戴冠式
その日、アルケイデア王国の国民は誰もが浮足立っていた。
色とりどりの花やオーナメントに飾り付けられた街並みと、活気に溢れるマーケットの店頭には記念品が並ぶ。求める人が後を絶たない号外新聞は、最早待ちゆく者の誰もが手にしていると言っても過言ではない。その人混みの中には、歴史的な光景を見ようと国境を跨いだミエーレの民や、これまで交流のなかった近隣国の民の姿もあった。
「ひえ~、凄い人! エリィ、潰されないようにね!」
王宮へ続く最後の大通りは、これまでの道のりとは比べ物にならない程の人々の姿で埋まっていた。目的地は見えているというのに、最後の一本道はあまりにも長い。
「ほんとにこれ間に合うのかよ」
エリィはこの日何度目かもわからない溜息と共に、先を歩くゲルダの背を必死に追いかけた。
この日、賓客としてアルケイデア王宮から正式に招待を受けた二人は、普段着なれない正装に身を包んでいた。ゲルダは淡い笹色のショートドレスで、エリィは白を基調にしたスーツ姿だ。どちらも自国の王子が見繕った。
「もう! なら最初から王子様と一緒に行けばよかったのに。誘われてたんでしょ?」
「ぜってー嫌だね。明らかに目立ちそうだろ」
「じゃあ文句言わないの!」
ゲルダは時折振り向きながら、これまでと変わらない足取りで人混みを進んで行く。口では強がりを言っていても、エリィは内心フランソワからの誘いを断った昨日の自分を、ほんの少し恨んでいた。
一方、そんなエリィの苦悶などお構いなしとでも言う様に、桃色の鼠は彼の頭の上で暇そうにあくびをする。正直、二人が式に遅れようが彼にとってはどうだって良いのだ。
「エリィ、早く早く! 戴冠式始まっちゃうよ!」
急かすゲルダの言葉にエリィは眉を寄せたが、彼女は猫背になったエリィへと、彼よりも一回り小さな手を差し出した。
「ほら、捕まって!」
「その体力、分けてくれって……」
エリィは再び溜息を零しながら、ゲルダの手を取って先を急いだ。
* * *
今も尚建て直し中である王宮はようやく最低限の復興を終え、その大ホールにおいては災害が起こる前と遜色ない程に修復されていた。大ホール内ではアルケイデアの為政者と近隣各国の賓客が揃い、式が始まるその瞬間を待っている。
二人と一匹が慌ただしくその厳粛な空間に駆け込むと、その場の視線を一斉に浴びることとなった。肩で息をするエリィを脇に、ゲルダは首を動かし知り合いの姿を探す。やがて二人に手を振る金髪の姿を見つけると、ゲルダはエリィの手を取ったまま彼の隣の空席へと足を進めた。
「やあ、間に合ったね」
にこやかな様子で、フランソワが二人に声をかける。ゲルダが彼の隣に腰かけ、更にその隣席へエリィが腰かけた。
「あまりにも遅いから、誰かさんがずっとソワソワしていて面白かったよ」
フランソワが笑いながらホール後方を指差す。二人がそちらに視線を向けると、客席の後方に立つシンハーが頭を抱えていた。
「だってエリィが何時までも起きないんですもん」
「それはお前もだろ」
招待客には宿泊施設が案内されており、エリィとゲルダにもそれぞれ1部屋ずつ用意があった。あまりにも快適な空間に、エリィとゲルダはついギリギリの時間までベッドから起き上がることが出来なかったのだ。
「そんなことだろうと思った」
フランソワは二人に小言を言うわけもなく、ただ可笑しそうにそう答えた。
エリィが呼吸を整えていると、やがてホールの端で楽団による演奏が始まった。高音のロングトーンが重なる聴きなれない楽曲だが、エリィはこの楽曲が嫌いではなかった。
いくつかの演奏が終わると、客席が向く先、ホールの前方に何人かの重鎮らしき人物が並んだ。彼らは空席の玉座を挟んで均等に並び、恭しく礼をした。
進行役と思われるアルケイデア人が声を上げ、この国の歴史や先代国王の功績を湛えていく。エリィにとっては正直眠気を誘う内容だったが、隣に座るゲルダは興味深そうにその話を聞いていた。
やがて話に一区切りついた後、ほんの数か月前の出来事が、歴史物語の様に語られ始めた。
国家存続の危機は、アルケイデア・ミエーレ連合軍によって阻止されたこと。そしてその最大の功労者として、アルケイデア王女ステラリリア、王子ハイドラ、魔女ジェシカ、そしてその使いであるエリィの名が挙げられた。
ゲルダがにやにやと笑いながらエリィへと視線を向ける。エリィは気恥ずかしそうに顔を逸らし、膝の上のヨルの背をくるくると指先で触れた。
今や彼とジェシカは、二国に住まう誰もが知る存在だ。まさか開会直前に駆け込んできた少年がその『魔女の使い』だとは、彼を知らない者が考え付くはずもないだろうが。
