そんな気がするんだ
ちらりと隣に並ぶフランソワの顔を覗き見るが、彼の表情は普段と何も変わらない。
「……例え彼女が気を病んでいたとして。それでも、ここへ共に来ることを選んだのは、紛れもなくあの少女の意思だと、僕は思うよ」
そして突然の話題転換に、エリィは一瞬その言葉の意味を理解しきれなかった。
ハイドラの表情を見て、先ほどまで二人の間にあった会話の内容へと戻ったのだと悟る。
「盗み聞きとは趣味が悪ィな」
「聞こえてしまっただけだよ」
腕を組んだハイドラへ、フランソワは言葉を続けた。
「どうやら彼女は、君にとっても大切な存在のようだけれど……」
「……。妹、だからな」
思いもよらない言葉に、エリィの目が丸くなる。それはフランソワも同じことで、しかし彼とは対照的に「へえ」と目を細めた。
「え、じゃあ、ニーナはアルケイデアの姫……?」
動揺のままに唇を動かしたエリィだったが、ハイドラは頷くことも、否定することもしなかった。
「……そうだけど、違うんだよ」
納得のいかない回答に、エリィは眉を寄せることしか出来ない。
確かに数日前の混乱した記憶の中に、ダリアラが彼女を「妹」と呼んだシーンがあったような気もする。謎解きのような言葉をどうにか理解しようと思考を巡らせ、エリィは体内に感じた知恵熱に目をぐっと瞑った。
「まあ、アルケイデアが色々な厄介事を抱え込んでいることは、もう十分すぎる程に理解しているからね。深くは聞かないでおこう」
むっとフランソワを睨みつけたハイドラだったが、言い返す言葉はない。特に気にも留めていない様子で、フランソワが口を開く。
「君と話をする前に一度、あの少女とは顔を合わせているんだけど。その時に、僕は彼女の目的も聞いているよ。……彼女の目的は、『アレクシス』を破壊することだった」
反論はない。
「ハイドラにも伝えておくとね。その時既に、僕は『アレクシス』の存在を教えられていたんだ」
「あの、神がどうとかいう話かよ」
握手を交わしたあの日、ちらりとそんな話は聞いた。とはいえ詳しい話を聞けている訳ではなく、半ば馬鹿にするようにハイドラはそんな言葉を返す。
しかしフランソワは、気にも留めないような素振りで頷く。ハイドラが拍子抜けし、再度その話の中核へと話題を向けようとした。そんな彼を宥めるように手を動かすと、更なる説明のないまま、フランソワは話を続けていく。
「どんな経緯があったにしろ、僕が『アレクシス』の存在を認知した事実は変わらないよ」
今までハイドラへと向けられていたフランソワの視線が、突然エリィへと向けられた。
反射的に身構える少年へ、フランソワは柔らかな笑みを浮かべる。
「僕はね、エリィ。……ジェシカこそが、『アレクシス』なんじゃないかと、そう思っていたんだよ」
思いもよらない発言に、エリィの思考が一瞬停止した。
想像通りの反応に満足したのか、フランソワはその目を一度細め、再びその視線をハイドラへと戻す。
「まさに当たり前のように生活に溶け込む魔女。だけど、その正体は誰も知らない……。ヒトなのか、それともザデアスなのかさえ、わからない」
考えたことも無かった、と言うのが正直な感想だった。
確かに、ジェシカが何かザデアスの種族を名乗ったことはない。同様に、自分をヒトであると言ったこともない。
彼女はあくまでも魔女であり、それが当たり前であった。『そういうもの』であり、疑う必要もなかったのだ。
「言われてみれば、と言った顔だね。今となっては君のところの……ええと、そう、ディアナもそうだけど。当時の僕は、魔女という存在をジェシカ以外に知らなかった」
ハイドラが頷く。ジェシカの名は、恐らく大陸中の人間が知るところだろう。一方自分はその距離の近さから知っていたが、ディアナは彼女のように表立った動きは一切していない。数日前まで、彼は何をする訳でも無く、ただダリアラの傍に居る『魔女』を名乗る男。それだけだった。
フランソワが彼を知らないのも納得だ。
「だからね、僕はあの合同作戦をジェシカへと持ちかけたんだ。彼女の力量を、この目で確かめるために」
