兵器の使命
「やあ、エリィ」
わざとらしい猫なで声。優しく細められた瞳。胸の前で組まれた白い腕。
長い髪が夜風に揺れ、丹念に作られた彫刻、もしくは蝋人形のような丹精な顔立ちを、隠しては露わにする。
「そんな怖い顔をするな。私とお前の仲だろう」
なぜ、こんなにも近しい存在に思えてしまうのか。
ほんの少しでも気を許せば、まるで家族と対面した時のような安堵感に崩れ落ちてしまいそうだった。
「ダリアラ……」
そんなエリィの呟きに、いち早く反応したのはハイドラだった。迫りくる獣を相手にしつつも、背後で異常な気配を察知し、隙を見つけて視線の先にエリィの姿を捉える。
当然、彼と対峙する実兄の姿をも。
「……テメェ!」
「ハイドラ!」
思わずそちらへ駆け出しそうになったハイドラを、フランソワが声で制する。いくらフランソワとは言えども、この数を相手に一人で立ち回るのは至難の業だ。
当然そのことを理解しているハイドラが、盛大な舌打ちを漏らした。迫り来る脅威を前に、再び剣を振るう。フランソワもまた様子を見るようにエリィへと視線を向けるが、そんな余裕はほんの一瞬しか許されない。
そんな彼らの姿に一瞬だけ目を細めて、ダリアラは自身を見上げる少年へと視線を落とした。
「エリィ。私の言葉を、覚えているかな」
エリィは眉を寄せ、数日前の記憶を手繰り寄せる。体力の限界に居た彼は、正直当時の出来事を全て鮮明に覚えている訳ではない。
それでもどうにか、意識を失う直前に見たこの男の姿を思い出す。
私は、お前を受け入れることも出来るんだよ。
はっと視線を上げたエリィに、何かを思い出したのだと察したダリアラが頷いた。
「そう、私はお前を受け入れることが出来る。お前を壊すより、よっぽど素敵な展開だ」
差し出された手のひらを拒むように、エリィは一歩後退した。
「……あんたの意図が、わかんねーよ」
背後から聞こえる戦闘音と二人の荒れた呼吸。言葉を選ぶ余裕など無かった。
「どういうことだろう」
目的の存在が、そちらから姿を現してくれたのだ。ぶつけようと思っていた疑問の全ては、今ここで晴らしておくに越したことはない。
「俺とお前は、『アレクシス』なんだろ?」
「そうだ」
迷いのない回答が、清々しくてどこか可笑しい。
こんなにもわからないことだらけだというのに、この男はその全てを理解し尽しているようだ。
自分も彼も、同じ『アレクシス』だというのに。
「『アレクシス』は世界を破壊する兵器なんだって、ニーナが言ってた。それは、お前がニーナに言ったことだろ」
「その通りだが」
先ほどから肯定ばかりが返ってくる。
冷えた指先を握りしめて、エリィは冷たい空気を吸い込んだ。
「その『アレクシス』が世界を破壊するのを止めるために、お前はニーナをミエーレに向かわせたんだよな? でも『アレクシス』はお前だ。俺のことだって、殺すって言ったり、受け入れるって言ったり……」
そう。彼の言動には矛盾が多すぎるのだ。それ故に、ただでさえ理解の追いつかない現実が、更に複雑なものになっていく。
しかしダリアラは、そんなエリィの疑問を予想していたと言わんばかりに口角を上げ、一度頷いた。
「そうだね、エリィ。お前の言う通りだ。確かに、私の言動はどこか整合性を持たないもののように見えただろう」
そしてその表情はどこか満足そうにも見え、
「そう、仕向けたからな」
そんな言葉が、エリィへその感覚が勘違いではないのだと確信を持たせた。
「仕向けた……」
ダリアラが組んでいた腕を解き、その右手のひらをエリィへと差し出す。
その白い手のひらを見下ろして、まただ、とエリィは身震いした。
全て。ここに至るまでの全ての行動、発言、そして思考までもが。
この男の意のままに、彼のこの手のひらの上で操られ、そうさせられていたような。
そんな感覚。
「全てはこの時のため。私が滞りなく、世界を終焉へと導くための筋書きに過ぎない」
一歩。ダリアラが、エリィへと足を進める。
竦んだエリィの足は、その場から数ミリたりとも動こうとはしなかった。
「私はね、生まれたときから『アレクシス』であることを自覚していた。神の造りし兵器であり、この世界を終焉まで導くことが使命であると」
それは、自分とこの青年の間に存在する、最大の違いだ。
「しかし同時に、自分の中の力が、その全てではないこともわかっていた。……だから、お前を探していたんだよ」
少しずつ、彼の意図が見えてきたような気がした。
彼が世界の破壊を目的としていることは間違いない。『アレクシス』の力を用いて、神が目論んだ通りに。
つまり彼は、『アレクシス』を破壊し世界を守るためにニーナへ指示を出したわけではない。
では、その本当の意味は?
