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魔女の使いは戦わない  作者: 柚月 ゆめる
7章 未来は君のためにある 【ベテルギウス突入編】
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昔年の記憶


   * * *


 視界が眩しい。随分と長い間、目を瞑っていたようだ。


 起き上がった僕は、伸びを一つして首を鳴らす。寝ぼけている僕の癖。いつからかわからない、生まれた時からの癖だと、僕はそう言っている。


「あーっ! また首を鳴らしておったな!」


 むくりと起き上がった僕は、こちらを指差しながら駆け付ける女性の姿が見えた。

 しかし、いくらその女性が僕の傍へ近寄っても、その姿はぼやけて良く見えない。


「首は大切にしろと、何度も言っておるじゃろう!」

 僕の傍でしゃがみこんだその女性は、労わるようにそっと白い手を僕の首筋に添えた。撫でてくれるその手が温かくて、僕は再び目を閉じる。


「いつまで寝ておる! そろそろ夕飯の用意をするのじゃぞ!」

「っ」

 首筋を撫でていたはずのその手は、何時しか僕の頬へと移動し、僕を覚醒させようと軽く何度か叩いていた。


「それは、僕に苦痛を与えます……」

 痛くはない。それでも「痛い」というのは、人間の面白いところだ。


「おいおい。それじゃ『こいつ』、何も見えてないんじゃねぇのか」

 後ろから男性の声がして、僕はその主を見ようと顔を上げる。

 しかしぼやけた視界に人の姿は無く、変わりに清々しい太陽の光が、僕の眼球に降り注いだ。


「わ」

 慌てて俯くが、太陽光の速さを前に、人の行動が間に合うはずもない。すっかり自然からの目くらましを受けた僕を、女性と、僕の後ろに立つ男性が笑っていた。


 笑うことないじゃないかと顔上げると、ぼやけた視界の上から、二つのフレームが下がってくる。両耳になにかが触れる感覚があった。


「ほら、寝坊助。これで見えるだろ」

 それは眼鏡だった。何度か瞬きを繰り返しながら、レンズの位置を自分の手で調整する。

 その間に僕の前へと移動したらしい男性の姿が、焦点の合い始めた視界に入ってきた。


 足元に生える草の一本一本が、僕の肌を撫でていることに気づいた。

 そうだ、僕は草原で日光浴をしている間に、眠ってしまったのだっけ。


 顔を上げる。僕の顔を、笑顔で見つめる二人の姿があった。

「目が覚めたかえ?」


 僕が頷くと、彼女は満足げに頷いて、隣に立つ男性を見上げた。僕もその視線を追って、男性の顔を見る。

「ったく。寝た分、少しはいつも以上に働けよ」


 呆れたようなその声が、僕の寝起きで不透明だった記憶を呼び起こした。

 おかしいことだ。どうして今さっきまで、まるで二人のことが思い出せなかったのだろう。


「さあ行くぞい」

「さっさと来いよ」


 二人に手を取られ、立ち上がる。


「「アレクシス」」


 二人が呼ぶその名前は、僕の物だ。

「はい。僕はあなた方へ感謝を伝えます。――ジェシカ、ディアナ」


 何と清々しい、いつも通りの平穏な日々。


   * * *


 生まれた瞬間を「自分という存在が形成された時」だと言うならば、僕の誕生は「世界を破壊せよ」と神に命ぜられた瞬間だ。


 人ではない。しかし、神でもない。

 この世界と共に消滅するために生まれた、喋る兵器。それが僕だった。


「なあ、アレクシス。最近、睡眠時間が更に増えてないか?」


 焚き火のそばに座り込んだ僕の隣で、ディアナが眉を寄せていた。

 アレクシスというのは、僕の生まれ持った名前だ。誰に教えられたわけではない。だから、「生まれ持った名前」なのだ。


「確かに。僕はほんの少しだけ、それを感じているように思うかもしれません」

 目を覚ました時、僕は大人の脳と体を持つ赤ん坊だった。僕は言葉や体の動かし方と言った、一通りの「生きる術」を身に着けた赤ん坊だったのだ。


 そう言うとどうも伝わり辛いだろうが、つまりは僕が意識を初めて持った時には既に、記憶を持たない完璧な成人男性だったという訳だ。


 僕が自我をもってこの世界に産み落とされた時、初めて僕を見つけてくれたのが彼ら『魔女』の姉弟だった。

 姉弟子のジェシカと、弟弟子のディアナ。二人の師は今ここに居らず、二人の間に血の繋がりは無い。

 彼らは僕を、まるで家族のように扱ってくれる。僕もまた、彼らと同じように行動した。


「かも、って……お前な。自分の体調がおかしいとか、そういうこと何も感じねェのかよ」

 同じように座り込んだディアナに、僕は困ってしまって首を振った。


「はい。僕は赤ん坊を脱却しましたが、身体の異常は感じられません」

「……相変わらず、解り辛ェな」


 僕が生まれながらに持っていたのは「言葉」であって、その言葉をどのように扱えば、どのように相手に伝わるのかまでは、未だに理解できていない。


 だからなのか、僕はよく二人から「難しいことを言うな」と言われてしまう。申し訳ないことだ。

