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魔女の使いは戦わない  作者: 柚月 ゆめる
2章 変化する日常 【『アレクシス』捜索編】
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記録には無い探し物

 フードを深く被りつつも物珍しそうに街中を見渡すニーナと共に、エリィは国内最大の資料館「ラーマセ」を訪れていた。ノブルの隣町ゲーテヒトネウスに存在する図書館であり、彼も過去に何度か足を向けたことのある場所だ。


 大陸最大とも謳われる、国家直轄の情報保管機関。

 著名人のエッセイから世界の歴史書や辞典などに加え、歴史的偉人の日記なども数多く取り扱われていた。万全な警備体制の元、開館時間中は一般市民も自由に出入りすることが可能で、貴重な文献や古い物も許可さえ貰えれば館内限定で閲覧することが出来る。

 そんな情報の海には毎日数百の利用客が出入りし、この日もまた、ラーマセ内では多くの人が書物に手を伸ばしていた。


「こんなにたくさんの本が……」

「図書館、アルケイデアにはねぇの?」


 ロビーに設置されたメインカウンターを過ぎた彼らを待っていたのは、天井まで届く本棚と十分すぎる程の読書スペース。国内でも珍しい十階建ての巨大な建造物ラーマセは、その全ての階が吹き抜けとなっている。全面ガラス張りに設計された最上階の天井から差し込む日光で、晴天の日中は照明も不要なほどだろう。

 その吹き抜けに加えメインストリート側の壁もまた全面が窓。まるで動く絵画のようなその一面によって、利用者が閉鎖的な感覚を抱くことはない。


「いいえ。図書館はあるけれど、こんなに立派なものが一般開放されているなんて……」

 階を昇る毎に置かれた書物はより専門的なものとなっているためか、エリィ達の居る一階には比較的低い年齢層の利用者の姿が多く見られた。

 階段を登り、二人は五十年前の天変地異や断続する異常現象に関わる研究資料のスペースに向かう。本棚に並んだいくつもの本の背表紙を指でなぞり、エリィが一冊の本を手に取って開いた。


「ふうん、もったいないことしてんだな」

「どういうこと?」

「折角集めたのに、みんなと共有しないなんてさ」


 同じように資料に目を通していたニーナが、文字を追う瞳を揺らした。

 声を潜めた二人の会話が止まる。

「ニーナ?」

 不思議そうに視線をニーナへと向けたエリィへ、彼女は「いいえ」と首を振った。

「そうね。そうかもしれない」

 既に何人もの人が触れたその資料の一頁を、ニーナの指先が撫でる。


「私の国は、秘密がたくさんあるのよ」


 その横顔が、ニーナの長い髪に隠れて見えない。エリィは本の上に置かれた細い指先から、その表情を想像することしか出来なかった。


  * * *


「なぁんもねー……」

 三日ほどが経過した。ヨルは未だ目を覚まさず、この日もエリィはニーナと共にラーマセを訪れていた。膨大な資料館であるラーマセの資料の全てを調べるには、数日ではとても足りない。

 なるべく有名な研究者の書籍や歴史書を選んではいるが、そのどれにも『アレクシス』の名はおろかそのような兵器の存在すら登場することはなかった。


 この日歴史書を担当したエリィは、研究資料を担当するニーナとは異なる階に居た。

 ガラス張りの壁に沿っておかれたテーブルに突っ伏したエリィは、恐らく彼の人生で一番文字を追ったこの数日の疲労を吐き出すように、深いため息を吐いた。

「こんなに無いモンかよ……」


 愚痴を零し薄目を開け、視線を周囲に積んだ歴史書から目の前のガラスへと向ける。生憎とこの日の天気は雨。薄暗い街中を見下ろすには、窓に当たる雨水の斑模様が邪魔をする。

