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魔女の使いは戦わない  作者: 柚月 ゆめる
6章 真実を求めて 【ベテルギウス突入編】
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独りぼっちの王子様

 俯いたまま腹部に座り込むニーナの表情が、彼女の前髪に隠れて見えない。エリィは無理にその顔を覗き込もうとせず、仰向けのまま少女の姿を傍観した。


「なあニーナ。そろそろ、教えてくれねーかな」

 ほんの少しだけ彼女の前髪が揺れた気がした。


「なんでお前が、そんなに苦しそうなんだよ」

 顔を上げたニーナの視線と、エリィの視線がぶつかった。


「今……、一番、苦しいのは……っ、ダリアラ様よ……!!」


 ニーナの瞳が、涙で濡れていた。

 限界を迎えたように溢れ出した涙が、彼女の陶器のように白い頬を伝い、エリィの胸元へと落ちていく。


「あの人は、ずっと、ずっと一人で……」

 鼻を啜るニーナの肩が、震えている。


「今だって――!」


 背中に感じる冷たい床が、一層腹部の熱さを際立たせる。胸元に落ちる、涙の熱を。


「ねえ、どうして? どうしてダリアラ様が『アレクシス』なの? どうして、こんな運命ばかり……。あの人が、何をしたっていうの」


 ダリアラが、孤立していく。


 この世界から。『アレクシス』として、異なる全ての人間から――。


「……ダリアラ様を支えられるのは、私だけ。ダリアラ様の味方は、私だけ」

 自分自身へ、言い聞かせていく。

「今の私に出来ることは、あなたを、殺すことだけよ」


 下がっていた両腕に力が籠る。

「なのに……」

 握りしめた両の手が、拳となってエリィの胸元を叩きつけた。


「どうして!!」


 不思議と痛くはない。ただその感覚を得る度に、エリィは呼吸が苦しくなるのを感じた。

 込み上げてくるこの感情を、同情と呼ぶにはどうにも相応しくない。


「どうして、あなたなの!!」


 どうしようもなく苦しかった。

 それは、自分にはどうすることも出来ない事実。


 自分では、この少女の涙を、拭ってやることが出来ない――。


「っ、う」

 ニーナの拳が止まり、再びその長い髪が彼女の表情を遮った。

 なんて悔しいのだろう。


「なあ、ニーナ」

 その真実は、自分ではどうすることも出来ない。

 しかし。

「本当に、そう思ってんのか」


「え……?」

 涙で歪む視界の中で、真っ直ぐにこちらを見つめるエリィの姿が見える。その強い視線に、ニーナの手が震えた。


「お前に出来ることは、本当に俺を殺すことだけなのかよ」

 そうだ。ここまでの道で、考えて、考えて、たどり着いたはずの答えなのだ。

 何年も前から、決まっていた未来なのだ。

 今更、新しい可能性など。

「っ、そんなの――!」


「お前だって、選んでいいはずだ!」


 ニーナの啜り泣く声が止まった。

 エリィの脳裏には、夜中に見た魔女の姿が浮かぶ。


「お前が本当にやりたいことは、何だよ」

「…………っ」


 再び鼻を啜り、ニーナは荒々しく目元の涙を拭った。


 自ら選択することの恐怖を、エリィはよく知っている。しかしこれ以上、彼女に対して自分に出来ることなどない。

 ここでニーナに殺されるのならば、それもまた運命なのだろうと割り切ることが、不思議と簡単に出来そうだと感じた。


 それでもエリィは、涙の伝うニーナの頬へと手を伸ばす。

 


「独りなどではないさ」


 その手は、空中で止まった。涙で濡れたニーナの瞳が、ゆっくりと開いていく。


 エリィもまた、肘を付き上体を起こした。ニーナの視線を追う。既に何度も耳にした声だ。聞き間違えるはずがない。


「私にはお前が居る。そうだろう、ニーナ?」

 長い髪が、彼の歩調に合わせて揺れていた。

 ダリアラは目を細めて、泣き顔のニーナを見下ろす。


「ハイドラも、エリィも、私の味方ではなかった。だが、お前は違う」


 直接伝わってくる。彼女の焦燥、恐怖、苦悩が。

「私の傍に、ずっと居てくれるのだろう?」


 揺れ動く。


「……私」

 離宮での生活で、唯一の救いだった兄。

 自分をニーナと呼んでくれた兄。

 ベッドに腰かけ窓の外を眺める、独りぼっちの兄。


 彼がしてくれたように、自分もまた、彼の傍を離れない。

 そう誓った、八年前の記憶。


「私、は」

 こんなにも、喉が痛い。


「……ニーナ。私には、お前しか居ない」


「!」

 それは、誰よりも、何よりも、彼女が欲していた言葉だ。

 気付きながらも目を逸らし続けていた、そんな感情が、心の奥底から湧き上がる。


 私はあなたの全て。あなたの望むことならば、何だってする。

 私だけは、この先もずっと、あなたの味方で居る。

 だから――。


「……ダリアラ様」

 どうか、私を欲して。

 私だけを見て。


 私を、あなたの特別にして。


「ニーナ」

 心拍が上がる。心臓が叫んでいる。体中の血液が沸騰したように熱い。

 熱い。


「あ――」

 細められた瞳は、自分だけを映しているのだろうか。

 彼は今、自分だけを求めてくれているのだろうか。


 彼の求めるものは、一体なんだったか――?


