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魔女の使いは戦わない  作者: 柚月 ゆめる
7章 未来は君のためにある 【ベテルギウス突入編】
80/110

本能

「ぅ……ッ」

「!」


 伏せた瞳を上げ、ジェシカはベッドの近くへと歩いた。苦し気なエリィの寝顔に眉を寄せる。

 その呻き声は、果たして彼のものか。


「エリィ、大丈夫かな」


 足元から聞こえたその声は、微かに震えていた。


「また、目を覚ましてくれるかな」

 その理由を、ジェシカは知っている。


「僕とまた、遊んでくれるのかな」

 小さい声だ。その体によく似合った。


「――エリィが目覚めたとして」

 視界にも映り込まない小さな体に、ジェシカは声をかける。

「お主は」


「わかってる」


 彼がどんな答えを求めていたのか。ジェシカは気づいていた。

 そのうえで、彼がまったく望まないであろう答えを返した。


「……わかってるんだ」


 ヨルはその両手足を動かして、壁際へと走る。開けられた窓の隙間から、夜闇へと飛び出していった。

 静寂は、余計な思考を動かさせる。ジェシカは小さくため息をついた。まるで昨日のことのように、五十年前の記憶が蘇るのだ。


 エリィの寝顔が、眩しいほどの月明かりに照らされている。似ても似つかない古き友の顔が重なった。


「ヨルだけでは、無かろうに」

 自嘲する。


「のう、アレクシス」

 ほんの少し視線を動かせば、心地良さそうに眠る少女の顔が見える。アレクシスへ寄り添うように眠る、弟弟子の姿が脳裏にありありと蘇った。


 五十年前。彼を()()()、怒らせたのは、自分だ。

 間違ったとは思っていない。それでも今も尚、あの時の自分は、本当に正しかったのだろうかと思う時があった。


 そんな問いかけに、答える声はない。そしてその答えは存在しないのだということを、ジェシカは知っている。


「ディアナの言う通りじゃ」

 それでも、ふと気づかされるのだ。


「昔も、今も……。妾は『傍観者気取り』なのじゃろうな」


 撫でた赤髪が、さらりとジェシカの指を絡めとる。ほんの少しだけ、エリィの表情が和らいだように見えた。


 ジェシカは彼が、夢を見ているのだと気づいた。

 そしてその夢が、もうすぐ終幕を迎えるということに気づいた。


 長く、短く、儚い夢の終わりに気づいた。


* * *


「――何のつもりだ、ジェシカ!!」


 叫びのような怒声。

 自分に向けられたものではないと解っているのに、僕の体は委縮した。


 この辺りで一番高い塔の最上階。僕とディアナは、なるべく天に近い地を探し、遂にここへ辿り着いた。


「見た通りじゃ」


 僕らの後を追ったジェシカは、剣を握っていた。

 この戦場で手に入れたのであろう傷まみれの剣の先は、僕と、隣のディアナへと向けられている。


「妾は、『アレクシス』による世界の破壊に、抵抗する」


 ディアナが彼女の無事を喜んだのは、つい数秒前のことだ。

 こんなにも一瞬で、この場の空気というものは変化するものなのか。


「裏切ったのか!」

「何を言うか。妾は最初から、()()()()だと伝えたはず。……共に行くとは言ったが、世界の破壊に助力する、と言った記憶は無い」


 ジェシカの言葉は、間違いなく事実だ。彼女と同じように、僕もまたそのような記憶は持ち合わせてはいない。

 輝きを持たない剣身は、迷いなく僕の命とやらを狙っている。


「妾は、この世界を守ると決めたのじゃ」

 僕にとって、目の前の存在は障害に他ならない。邪魔をするならば、排除するまでだ。


「テメェ……!」

 ディアナがズボンのポケットから何かを取り出し、指を鳴らす。その小さな粒は、空中で膨張し、やがて熊の形を模るぬいぐるみに成った。

 彼の魔法は、あの熊を通さなければ具現化しないという。彼の能力に問題があるのだと聞いた。


「……ディアナ」

「訳分かんねーこと言ってんじゃねえぞ! その頭カチ割って、目ェ覚まさせてやる!」


 彼の手の中でぐんぐんと質量を増やす熊が、やがて僕の身長の三倍程に膨れ上がった。

「ベア子、やってやれ!」


 その太い両腕が、狭い塔の中でジェシカの体を圧し潰すように動き始める。その手が床を殴る度、僕の体は大きく揺れた。


「妾に、魔力で勝とうとは」

 しかし、ジェシカへ向けて振り下ろしているはずのその腕は、彼女の横の床を殴るか、もしくは上空で止まるか。そんな動きを繰り返していた。


 彼女から湧き上がる感覚に、僕は不思議な心地よさを感じる。

 彼女の力は、より神に近い。力の差は歴然だ。ディアナでは、この魔女に敵わない。


「俺たちは、アレクシスの力になってやるって! 約束したじゃねーか!」

 痺れを切らせたディアナが、説得するように声を上げる。

 ジェシカは言葉を返さない。ただ防戦を続けていた。


 そこで、僕は気づいた。一体僕は今、何をしている?


