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魔女の使いは戦わない  作者: 柚月 ゆめる
3章 魔女の使いに出来ること 【『アレクシス』捜索編】
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彼の意思、彼女の意思


 薄い手のひらと長い指が、彼の両頬を包み込んでいた。

 決して離すまいとするように。


「なぜ、そう思う?」


 静寂の中に、彼女の言葉だけが響き渡る。

 彼女の両手から、視線から。エリィは逃げることが出来ない。

 視線を動かすその一瞬さえ絡み取られ、動きを封じられているようだった。


「教えてくれと言ったな。指示をくれと、そう言ったな?」


 まるで、魔法にでもかけられたかのように。


「ならば今ここで妾が、この数日の間にお前の身に起きた全てを忘れ、全てを投げ出し、外部との関わりの一切を絶てと言ったら? お前は、妾の言葉に従うのか?」


 エリィの瞳が揺らいだ。

 今の彼には、首を縦に振ることも、横に振ることも叶わない。


「少しでも、お前の中に『意思』があるのならば。……恐れるな、エリィ。誰の選択が間違っているかなど、やってみなければ誰にも分からぬ。『間違っている』と思いながら動く者など、この世にはおらぬからじゃ」


 鼓動が跳ねる。

 体中の血液が、沸騰したように熱い。


「怖かろう。じゃが、それが『選択』よ。そして、お前が信じて選んだ先に、どんな結果が在ろうとも――。それは決して『間違い』などではないのじゃよ」


 宝石のような紅の瞳が、真っ直ぐにエリィの瞳の奥を刺す。


「そして()()()()()()()を下したお前と、その先に待つ結果へ……。文句を言う権利を持った人間など、お前自身を抜いた誰一人として存在せぬ」


 そうだ。

 今あるこの状況に、文句をつけ、過去を否定し、間違ったのだと不安を抱く存在は。


 他の誰でもなく、エリィ自身だ。


「お前は、選択を終えここに居る。そしてその先も――。お前は、既に選んでいるはずじゃ」


 思い浮かんだのは、鮮やかな空色だった。

 彼の心を掴んで離さない。真っ直ぐで強い、空色の瞳。


 ジェシカの声が、言葉が、彼に思い出させていく。

 少女と出会った、あの日の選択を。


「さあ、妾に教えてはくれぬか? ――お前は、『どうしたい』のじゃ」


 体中から力が抜けていくのを感じる。

 溜め込んでいた涙が、一筋だけ耐え切れずにエリィの瞳から零れていった。


「俺、は……」


 意思はある。『どうしたいのか』なんて、もう決まっている。

 それでもエリィが言葉を返せないのは、ただひとつの不安があったからだ。


 ニーナはまだ、自分が動くことを許してくれるだろうか。

 彼女はまだ、エリィの依頼主であってくれているのだろうか。


 こんなにも、頼りない自分を。

 まだ、信じてくれるだろうか。


 ジェシカが、ゆっくりとエリィから顔を離す。

 自分の両手の中で眉を寄せ、零れた涙を拭うことも出来ずにこちらを見上げる少年が、揺れる瞳で彼女を見上げていた。


「…………っ」


 エリィの瞳に、一筋の白が映りこんだ。


 はらりと、離れて行くジェシカの手を追う様に、エリィの上着から落ちていく一枚のリボン。襟にでも引っかかっていたのか、随分としわだらけだ。

 反射的に空中で握りしめたそれを見て、エリィは今度こそ息を飲んだ。


 それは、彼女が長い髪を結っていた白のリボンだ。


「…………!」

 それは、アルケイデアの()()だった。

 離れている間も、その人を信じているという証。

 月明りに照らされたニーナのリボンが、エリィの手の中で存在を主張した。


 どうしたいのか、自分は――。


 深く、息を吐く。顔を上げたエリィは、真っ直ぐに紅の瞳を見上げた。


「俺、動きたい」


 ジェシカの口角がほんの少し上がる。

 エリィの瞳に、強い意思が見えた。


