天空都市ベテルギウス
全員の口から、言葉が奪われていく。ジェシカはそんな彼らの様子を気に留めることなく、ただ話を続けた。
「しかし五十年前。『アレクシス』は発動したものの、世界の破壊は失敗に終わった。天変地異という形でな。当時の『アレクシス』は死に、今も尚この世界は続いておる」
「……その『アレクシス』こそ、君が今から六十年程前に出会った男だった、という訳だね」
「そうじゃ」
短い回答に十分すぎる程の重みを感じ、フランソワはそれ以上の言及をしなかった。不可解なことは数多くある。現実味が無さ過ぎて、逆に信じざるを得ない。
アレクシスとは元々、人の名前であったのだ。
「そして今、新たな『アレクシス』がこの世界に現れ、再び世界を守るために『破壊』しようと動き始めておるのじゃろう」
事実、原因不明の異常現象を、エリィは何度もその目に映している。まさに人知の及ばぬ事象だ。言わば、世界を破壊せしめんとする神の所業。
魔女の話は一区切りを迎え、その場に穏やかとは言い難い空気が生まれる。
「……ねえ、ジェシカさん」
今まで沈黙を守り通していたゲルダが、肩の上のヨルを落とさないように気を使いながら、一歩ジェシカへと近づいた。
「なんじゃ?」
「……ジェシカさんは、エリィやアルケイデアの王子様が『アレクシス』だってこと、知っていたの?」
エリィの体が揺れたのがわかった。しかしジェシカは、そんなエリィの存在など見えないとでもいう様に、その体を真っ直ぐにゲルダの方へと向ける。
切れ目の瞳に捕らわれたゲルダが、妖艶な美しさに息を飲んだ。
「知っておったよ」
「っ」
エリィの息が止まった。なにも言わず、ただその会話を聞き入れていく。
「エリィが新たな『アレクシス』であることは、妾の屋敷に迎え入れた当初から知っておった。流石にアルケイデアの王子がその片割れであったことや、そこに我が弟弟子が居ることまでは、つい数日前まで知らなんだがの」
「なら、どうして――」
「これ以上は妾の私情に過ぎぬこと。なぜ今『アレクシス』が再び現れたのか、なぜ動き出したのかは、妾の知る範疇に収まらぬ。これ以上あの兵器について、妾が答えられることはない」
ゲルダの言葉を遮るように、強い口調でジェシカはそう言い切った。これ以上、彼女に何かを問いかけても無駄だ。ゲルダは口を噤み、その場で小さく頷いた。
「やっぱり、当事者に聞くのが一番だろうね。ありがとう、大魔女ジェシカ。『アレクシス』についての概要が知れただけで十分だ」
フランソワがちらりとエリィの様子を盗み見る。なにかを考え込むように、それでいて何も考えまいとするように。エリィはただ俯いて、その瞳を閉ざしていた。
重い、重い沈黙だった。
「……さて、今後の僕たちの動きを確認しよう」
フランソワが話を打ち切るように手を上げると、その動きに反応したシンハーが、その手に抱いていた資料を手渡した。シンハーの手の中にあった時は随分と小さなものに見えたが、フランソワが受け取り資料を開くと、随分と大きな地図だったことに気付かされる。
フランソワはその地図をテーブルの上に広げると、その細い指で大陸の中央付近を指差した。
「これは、この大陸の地図だ。僕たちが三日前、共同作戦を決行した荒野がこの辺り」
切りそろえられた爪がトントンと地図を叩く。ほんの少し顔を上げたエリィが、前髪の隙間から睨むようにその様子を見つめていた。
「ここからまっすぐに進めば、この辺りがアルケイデアの首都、聖都アルケイデアだ。間違いないね」
指の動く先を見て、ハイドラが肯定する。丁度彼らの住まう城のある辺りだ。フランソワが頷いて返すと、再びシンハーから今度は上等な万年筆を受け取り、先ほど指差していた場所を中心に楕円を描く。
