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魔女の使いは戦わない  作者: 柚月 ゆめる
9章 いつか、大魔王になる少年【ベテルギウス突入編】
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2度目の終焉

 走馬灯が駆け抜けた視界の先。振り降ろされた一閃は空を切り裂き、やがて、

「――――!」

 ディアナの鼻先寸前で、その動きを止めたのだった。


「なんの、つもりだ」

 意思に反して震えた声に不甲斐なさを覚えながら、ディアナは目の前の死が遠ざかっていくのを感じていた。

 ジェシカは数秒の沈黙の後、ゆっくりとそのナイフを下ろした。誰もが震えあがるようなディアナの鋭い視線も、ジェシカにとっては慣れたものだった。


「言ったはずじゃ。妾は妾のすべきことをするだけと」

 到底納得など出来ない様子のディアナから、巻き付いていた蔦が離れていく。

 極度の緊張状態から解放された体にようやく思考が追い付くと、膝をついたディアナは真っ先にひとつの名を呼んだ。


「マリーは」

 誰かが答えるよりも先に、ぐんと彼の体を強い力が地面へと引いた。狂い続けていた重力が、その存在感をみるみるうちに強めていく。


 それは新たな異常の発生にも思われたが、しかしディアナの思考はすぐにその可能性を否定した。そもそもこの場所は『アレクシス』の力によって重力を狂わせた空中都市。この感覚は、()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。


 凍えた頭を持ち上げて、ディアナは空を見上げる。そこにあった巨大な満月の輝きは、ひと目でわかる程にその神々しさを手放していた。

 刹那的に全てを悟ったディアナが、喉の奥をぐっと締め上げる。


「――そうか、あいつは、また」

 異常だったものが、あるべき姿へと還っていく。

 それらは、『彼』の目的が果たされなかったという事実をありありと体現していた。


「俺、は」

 この五十年の間、望み続けた未来は、遂に彼を迎えには来なかったらしい。

 ディアナは途方もない虚無感を前に、呼吸の仕方すら忘れてしまいそうだった。


「マリー。俺は、もう」


 生きて、お前の意思を継ぐ。そう誓ったあの日から、その先にどんな障壁があろうとも足を止めることは無かった。

 たとえその障壁が、残された唯一の親族だったとしても。


「俺は……」

 今更、この両足の進む先を変えることなど出来ない。ならばいっそ、このまま――。


「ディアナ」

 名を呼ばれ、彼はびくりと体を震わせた。ジェシカがディアナを見下ろし、視線を合わせるように細く長い脚を折り曲げた。

 膝の上でナイフを握ったまま、ジェシカが頬杖をつく。まるで子供を諭す親のように。


 ジェシカはディアナと暫く見つめ合い、やがてナイフを持たない手を彼の眼前へと持ち上げる。

 次の瞬間、その中指が弾かれディアナの額を叩いた。


「いッ?!」

 思わず零れたディアナの声を聴き満足げに立ち上がったジェシカは、いたずらの成功した子供の用に笑い声をあげた。そしてディアナを見下ろし、言葉を続ける。


「妾にこれ以上、愛する家族を手放せと言うのかえ?」

 赤く腫れた額を手のひらで抑えながら、ディアナは地面を見つめていた。記憶の中のもう一人の兄弟が、ジェシカの隣で笑う。


「まったく、こんな姉弟喧嘩……。マリーに見られたら怒られてしまうわ」


 ジェシカが肩の砂埃を落としながら、冗談交じりに呟く。

 じんわりと歪んだ視界をかき消す様に、ディアナは額に当てていた手のひらで閉ざした瞼を擦った。


 その動作に気付いたのか居ないのか、ジェシカは一度小さなため息を吐いて片手を腰に当てる。彼女らの居る空中都市ベテルギウスは、今まさに落下を続けている。このままでは、やがて完全に『アレクシス』の力を失ったこの土地が、「空中都市」という代名詞をかなぐり捨てる瞬間はそう遠くない。


