表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔女の使いは戦わない  作者: 柚月 ゆめる
6章 真実を求めて 【ベテルギウス突入編】
61/110

母親と息子

 ジェシカが弾かれるようにその両腕を開いた。

 はじけ飛ぶような圧とその動きに耐えられなかったエリィが、「うわあ」と声を上げて尻餅をつく。


 衝撃は、その一瞬だった。


 息が詰まる程の風圧を最後に、あれほど吹き荒れていた風は一気収まり、四方八方から体を押し付けていた圧は最早どこにもない。思い切り酸素を取り込むと、吐き出した息でエリィの頭上に乗っていた花弁が舞い落ちた。

 荒れた前髪がエリィの目にかかる。


「道が、出来た……」

 顔を上げたゲルダが、目の前の光景に息を飲む。空中都市まで続く、土と花で出来たなんとも幻想的な一本道がそこにあった。

 その後ろで様子を見守っていたニーナが、小さく体を震わせていた。


 ばくばくと響く心拍音に、エリィの高揚が引いていく。

「無事かえ、我が愛し息子」

 手を差し出されたエリィが、はっと我に返ったようにその手を掴んで立ち上がった。

 あの日のような疲労感は一切なく、むしろ体はすっきりとしている。不思議そうに体を見遣った後、困惑した表情でエリィはジェシカの顔を見上げた。


「…………なあ、俺、もしかしてあんまり役に立ってない……?」

「何を言うか!」


 心底驚いたように目を開き、ジェシカは首を振った。


「妾も年かもしれぬのう。危うく失敗するところじゃった。こうして無事道を為せたのも、お主のおかげじゃよ」

 声を上げて笑うジェシカの胸が揺れる。

 頭を撫でる彼女の手の温もりに、ぱっとエリィの表情が明るくなった。


「って、子ども扱いすんじゃ……!」

 ふと気恥ずかしくなりその手から離れようと身をよじった瞬間、エリィの体中に温もりが伝わった。

「……っ」

 ジェシカの両腕の中に抱きしめられたのだと気づくまで、数秒の時間を有した。


「流石は我が息子じゃ。……知らぬ間に、立派に育っておったのじゃな」


 エリィの頬が羞恥で朱に染まっていく。

「お、おいやめろってば……!」

 押し返そうにも、ジェシカの両腕がしっかと彼の体を掴んで離さない。一体この細腕のどこに、そんな力があるというのか。

 エリィは頬を擽る銀の髪に眉を寄せながらも、必死に腕を動かし抵抗する。


「まさか、お主に助けられる日が来ようとは思わなんだ」

「は……?」

 腰と後頭部に回された細い手のひらが、ゆっくりと離れて行く。止めるよう自分から言ったにも関わらず、どこか物寂しさを覚えてエリィははっと唇を咥えた。


「……魔法はそう長く保たぬ。あの王子の元へ行くのじゃろう?」

 再び顔を上げたエリィに、ジェシカがふっと笑った。

「早く行け。お前の望むままに」


 その笑顔が、どこかぎこちない。そう感じて、エリィは小さく首を傾げる。

「ジェシカ……?」

「さあ、皆が待っておるぞ!」

「おあっ」

 背を押され、エリィが数歩前に出る。シンハーの指示に従い既に道を登り始める騎士たちと、それに続くダリアラとアルケイデアの兵士たちの姿が見えた。

 地上では馬の上からこちらを心配そうに見つめるゲルダと、その後ろに並ぶフランソワ、そしてニーナの姿もある。


 慌てて一歩を踏み出そうとした足を止め、エリィは小さく振り返る。

「なあ。ジェシカは、一緒に行ってくれねーの?」

 ほんの少し。ジェシカの真っ赤な唇が揺れた。


「行かぬよ。そう、決めておる」

 

再び目を細めたジェシカに、エリィは再び口を開いて、そして閉ざした。

「……わかった」

 これ以上、何を言っても無駄だ。彼女の瞳を見れば、嫌でもわかる。


 なぜだろう。普段と変わらない自由人であるはずなのに、どうしてかその声が耳に残る。

「…………」


 ジェシカに背を向けたエリィの肩の上から、ヨルがそんな彼女と目を合わせた。

 お互いに何も言わないまま、二人の距離は離れて行く。

 子鼠は揺れる視界の先に立つ魔女の姿を、ただ見つめていた。


「さあ行こう、エリィ。ダリアラ王子の待つ、天空都市ベテルギウスへ」

 クレーターを登り切ったエリィに、フランソワが声をかける。

「……ああ」

 しっかりと頷いたエリィの姿を見て、ニーナの手綱を掴む手に力が入った。


 ずっと見つめていたジェシカから視線を逸らし、ゲルダの瞳がエリィの背を捉える。

 その肩の上の鼠と、その先で視線を落とすニーナの姿を。


  * * *


「行ったか」

 その場に残されたジェシカが、頭上に浮かぶ都市を見上げ息を吐く。役目を終えた一本道が、徐々にその形を失っていくのが見えた。

 空高く巻き上がる薄紫の、なんと美しいことか。


「……妾ともあろう者が。ここへ来て、()()()()()()とはのう……」

 自嘲するように半月型に唇を曲げ、手のひらを頭上へと掲げながら、ジェシカは先ほどの感覚を思い出す。


 彼女の指の先は、離れなかったのではない。

 離したくなかった。


 彼女自身が、そう思ってしまったのだ。


 幼子を拾ったその瞬間に、彼女はその少年が『アレクシス』であることに気付いた。いつかは彼がそれを自覚し、その使命を果たす日が来る。そんな未来を、覚悟していた。

 それでもジェシカは、彼を「人」として、「息子」として扱うと決めたのだ。

 それは一体、なぜだったか。


「……のう、エリィ。妾はな。心のどこかで、ずっと期待しておったのじゃよ」

 指の間から見える空中都市の上に、その少年は居るのだろう。

 そしてそこでは、彼と同じ使命を背負った、もう一人の青年が彼を待っている。


「『アレクシス』などとは無縁のまま、お主がただのヒトとして成長し……。この先もずっと、妾と、そしてヨルと共に」

 細めた瞳が、じわりと揺れた。


「なんということはない日常を、ただ、笑って過ごしてゆけるのではないかと――」


 手のひらにすっぽりと収まってしまいそうな空中都市は、しかしジェシカの手の届かない、ずっと先の空にあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