紅茶と魔女の交渉術
「アンジエーラ族にとって、それはとってもデリケートな話だよ、エリィ」
膝の上に温もりを感じた。視線を下ろす。
「五十年前、アンジエーラはその種族の『力』を理由に人々を先導しまとめ上げて、一つの大国を作り上げたんだ。アルケイデア王国は、先導者があって成り立っている国。国王が居ないこの状況は、国家の危機なんだよ」
「力?」
答えようとしないニーナに代わって、ヨルが再び鼻の先を動かす。
「五十年前の建国の時、天変地異が収まったのは、自分たちアンジエーラの力によるものだって言ったんだ。天の使い……、『天使』を自称したアンジエーラを信じ切った人々は、彼らの国を選んでアルケイデアの民になった。彼らの元に居れば救われるって信じたんだ」
それは壮絶な争いの末に、人々が安寧を求めて選んだ選択肢の一つ。
アルケイデアの国民は、今もその殆どがアンジエーラへの信仰心を胸に生きている。
「そうなのか! すげぇじゃん、アンジエーラ族!」
「そうだね。実際、建国後アルケイデア国内で異常現象が起きた記録はない。それがアンジエーラの力によるものなのか、偶然なのかは知らないけど」
目を輝かせたエリィに対して、ヨルの声はどこか冷ややかだ。
「アンジエーラ族の者たちはアルケイデア王国を成立させると、種族の中でも『王』という一つの絶対神を『創り上げる』ことで、国民たちの信仰の対象を『種族』という大きなくくりから『一人』に絞ったんだ」
「なんで?」
「一神教に、複数の神は要らないってこと。アルケイデアを、アンジエーラ族の国じゃなくて、『アンジエーラを納める長』の国にしたかったってことだよ」
ふーんと短い返事を返したエリィに、ヨルがきっと半分も理解していないだろう、と呆れたような視線を向ける。
そんな一種の『宗教国家』だからこそ、国王という絶対的な信仰の対象が居ない今、アルケイデアの国民は大きな不安を抱いて生きている。
(例え『力』を持つアンジエーラ族が何人居たって、人々の信仰の対象はあくまでも『国王』様だったから)
二人の会話をただ黙って聞いていたニーナが、目を伏せ小さく唇を噛む。
* * *
やがて黙り込んでしまったニーナを心配そうに見つめながらも、ヨルとの他愛もない会話を続けていたお陰か、少しエリィの肩の力が抜けた頃。
コンコンと廊下側から部屋の扉が叩かれる。
ニーナが顔を伏せたまま視線だけを扉へと向けた。
部屋に入ってきたのは、エリィよりもいくつか年上の男だった。
そのすぐ後に続いた使用人が、高級感溢れるポットやカップ、小さなケーキがいくつも並べられたプレートを乗せたワゴンを押して入室する。
「こんにちは、魔女ジェシカの使いの方。お待たせしてしまった無礼を謝らせてほしい」
エリィの前に立ち、胸の上に純白の手袋をはめた手を添える。尖った耳が印象的な好青年の正体は、その身なりや洗礼された仕草から誰が見てもすぐに悟ることが出来た。
再び、エリィの背筋が伸びていく。
唇を一文字に結んだエリィへ、青年は恭しくその黒髪を揺らしてほほ笑んだ。
「はじめまして。僕はミエーレ王国第二王子、フランソワ・ミエーレ。今日は突然のことにも関わらず、わざわざ足を運んでくれてありがとう」
エリィは力の抜けていたはずの自身の肩が、再び力むのを感じた。すっくと立ち上がり、顔を引きつらせて言葉を返す。
「えっと、ジェシカの使いのエリィだ……です」
慣れない敬語に戸惑いながらも、フランソワの顔を見上げエリィはそう名乗った。
その間にも使用人の女性は手際よく白いテーブルの上にカップやケーキを並べ、無言で一礼し部屋を後にする。
注がれたばかりの紅茶の香ばしい匂いに、エリィの膝からソファへと飛び降りていたヨルが動きを止めた。
緊張を隠し切れないエリィの様子に、フランソワがふっと笑みを零す。
「君は愛しき我がミエーレの国民だけど、今はそれ以前に僕の大切な取引相手だ。立場は対等だと思ってもらって構わない。もっとフランクに話して欲しいな」
フランソワがエリィと向かいの席に座り、促されるままにエリィも腰を落とす。魔女の使いという立場が一国の王子と同等とは思えないが、エリィが遠慮しようにも、目の前の本人から笑顔でそう言われては中々断りづらい。というのも、正直敬語は苦手だ。
「わかった。……それで、フランソワ王子」
「フランソワで構わないよ」
あまりにも人当たりの良い笑顔で押し切られるように、エリィは頷くしかなかった。
恐ろしいほどに整った顔立ちで、聞く者を虜にするようなテノールの声。王宮に入る機会は今までにも何度かあったが、こうして王族と直接顔を合わせるのはこれが初めてだ。
ミエーレの王子は見目がいいと噂に聞いていたが、ここまでかとエリィは心の中で呟いた。更には王宮で培われた気品の良さと洗礼された彼の立ち居振る舞いは、同姓から見ても息を飲むほどだろう。
上品で人当たりも良く、柔和なミエーレ王国の第二王子。国民からの評判も高く、人々の憧れの的だと言う。
しかしこうして正面に見据えると、どうもその瞳の奥が気になって仕方がない。
ほんの少し持ち上げられた口角からは想像も出来ないほどの、黒い何かがあるような。
「エリィ?」
フランソワに名を呼ばれ、はっと息を飲む。エリィは一度咳払いをした。
ここで早速相手のペースに任せてどうする。エリィは過去にジェシカから教わった交渉術の存在を思い出す。
(え~~~~っと、なんて言ってたっけ?)
むむむと眉間に皺をよせ、エリィは記憶の隅からジェシカの声を引きずり出した。
『良いかエリィ。交渉というのは、まず互いに対等な立場であることが大前提じゃ。相手が誰であれ、自分は相手と対等な立場であると自負し、胸を張り、虚勢を張るのよ。そして決して優位に立とうとしないことじゃ。……まあ、それでも駄目なら、殴って蹴って締め上げて、隷属させて可愛くお願いするのじゃっ』
(……とんでもねーこと言ってたなあの魔女)
記憶の中でウィンクをして見せるジェシカの姿に内心ため息を吐きつつ、少しだけ落ち着いた心に安堵する。
「――じゃあ、フランソ」
「おォイ! 勝手に始めてんじゃねェぞ!」
「ワ゛あァ?!」
ようやく覚悟を決めたばかりだというエリィの言葉をかき消すように、荒々しく扉が開け放たれる。同時に聞こえた大声に、エリィは思わず素っ頓狂な声を出した。
彼と同じように驚いた様子のニーナが、扉の先へ顔を向ける。
そこには、先ほどまで彼らと共に行動していたシンハーが立っていた。
その巨体に抱えた苛立ちを、隠そうともせずに。
今までの投稿分全てに大幅な修正を致しましたので、もしよろしければご意見等頂けますとありがたいです。
明日以降もよろしくお願い致します!