抵抗
脳が揺れる。周囲の環境と交じり合うような感覚に吐き気を覚えながら、エリィは瞳を閉じ集中していた。
「うぇ……ッ何、だ……?!」
ただでさえ喉奥から込み上げる酸の味に参っていたというのに、突然腹部を抉り取られるような感覚に嗚咽を漏らした。目を開けたエリィが空を見上げると、彼の脳裏に思い描いていた光景とは大きく異なる景色がそこに在る。
彼の想像と創り出された現実の相違を見て、その不快感に眩暈がした。
「なん、だよ、アレ……」
どこからか、エリィの蔓を攻撃するなにかがある。それはエリィの目に見えない程の速さで蔓へと激突し、折角一折一折編み込んだ巨大な網に、風穴を開けていく。その姿を目にしたエリィは、まるで自身の脳内に同じ穴を開けられたような衝撃を覚えて、ヒュッと冷たい息を漏らした。
みるみるうちに、エリィの顔が青白く染まっていく。
「勘弁、してくれ……」
魔法というものは、エリィの考えていた以上の精神力を使うらしい。
周囲の環境の一部となって、無から有を生み出す感覚。最初こそ寒い冬の朝、自分の体温に温まったベッドの中に居る感覚に似ているように感じていた。
しかし今となっては、エリィの体は周囲に適応させているのではない。自分の体が周囲に無理やり適応しようとしているのだと気づいた。
自身の体温と同じ温度になるまでベッドを温めているのではない。ベッドが、自分の体温を冷やしているのだと。
それは黒鉄の型の中へ、硬い粘土を無理やりねじ込んでいるようなもの。本来であれば、そのような形になるはずの無いものを。
下がりかけた両手を、エリィは体中の力を振り絞って持ち上げた。足の裏に力を込める。込み上げる胃酸を飲み込んで、再び目を閉じる。
息を吐いたら、体中の全ての力が共に出て行ってしまいそうだ。エリィは唇を強く噛み締め、息を止めた。
張り詰めた集中を、体内に残された力のほんの少しさえも、外部へ漏らさないように。
* * *
「……止めるよ、ニーナ」
「ゲルダ……?」
すぐ傍で呟かれた言葉に顔を上げる。彼女の肩に置かれたゲルダの手が見る見るうちに変形していく。
「何が起きてるのかはわからないけど、このままほっとく訳にはいかないでしょ! 王子様も苦しそうだし、エリィの邪魔をさせるわけにもいかない!」
立ち上がったゲルダの姿は、ドラグニア族本来の姿だった。鋭い牙、鱗の肌、暗闇の中でも爛々と輝く双眸。
「待ってゲルダ! 力尽くでなんて……!」
ニーナの制止も届かず、ゲルダはその足で思い切り地面を蹴った。振りかざした竜の鉤爪は、しかしハイドラの体に届くよりも先に彼の周囲を浮遊する杭に弾かれる。
留まることなく生成を続ける土の杭は、まるで弾丸のように光の網とゲルダを標的に放たれていく。ゲルダはじれったく思いながらも、自分の身を守るためにその両手を振るい続けた。
一歩、また一歩とハイドラに近づくも、次々と彼女に襲い掛かる杭を前に後退を繰り返す。
「キリが無い……!」
尚も光の網を破壊する杭を忌々しそうに睨みながらも、それすら止められない自分の力にゲルダは唇を噛んだ。
(せめてあの杭を止めないと!)
ゲルダは一瞬の隙をつき駆け出すと、体をかすめる痛みを無視するように空へと放たれる杭の前に躍り出た。
「これ以上は……っ!」
見遣った空に浮かぶ光の網が、つい先ほどと比べてその輝きを弱めている。ゲルダは焦りと共にその両手、そして背から生えた巨大な尾を動かし杭を破壊していくが、彼女一人では限界がある。
(多すぎる……!)
彼女の防御をすり抜け天へと進んで行くもの、彼女の体をかすめるもの。ゲルダの体力もそう持たない。
限界を感じ目を細めたゲルダの視界に、新たな影が現れた。
「ハイドラ様!」
それは、剣を抜いたニーナの姿。
「ニーナ……!」
ゲルダに迫った杭を弾き飛ばしたニーナが、先ほど彼女を弾き飛ばした見えない壁を前に息を飲む。
ほんの一瞬、杭の猛攻が止まった。
「ゲルダ、貴方は空を守って! 私はハイドラ様を止めるわ!」
王子に剣を向けるなど不敬この上ない、とニーナの心臓が縮んだ。しかしここでただ傍観していることなど出来ない。震える手と足に力を込めて、ニーナはハイドラを睨みつける。
「明らかにおかしい……! こんなの、アンジエーラの力じゃない!」
明らかに肥大化した翼が、一度羽ばたく。
「っ!」
暴風に目を閉ざしたニーナを、再び見えない壁が押した。
「ニーナ!」
「っ、大丈夫!」
剣を構え足の裏で地面を滑ったニーナは、振り返らず答える。体全てで、押し返す。
ゲルダはその声に頷き、再び動きを始めた杭の破壊を再開した。
「っう!」
ニーナはゲルダを守るように構えた剣を前へ押し出し、力の限りで圧を振り払う。駆け出したニーナに目掛け飛んでくる杭を次々と避け、ハイドラの眼前に迫る。白目をむいたハイドラは、その口から苦し気な声を漏らしていた。
(ハイドラ様の意識はない。何かに操られているの……?!)
