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魔女の使いは戦わない  作者: 柚月 ゆめる
6章 真実を求めて 【ベテルギウス突入編】
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握られた手の先

 ゲルダの背を押す右手と、ニーナの手を握る左手。その両方に力が籠る。

 駆け抜ける廊下には予想よりも異形の姿はない。やがて三人は、見覚えのない階段の前に差し迫った。

 上の階へも、下の階へも進む階段が伸びている。


 既にハイドラの先導で進んだ最短ルートからは外れてしまっているようだが、ここからでも出口へは迎えそうだ。今更最短ルートを探して戻るよりも、よっぽど早いだろう。


 いつしかエリィの手から逃れ、自ら先頭を走っていたゲルダの姿が遠い。二、三歩の距離だが、追いついていた方が良いだろうとエリィが足を動かす速度を上げた。

 申し訳ないとは思うが、今はニーナの体力を気にしてやれるほどの余裕はない。


「もう少しだぞニーナ!」

 握り返される気配のないニーナの冷たい手を、再び強く握りしめる。そうでもしなければ、焦りで汗ばんだ手のひらは、簡単に彼女の手から離れてしまいそうだった。


 ゲルダが、階段の前を通り過ぎる。当然その後を追ったエリィだったが、突如左手に圧を感じて目を丸くする。

 ようやく握り返された左手が、ぐいと引き寄せられた。


「駄目、エリィ!!」


 後退する体。聞こえたニーナの声。

 そして突如目の前に現れた、白の獣。

 その陰に、ゲルダの姿が消える。


 耳を裂く咆哮を、この日何度聞いたことだろう。獣は階段の下から現れたようだ。ゲルダとエリィの間に割って入った異形は、お構いなしといった様子でその鋭い爪を振り回す。


「二人とも無事だね?!」

 数体の異形の向こう側から、ゲルダの声と共に戦闘音が聞こえた。戦う意思を示したゲルダへ、異形の意識は集中しているらしい。


「逃げて! エリィ、ニーナ!」


 再び動かなくなった足が震える。

 幸いなことに現れた異形は三体のみだが、その巨体の間をすり抜けゲルダの元へ行くことは叶いそうにない。


 後ろも前も、異形に挟まれてしまった。

「ここは私一人で大丈夫だから! お願い、早く!!」


 この状況では、ゲルダもエリィたちを庇いきることが出来ないのだ。

 彼女の足手まといになるつもりはない。先ほどと同じように、彼らも魔法にかければいいはずだ。そう分かっているのに、突然の事態に頭が追い付かない。


 ニーナが手を引いてくれなかったならば。


 恐らく今、自分の頭は同体と繋がっては居ない――。


 立ちすくむエリィに視線を向けた、一体の異形の腕が動く。差し迫る危機に、今度こそエリィは動くことが出来なかった。


「――!」

 ぐいと引かれた手の先で、ニーナが駆け出していた。


「こっちよ!」


 掴まれた手が、鎖のように絡まって解けない。ゲルダをここへ置いて行くのだという罪悪感に、その手を振りほどこうと指先が動く。しかしその力の籠った細い指と、目の前で揺れる淡い水色の髪が、エリィの反発を許さなかった。


 前も後ろも、階段の下にも道はない。ニーナが選んだ先は、階段を登ったその先だった。

 言葉も無い。ただ、ニーナに引かれるままに階段を駆け上っていく。


 ゲルダの気配が、拳のぶつかり合う音が、足元に遠ざかっていく。階を変え、次々と姿を見せる異形から逃げ、そしてまた階段を登る。


 不甲斐ない。なんと惨めなのだろう。


 もつれそうになる足を、せめてもの意地で動かした。

 いくつもの階段を踏み越え、周囲の安全を確認する。ここは何階だろうか。


 音の無いフロアにたどり着き、ニーナの手がようやく離れた。

 二人は肩で呼吸を続ける。死に物狂いという言葉は、正にこういう状況を指すのだろうかと、酸素の足りない頭でエリィは考えていた。

 

 やがて呼吸が落ち着くと、記憶が勝手に脳内で整理されていく。つい先ほどまでの出来事を、現実を痛感した。


 皆は無事だろうか。逃がしてもらったにも関わらず、ヨルとも、ゲルダとも別れ、城の外まで逃げ延びることすら出来ていない。

 この数時間の間に目にした全てが、恐ろしい記憶となってエリィの脳裏に焼き付いている。朱に染まる大理石、点々と放置された死体。襲い来る異形たち。


 そしてなによりも、動けなかった自分が心底腹立たしい。


「…………」

 それでも。


 目の前の少女は、エリィの手を離さなかった。


「ニーナ」

 振り返らない少女に、エリィは目を細める。

「ありがとうな」


 まずは彼女に、感謝を伝えるべきだと思った。

 ここまで連れてきてくれたこと。あの時、手を引いてくれたことを。


「……外には、行けそうに無ぇよな」

 エリィは改めて周囲を確認する。どのフロアも天井が高く、階段はとても長かった。超えた階数はそう多くないだろうが、窓の外から見える景色から、ここが城内でもだいぶ上層階であることはわかった。