なるほど、とエリィは落ち着きつつある頭で考える。あの作戦は、騎士団の協力があってこそ成し得たものであることに間違いは無い。しかし元々は普段通り、ジェシカとエリィの二人でどうにかしようとしていたものだ。
事前に、騎士団長を名乗る者から手紙を受け取っていなかったならば。
「次にまた異常現象が起こりそうなら、騎士団も手を貸したいなんて。突然、何事かとは思ったけど……」
せっかくだからと、ジェシカはその手紙を受け取った後数回の異常を解消した後、その申し出を受け入れた。
その結果行われたものが、もう一ヵ月近く前のことになるあの合同作戦だ。
「正直、アルケイデア軍と衝突したあの日。エリィの傍にジェシカの姿が見えて、やっぱりなと思ったんだ」
「……だからお前、あの時やたらジェシカを睨んでたのか」
「気づいていたのかい?」
わざとらしく驚いた表情をするフランソワへ、ハイドラがはあとため息を吐いた。
「個人的な恨みでもあるのかと思えば、そんなことまで考えてたなんてな」
感心にも似た声に、フランソワが肩を竦める。
「まあ結局、僕の予想は大きく外れていたわけだけどね」
再び、二人の視線はエリィへと向けられた。
「ここは、僕たちの誰もが予想も出来なかった現実の中だ。エリィの言う様に、とにかく動くしかない。……これが全部、『アレクシス』の描くシナリオ通りだとしてもね」
ごくりとエリィが息を飲む。
それは自分自身を指す言葉でありながら、今まで一度も顔を合わせたことの無かった隣国の王子を指す言葉でもある。
不思議な感覚を咀嚼するように瞳を閉ざし、そして再び顔を上げた。
「きっと大丈夫だ。全部上手くいく。――そんな気がするんだ」
根拠のない言葉に、しかし二人の表情が和らいだ。
それは不思議な魔法のように。再び顔を合わせたハイドラとフランソワが、困ったように口角を上げるのだった。
「さあ、皆のところへ戻ろう。明日は明日で、沢山移動することになるだろうから――」
話を切り上げようとしたフランソワの言葉が、すっと途切れた。
静まり返った空間にエリィが眉を寄せるが、彼が問いかけるよりも先に二人の体が動き出す。
「伏せろ、エリィ!」
駆け出したハイドラが、エリィの背を思い切り押し付ける。バランスを崩したエリィは短いうめき声と共に、地面へと顔面から突っ伏した。
「ぶッ?!」
あまりにも突然の出来事に理解が追い付かないまま、エリィは土まみれの顔を上げる。苦言を零しそうになった唇が、開いたまま動きを止めた。
響き渡る金属音と、耳を裂く断末魔。
振り返った先に見えた、白の獣。
「エリィ、一度後退して!」
すぐ傍まで、その異形が束になって迫っていた。その数は十を下らないだろう。
フランソワの声に従う様に、ずりずりと体を地面にこすりつけながら、エリィは二人の傍から離れて行く。
メリッサと出会った時に見た、あの異形と同じ存在だ。
異形は闇夜の中でも目を引く白だというのに、三人の内誰もその接近に気付くことが出来なかった。突然の襲撃に思わず舌打ちを漏らしたハイドラと、事の異常さに眉を潜めるフランソワが、それぞれの武器を片手に異形の群れと対峙する。
エリィを守るように並んだ二人が、一度視線を合わせて頷き合った。
「エリィは応援を呼んできてくれ、ここには一部隊で良い! 後の奴等には周囲の警戒をと伝えてくるんだ!」
ハイドラが声を上げると、その声に触発されるように、一斉に白の異形が奇声を発し始めた。
たまらない不快感に耳を塞いだエリィが、慌てて立ち上がる。
「わかった……!」
今の奇声で近くに居た騎士や兵士たちは異変を察したことだろうが、今はまず総司令官からの指示を伝えるべきだ。思わず腰砕けになりそうな体に鞭を打ち、エリィは唇を噛み締めながら二人へ背を向けた。
今、自分に出来ることをしなければならない。
焦燥と恐怖で覚束ない足をどうにか動かして、エリィは地面を蹴る。視線を前へと向けたとき、彼の視界を影が覆った。
「っ?!」
突然の異変に足を止めたエリィだったが、慣性が働いた彼の体はそう簡単には止まらない。目の前の影に顔面からぶつかり、その温もりでそれが人だと気づいた。
反射的に距離を取り、エリィはその顔を見上げて血の気を失う。
「お前……」
瞳を揺らすエリィを見下ろして、彼はにこりと微笑んだ。