「そして、なによりも其の命を懸け、国家を救ったダリアラ・アルケイデア・アンジエーラへ、最大の敬意と称賛を――」
そしてここに居ないアルケイデアの王子は、誰もがその存在を敬い、祈りを捧げる世界の救世主と成っていた。
「――ではこれより、戴冠の儀を執り行う」
進行役の一言で一度楽曲が終わり、そして新たな楽曲が響き渡る。同時に賓客の視線は中央の花道へと向けられ、開会と共に閉ざされていた扉が開かれた時、そこへ足を踏み入れた次期国王は、片腕の無い青年だった。
随分と短く切りそろえられた髪は、彼らアンジエーラ族特有の空色だ。
一歩、また一歩と進む彼の姿を、エリィは黙って見つめていた。
彼が目的の地へ辿り着くと、そこで彼を待っていたのは、彼と同じ色の髪を巻き下ろしたアルケイデアの王女だった。彼女の横には、盆の上に煌びやかな王冠を乗せ、緊張の面持ちで立つドレス姿の少女メリッサの姿があった。
王女ステラリリアはメリッサの持つ盆から王冠を手に取り、目の前の兄を見上げ、脳内に開かれた台本を高らかに読み上げる。
汝ハイドラ・アルケイデア・アンジエーラを、アルケイデア三世としてこの国の王と認めん――。
* * *
新王の誕生を祝うパレードは日が暮れた後も続いた。ハイドラは王都を歩き回り、可能な限りその場に居合わせた国民と対話した。やがてパレードが終わった後も、彼は王宮内のパーティに顔を出し、賓客との挨拶を繰り返した。
パーティは明日も予定されているが、それは旧空中都市ベテルギウスに取り残され、その被害を受けた国民たちを招いたものであり、賓客との対話のための物ではない。
「忙しそうだな、国王ってのは」
宿泊施設の自室に戻ったエリィがシャツの首元を緩め、バルコニーから見える王宮を見つめた。今回の戴冠式に呼ばれた賓客には、比較的被害の少なかった地域に建てられた宿泊施設が用意されている。当然アルケイデア軍による厳重な警戒態勢が敷かれており、ミエーレの騎士団もその応援に呼ばれていた。
「そりゃあ、一国の王様だからね。本当に忙しいのはこれからだと思うよ」
バルコニーの手すりに腰かけ答えるヨルが、どこか同情の色を見せつつ答えた。
「国の復興だってまだまだだし、何よりも彼には準備期間が短すぎる。……とはいえアルケイデアは、『国王』という信仰の対象があってこそ成り立つ国だ。たとえ未熟な王でも、これ以上空席にしておく訳にもいかないだろうし、これが一番の選択だったんだろうね」
それにこんな状況だからこそ、より人々の心の支えは必要だろうとヨルは続けた。
エリィが窓の外の暗闇に目を凝らせば、数か月前の名残がいくつも目に付いた。まだ復興が行き届いていない瓦礫だらけの集落。ジェシカの巨大な蔦の残骸。
ハイドラの王位継承が、どれ程人々に希望を与えたのかなど口にするまでもない。
「……でも、アンジエーラ族の権威ってのは、もう無いだろ」
エリィがほんの少し目を伏せて、心苦しそうに言った。
あの日エリィがダリアラの力を進花させたと同時に、ベテルギウスを中心としたミエーレ、アルケイデアの各地で人々から薄紫の花弁が零れて天に消える現象が目撃された。この神秘的な現象は二国に住まう全ザデアスの体で起こり、その日から彼らはザデアスとしての能力の一切を失った。
ゲルダがそうであったように彼らの外見の特色は消え、デーヴァ族やアンジエーラ族といった有翼種はその翼と飛行能力を失う等、当時は誰もが混乱に陥った。
しかし直後、各国の王族から「天変地異を退けるための必要な犠牲であった」と説明がなされると、ザデアスの民はダリアラ同様、人々から感謝の言葉を伝えられるようになった。
当然混乱が完全に収まったわけでは無いが、数か月の時を経て、彼らはただの人間としての日々に慣れつつあるように見える。
「皆、本来の姿に戻っただけだよ。アンジエーラ族じゃないからって理由で、彼が国王に成ることに反対した人は居なかったんでしょ?」
エリィはベッドの上に脱いだシャツを投げ捨て、ヨルに肯定を返した。
「まあ、実際大英雄な訳だしな」
「エリィだってそうだよ」
ヨルの言葉にエリィは一度動きを止め、自身の手のひらを見つめた。
あの日からずっと考えている。もしもザデアスの能力を奪った犯人がエリィなのだと知った時、人々は一体どういう反応を見せるのだろうと。そしてその度に思い浮かぶのは、一人の少女の姿だった。
ニーナもまた、エリィの力によって能力を失った一人のザデアスだ。
騒動の後、エリィは一度もニーナと顔を合わせていない。それこそ今日の戴冠式で見た姿こそ、エリィにとっては久々の再会だった。
一般的なザデアスと違い、彼女は原因がエリィだと知っている。
