ペルドゥオーティ
ヨルが何かを言うよりも先に、ピアンタが無邪気に彼へと抱き着いた。
「本当にまだ『居る』なんて信じられない! でも、でもね信じてたよ! ボクたちのペルドゥは、そんな簡単に『居なく』なったりなんかしないって!」
背中に感じた人の形。しかしそこに温もりはない。
揺らされた視界がやけに鮮明なのは、彼女から送り込まれた「魔力」のおかげだろうか。
「でも、とても弱っています……! どうしよう、とにかく、俺たちの力を受け取ってください。大丈夫、しばらくは保たせますから……」
ヨルの両手を握るスッピナの手から、強い引力のようなものを感じた。涙を零しながら必死に力を込めるスッピナの手を振り払う様に、ヨルは自身の手を引く。
「ペルドゥ……?」
困惑の視線を向けるスッピナに、ヨルは小さく首を振った。
体が震えた。その力を欲しているのがわかる。
心の奥底で、涎を垂らして、寄こせと叫ぶ獣が居る。
「――要らないよ。僕はもう、君たちの仲間じゃないんだ」
飼いならせ。ヨルが自身へと、何度も言い聞かせる。
苦しそうに瞳を瞑ったヨルの様子に、二人は目を丸くした。
それは、彼の言葉の内容に対しての反応ではない。
「ペルドゥ……。そんなに、喋れるように……」
「凄い、凄いよペルドゥ! 勉強したの? それだけ流暢にお話しが出来れば、ボクたちとも前よりずっと意思疎通が出来るよ!」
ヨルよりもずっと幼い姿の二人は、まるで言葉を覚えたばかりの幼児に接するように、彼を褒め称える。
「前よりずっと、君の意思がボクたちにも理解出来るようになる!」
それは、どこかおかしな言い回しであり、何よりも正しい言葉の選択だ。
ずっと過去に置いてきたはずの記憶が、ありありと蘇る。
それは正義であり、罪であり、彼という存在の全て――。
「僕は、二人にとっての『裏切り者』だよ。君たちみたいな力はもう無いし、君たちと肩を並べても、出来ることはない」
体に注がれた力が、嫌というほどよく馴染んでいる。こんなにもすらすらと言葉を紡ぐ経験は、初めてなのではないだろうか。
ヨルは深く深呼吸した。指の先まで、血液が巡っていくのがわかった。
つい先ほどまで目を輝かせていたピアンタが、困惑のままにヨルの顔を覗き込む。
「どうして、そんなに寂しいことを言うの? もしかして、『ペイジ』のことをまだ気にしるの?」
ピアンタの言葉に、ヨルの心臓が跳ねた。
涙を拭いながら、スッピナがどうにか笑みを作る。
「それなら大丈夫ですよ。俺もピアンタも、あの時のことはまだちゃんと理解出来ていないんです。だから君に怒っているとか、失望したとか、そういう感情は一切ないんですよ」
「それにね、今はボクが『ベル』の長なんだ。だからね、ペルドゥをもう一回迎え入れても、誰も文句は言えないんだよ!」
あまりの衝撃に、ヨルは一瞬呼吸を忘れた。
「……喰らったのか、長を……」
ベル。
自分がそうであった、とある種族の名前だ。
ああ。彼らは、なにも変わってなどいない。
それとも、自分が変わりすぎてしまっただけなのか――。
「そ・ん・な・こ・と・よ・り! ね、ボクたちはもっと前から、ペルドゥに存在を伝えていたんだよ! 気付いていたんでしょう? 早く来て欲しいって、ずっと思ってたのに!」
ヨルの感情などどうでもいいという様に、ピアンタが早口で言葉を紡ぐ。
「俺たちでは、今の君を探しだすことが出来ませんからね」
頷いたスッピナにピアンタが同意を示した。
それはあの雨の日に感じた戦慄だ。当然気づいていた。
ただ、気づかないふりをしただけ。
しかしそのふりも、もう出来ない状況にある。ヨルはそう理解してこの場に来たのだ。
「……ピアンタ、スッピナ。二人は、どうして『ここ』に居るの?」
喉の奥に感じた酸を飲み込んで、ヨルはが問いかける。目の前の二人はキョトンとした表情をして、顔を見合わせていた。
「そんなの、決まってるよ」
目元を腫らしたスッピナの隣に並び、ピアンタがどこか楽しそうに答える。
「ボクたち、ペルドゥを迎えに来たの!」
ヨルの表情が歪む。
顔を合わせた瓜二つの少年少女が、その外見に似合った幼い笑みを浮かべていた。
* * *
「どうしてってな。お前を迎えに来たに決まってんだろ」
呆れたように後頭部を掻くハイドラに、ニーナは数歩後退した。
彼が王として認められずにいる理由は、まさに今のような状況を作り出す彼の性格による。
マスクを付ければ変装だと言い張る彼は、今のようにラフな格好で城下に下っては、護衛もつけずに遊び歩いていた。
当然国民が彼の正体に気付かない訳もなく、彼の行動を親しみやすいと評価する者と、立場を理解していないと否定する者の数はほぼ五分五分だ。
「まさか一人で遊び歩いて、俺の真似でもしようってのか? 超・箱入り娘のお前がよ」
ニーナがハイドラを睨みつけると、彼はわざとらしく肩を竦めた。
「わざわざ迎えに来てやったんだから、そんな顔すんなよ。……お前が『こっち側』に居たら、俺はミエーレを攻撃出来ねぇからな」
「…………」
まるで王子らしからぬ物言いだが、これが彼の生き方なのだ。
姿勢も悪く眼付も悪い。まるでそこらに居座るゴロツキのような風体。それでも、隠しきれない王族という風格が窺えるのはなぜなのだろう。
「ここはアルケイデア国の領土ではありません。いくらハイドラ様であっても、こんなところまで来ていては相応の御咎めを受けるのでは?」
「誰に?」
ニーナは口を結んだ。
そうだ。王が居ないアルケイデアで、今最高権力を持っているのは王族たる彼とその兄ダリアラのみ。今彼がどのように動いたところで、陰口を叩く人間こそ居れど彼に罰を下せる存在は居ない。
「はーウゼェ。折角俺が迎えに来てやったってのにその態度かよ。俺にも兄ちゃんにするみてーに、もっと恭しくしたらどうだ?」
まとまらない思考の中で、ニーナは自身の立ち居振る舞いをどうにか考えた。ここからどうやって動くべきか、何から話すべきか。
(とにかく、二人からハイドラ様を遠ざけないと――)
しかし、彼女の思惑はそう上手くいかない。
「で? その見るからにウザそうなの、誰?」
ニーナが瞳を見開く。その両脇から彼女を庇う様に、二つの影がニーナの前へと躍り出た。