その問いかけに答えるように、ダリアラの薄い唇が動いた。目の前に迫ったダリアラの瞳に、エリィの呼吸が吸い込まれていく。
「『アレクシス』は二つも要らない」
冷たい戦慄がエリィの体を凍らせる。
「私に無い、残りの『アレクシス』の力は、私の半身であり最大の脅威だった」
理解しかけた彼の言葉が、途端に遠くなる。
なぜこんなにも、彼の言葉は遠回しなのか。普段であれば苛立ちさえ覚えそうだというのに、エリィはただその答えを懇願するように眉を寄せた。
「例え記憶が無くとも、お前もアレクシスの半身だ。……少しは、思うところもあるのでは無いか?」
そっと頬に触れた手のひらに、温もりは無い。それがダリアラの手のひらなのだと理解するまで、数秒の時間を有する程に。
何かが、自分の中に入り込んでくるように思えた。
体の奥底を何かが蠢いているかのような。
伸びてくる。一度離れていたはずの、誰かの、手のひらが。
「…………!」
途方もない違和感に生唾を飲み込んだ。
揺れたエリィの瞳を覗き込み、ダリアラが口角を上げる。
「五十年前、アレクシスはその使命を全うすることが出来なかった。家族とも呼べるほどに親しい存在……ディアナやジェシカ、その他さまざまな人間に依存した彼は、この世界を存続させたいと、そんな愚かな考えを抱いてしまったからだ」
――そうだ。
あの時、アレクシスは。
「だけどね。今の私には、そんな愚かな考えは無い。きっとそのような感情は、お前が全て持って行ってしまったんだろうね」
するりと、その手が離れていった。心を拘束していた何者かの両手の感覚も、気付けばどこかへ消えている。
「私はお前に、嘘などつかないよ」
エリィは浅い呼吸を繰り返しながら、ただ真っ直ぐにダリアラを見上げていた。
「私にとってお前は、唯一無二の、本物の兄弟。この時代の血縁など比にならない程の繋がりを持った、半身であるお前を。私は、絶対に裏切らない」
言葉は無い。
ただ、その姿を見ていたい――。
「私は、お前を受け入れることが出来る。だからお前も、私を受け入れるんだ。――『アレクシス』は二つも要らない。だから、一つにしよう。兵器の使命を、全うするためにね」
それは、自分自身があるべき姿へ戻るための手段なのだろう。と、エリィは本能的に考えた。彼の言葉が、不可解な程に腑に落ちていく。
「エリィ。私たちが行おうとしていることは、何も悪いことではない。――解るだろう? 本来終わるはずだったものを、今度こそ、確実に終わらせるのだ」
そんなことは間違っている。
エリィの唇は、動かない。
差し出された手のひらが、視界の中でうっすらと歪んでいく。
「共にこの世界を、正しい未来へ導こう」