 しかしジェシカの表情はどこまでも晴れていた。そんな瞬間は決して訪れないと、物語の始まりから知っていたかのように。


「さてディアナ。お前の優しいお姉様が一つ忠告してやろう。……構えておれ。舌を噛むぞ」

「どういう……、っ?!」


 鈍い轟音と共に、二人の足元が大きく揺らぐ。立ち上がろうと片膝を立てたものの、ディアナは再び地面に膝をつくこととなった。

 一方で、まるでそんな揺れなど無かったかのように、ジェシカはある一点を見つめていた。天へと差し伸べた彼女の手のひらに、薄紫の花弁がはらりと舞い落ちた。


 まるでそれが合図だと言わんばかりに、ディアナの視界のあちこちで巨大な光の柱が立った。

 ほぼ同時に巨大な地震が繰り返され、否応にも先の揺れの原因はその光なのだと察する。

 そしてその原因が、目の前に立つ魔女だということも。


「お前、何を……!」

 指先に挟んだ花弁を口元に寄せて、ジェシカは紅の唇で三日月を作る。


「妾は少し力を貸しただけじゃ。この世界を生きる者たちにのう」

 彼女のもう片方の手は、真っ直ぐにディアナへと差し出されていた。


「――さあ、始めよう。明日の日の出を、守るべく」


 * * *


「団長!」

「ああ、始まったな」


 シンハーの視界の先で、いくつもの光線が曇天へと伸びていく。生存者を探す傍ら、魔女からの依頼をこなしていた騎士たちも同様にその光景に魅入っていた。


「これは……?!」

 事情を知らないアルケイデアの民が、その異様な景色に息を飲む。

「大人は近くの子供を抱えて! こっから更に揺れるぞ!」

 シンハーを中心に騎士たちの適格な指示が飛び交う。騎士たちによってベテルギウス中に巻かれた種が光を放ち、やがて巨大な蔓を生成し、この空中都市から真っ直ぐに地表に向けて突き進んでいく。


 地響きと強風が彼らを襲い、人々は混乱で声を上げた。

 しかしこの光景は、ミエーレの騎士たちにとっては既視感のあるものに他ならない。彼らはこの力に、幾度となく助けられてきたのだから。


「派手にやっちまってくれよ。大魔女とその使いさんよ……!」


 荒れ狂う強風の中、その先にいる救世主へとシンハーが言葉を投げかける。その声に答えるかのように、その命綱は一層の輝きを増していく。

 巨大な蔓はついに地表へ到達し、まるで多足のようにベテルギウスという巨大な空中都市を支える柱となった。


 空中に居座るだけの力を失ったはずの空中都市は、そうして落下を免れたのだった。


 * * *


「止まった……」

 一体なにがどうなったのかもわからないまま、ニーナは突然意識を手放したエリィの体を抱き抱えていた。


 エリィがダリアラに触れた瞬間、二人は目も眩むほどの輝きに飲まれ意識を手放し、その場に倒れ込んだ。エリィは確かに彼の手首を掴んだように見えたが、ニーナが眩さに閉ざした瞳を再び開いた時、二人の間には手を伸ばしても届かない程の距離があった。


 巨大な揺れが彼らを襲ったのは、ニーナが倒れたエリィへと駆け付けた直後のことだ。その時に感じた体の重さは、確かにこの空中都市が浮力を失った感覚だった。


「ジェシカだ」

 ニーナの足元から、小さな声が聞こえた。その力を使い果たし再び鼠姿となったヨルが、か細い声で呟いたのだった。

「助かった、ってこと……?」

 ヨルは言葉を返さなかったが、その無言が肯定を意味することは何となく分かった。

「なら、ダリアラ様は……」


「ニーナ」


 びくりとニーナの体が揺れた。その声の主を見上げ、再び彼女は言葉を失う。

 朧げにただ1点を見つめるダリアラが、ゆらりとそこに立っていた。

 彼はその手に何も持たないままで、一歩、また一歩とニーナへ足を進めた。


「ダリ、アラ……」

 ニーナの腕の中で目を覚ましたエリィが、苦痛に顔を歪めながら上半身を起こした。ニーナがその背に手を添えるが、エリィはただ真っ直ぐにダリアラを見つめていた。


「ニーナ。ニーナ……」

 その瞳は、本当に目の前の景色を映しているのだろうか。その声は、彼自身に届いているのだろうか。まるで本能のまま動く獣のように、彼は同じ単語を繰り返し呟く。

 生命を感じないダリアラからニーナを庇う様に、エリィはゆっくりと体を動かした。


 しかしエリィは、それ以上の行動を起こさなかった。ニーナもまた、ただ真っ直ぐにその様子を見つめていた。

 エリィを庇う必要はなかった。同時に、彼に守られる必要も無かった。


「ニ――……」

 ダリアラの声が途絶えた。その歩みが止まった。


 彼の背に刃を突き立て、青年が呟く。

「もう、いいんだ。……おやすみ、にーちゃん」


 フランソワに支えられながら、ハイドラが残された手で剣の柄を握りしめていた。

 ハイドラが刃を引き抜くと、ダリアラは何も言わず倒れ込み、やがてその場で朱色の池を作った。


 いつの間にか雨が降っていた。空中都市の隅で生きながらえていた小さな野の花が、その雨粒に歓喜し体を揺らしていた。

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