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魔女の使いは戦わない  作者: 柚月 ゆめる
3章 魔女の使いに出来ること 【『アレクシス』捜索編】
33/110

衝突

新年最初の更新です!

今年もどうぞよろしくお願い致します。

 炎の揺らめきが、閉ざされたカーテンに二つの人影を描いている。


 魔女の膝の上で、幼い少年が目の前に広げた本を見て呟いた。

「どうして、おかあさまは魔法を使えるの?」


 魔女は困ったように笑う。

「さあ、どうしてじゃろうな」

 無垢な少年の問いかけに、それほど深い意図はない。

「この本には、魔法はかみさまのものだって書いてあるよ! おかあさまはかみさまなの?」


 魔女は長い睫毛を瞬かせて、そして声をあげて笑った。

「面白いことを言う。妾はヒトじゃよ。この力は、ただ与えられただけじゃ。うぅん、そうじゃなあ。選ばれたわけでも、選んだわけでも無いのじゃが。いや……、与えられたとも、求めたとも、奪ったとも言えるかもしれぬのう」


 ぐぐぐと本の間に頭を落とした少年が、ぱっと顔を上げて眉を寄せた。

「難しくってよくわかんないよ!」


「まあ、まだ早いということじゃな。子供とは、無知で愚かで清らかなものじゃ。時を歩むにつれて、知ってゆけばよい」


 膝の上で口を尖らせる少年に魔女は謝罪する。柔らかな髪を撫でると、幼子の暖かさが彼女の手のひらを包み込んだ。


「このままじゃ、おれ、魔女になれないかな」


 顔を上げ、悲しそうな表情を浮かべて、少年はそう問いかける。魔女は再び笑みを零し、その頭に乗せていた手を、今度はその少年の柔らかな頬に滑らせた。

「魔女にはなれぬだろうが……そうじゃな、魔王になら、なれるかもしれぬ」

 その言葉の響きに、少年は目を輝かせた。


「まおう? それって凄い?」


「もちろん。妾よりもずっと凄いぞ。……さあ、偉大なる魔王はもう寝る時間じゃ。この本は妾が棚へ戻しておくからの。おやすみ、我が息子、我が愛弟子。良い夢を」

 無垢な少年は頷き、まだ見ぬ未来に想いを馳せる。駆け出したその背中のあとを、すぐ傍で丸くなっていた小さな鼠が追っていった。


 やがて二つの影が見えなくなると、魔女は膝の上に残された冷ややかな歴史書に手を沿え、そっと長い睫毛を伏せた。

 表紙になぞられた長い爪が、その新品同様の藍色へ故意無く一筋の小さな傷を刻み付ける。


 編纂され形を成してから十数年という時を過ごしたその歴史書は、稀に見る灯りの元でどこか儚げに、その魔女の姿を見つめていた。


 * * *


 不思議な夢を見ていたような気がする。それは懐かしい過去の記憶の回顧だったようだが、既に記憶にない。エリィは目を開くと、見慣れた天井を見つめながら呼吸を続けた。


 この数日間、全てを忘れ去ったかのように、エリィはベッドの上から動こうとしなかった。腹が鳴れば枕元で山になるゲルダお手製の携帯食料をむさぼり、喉が乾けば瓶に貯めた水を飲む。

 エリィの頬には巨大な絆創膏が貼られ、両手両足のいたるところに塗り薬が染み込んだガーゼが付いていた。ゲルダによる応急処置だ。もちろん、塗られた薬はジェシカお手製のものである。


 あの日、目を覚ましたエリィはゲルダの病院のベッドに居た。話を聞くと、先に目を覚ましたゲルダは事前に頼み込んでいた御者と合流し、目覚めないエリィを馬車に乗せ病院まで運んだのだという。