 僕が機械的な苦笑を浮かべると、ディアナはどこかへと視線を逸らしてしまった。


「お前の目的は、この世界を壊すことなんだろ?」

 頷く。最初の頃こそ躊躇いはなかったが、今では情を持ってしまった相手に「お前ごとこの世を破壊する」などと伝えるのは、どうも気が引ける。


 これが、人間らしい感情なのだろう。

 約一か月。僕が彼らと共に行動を続ける中で、学び得た感情だ。

「なんかさ、俺からすれば……なんつーか」

 言葉の続きが想像出来ず、僕は黙ってその続きを待った。


「世界より先に、お前の体が先に壊れそーじゃん」

「……!」


 驚いてしまった。


 老いた訳ではない。それでも、僕の身体は日に日に壊れていた。僕の中にあるはずの五感は、日を追うごとに薄れて行くのだ。

 まるで、人を模り生まれた僕という存在を、目的へと急かすように。


 しかしそれは、僕の体内で起こっていただけのこと。

 他人である彼が気づくはずも――。


「お前、その眼鏡だって大して意味無ェンじゃねーの」


「!」

 焦点のない視界に映っているのは、長い髪を一つにまとめた人間。クマのぬいぐるみを抱いた、長身の人間だ。

 しかし僕は、彼を「ディアナ」という一つの個体として認知している。だからこそ、その朧な立ち居振る舞いや声から、彼であるという判断を行っているに過ぎない。


 僕は今、視界に映るあの人間と思わしき存在が、男なのか女なのかさえも判別することが出来ないのだ。


 僕の中にある五感は、日に日に衰えていた。

 それでも悟られぬようにと動いた。僕の振る舞いは、完璧だったはずだ。どうして悟られたのだろう、理解が及ばない。


「お前な……」

 それはディアナの声だ。その声色には、呆れの感情が含んでいるらしい。

 ディアナと思わしき人影が、手のひらを地面について僕の顔を覗き込む。驚いた僕は、大した意味も成さない両目を見開いた。


「俺たちは家族だろ」

 僕の脳は、その言葉に過剰に反応する。


家族というのは、配偶者と呼ばれる一種の契りを交わした男女と、その男女の元に誕生した血縁者のことを指すのだ。その定義に間違いはない。

 つまり、僕と彼は家族という関係ではないのだ。当然、ジェシカとディアナもまた、家族ではない。


 その関係が、どれほど親しかろうとも。


「お前、また難しいこと考えてんな?」

 僕がなにかを反論する前に、ディアナの声が僕の思考を停止させた。


 まったくその通りだ。今の思考を彼に伝えたところで、途中で飽きられてしまう未来は容易に想像がつく。

「……」


 不満を顔面に出すと、ディアナは鼻で笑った。

「お前がどう思おうと、俺たちはアレクシスの家族だからな」


 焚き火の先で、毛布に身を包んだジェシカの姿が見える。巨大な岩に背を預け、彼女は眠りについていた。

「……僕が二人を連れ出したのは、僕の目的のためです」


 彼らは一か月前、何もない荒野に倒れこんでいた僕を見つけてしまった。僕を心配して、二人の住まう洞穴まで連れてきたのだという。


 実際、僕は倒れていたのではない。「生まれたばかり」だったのだ。


 僕が「生まれ」て最初に顔を合わせたのが、彼ら二人の魔女だっただけのこと。


「この世の綻び。そこへ、僕を連れて行くことは可能ですか?」

 そして、初めて彼らに言った台詞はこれだ。今考えれば、命を救おうとしてくれた二人に対しての第一声とは思えない。


 それでも二人は、快く承諾した。


「それについては、何度も言ってんだろ」

「暇だから、と?」


 二人は永劫の生を持っているのだという。既に数百年もの時を過ごしてきたと。

「そういうこった。それに、俺もジェシカも、困ってる奴はほっとけない質でさ」


 どうも納得いかない。僕に手を貸すということが、世界を破壊に導いているという事実に気づいていないのだろうか。この期に及んで?


「お前なあ、表情だけは分かりやすいよな」


 また、呆れられてしまった。

「いいんだよ。俺たちは、お前の正体を知らずに助けた。だから、それでこの世界が壊れたって、それもまた運命だ」


 そういうものなのだろうか。僕の常識は、彼らとは少し違うようだ。

 いや、彼らの常識が僕に通じないのは、当然の理だろう。


「――――当たり前だ」

 つい、声に出してしまった。


「ん?」


 どうもディアナは耳がいい。そこもまた、僕と彼との間にある差異だ。

「いや。……僕は再認識しただけです。僕は、『アレクシス』なのだと」


 不思議そうに首を傾げたディアナに、僕は笑っておいた。

 僕はアレクシスだ。しかしそれは、僕という個体に名付けられたものであり、僕という能力を示す名称。


 世界を破壊するための兵器に付けられた、呼称に他ならない。

「お前……」

「忘れてください」


 口を滑らせてしまったようだ。羞恥の念を紛らわすように、僕は焚き火の赤に視線を向けた。

 空は深い藍色だというのに、不思議な空間だ。


 隣から刺さる視線が、心地悪かった。

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