「こんな俺に、出来ることなんてないかもしれねーけど。……それでも、こんなところで、ただ成り行きを見てることなんて――。俺には、出来ねぇよ」


 試していないことも、調べていないこともたくさんある。

 やれる限りのことをしよう。


 例えそれが、どんな結果に繋がったとしても。


「まだ、間に合うかな」


「まだ何も、始まってなどおらぬ。……間に合わぬ訳がなかろうて」

 ジェシカはそう呟いて、エリィの赤い髪を優しく撫でた。


「己を信じろ、エリィ。決意を固めたのであれば、あとはお前の信じるままに、行動に移すだけじゃ」


 まだ終わっていない。エリィは感覚を無くしていた指先を動かした。


 意識を取り戻したようにその手で両目を擦ると、どこか鬱陶しそうな様子を見せるように顔を横に振り、ジェシカの手を払った。ジェシカはどこか嬉しそうにその手を離す。

 最早、知らぬ存ぜぬでは居られない。もちろん、そのつもりも無い。


 このまま、引き下がるわけにはいかない。


 しかし何よりも先に、エリィにはやらなければいけないことがあった。

「その、ありがとうな、ジェシカ。俺、まずはヨルに謝らねーと……!」

 握りしめたリボンもそのままに、探してくると部屋を飛び出していったエリィの背を、ジェシカがふっと笑って見送った。


「四足で歩いていた赤ん坊が、立派になったものよ」

 やがてジェシカは、その視線をベッドの下へと向ける。じっと見つめていると、数十秒の静寂の後、どこか居心地の悪そうな表情の子鼠が顔を出した。


「なんじゃ、居るのならばさっさと顔を見せてやれば良かろうに」

「……ジェシカが帰ってくるなんて思わなかったから、完全にタイミングを逃しちゃったんだよ。勝手に居なくなっちゃったと思えば、突然現れちゃってさ」


 ひらりとベッドの上に飛び乗ったヨルが、呆れたような声で言った。

 ジェシカはその場から動かない。


「あやつになにか言われたようじゃの。なに、そんな傷心した表情をするでない。少し遅めの反抗期というやつよ。愛い奴じゃのう」

「わかってるよ。エリィがあんなこと、本気で言うはずがない。ちょっと虫の居所が、悪かっただけだ」


 強がった様子のヨルに、ジェシカはふっと目を細めた。

 そんな魔女をヨルは睨みつけるように見つめ、しかしその不満はため息と共に吐き出した。


「……『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の?」


 扉の向こうに気配がないことを確認しながら、ヨルはそう告げた。

 ジェシカもまたエリィが消えた扉の向こうを眺めながら、ただ答える。

「――妾は、傍観すると決めておる。()()()()の未来は、妾のような老いぼれではなく()()()()の人間が決めるべきじゃ」


 月明りに映える、銀の髪。見上げた先の輝きに目を細め、ヨルはその鼻先を動かした。


「でも、そんなの今更……」

「わかっておるよ」


 ジェシカの紅の瞳が、じわりと揺れた。

「じゃけどな、ヨル。我が使い魔よ。……これは、妾の勝手な我儘(けじめ)なのじゃ。五十年も昔から、決めておったことなのじゃよ。……今更と笑わんでおくれ」


 一対の紅が揺れていた。

 燃えるように。泣く様に。


 謝罪を呟くように。

 

 愛を語るように。


 ヨルは再び鼻先を動かして、一度閉口した。

「……そう。それなら、これ以上はやめておくよ。僕もまた、君に何かを意見する権利はない。君が動きたいように動けばいい。……でも、あんまりエリィをいじめないであげて」

「なに、必要な教育よ」

 ジェシカが鼻で笑い、視線を扉の向こうへと向ける。


「運命が動く時とは、人が動く時のこと。……じきに始まるじゃろう」


 窓も空いていないと言うのに、ジェシカの銀の髪が揺らめいたように錯覚を覚える。ヨルもまたその視線を、目の前の魔女から姿の見えない相棒へと向けた。

「二度目の『救済(破壊)』が、のう」

 動き出す。そんな漠然とした感覚に、子鼠は小さく身を震わせた。


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