「あいつらのとこに戻るわけにもいかねえ。……俺たちだけで、ダリアラを探すか」


 少しでも彼らの役に立ちたい。しかし乱戦の中へ戻ったところで、自分に出来ることは限られているだろう。

 それならば、今この場で、自分でも出来ることを行うしかない。


 先ほどのハイドラの言葉を思い出せば、ダリアラが居ると思われる階は三階、もしくは四階だったはずだ。一階の異形の数から考えて、彼の居る場所がここまで手薄だとは思えない。

 しかし、可能性を一つでも潰しておくことは、今後のためにもなるだろう。


「とりあえずは、ここの階を探してみよう。それでいいか?」

 先ほど感じた不甲斐なさを紛らわす様に、エリィは視線を動かす。

 しかし彼の問いかけに、答える声は無い。


「……ニーナ?」

 不思議に思ったエリィが、数歩ニーナへと近づいていく。


 美しい髪の間から見えた肩に手を置き、その顔を覗き込んだ。

「もしかして、どこか痛むのか?」


 世界がぐるりと動いた。

 天井が視界に映り込み、背中に鈍痛が走る。腹部に重さを感じ、思わず瞑った瞳を開いた。


 鼻のすぐ先に、夕日に照らされ鈍く輝く剣先があった。


「――――」


 言葉を失う。

 さらりと、エリィの顔の横に薄水色の髪が落ちた。


「――どうして」


 血の気を失った少女の唇が、小さく動いて言葉を紡ぐ。


「どうして、あなたが……、『アレクシス』なの」


 エリィの肩に片手を付き、もう片方の手は、エリィの眼前に向けられた剣の柄を握っている。

 ニーナの瞳が、揺れていた。


「…………」

 間違いなく、今までのどの状況よりも、死は目前にあるはずだった。


 それでもエリィは、不思議と恐怖を抱かない。

 こうして彼女の顔を真っ直ぐ見るのは何時以来だろうかと、そんなことを頭の片隅で考えられる程に。


「どうしてあなたが……!!」


 悲痛な叫び、という言葉は、まさに今の彼女のためにあるようだ。

 腹部と肩に感じる彼女の体温が、火傷しそうな程に熱かった。


「――ダリアラ様は、私の全て。私の意思は、ダリアラ様の、意思」

 その声に、エリィはどこか違和感を抱いた。そしてすぐに、その違和感の正体に気付く。


 降り注ぐ言葉の一つ一つが、自分に向けられているものではないのだと分かった。


「『アレクシス』を、あなたを、消す。それが、ダリアラ様の望みなら。私は――」


 今にも飲み込まれてしまいそうな空色の瞳。

 葛藤が見える。こちらまで、息苦しくなってしまいそうな程に。


「…………」


 エリィは何も言わず、ただ目の前の()と、共に在る少女を見つめていた。

 ほんの少しニーナが腕を動かせば、剣はエリィの鼻先へと突き刺さる。


 そうなった後は、どうなるのだろう。


 ダリアラの目的は世界の破滅。ニーナを遣わせた意図ははわからないが、恐らく目的の存在であったエリィとの出会いは偶然だろう。

 ダリアラはエリィを殺し、『アレクシス』の全ての力を手に入れると言っていた。


 それは、今ここでニーナに殺されたとしても、同じ結末へ向かうのだろうか。


 剣は動かない。

 こちらを睨みつけるニーナの表情に、どこか苛立ちにも似た焦りが窺える。


「……っ、どうして?」


 声までもが震えている。

「どうして、抵抗しないの? 私はあなたを、殺そうとしてるのよ!」


 エリィにとってこの状況は、正に命の危機だ。彼にはニーナほどの戦闘技術は無く、彼女が本気で剣を振るおうものならば、エリィに抵抗する術はない。


 今の内に、精一杯の抵抗をすべきなのだろう。

 それでもエリィは、その体に少しの力も入れず、ただニーナの顔を見上げていた。


「――違うだろ」


 カチャリと、無機物が鳴った。

「お前は、俺を殺す気なんて無い」


 不意に動いたエリィの手が剣身を握る。手入れの行き届いた刃は、エリィの手のひらの皮膚にすっとその身を埋めていく。細見の銀が朱に染まり、ニーナの肩が揺れた。

「な、なにを……!」


 引こうにも、今剣を動かせばエリィの指が飛びかねない。視界の中で範囲を増す朱色に、ニーナの背筋が凍っていく。


(ど、どうすれば……!)


 ――どうすれば、これ以上彼に血を流させることなく剣を引ける?


「なんでそんな、焦ってんだよ」

「!」


 言われて気付いた。

 そうだ。焦る必要は無い。


 今から自分は、この少年を。


「殺す、はずなのに…………」

 ニーナの肩から力が抜けていくのを確認し、エリィはゆっくりとその手を剣から離した。


 支えを失った剣が音を立てて、エリィの顔のすぐ隣にその身を下ろした。

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