そんなニーナの顔の前にハイドラの手のひらが迫る。唐突に視界を遮られたニーナがヒュッと息を飲むと、背筋に走った悪寒と共にその背から彼女を守るように翼が姿を現した。
「きゃ……っ!」
周囲の杭が一度石礫に戻り、彼の手のひらを中心に再び一つの巨大な杭を形成する。ニーナの顔程はある巨大なその杭が、迷いなく彼女へと投げつけられた。
杭はニーナを包み込んだ彼女自身の翼に衝突し、いくつもの羽根をまき散らす。その中で構えていた剣がその杭を切り裂くが、彼女の体は衝撃に抗えず地面に叩きつけられた。
痛みを押し殺し、ニーナは即座に膝をつく。闇雲に突進したところで、彼の元には届かない。
そんなニーナの様子を一瞥した後、ゲルダが空を見上げて息を飲んだ。あれ程光り輝いていた網が、無数に開けられた穴を中心に力なく揺らめいている。
「このままじゃ……!」
焦りを覚えたゲルダの足元を掬う様に、地面に激突した杭を中心に再び地面が隆起していく。
「ニーナ、普段と違うところを探して!」
ゲルダの声にニーナは視線を上げる。必死の抵抗を見せるゲルダが、絶え絶えになった呼吸の間で言葉を続けた。
「診察して、王子を! この異常はどこからきているのかって! 普段の彼を知る君なら、きっと気付くこともあるはずだよ!」
「違うところ……?」
距離を置き、改めてニーナはハイドラの様子を観察する。様子も何も、普段の彼からは想像も出来ないような状況だ。普段と同じ場所を探す方が難しいのではないかとさえニーナは思う。
「こっちだよ、王子様!」
そんなニーナを見ながら、ゲルダは宙を飛ぶ杭を足場に上空へと上っていく。あまりにも器用な芸当だが、そんな中でゲルダは杭を掴み、思い切りハイドラへと投げ返した。
杭はハイドラの元へ戻る前に土へと還っていくが、その際ぶつかった異なる杭もまた、同じように土へと還っていく。ハイドラの顔が、空中のゲルダへと向けられた。
ニーナへの敵意が弱まる。
(違う。きっとゲルダは、そんなことを言ってるんじゃないわ)
彼女が生み出してくれた時間を無駄には出来ない。心をどうにか落ち着けて、ニーナはハイドラを凝視した。
確かに、ハイドラという人間自体の姿かたちが、ゲルダのように大きく変わっているわけではない。アンジエーラ族に与えられた力は、あくまでも翼を生み出すことだけだ。その翼で、飛行することが出来るというだけ。
ならば、彼の中での変化はどこだ。
「ゲルダ、もう少しの間、時間稼ぎをお願い!」
はっと瞳孔を開いたニーナが駆けだした。ハイドラの背後へ大きく回り込むように。ゲルダは頷き、地面に足を付くよりも先に再び杭を伝って空高くに駆け上る。
「いいよ勿論!」
足で蹴り飛ばし、手でつかんで投げ返し、杭はハイドラの元へ戻り彼の体を傷つける前に消えていく。確実に光の網の損傷は減っているが、彼女が限界を迎えるのも時間の問題だろう。額に浮かんだ汗を振り払いながら、ゲルダは気合を入れなおす様に息を吐いた。
「ほらほら! エリィの邪魔はさせないよ!」
ハイドラの虚ろな瞳がゲルダを捉えた。腕が持ち上げられ、空中で舞うゲルダへと向けられる。先ほどニーナが受けたものと同じように、その手のひらを中心に巨大な杭が形成されていく。
「ヤバ……ッ」
杭の猛攻が止まり、彼女の足場に代わるものは無くなった。この状況では、あの杭を避けることは出来ない。空中で身を投げ出す形になったゲルダが、既に傷まみれの両手をどうにか顔の前で構えた。
「させません、ハイドラ様!」
その巨大な杭がハイドラの元から放たれるよりも先に、彼の背後へ回り込んでいたニーナが距離を詰める。剣先をハイドラの背へ、正しくは翼の根本へ向け、駆けた勢いのままに突進した。
「!」
見えない壁に遮られ、ニーナの体が押し留められる。
それでも彼女は、剣の柄を握りしめ、押し込むように力を込めた。
これ以上、ハイドラを苦しめるわけにはいかない。
エリィの邪魔をさせるわけにはいかない。
「やあぁぁぁぁっ!」
剣の先が壁を突き破る感覚を覚える。ニーナは勢いに任せ、全ての体重を剣へと預けた。
最近更新不定期ですみません、、
どうしても忙しい日々が続いており、今後もしばらくの間は引き続き2-3日置きの投稿になりそうです( ;ᯅ; )
ゆっくりお待ちいただけると嬉しいです、、!




