心の拠り所
耳を割くような発砲音に目を閉じる。
ほぼ同時に聞こえて来たのは、何かを弾くような金属音だった。
「……へぇ」
一瞬の静寂の後、銃を下ろしたハイドラが口角を上げる。覚悟した痛みは来ず、エリィが恐る恐る瞳を開いた。
そこにあったのは、少女の背中だ。
「ニーナ……!」
ニーナが剣を抜き、その玉を弾き飛ばしていた。ニーナの手が衝撃に震えている。いや、恐らくその震えの原因は、殆どが恐怖からくるものに違いない。
「成長したなァ、なんて。……オイ、余計な真似すんなよ。折角そのうるせェ餓鬼を黙らせてやろうと思ったのによ」
ニーナが震える両手で剣を構えなおすと、その剣先に見据えたハイドラから視線をはなさず、エリィへと声をかける。
「エリィ。あの人はアルケイデア王国の第二王子、ハイドラ殿下よ」
「王子……?」
あまりにも想像からかけ離れた人物像に、エリィは聞いた言葉を繰り返す。
ニーナは会話の相手をハイドラへと変え、緊張を押し隠す様に声を張り上げた。
「ハイドラ様! 私はあなたと話をするために、アルケイデアに戻る最中でした。彼らには道中の護衛をお願いしただけ!」
ハイドラは興味深そうにニーナを見つめながら、手にしていた拳銃を上着の下へと仕舞う。
「話? ……ああ、『アレクシス』のことか?」
思いもよらない言葉に、思考が上手く追いつかない。
痺れが取れない両手にどうにか力を込めながら、ニーナは動揺を飲み込もうと生唾を飲み込んだ。
「にーちゃんから話は聞いてるよ。俺のために『アレクシス』とやらを探してたんだろ? ……で、その『アレクシス』は無事壊せたのか?」
ニーナは言葉を詰まらせる。いいえ、と首を振ったニーナの背を、エリィは黙って見つめていた。
「『アレクシス』はまだ見つけていません。あなたと話したいのは、アルケイデアの軍のこと」
ハイドラの表情から笑顔が消えた。
「……へえ。話が早ェじゃねーか。わざわざ宣戦布告する必要が、無くなったってことか」
どこか軽い言い回しだが、その声には隠し切れない苛立ちが見えた。なぜミエーレに居たはずのニーナがそのことを知っているのかと、口を閉ざした彼が無言で問いかける。
「……ミエーレの王子に、こちらが希望するなら移民を全員返すことも、黙認を続けることも構わないと告げられています。アルケイデアが動かなければ、ミエーレに戦う意思はないと」
ニーナはわざと話を自分本位に進めていく。ハイドラが不愉快そうに顎を上げた。
「つまりお前は、俺に戦争をするなって言いてぇんだな?」
ニーナはただ黙って頷いた。
ハイドラがちらりと、その後ろに立つエリィを睨むように見る。傷まみれになりながらも、エリィは静かに二人の会話を聞いていた。
ハイドラは数秒の思考を終え、込み上げる頭痛を抑え込むように目を瞑る。
「……あのな、俺だって戦争がしたくて動こうと思ってるわけじゃねーんだ。他に方法があんなら、いくらでもそっちを選ぶぜ」
ようやく手にしていたサーベルを鞘へ納めると、ハイドラはその鞘を腰のベルトに繋いで腕を組んだ。
「お前が居ない間に、国民たちの不安は目に見えて大きくなってる。なんでかはわかるだろ?」
ニーナは慎重に言葉を選ぶ。
「……王が、不在だから」
そうだ、とハイドラが頷いた。
「俺は何度だって、にーちゃんに言いに行った。早く王に成ってくれってな。……でもいい加減ウンザリだ。あいつは結局、自分のことしか考えちゃいねぇ。お前が王に成れって、それしか言わねぇ」
吐き捨てるような言い様に、ニーナが眉を寄せた。
「そんなことありません! ダリアラ様は、国のことを想って……!」
「だったら、なんでこんな出来損ないの弟に国を任せようとする?!」
ニーナの息が止まる。
突然荒げたハイドラの声が、やけに彼女の心に刺さった。
「王座ってのはな。俺なんかが座っていい椅子じゃねーんだ。……でもな、この状態がいつまでも続いてたら、困んのは俺たちじゃねー。心の拠り所を失ったアルケイデアの国民たちだ」
ちらりと、今度はただ向けられた視線に自由が絡み取られ、エリィが身を固める。感情を押し殺した空色の瞳。
彼の心の咆哮が、エリィの心に直接語り掛けてくる様だった。
「だから、俺が王に成ってやるって決めたんだ。いつまでも動こうとしないにーちゃんじゃなくて、この俺が」