「その障害を、私の前から消し去るんだ」

「!」

 そうだ。彼の望みは、今、ここに居る少年を排除すること。

 『アレクシス』は、必ず私が破壊する。そう決めたはずなのだ。


 それでも、今。ニーナの脳に蘇るのは、恐怖の中でも耳にした、あの人ではない何かの言葉。


 例え『ソレ』が……、何であったと、しても。その『大切な人』のために、本当に君は……『ソレ』を、壊すことが出来るのかな。


 あの時は、理解出来なかったヨルのその言葉が。

 今は、苦しい程に身に染みる。


(私の、「やりたいこと」は――)


「…………」

 エリィは無言のまま、二人の姿を見つめていた。

 ニーナの腰が、ゆっくりと持ち上がる。温もりが、離れていく。

 すぐ傍にしゃがみこみ、ニーナは剣の柄を握りしめた。


 剣先が大理石を滑る。剣身が、ニーナの体が、持ち上げられていく。

「ニーナ」

 その声で、その名前を読んでもらえる瞬間を。


 毎朝、毎朝。目を覚ます度、どれ程待ち望んでいたことか。

「っ」

 握りしめた剣を、持ち上げる。


 両手で柄を握りしめ、一度瞳を閉じる。

 空気を吸う。肺へと流し込み、一度口を閉ざした。


「……ニーナ」

 聞こえた、その声の主は――。


「出来ません」


 エリィが、彼女の名前を呼んでいた。

 起き上がり、座り込んでいたエリィの前に立ったニーナは、真っ直ぐにダリアラと向き合った。


「ごめんなさい、ダリアラ様」

 見上げた先をよく見れば、下げられた手は遠目からでもわかる程に震えているのがエリィにもわかった。

 か細い声をどうにか張り上げて、絞り出すような言葉を途切れさせないように。普段よりも少し早口で。


「人を、エリィを殺すことなんて、私には出来ません……!」


 彼女の背中がここまで大きく見えたのは初めてだ。見上げた先に立つニーナの姿に、エリィはただ息を飲んだ。

 艶やかな髪と力む細い足。彼女の空色の双眸は今、どれ程揺らいでいるだろう。


「ダリアラ様、こんなこと間違っています。どうか、お考え直しください!」

 ダリアラの表情が、すっと冷え込んでいく。


「わからない子だね」

 一歩。距離を詰めるダリアラに、ニーナの喉奥が鳴る。


「……その少年は『アレクシス』でありながら、その使命を果たそうとしない失敗作だ。そして何よりも、成功作である私の邪魔をしようとする。つまり、神の邪魔をしようとしているのだよ」


 また一歩。何よりも大切だった相手が、どうしようもなく恐ろしい。


「ニーナ。私たちアンジエーラ族が、なぜ『天使』などと称されているのかを、知らない訳ではないだろう?」


 飲み込んだ生唾が、食道で停滞しているようだ。

「天変地異をも納める力を持った、神の……、天の使いだから」


「そうだ。……そんな種族に産み落とされた私だからこそ、神が創造せし兵器(アレクシス)としての使命を、果たさない訳にはいかない」


 ニーナのほんの数メートル先で、ダリアラは立ち止まる。

「私が先代のくだらない嘘を、真実にしてやろうと言っているのだよ。天変地異など、この世界諸共葬り去ってあげよう……とね」


 その言葉に、嘘はない。

「先の言葉は聞かなかったことにしてあげよう。……さあ、その紛い物を始末するのだ。お前も、天の使いの端くれならば」


 視界の先に立ち上がったエリィの姿を見て、ダリアラは口角を上げる。ニーナの背の先で笑うダリアラを、エリィは強い視線で捉えた。

 ニーナは一度瞳を閉ざす。再び、あの日のヨルの言葉が蘇ってきた。


 一度、よく考えないといけない時が来る。本当に君は、言われたままに動いて良いのかどうかをね。


 それは、きっと今だ。


「ダリアラ様」

 ニーナの視線が、ダリアラを捉えた。

 これが、彼女の最初の選択となる。


「それでも、私には出来ません」


 柄を握る手に力が籠り、カチャリと刃の震える音がした。

「例え私が天の使いだとしても、それが神の望む選択なのだとしても……! 人を殺めてまで、成すべきことなんてありません!!」


 その声に宿る強い意志が、エリィの心を揺さぶった。

「ニーナ……」

 思わず漏れた声に振り返ったニーナが、エリィへ小さく微笑みかける。


「エリィ、さっきはごめんなさい。……私も選ぶわ。私が、本当にやりたいことを!」

 エリィは、ただ頷くことしか出来なかった。その横顔が、今まで見た彼女のどの表情よりも気高く、そして、美しかった。


「ダリアラ様! きっと、まだ間に合います。どうか、お考え直しください!」

 再び顔をダリアラへと向けたニーナが、声を張る。


 二人の様子をただ見つめていたダリアラは、一度ため息を漏らした。

「変わってしまったね、ニーナ。やはりお前を、城の外へ出すべきではなかった」


 あからさまに落胆した様子の主の姿が、再びニーナの心へ傷を生む。それでも、既に彼女の意思は硬かった。


「…………」

 返答をしないニーナに、ダリアラが小さく首を振る。

「お前の意思は解した。……こちらへ来なさい。我が半身も共にね」


 くるりと二人に背を向けたダリアラが、廊下の先へと進んで行く。思わず言葉を失ったニーナとエリィだったが、ダリアラの背は二人から襲われる心配など一片も持たないことを示す様に、一度たりとも振り向かずに離れて行く。


「……行くぞ」


 呆然と立ち尽くすニーナの肩に触れ、エリィはダリアラが向かう先へ歩き始めた。

 ニーナは一度息を飲み、前を歩くエリィの後を追った。

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