 そんな窓に、普段目にしないような不思議な存在が映っていた。

「熊……?」

 なんだろう、疲れから幻覚でも見ているのだろうか。

 そう思った矢先、


「よう」


 その黒い熊は手を上げ、エリィへと声をかけたのだ。


 言葉を失ったエリィが恐る恐る振り返ると、眼前に迫ったのは窓に映っていたものと同じ、熊だった。

「ぎゃ……ッ?!」

 反射的に叫び声をあげそうになったエリィの口を、その熊の体が塞ぐ。

「ぶッ、むごッ?!」

 顔面全てをその熊に覆われたエリィは、状況がつかめず死角も奪われ両手をわなわなと震わせることしか出来ない。


「――おいおい、ここは図書館だぜ。大声は厳禁、だろ?」


 それは先ほどの声と同じものだ。軽い窒息状態のエリィが懇願するように何度も頷くと、やがてその柔らかい熊はエリィの顔面から離れていった。

「ぶはっ! はー、はー……。な、なんだお前……っ!」

 涙目のエリィが最大限に声を張り上げた小声で、その熊へと苦言を呈する。

「って、ぬいぐるみ……?」

 そして、その熊が幼い子供程度のサイズのぬいぐるみであることに気付いた。その両脇には、それを抱きかかえる人の手が見える。エリィが視線を上へと上げると、その熊の顔の後ろに、一人の男の顔があった。


 無造作にまとめられた髪と、いくつも開けられたピアス。高圧的な印象を与える鋭い瞳。意味があるのかわからないヘアピンが、不思議とよく似合っていた。

 人の姿を得たヨルと同じ程の身長だろうか、エリィが座っているとはいえ、思い切り見上げなければ彼の顔を捉えることが出来ない。

 そして筋張った両手の中に抱かれた黒い熊のぬいぐるみが、彼の外見にはなんともミスマッチで異様な空間を生み出している。


「やっと、会えたな」

 ぽつりと呟いたそんな言葉が、エリィの困惑を更に強いものへと変えていく。


  * * *


 自室こそあるが、普段はエリィの部屋に居ることが多い彼にとって、その天井は見慣れたものだった。目を覚ましたヨルが気だるい体を動かす。短い手足のストレッチを繰り返せば、視界は鮮明になり、意識もはっきりとしてくる。

 しかし、どうやら人の形は望めないようだった。


「ジェシカ、居ないのか……」

 鼠姿のまま、ヨルはベッドから飛び降りる。数日ぶりの活動だが、食事を必要としない彼にとって苦痛は何もない。

 鼻を動かし、耳を動かす。屋敷の中に人の気配はない。


 雨粒が窓にぶつかる音と、土の香り。

 ベッドにはほんの少しの温もりがあった。今朝まで部屋の主はこの場所に居たらしい。雨のせいで普段通りとはいかないが、エリィの匂いを辿ることは出来そうだ。

 ヨルは開けられたままの窓を潜り、雨の中駆け出した。

(一週間くらい寝てたかな……。エリィ、どこに居るんだろう)

 門の隙間を潜り抜け、街の中心部へと視線を向ける。


「――――!」


 そして、ヨルはその逆方向に意識を奪われた。

 雨水でじっとりと体が重くなっていく。体中の獣毛が逆立つのを感じた。

 鳥肌、と言うのだろうか。

 雨水による冷えからではない。

「…………」

 これは。


 どこか懐かしい――、戦慄だ。


  * * *


「え、っと……?」


 どう反応すべきかと困惑するエリィに、男は何かに気付いたように視線を動かした。次にどう行動すべきなのかを考えているようだ。

 そして考え抜いた末、彼は再び手元のぬいぐるみをエリィの顔の前に掲げて動かした。


「こいつはベア子だ。……怖くない」

「いや怖ェだろ!」


 思わず荒げてしまった声に、何事かと周囲の視線が集まる。エリィは慌てて口元を抑え、睨みつけるように男を見上げた。

 しかし男は、むしろ困ったようにエリィを見下ろしている。エリィはため息と共に後頭部を掻き、再びぬいぐるみの腕を動かし始めた男を手で制した。

「もういいっての」


「……怖がってねェか?」

 そう問いかけた男の見た目は、確かにどこか近寄りがたい威圧感を覚えさせる。もしも街中で目があってしまえば、反射的に視線を逸らしたくなる気がする、とエリィは思った。

 しかし今はそれ以上に、彼の腕の中の熊が気になって仕方がない。


 もしや、怖がらせないためにとぬいぐるみ(ベア子)を見せつけてきたのだろうか。

(だとしたら色んな意味で空回ってんな……)