 ディアナが、僕の障害を止めている。

 彼の勝利を待たずとも、この時間で僕の使命を果たしてしまえばいい。


 加えて、彼が勝利する確率は五分以下だ。待てば待つ程、僕にとって利益はない。

 僕に、彼女を抑える力はない。


 手汗を握りしめて彼らの攻防を睨む時間は、僕という存在にとって無駄以外の何物でもなかった。


「……」

 僕は不思議と重い足を動かして、彼らの前から立ち去った。背後から聞こえる鈍い音が、僕の心拍を早めていく。

 塔はここが最上階だが、この上には屋上という場所があるはずだとディアナは言っていた。


 彼の言った通りで、出入り口のすぐ脇に簡素な扉があり、その先にはさらに上へ続く階段が隠されていた。

 鉛のような足を持ち上げて、荒い呼吸もそのままに、僕は階段を駆け上がっていく。


 やがて階段に手をついた僕は、頭上から外気を感じ取った。

 天井に空いた穴へと、階段は続いている。


 そう長い道ではなかったはずだが、僕の心臓は誰かに握りつぶされるように苦しかった。


「っ、は」

 曇天に塗りつぶされた空の下で、人間は争いを続けていた。

 天井だったものを足の裏に感じる。ここが、最上だ。


 体が震える。それは本能からくる歓喜だった。


 ここに、僕が生まれた理由がある。


「は、あっ」


 聞こえる。怒声が、足音が、呼吸が。

 明日の日の出を見るために。この先の未来を、生き抜くために。


 神が己らと交わることをあきらめ、すべてを無に還そうとしていることも知らずに。


「は……っ」


 なんて、無意味な。


 明日を奪うのは、剣を交える同胞ではない。

 その身を魔女に守らせ、争う者を悠長に上から眺める、この『アレクシス()』だ。


「…………ぁ」


 心拍が、さらに早まった。


 なぜだろう。いや、簡単だ。


「あ、は」


 僕は、この状況に興奮を覚えている。


 ようやく僕の目的を達することが出来る、その事実に興奮している。


 神の前に塵にも等しく、無力な下等生物を。

 この手で、この力で。

 ねじ伏せ、訳も分からないままに、命を、全てを、奪い去るのだ。


「はは……!」


 それは、神という絶対的な存在に生まれた、『アレクシス』という兵器に生まれた、僕の、僕だけの特権――。


「あははははははははははははははッ!!」


 体に力が籠った。

 空と、地から、僕に向かって、力が集まってくるのが解る。

 僕を中心に、何かが生み出されていくのが、何かが消え去っていくのが解る。


 僕を中心に、空間がねじ曲がっていく。

 地が揺れる。天が割れる。


 人の声が消えた。


 この状況に驚いたのか、それとも僕の耳がもう壊れてしまったのか。

 わからない。


 僕は今、笑っているのか? 

 ――わからない。


「ァ――――――――!」


 すべてが、壊れていく。


 これでいい。

 真っ新にするのだ。失敗作(この世界)を。

 

 この、僕を。



「――――『マリー』!!!!!!」



 音のない世界に、()()の声が響いた。


 それは、僕のよく知る声だ。


「が、は……」


 バキバキと、全てが壊れていく感覚。

 僕の血管が破裂して、周囲に霧散する瓦礫と共に、全ての血液が天へと舞い上がっていくような。


 ――いや、違う。


「ッ、あ」

 ゆっくりと、視線を下へと落としていく。


「そこまでじゃ、アレクシスよ」


 鈍く輝く何かが、僕の胸部から飛び出していた。

 これはなんだ。体が強張り視界が歪む。


 これは――、痛み?


 不愉快な音と共に、胸部の何かが背中から引き抜かれた。同時に、視界が紅に染まった。

 これは血液だ。僕の胸部から噴き出している。


 『アレクシス』にも、血液が巡っていたのか――。そんな考えが、この状況には不適切なのだろうと気づいた。


 立っていられない。途端に朦朧とする意識をどうにか握りしめ、僕はその場に膝をついた。

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