傍観者は刃を握る
階段の上へと追い詰められつつも、ヨルは戦闘を続けていた。
しかしその相手の姿は、獣ではない。
「ヤツを潰せ、ベア子!!」
その声に合わせるように、人型のヨルがひらりと宙を舞う。しかしここは狭い空間だ。彼の自由はそう多くない。
体を捻り、鎌でぬいぐるみの腕を弾く。しかしその巨体から生まれる力に、今のヨルの力で敵うはずもなく。緩和しきれなかった衝撃に体を震わせ、ヨルは呻き声をあげながら床へとその体を叩きつけた。
「ぅあ!」
それでも、ヨルは体に力を入れてすぐさまその場から退避した。直後、先ほどまでヨルの身体のあった場所を、ぬいぐるみの追撃が襲う。
ディアナが舌打ちを漏らした。
「押せ!」
疲れを知らないぬいぐるみの猛攻に対し、ヨルの体力は限界が近い。それでも、ヨルは必死に両腕を動かし続けた。
「っ、君は! あの王子が、大切なんじゃ、ないのか!」
そして声を張り上げた。ぬいぐるみの向こう側に立つ男、ディアナへと。
その声を聞いたディアナは手を休めることなく、同じように声を張る。
「大切に決まっている! だから、こうして手を貸しているんだ!」
「このままだと、二回目の終焉が……っ、始まって、しまう!」
擦れそうになる声に眉を寄せ、ヨルは痛む喉に力を込める。
「君は……! 王子が、死んでもいいのか!」
ほんの一瞬だけ、ヨルはぬいぐるみの攻撃が緩むのを感じた。しかし、気を抜く暇はない。再びぬいぐるみの腕に力が籠るのと同時に、姿の見えないディアナの声が聞こえた。
「それは俺が決めることじゃねェ!」
その叫びに思わず固まりそうになる体を、ヨルはどうにか動かし続ける。
「これはあいつが望んだことだ! それに俺は、あいつがこれ以上苦しむ姿は見たくねェ……! だから!!」
「ぐ……っ!」
防戦一方だったヨルの手から、遂に鎌が弾き飛ばされる。無防備になったヨルの眼前に、鋭い爪を携えたぬいぐるみの腕が迫っていた。
「あいつが苦しみから解放されるために! この世界は終わるべきなんだよ!!」
視界が暗転する。
しまったと悔いるには、その瞬間はあまりにも刹那だった。
痛みを覚え、意識を手放し――。再び目を開いた時には、この世界は終わっているのだろうかと。そんな下らないことを考えるよりも先に。
「!!」
迫り来る脅威は、魔法にでもかかったかの様に制止した。
困惑するヨルの前で、状況は刻々と、大きく変化していく。
「テメェ――――ッ!」
ディアナの怒りと困惑の声と共に、巨大だった熊のぬいぐるみがその質量を減らしていく。
遂に腕に納まる大きさにまでその体を収縮させると、見えなかったディアナの姿が視界に映った。
そして。
「我が使い魔に、手荒な真似は許さぬぞ?」
「ジェシカ……」
ディアナの首筋へナイフを突きつけたジェシカが、鋭い視線で彼の顔を見つめていた。
少しずつ体力が回復していく感覚に、ヨルが一度深呼吸をする。慣れ親しんだジェシカの魔力だ。
「……手、出さねェんじゃ無かったのかよ」
首筋に無機物の冷たさを感じながら、ディアナが目を細めて嘲笑した。ジェシカもまた同じように、その紅の唇を三日月に曲げる。
「何、妾は事の成り行きに口を挟もうなどと考え、ここへ来たわけでは無い」
その唇が、ゆっくりとディアナの耳元へと近づいていく。
「見届けに来たのよ。愛息子の決断を。古き友の決断を。そして」
ジェシカの口元から、笑みが消えうせた。
「我が弟弟子の、生き様をのう」
「!」
かっと苛立ちのまま頬を高揚させたディアナが、その手を力任せに振りほどいてジェシカと距離を取った。その衝撃でジェシカの握るナイフが、ディアナの頬をかすめて鮮血を生む。
「……いつまでも姉弟子気取ってんじゃねェぞ。傍観者気取りの薄情者が」
ジェシカを睨みつけるディアナの瞳に、憎悪が渦巻く。
「俺はもう、間違えねェ」
立ち上がったヨルが鎌を拾う。ほぼ同時に、ディアナの手元へとぬいぐるみが戻った。
一触即発。まさにそんな緊張感が張り巡らされる。
そんな中、最初に表情を変えたのはディアナだった。
しかしその感情は、この場に向けられたものではない。ジェシカ、ヨルの二人もまた、感じる異常に眉を寄せ、視線を周囲へと向ける。
肌が震える。心がざわつく。息が止まる。
この感覚を、二人は知っている。
ディアナが嗤った。
「始まる!!」
三人の視線は、窓の外へ。急激に暗くなっていく空へ向けられた。