わかるか、説明したところで。お前にこの感情が――。
そんな声が、聞こえてくる。
「……でもな、俺が無理やり王に成るんじゃ、もう駄目なんだよ。アルケイデアの国民に、もちろんアンジエーラのクソジジイどもにも、俺が王に相応しいって証明しねーとなんねえ。それには、言葉じゃ足りねぇんだ」
「だから……。武力で、言葉の代わりを示そうとしているのですか」
ニーナの声は、どこか落ち着いていた。
国民がアルケイデア王家に愛想をつかし、国を出ていくのであればまだ良い。
このままでは国民の中で、革命という新たな動きが出てきてしまう可能性だってある。
ハイドラは、それを危惧している。
とはいえ、あまりにも話が飛びすぎているのではないかと。
ニーナは納得のいかない表情を浮かべて、ハイドラの瞳を見つめた。
「…………」
事態は思っていたよりも深刻なのだろうと、エリィはそんな大まかな理解を飲み込んだ。
自分のずっと遠くで起こるはずの出来事が、目の前で話を進めている。
まるで空を飛んでいるその途中で、海水魚に出くわしてしまったような。そんな、全てが空想の中の物語のようだ。
「馬鹿、そんだけじゃねーよ。……一つ、面白れェ話を聞かせてやる」
ニーナへと数歩近づいたハイドラが、面白そうな様子など少しも見せずに言葉を続ける。
「もうすぐ、アルケイデアに近い場所で、デカい異常現象が起きるらしい」
「え……?」
「なんだと?」
これにはエリィも言葉を漏らした。
アルケイデア国付近において、異常現象と名の付く不可解な事象が起きたことはない。ヨルは確かに、そう言っていた。
「もしその異常現象がアルケイデア王国に災害をもたらせば、アンジエーラ族の栄光はそこで終了だ」
フランソワは否定していたが、アンジエーラ族の「力」によって、アルケイデア王国は異常現象から守られている。
異常現象による被害が国内で見られれば、国民はアンジエーラ族の「力」はその存在を疑問視するようになるだろう。それは自らを守るためにアルケイデアに身を置く人々が、その場に居残る理由を失うということ。
「本当に……?」
ハイドラの表情は硬い。エリィは受け入れざるを得なかった。
異常現象が起きた際、アンジエーラ族に成す術などないのだ。
そうなる前に、彼らは異なる形で国民に対して威厳を示さなければならない。
「異常現象からの守護力がなくなっても、アンジエーラには国を守るだけの武力がある。それを国民に示すために――、俺は戦争を起こすんだ」
見上げた先に捕らえたハイドラの表情に、ニーナが息を飲んだ。
「そんなこと、したって」
「国民が少しずつ俺たちの元から離れて行くのはどうしてだと思う? 信頼してねーからだよ、王を! アンジエーラっていう種族をな!」
無意識に震えた唇を閉ざす。それは、城の中に籠ってばかりでは得られない考えだったはずだ。そんなことを、ニーナはまるで他人事のように考えた。
城下に下り、国民と直接関わりを持ち。
その場の空気を直に味わった彼だからこそ、感じ取った国民の実態。
「国民が王族を信頼出来ないのは、俺たちが頼りねーからだ。俺たちが、国民の信頼に足る動きをしてねーからだ」
事実。城下に下ったことのないニーナは、多数の国民がミエーレへ移住していたことさえ知らなかったのだから。
「親父が死んで、時代は変わろうとしてる。そんな今だからこそ俺達は、国民の期待に応えるべきだ。俺達アルケイデアの王族は信用できるんだって。頼れる存在なんだって、証明すべきなんだよ!」
一気に言葉を吐き出したハイドラが、一度深く息を吸い込んだ。
「なあ。他に良い方法があるってんなら、教えてくれよ」
誰よりも考え無しのようで、誰よりも国と、国民のことを考えているのだと。ニーナはそう思った。
「にーちゃんには任せらんねー。もちろんお前にもな」
そしてその事実を知る人間が、一体アルケイデアには何人居るというのだろう。
「……だから、俺がやるんだ」
彼はただ、一つの平和の形を望んでいる。
国民からの信用を、そして彼らの安寧を得ようとしているのだと、ニーナは理解した。
短絡的すぎると否定するのは簡単だ。自分に思いつかないだけで、他にも方法はあるのだろう。
それでも彼女は、これ以上の言葉を、口にすることが出来なかった。
自分に、この人は止められない。
そう、わかった。