エリィがフランソワと共に戴冠式へ向かわなかった一番の理由はそこにあった。彼と共に居れば、少なからず戴冠式よりも前にハイドラと顔を合わせる機会があっただろう。そうなればニーナとも会うことになるはずだ。エリィには、それが気まずくて仕方が無かった。
ニーナはエリィに対して複雑な感情があるに決まっている。
恨まれてすらいるのではないだろうか。そんな不安がちらついて仕方が無かった。
「――エリィ、居る?」
「っ、ニーナ?!」
そんな思考を断ち切るように、ノックと共に遠慮がちな声が部屋の扉の外から聞こえた。
思わずその声の主を呼んでしまった以上、居留守は使えない。
「少し、良いかしら」
心臓の音が途端に早まり、エリィは急いで深呼吸を繰り返した。気まずい、などと言っている場合ではない。こんな時こそ、平常心を保たなくては。
「おう、今開ける!」
はやる気持ちを抑えながら、エリィは頭を真っ白にして思い切りよく部屋の扉を開けた。
「あ、エリィ。服……」
そんなヨルの制止も聞こえないまま。
「よ、よお! 久しぶりだな!」
「エリィ、久し―――っきゃあ?!」
開け放たれた扉の中から飛びだした上裸姿のエリィに、ニーナは思わず顔を両手で隠し目を逸らした。
エリィは一瞬その反応の意味を理解出来ず、そしてゆっくりと視線おろして、再び自身の心臓が飛び出すかと思う程に心拍数を上げた。
「あ! 悪い!!」
思えば彼に近しい女性――ジェシカやゲルダ――は、最早彼の上裸姿など見慣れた者たちばかりだったなと、ヨルは他人事のように考える。ニーナの反応はエリィにとって新鮮なものですらあった。
「今着るから! ちょっと待ってろ!」
「え、ええ。ごめんなさい、突然……!」
深々とフードを被ったニーナが、顔を真っ赤にしながら部屋に入る。王女である以上、いつまでも廊下で待つ訳にもいかないのだ。
エリィが慌ててベッドの上に投げ捨てられていたシャツを手に取るが、あまりにも混乱しているせいで腕を出す場所を探すことさえ手間取っていた。
「なんなんだよこの服っ!」
「あの、落ち着いて……」
ちらりとその様子を指の隙間から覗いたニーナは、ふと彼の背に遺された傷跡に気付く。
それは切り傷とも擦り傷とも違う不思議な跡で、まるで烙印の様にも見えた。
「……エリィ、その傷跡は?」
先ほどまでの動揺をかき消す程に、彼女は惹きつけられていた。
片翼のような、その烙印に。
「ん? ああ……、全然痛くないんだけどな」
ようやく片腕をシャツに通したエリィが、傷跡をなぞるように手を背に回した。自分では見えないその傷跡は、どうやら数か月たった今もくっきりと残っているらしい。
「あの日からずっとあるんだ。ジェシカは翼みたいだって言うから、結構気に入ってんだよな」
かっこいいだろ、と笑うエリィに、ニーナは亡き兄の姿を重ねた。
アレクシスの力を覚醒した時、アンジエーラ族の王子でありながらその能力を持たなかったダリアラが、自分たちのものと似た造形の翼を携えていたのをよく覚えている。
まるで自身がアンジエーラ族であると、見るもの全てに知らしめるかのように。
「ねえ、エリィ。アルケイデアの風習を覚えてる?」
ニーナがゆっくりとエリィに近づき、その傷跡に触れた。突然の出来事にエリィは肩を揺らして思わず頬を染めたが、彼の動揺は振り返った先のニーナの瞳に打ち消された。
「……自分の物を相手に渡したら、離れてる間もそいつを信じてる証ってやつだろ?」
心が折れそうになったとき、何度もニーナから託されたリボンに救われてきたのだ。結局そのリボンは、ベテルギウスの動乱の中で失くしてしまったのだが。
「そう。そして、もしもその身に危険が及んだとき、自分の代わりにその人を守ってほしいという意味もあるわ。私のリボンについて謝ってくれた時も言ったけれど」
ニーナはほんの少し鼻の奥がツンと痛むのを感じながら、エリィの背に残された傷跡を見つめていた。
「だから、大丈夫ね。これから先、きっとあの方がエリィを守ってくださるもの」
言葉の意味が理解出来ずに首を傾げたエリィへ、ニーナは一度笑いかけて手を離した。
「正直久しぶり過ぎて、どんな顔で話しかければいいのか悩んでいたのだけれど……。あなたの顔を見たら、どうでもよくなっちゃったわ」
「な、なんだよそれ……」
ようやくシャツを着て正面を向いたエリィに、ニーナは肩を竦めた。しばらく立ち話をした後二人は並んでベッドに腰かけ、離れていた間の出来事を互いに伝え合った。
いつしか夜も更け、ヨルが枕の上で横になり瞳を閉ざしても。バルコニーの外の明かりが、少しずつ数を減らしても。