「面白いヤツ……」

 そう呟いて、ふと初対面の相手に言う言葉ではなかったと口を閉ざす。ちらりと男の様子を見上げると、しかし彼はどこか安堵したような表情を浮かべていた。

「ウッ、ウン。……で。俺になんか用?」

 咳払いを一つする。

 出先で依頼を受けることは少なくない。しかしそれはノブルの話であって、ここはゲーテヒトネウス。魔女の使い(エリィ)の存在を知る人はそう多くはないだろう。

 しかしジェシカへの依頼以外を理由に、自分へ声をかけてくる人がいるとは思えない。

 それともたまたまこの街で会っただけで、彼もまたノブルの人間なのだろうか。それにしては見たことのない顔だが。


「……困っているんだろう?」

「え?」

「テーブルに、そんなに本積んでんのは、アンタくらいだ。……探し物か?」


 エリィが体ごと振り返ると、男は熊のぬいぐるみを片脇に抱えて彼の周囲の本を眺める。見た目に反し静かな物言いだとエリィは思う。ただ、お世辞にも彼が進んで人助けをするような人間には見えないが、まさかそんなことは言えまい。

「うーん。いや、困ってる訳じゃ……」

 ニーナには『アレクシス』についてはあまり口外しないよう言われている。好意はありがたいが、ここはただの歴史好きだということにしまおうかとエリィが唸った。


「――五十年前の天変地異、その原因」


 泳がせていた視線を、瞬時に男の両目へと向ける。

 刺す様な目線。ただでさえ静かだった周囲の音が、人の呼吸すら、聞こえなくなる。

 隠せない動揺に、男がどこか悟ったように目を細めた。

 それはほほ笑んだようにも、呆れたようにも見えた。


「記録には無いぜ。お前の、探し物は」


「――――!」

 飲み込まれてしまいそうだ。彼という、空間に。


 呼吸も忘れて、エリィはその男を見上げていた。

 この空間でただ一人自由を約束されているように、男はふらりとエリィに背を向ける。

「な、お前……っ!」



「エリィ?」

 サァ、と。体が、その異空間から引き戻されるのを感じた。浮かんだ冷や汗が、嫌というほどエリィに()()を味わわせる。

「ニーナ……」

 名前を呼ばれたエリィが、一度振り返ってその声の主と顔を合わせる。思わず立ち上がったエリィは振り返った先で、困惑するニーナの鼻先のほんの数センチまで近づいていた。

「ひゃっ?!」

 突然の近距離に驚いたニーナが、謝罪を呟きながら数歩後退する。


 雨の匂い、空気、人々の呼吸。全く異なるものを感じていたようで、まったく同じものだったと言い切れる自分も居る。


 自分が見ていたのは全て現実だったのだと、解る。


「なん、だったんだ……」

 まるで魔法にかけられたようだ。

 再び男が去っていった方向を見遣るが、既に彼の姿はない。早まる鼓動が、徐々に落ち着いていく。


「あの、エリィ……?」

 誰も居ない場所を睨むように見つめるエリィに、ニーナが再度遠慮がちに声をかけた。

「いや……、悪い。なんか見つかったか?」

 エリィは表情を戻してニーナへと顔を向けるが、彼女は何も持たない手を握りしめながら、小さく首を振った。

「いえ、なにも。それらしい兵器の記述すら見つからないわ」

「そっか。俺もだ」

 暗い表情のニーナに、エリィはそれ以上の言葉が出ない。


 ――記録には無ェよ。


 先ほどの男の声が、エリィの脳内で鮮明に蘇る。

 彼の言葉を信じるのならば。このまま資料を漁り続けることは、無意味ということだ。


 突然現れた素性の知れない男の言葉を信じるなんて。馬鹿げている、とヨルが居れば笑うだろう。しかしエリィには、どうしても彼の言葉を無視することが出来なかった。

 しかし今ここで考え込んだところで、本人の姿はとうに無くろくな手がかりもない。

 男の姿を見ていないらしいニーナが、眉を寄せる自身の表情を遠慮がちに窺っているのに気付いた。とにかく今は、自分に出来ることをするしかない。


「今日は帰ろう、ニーナ。いい加減、家でヨルが目を覚ましてる頃だと思うんだ」

「子鼠さんが?」

「おう。あいつにも色々聞いてみよう。意外と物知りだし、なにかしらの手助けはしてくれるだろーからな」

 頷いたニーナが、テーブルの上の書物を何冊か抱き上げる。本棚へと戻す手伝いをしてくれるのだろう。

 テーブルに残された数冊を手に取ったエリィが、一度体内の緊張を吐き出す様に息を吐いて、背を向けたニーナの後を追った。

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