなく、マリーとして。
「嫌だ、マリー……!!」
それでも僕は今、『アレクシス』であることに喜びさえ抱いている。
だから、泣かないで欲しい。
「ァ、って……」
だって、だって。
「俺が『アレクシス』だったから、二人を守ることが出来たんだ」
* * *
隣に立つマリーがほほ笑んだ。
「そう。僕はこの時初めて、『アレクシス』であることを誇りに思いました」
隣で、赤い髪が揺れている。
「僕は神である誇りを放棄したけれど、その代わりに、彼らに人としての喜びを教えてもらいました」
「……お前のことは、よくわかったよ。でも、なんで俺を呼んだんだ?」
腕を組み、エリィはマリーに向き直った。