「今僕が囲った部分が、今空中に隔離された島になっている。いくつかの街が切り取られた複合都市となっているこの島を、僕たちは断定的に『空中都市ベテルギウス』と名付けたい」
細かな文字が記されたその地図上に、フランソワは達筆な文字でその名を刻んだ。
「このベテルギウスだけど、先ほどのシンハーからの報告の通り、内部の情報は一切わからないんだ。そこで、この範囲内の詳しい地形や特徴を、アルケイデアに住んでいる君たちから教えてもらいたい」
視線を向けられたハイドラが頷いて答える。数秒遅れて、ニーナもまた同じように頷いた。
地図からペンを離したフランソワが、一度シンハーと視線を交わす。わかっていると言わんばかりに、シンハーがその口を開いた。
「たった今、この空中都市ベテルギウスを、我が国内において最優先調査対象に指定しました。今後我らミエーレ軍は、我が国とこの世界の平和維持のため、このベテルギウスの内部調査、及び攻略に動きます。そこで」
シンハーは一度足を揃えなおし、騎士団長よろしく背筋を伸ばした。
「我が国に滞在中のアルケイデア軍並びにその総司令官であるハイドラ殿、そして大魔女ジェシカ殿とその使いであるエリィさん。あんたらにも、ぜひ協力を要請したい」
すっと頭を下げたシンハーの横で、フランソワもまた、ほんの少し視線を下げる。
「……もちろんだ。これは俺の身内が起こした問題でもある。むしろ、付き合ってもらうことになって悪いな」
その紳士な態度に答えるように、ハイドラが背筋を伸ばして答えた。視線を上げたフランソワが、ほんの少し口角を上げる。
「ありがとう。でも、そんな風に言わないで欲しいな。どうやら話を聞く限り、僕たちも避けては通れない道だったはずだ。――ね、エリィ」
突然名を呼ばれ、エリィの体が震えた。
ハイドラが呆れたように目を細めるが、そんなことにはまったく気づかないとでもいう様に、フランソワがエリィへと言葉を続ける。
「僕たちは君の協力を要請する。だけど君がどうするかは、君が決めることだ。僕たちじゃなく、もちろん、ジェシカでもなくね」
そうだろう、と顔を上げたフランソワに、ジェシカは無表情のまま答えた。
「妾はお主らと共には行かぬ。じゃが。おぬしらがそこへ行きたいと言うのであれば、その手伝いはしよう」
「十分だよ」
二人からの確約をとったフランソワが、話は終わりだと言わんばかりに立ち上がる。
「さて、呼び出しておいて申し訳ないけれど、今日のところはこれで失礼するよ。今回の話を王に伝えてこないといけないからね。詳しい作戦については、追って連絡させてもらう。それまでは、用意した部屋で英気を養っておいてほしい」
くるりと振り返って部屋を出ていくフランソワの後を、ハイドラ達へと一礼した後にシンハーが追う。ハイドラもまた立ち上がり、ニーナへ目配せをした。ニーナは一度足を止めるが、誰に何を言う訳でもなくハイドラの後に続いて行く。
部屋を出た二人を見送った後で、ジェシカもまた無言でその扉の外へと歩いて行った。
「…………」
ソファに座ったまま丸くなった背中を見つめたゲルダが、上手く言葉を見つけることが出来ずに立ち尽くした。
肩の上のヨルが、その首を優しく叩く。
「行こう、ゲルダ」
「でも……」
子鼠は小さく首を振る。ゲルダは再びその視線をエリィの背へ向け、しかしヨルの言葉に従って部屋を出た。廊下には最早、誰の影も無かった。
エリィは浅い呼吸を繰り返しながら、ただ視線の先に残された地図を見つめている。
まだインクの乾ききらないベテルギウスと書かれた文字が、シャンデリアの明かりの元で黒い光沢を放ち、エリィを静かに見上げていた。