新しい依頼
「お前は第一王子のダリアラに頼まれて『アレクシス』を壊そうとしてて、それは第二王子のハイドラを王にするため……ってことか?」
帰り道。街灯に照らされた道を歩くエリィが、すぐ隣を歩くニーナへと問いかけていた。首都カトの夜は賑やかだ。彼らの話の内容など、誰も気に留めることはない。
ニーナが頷いて答えた。
「そうよ。ダリアラ様は、ご自身の体調を考え、自ら王の座を辞退なされた。でも周囲の人々は納得しない。だから『アレクシス』を使って、ハイドラ様が王になることを周囲に納得させようとしたの」
「……確かに、立場上ダリアラという王子は表立った行動は出来ない。動けない自分の代わりに君を動かしたのか」
すれ違う人々に気付かれないように、ヨルが小さな声で話を続けた。
それはダリアラという王子からの、絶対的な信頼の証だろう。そしてこれはアルケイデア王国の内情の、その裏の話だ。そう簡単に打ち明けられるものではない。
ニーナが説明を拒んだことにも納得がいった。
「ごめんなさい。『アレクシス』を壊してハイドラ様が王に成られたら、ちゃんと説明するつもりだったの」
足元を見つめるニーナの横顔を見て、エリィが肩を竦める。
「いいよ、別に俺はそこまで気になってなかったし」
ちらりとエリィの顔を見たニーナが、ほんの少し口角を上げた。
とはいえ、この話は解決への道どころか更なる迷宮へと進んでいる。『アレクシス』は見つからず、アルケイデアは次期国王を決めるべく、ダリアラの思惑とは異なる動きを見せ始めている。
「きっと、軍を動かそうとしているのはハイドラ様よ。彼が武力で威厳を示そうとしているのなら、止めなければいけない」
一度抜いた剣を仕舞うには、それ相応の理由と結果が必要だ。
ニーナが『アレクシス』を破壊するよりも先に、アルケイデア国とミエーレ国が交戦を始めてしまえば。
彼女がここに居る理由は、無くなってしまう。
「そしたら、今度はフランソワに『アレクシス』のことを言ったとかいう神サマを探してみるか? あー、でもそいつらも場所わかってねーんだっけ」
エリィは腕を頭の後ろで組み、いくつかの方法を提示していく。
「その神サマの言葉を信じるなら、『アレクシス』は防衛装置らしいしな。それさえ見つかれば、戦争だって止められるだろ!」
矢継ぎ早に言葉を続けるエリィの隣から、人影が消えた。
突然立ち止まったニーナが、数歩先を進んだエリィの背を捉える。エリィも同じように足を止め、頭の後ろで組んでいた手を下ろして振り返った。
周囲の人々は、彼らの存在を気にも留めずに通り過ぎていく。喧騒が二人を包んでいる。
動き続ける人々と止まない音の中で、たった二人だけが、止まっていた。
夜風に揺れた髪が、彼女という存在を静から動へと変えていく。
「エリィ。私は、国に帰るわ」
エリィの耳から、喧騒が遠退いた。
それはエリィにとって、とても重い一言だった。
「今は『アレクシス』を見つけるよりも先に、やらなければいけないことがある。少しでも早く国に帰って、ハイドラ様を説得するの」
「それは――」
彼女の意思は曲がらないだろうということに、エリィはすぐに気づいた。
「確かに『アレクシス』が見つかれば、戦争は抑えられるかもしれない。でも、それがいつになるかわからないことを、私は知っているから……。それなら、『アレクシス』を探し続けるより、ハイドラ様の元に行く方が確実だもの」
「……そんなこと、出来んのかよ」
まるで負け惜しみのような一言が零れて、エリィははっと口を閉ざす。
しかしニーナはそんな彼の様子を気に留めることもなく、ゆっくりと頷いた。
「私にしか、出来ないわ」
それは確信だった。
彼女にはそう言い切れるなにかがある。そうわかった。
エリィに、彼女を止める権利はない。
「……わかった」
眉間にしわを寄せたエリィの表情にどこか違和感を覚えながらも、ニーナはほっと肩の力を抜いた。
「ありがとう。ここまで手伝ってくれて――」
「俺も行く」
「……え?」
予想外の答えに、ニーナの言葉が止まる。エリィの瞳は、決して冗談を言っているようなそれではない。
エリィが開いていた数歩の距離を縮め、ニーナの前に立つ。
「『アレクシス』は見つけてやれなかったけど。それなら俺は、お前を王子のとこまで送り届けてやる」
見上げる少年の表情が、夜の街中でもよくわかる。
それは、決意の瞳だ。
「俺への依頼、変更してくれ」
ようやくニーナは、彼の眉間に寄ったしわの理由を理解した。
彼は、悔しがっているのだ。自身の不甲斐なさを感じているのだ。
だから彼の顔は、どこか泣きそうにも見えるのだろう。