 体中に薬を塗られ、包袋や絆創膏で傷口を塞がれたエリィは、その疲労や傷からくる発熱のせいで丸一日ベッドの上から動くことが出来なかった。


 翌日にはゲルダの制止を振り切って、こうして自室に戻っていた。

 ジェシカの薬のおかげだろうか。腕の傷と足の圧迫痕以外の傷は、自分でも驚くほどに回復が早かった。


「…………」

 無言で天井を見つめる。窓の外は晴れているのだろうか。締め切ったカーテンの向こう側を知る手立てを、彼は持ち合わせていない。


「エリィ、いつまでそんなことしてるの」


 ふらりと、どこからともなく現れた子鼠が声をかけた。エリィはそちらを見ようともせず、ただ口を動かして答える。

「……ジェシカが、帰ってくるまで」

 ヨルは両手を地面から離し、ベッドの上の赤い髪に向かってため息を吐く。

「きっと暫くは戻ってこないよ。それにいい加減、もう少しマシなご飯を食べないと……。体壊すと思うけど」


「そんくらいで壊れんなら、こんな体要らねぇよ」


 ヨルは、エリィが戻って来たその日の夜に屋敷へ帰った。そしてベッドの上に寝転んだエリィの傷まみれの姿に、言葉を失った。

 何があったのかと問いただすも、エリィはまともな返事を返さない。

 これほど傷心した様子のエリィを見るのは初めてだった。ヨルは戸惑いながらも暫くは放っておこうと決めていたが、この日遂に痺れを切らしたのだ。


「エリィ、何があったのか教えて。その傷はなんで出来たの? あの子はアルケイデアに戻れたの?」

 エリィはゆっくりと起き上がり、閉ざした唇を更に固く結ぶ。

「……僕にも、言えないことなの」


 そんなヨルの言葉に、エリィははっと視線を向けた。子鼠の姿が、いつにも増して小さく感じられた。

 違う。そうじゃない。そういうことじゃないんだ。

 エリィが口を開こうとするたびに、治りきらない右足が痛む。

 なんであの時傍にいなかったんだよ、と。そう笑って言えればどれ程楽だろう。


「……なんも、出来なかった」


 ようやく出た言葉は、そんな短い一言だった。

 ヨルが視線を動かす。自分の口から零れた一言に、一番に驚いたのはエリィ本人だった。


「……俺さ、実はもうとっくに、魔法のコツは覚えてるんじゃねーかって……。心のどっかで、期待してた」


 零れた言葉を、再び集めることは出来ない。

「俺だって、出来ることはあった。ぱっと見違いなんてわかんねぇ薬草を選別したりとか……。ジェシカと一緒に、異常現象を止めたりとか」

 開いた口から、言葉が止まらない。

「だからまだうまく扱えてねぇだけで、いざって時にはジェシカみたいに、俺も魔法が使えるんだろうなって。……そう思ってた」


 布団の上に置かれたエリィの両手に力が籠った。腕の傷が、じくりと痛んだ。


 ぐたりと地面に倒れこむゲルダの姿と、こちらへ視線を向けながら今にも泣きだしそうに眉を寄せるニーナの姿。迫りくる瓦礫。そして、視界いっぱいに広がった純白の翼。


 視覚から得た記憶が、まるで今目の前で起こっていることのように鮮明に蘇る。


「でも俺、動けなかったんだ。ゲルダを守ることも、ニーナになにか声をかけてやることも出来なかった。それどころか、ハイドラが居なきゃ、俺は」


 最悪の未来の形が、エリィの脳内を埋め尽くしていた。

 死んでいたかもしれない。自分だけでなく、腕の中で眠るゲルダ共々。


「…………っ」

 エリィは戦慄した。

 どれ程危険な目に会おうとも、彼には絶対的に信頼を寄せるなにかがあった。ジェシカならば、必ず自分を助けてくれる。ヨルが居れば、必ず自分を守ってくれる。


 あの瞬間、そんな希望はエリィの傍に何も無かった。


「ごめんね、エリィ。守ってあげられなくてごめん。……もう、傍から離れないから」

 申し訳なさそうに俯いていたヨルが、ぱっと顔を上げる。

「魔法は、きっともうすぐ使えるようになるよ。ジェシカが帰ってきたら、僕からも声をかけてあげる。だから今は……」

「止めてくれよ」


 ピクリと、ヨルの耳が動いた。


「いいよ、無理に励まさなくたっていい。俺がなんも出来ねーのは、事実だから」


 なんて勝手な人間だろうと、自己嫌悪に目が回る。

 自分から勝手に愚痴を零しておいて、励ます言葉を突き返す。


 自分は、なにが言いたいのだろう。

 大荒れの海から押し寄せる波のように、次から次へとエリィは言葉を吐き出していた。

 否定しようとするヨルの言葉を、かき消す様に。

 大きな声を出して叫ばなければ、次に溢れてしまうのはきっと言葉ではない。


「俺よりずっと強いお前に、俺の気持ちなんてわかんねーよ……!」


 ――ああ、泣いてしまいそうだ。


「そんなこと……」


「惨めになるから、もう止めてくれって言ってるんだ!」


 自分の声が震えたのがわかった。

 そしてその瞬間訪れた静寂が、エリィの心を空白へと変えていく。失われた衝動と湧き上がる後悔の念に、エリィは恐る恐る視線をヨルへと向けた。


 そして今度こそ、彼は言葉を失った。

 もう遅い。そう気づいた。


「……ごめん」


 あれほど達者だったエリィの舌が、雷に打たれたように動かない。

 くるりとエリィに背を向けたその子鼠は、薄く空いていた扉の隙間から姿を消していく。


 エリィは何者も居なくなったその空間を、ただ見下ろしていた。

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