創造する力
「さ、ペルドゥ! もう大丈夫だよ。立てそう?」
唐突に興味を失ったかのように男へと背を向けたピアンタが、座り込んだままのヨルへと駆け付ける。鎌を消し地を駆けるその姿は、まさに無垢な少女そのものだ。
「もう、すぐにどこかに行っちゃうんだから。お手紙だって、ペルドゥの言った通りに届けてあげたのに!」
あの日と同じように唇を近づけたピアンタの顔を、ヨルは拒むように押し返す。
「……ありがとう、ピアンタ。スッピナも。色々と、助かったよ」
不思議そうにその様子を見ていたピアンタだったが、そんなヨルの言葉にぱあと瞳を輝かせた。
「凄い! 聞いた、スッピナ?! ペルドゥが、ペルドゥがありがとうって!」
「うん……、聞きました……! これ以上ない、幸せですね……!」
再び涙を溢れさせたスッピナが、鼻を啜りながら目元を拭う。
ヨルは自身の意識を正す様に、一度深く息を吐いた。
彼らに頼めば、必ずや達成してくれるということはわかっていた。だから信用して手紙を託したのだ。そして見事、彼らはエリィの手紙をハイドラの元へと届けていた。
「じゃあ、約束どおりペルドゥ!」
しかしその願いも、無償という訳にはいかない。
ヨルの手を取ったピアンタが、その顔を覗き込んで言う。
「私たちと一緒に行こう! こんな世界、貴方がいつまでも居るべき場所じゃない!」
彼らの迎えに応じる。それが唯一の条件だった。
「…………」
答えないヨルの顔を、スッピナが覗き込む。
「どうしました、ペルドゥ。やはり、動けない程にどこか痛むんですか?」
ヨルが首を振る。
「違うよ、スッピナ」
顔を上げた先に見えたスッピナの表情は、心からの疑問で出来ている。
当然だ。彼らは、当たり前のことをしているに過ぎない。彼らの本能と本望に従い、それが全て正しい行いであると信じて疑わない。
彼らは、ヨルが彼らの迎えを断るという未来を一つの可能性にも描かない。
そういうものだからだ。彼らは――、自分たちは。
(僕もずっとそうだったから……)
握りしめられた手のひらに力を込める。ピアンタの表情が明るくなった。
「ついて行くよ、君たちに」
「ペルドゥ……!」
「でもね」
不本意だと眉を寄せながら、ヨルは少しずつその手から力を譲り受けた。
一人で歩ける程度。
エリィの元へ、戻れる程に。
「期限は伝えていなかったはずだ」
ピアンタの睫毛が瞬く。
「僕は、君たちと一緒にどこへだって行くよ。……ただし、全て終わったら――、ね」
不快なほどよく馴染む。
ピアンタから流れてくる、神性の力。
「ペルドゥ?!」
ぽんとその体を子鼠のそれに戻したヨルが、エリィの走り去った方向へと一目散に駆け出した。あまりの衝撃に言葉を失ったピアンタが、暗闇に消えていく小動物の影を追った。
スッピナが、その震える肩に手を乗せる。
呆然と立ち尽くすピアンタの顔を覗き込んだスッピナは、その瞳が恍惚に揺らめいていることに気付いた。
「ピアンタ」
ピアンタはその瞳をゆらりと持ち上げ、色の無い唇を震わせる。
「――凄い」
言葉が零れた。
「凄い凄い凄い……! ペルドゥが、あんな、騙すみたいな――――!!」
「……落ち着いてください、ピアンタ」
溢れ出した感情に息を荒げたピアンタが、興奮のままに体を抱きしめる。
「凄い。凄いことだよスッピナ! だって、だってペルドゥだよ?! あのペルドゥオーティ!!」
涙さえ浮かべて、ピアンタは言う。
「言葉を持って、自意識を持って、僕たちと会話してくれるんだ。あの神様が!」
「……俺たちだって、神ですよ」
宥めるようにその背を撫でたスッピナの手は、しかし彼女と同じように興奮で小刻みに震えていた。
「でも、言いたいことはわかります。今はペルドゥの言葉を信じましょうか。……どうせ、ここはもうすぐ無くなるんです。彼は、俺たちと一緒に来るしか無い」
ピアンタと同じように手にしていた鎌を消し、スッピナが消えたヨルの行く先を見つめる。鳴りやまない雷鳴が、彼の言葉を支持するようだ。
「ペルドゥ、オーティ……」
そんな呟きが、二人の神を振り返らせた。
まだ立ったままの男が、その名を呟いた。
「聞いたことが、ある。……そうか。ずっと、この時を待って……」
ピアンタがスッピナと顔を合わせると、両手を腰に当て首を振った。