責任感と自負の念に押しつぶされそうになりながらも、ほんの少しのプライドを手放すことなく、彼はこうして立っている。
ニーナは、数日前の自分の姿を見ている気分だった。
(ダリアラ様が私を信じて命令してくださったのに。一人では『アレクシス』を壊すどころか、見つけることも、手がかりすら得ることは出来なかった私の姿……)
エリィと出会って、屋敷の部屋で一人になったあの日の夜。ニーナは自国から見るものと同じ月を見上げて呟いた言葉を思い出す。
どんな手を使っても、何を頼っても。絶対に、『アレクシス』を見つけ出す。
アルケイデア内を探し続け、結局『アレクシス』を見つけることは出来なかった。
それでも彼女の中のほんの少しのプライドが、『ダリアラの元へ戻る』という選択肢を彼女に与えることはなかった。
自分の身が危険だと分かっていても。隣国の、敵国の魔女を頼っても。
必ず、主人の願いは叶えるのだと。
「……ふ」
つい、零れた笑みにエリィが眉を寄せる。
「な、なんだよ」
「……似た者同士ね、私たち」
ほんの少し口元を抑えたニーナが、その手で髪を退ける。数日前と同じように、彼女の瞳の空色がエリィの視線を奪った。
彼の肩の上から、子鼠の鋭い視線が刺さった。ほんの一瞬だけ、その視線に瞳をぶつける。
無言の牽制が、ヒヤリとニーナの背に悪寒を走らせた。
(わかってるわ)
言葉に出すことなく、ニーナは頷く。元より、最後まで彼を頼るつもりなどなかった。『アレクシス』の所在さえわかれば、エリィには別れを告げて一人で向かうつもりだったのだ。
ここで、彼を更なる危険に晒すつもりはない。
「ありがとうエリィ。でもね、アルケイデアには私一人で帰るわ」
エリィの表情が、動揺に揺れていた。
彼が一緒に来てくれればどれ程心強いことだろうと、ニーナは心の中で呟いた。
しかしアルケイデアに入れば、エリィにとって周囲の人間全てが敵になる。それはニーナがミエーレ国で過ごすよりも、数倍も危険な状況だ。
万一の際、エリィは自身の身を守るだけの力を持ち合わせていない。
そして何より、アルケイデア国民はミエーレ国民と比べ、数倍も国外の人間に対する偏見が強い。彼がミエーレの人間だと分かった瞬間、すぐさま監獄に幽閉されてしまうだろう。
そうなってしまえば、いくらニーナが動いたところで彼を助け出すのは至難の業だ。
「で、でもそれじゃあ、俺は」
「エリィ。私はもうこれ以上、『アレクシス』を探さないなんて言ってないのよ」
遮られた言葉は、エリィの喉の奥へと消えていく。どこか幼い表情が、驚きに飲まれていた。
「あなたはあなたなりに、この『起こるかもしれない戦争』を止めて。私は私に出来ることをするわ。そしてこの話が片付いて、あなたが王子からの依頼を完遂した後に……。もう一度、私と一緒に『アレクシス』を探して欲しい」
子鼠の視線が気にならなかった訳ではない。しかしこれが、今の自分にとっても、この少年にとっても、最前の行動であるという自信がニーナにはあった。
(そしてこの選択は、きっとダリアラ様にとっても最善のはず)
半ば自分に言い聞かせるように、ニーナは目を伏せて思う。
「これが、私からあなたへの新しい依頼よ。……お願い出来るかしら」
あとはこの少年と、その肩の上に鎮座する小さな怪物の回答を待つだけだった。
しばらくの間呆然とニーナを見つめていたエリィが、やがてほんの少し開いていた唇を噤む。
「よく、わかった」
握りしめた手のひらを持ち上げると、その様子を動揺半分で見つめていたニーナの目の前で自身の薄い胸の前に置いた。
「任せろよ。その依頼、魔女の使いが請け負った!」
力の籠ったその拳は、本人が考えていた以上に彼の胸を勢いよく叩きつけた。ドンという鈍い衝撃音と共に感じた強い鈍痛に、エリィは思わず咽てしまう。
「げほっ!」
「だ、大丈夫?」
「大丈夫だ!」
強がるように少し強めの声でそう答えたエリィに、ニーナは肩を竦めて笑う。
「そしたらさ。せめて、アルケイデアの傍まで送ってやるよ。まあ、ついでみたいなもんだからさ」
ちらりとヨルの様子を窺うが、彼はどこか諦めたように目を閉じている。
「……わかった。お願いするわ」
にこりと笑ったエリィが、再び先導を始めた。この先で、フランソワが用意したという馬車が彼らを待っているはずだ。そう待たせるわけにはいかない。
ニーナは頷いて、どこか名残惜しそうに周囲の様子を見物しながらその後を追った。
街灯に照らされたレストランの窓に、赤髪の少年と肩の上の子鼠、そしてフードを被った少女の姿が映っていた。