「人間が、気安くペルドゥの名前を呼ばないでくれる? 穢れちゃうでしょ」
「……お前たちは、『アレクシス』を……どう、したいんだ」
ピアンタが眉を寄せる。
「どうしたい? ……さあ。どうでもいいよ。そんなのに、興味ないから」
男の口角が、ほんの少しばかり上がっていた。
「さあ、行こうスッピナ。ペルドゥはどこかに行っちゃったし、ここに居てもつまらないしね。それに……僕たちが探さなくても、『アレクシス』はちゃんと動き始めたみたいだから」
そして二度と、彼らは男を見ることは無かった。
ピアンタの言葉に頷いたスッピナが、彼女と共に地面を蹴る。一瞬のうちに、彼らの姿は空高くへと消えていった。
「……そう、か」
残された男は、ようやく膝をつく。視界の先に足から綿を出し、地表で大の字になっているぬいぐるみを捉えた。
「悪いな、ベア子。……無理、させちまった」
重い頭に酸素を送り込みながら、ついさっき聞いたばかりの言葉を脳裏で繰り返す。人間がこれだけ出来れば万々歳。そんな、一言。
「誰が俺に、この力を授けたと思っているんだ……」
指先に力が籠り土を削る。爪の間に、細かな砂が入り込む。
「クソったれ野郎どもが……っ!」
やがて拳となったその手で、男は地表を思い切り殴った。
* * *
荒れる呼吸もそのままに、エリィは意識を集中させた。
既にヨルの姿も、あの男の姿も見えない。気配さえ感じない。
正直、ここがどこなのかは最早わからない。それでも意識の先にある花びらの存在から、予定していた場所からはそう離れてはいないことだけはわかった。
――――怖い。
そんな単語が、ふとエリィの心の奥から湧き上がる。
一人になったからこそ、奥底に仕舞い込んでいた不安が溢れ出す。
本気になるのが怖い。本気を出すのが怖い。
(ジェシカが居るから、俺は魔法を使う必要が無かったんだ)
小さな恐怖に、身震いする。
(出来ないんじゃなくて、やらないだけなんだって。ずっと、そう思ってた)
緊張で心拍が上昇する。
今から自分は、本気で魔法を発動させなければいけない。
ジェシカは居ない。ヨルだって居ないのだ。
今まで散々避けていた道を、今度こそ進まなければならない。
扱えるはずだ。
どれ程使い道が無くても、自分には『進花』の魔法を扱えるだけの才能がある。素質はあるのだから。
でももし、ここで自分が本気になったとして。
ジェシカのような魔法が、発動しなかったら?
やらないのではなく、出来ないのだったら?
「っ」
小さな恐怖が、エリィの中でみるみるうちに肥大化していく。
結局、魔法など使えないのではないか。
魔法など発動しないのではないかと。
そんな不安が、そんな可能性が、恐ろしい。
「集中しろ、俺……!」
膨らむ一方の不安を振り払う様に、エリィは力強く首を振った。
不安に震えている時間など、残されてはいないのだから。
自分を信じて、この日に動いてくれたハイドラ。彼の元へ手紙を届けてくれたヨル。作戦を呑んでくれたフランソワ。叱咤し、奮い立たせてくれたジェシカ。無理を言ってついて来てくれたゲルダ。
そして、ここまで駆け付けてくれたニーナ。
全ての人々の顔を思い出して、エリィは呼吸を止める。
怖がっている場合ではない。
自分にしか出来ないことを、やるだけなのだ。
出来るか出来ないかではない。
「これは、俺が受けた仕事だぞ! だから、絶対に! 俺がやるんだ……っ!」
膝をつき手を合わせる。声を漏らしながら冷たい夜の空気を吸い込んで、思い切り吐き出した。
ゆっくりと、目を閉じる。
地面の揺れる音、雷鳴、自身の心拍音。
遠くから聞こえる人々の足音。木々が揺れる音。
少しずつ明瞭になる風の音。雲が動く音。
花弁が擦れる音。
深海に飛び込み、重力に従って体が落ちていく感覚。深く、深く。もっと深く。
「良いかエリィ。魔法とは、創造なのじゃよ」
声が、蘇る。
「想像し、創造する。まるで神が世を創り出したようにのう」
それは、一向に多彩な魔法を操ることの出来ないエリィに対し、ジェシカが何度も繰り返し言った言葉だ。適当を言うと聞き流していたはずの言葉を、こんなにも鮮明に彼の脳は記録していた。
「想像、するんだ……!」
何度も目の当たりにした、ジェシカの魔法を。
「俺が、創造するんだ!」
創り出す。