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魔女の使いは戦わない  作者: 柚月 ゆめる
9章 いつか、大魔王になる少年【ベテルギウス突入編】
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本能

「く……っ!」

 耳を裂くような衝撃音と共に、強い風圧がニーナの淡く青い髪を巻き上げた。


 明らかに自分の方が優位な立場にあるというのに、ニーナを押し上げてくるのは圧倒的な力だ。彼女が剣の柄を握る手の皮が剥けてしまいそうな程の。


 それはきっと、彼が()()()()として生きた年月で、彼が抱え続けて来た宿命という圧力の全てなのだろう。

 彼が自室で時折見せた、寂し気な表情の成れの果て。行き場のない感情の、成れの果てだ。


 ダリアラであり、生まれながらにアレクシスであった彼は、誰にも想像できないほどの迷いを経験し、そして迷うことを辞めた瞬間があったに違いない。

 ハイドラにも、ニーナにも気付かれぬうちに。


「っあ!」

 やがて押し負けたニーナの体が弾き飛ばされ、地面に叩きつけられると同時に砂埃を巻き上げる。体中を駆け巡る痛みに耐えながら、ニーナは数回吐き出す様な咳を繰り返した。


 しかし呼吸を整える暇はない。一瞬で影に覆われた頭上に目を向け、ニーナの体が強張った。

 ダリアラの背後で、満月を携えた空の色が定まらない。この足の重みは緊張や疲弊によるものではなく、巨大化していく空間の歪みがそうさせているのだろうとわかった。呼吸がなかなか落ち着かないのも、空気が徐々に薄くなっているから。この世界の終焉は、もう目前に迫っているのだ。


 ダリアラを中心に無数の山吹色が矛となり、ニーナの命を狙う。

 見上げた先にいるのは、これまで何度も恐怖を植え付けられ、絶望を嫌というほど感じさせられたアレクシスとしての姿の兄。


 しかしその存在に、この時不思議とニーナの恐怖心が煽られることはなかった。


「ダリアラ様……」

 ゆっくりと上半身を起こして、ニーナは真っ直ぐにダリアラの瞳を見上げた。


 これまで気付けなかった兄の孤独から、今度こそ目を背けてはならない。

 ただそれだけが、ニーナの思考を繋ぎ止めていた。


「……」

 永遠にも感じられたその一瞬の間、ニーナはここ数年で最も長く、最も凝然として、兄の表情を眺めていた。呼吸すら忘れて、不躾なほどに。


 ニーナの意識が、研ぎ澄まされていく。

 もう一人の兄によく似た顔立ちに、笑みはない。


「……ろ」

 ニーナは気付いていた。


「やめ、ろ」

 自分がここへ戻ってきてから、彼はずっと苦しそうだった。


「見るな」

 ダリアラはずっと、泣きそうな顔をしていた。


「そんな目で、俺を見るな!!」


 遠くで自分の名を叫ぶ少年の声が聞こえた。そんなエリィの声をかき消すかのように、無数の矛先がニーナを狙い、ダリアラの声に答えて空を切り飛翔する。


 重い体は、座り込んだ足は、ほんの少しも動きそうにない。迫りくる無数の危機を前に、ニーナはただダリアラから目を逸らさずに居た。

 彼女の近くをかすめた矛が髪を切り落とし、腕や太もも、頬の皮膚を切る。重量を感じる音と共に、矛先が地面に届き砂埃を舞う。

 それでも、ニーナの意識が途切れることは無かった。


「…………」

 猛攻が終わり、痛みに顔を歪めていたのはダリアラだった。

 見えない痛みが、彼の表情をそうさせていた。


 彼が飛ばした全ての矛はニーナの急所を捉えることなく地面へと突き刺さり、山吹色の粒子へと変化し消えていく。

 幼子のように意味のない言葉を吐き捨てながら、ダリアラが額を抑えた。


「もう終わりにしましょう! ダリアラ兄様!」


 そんなニーナの言葉に意識を奪われ、背後から迫った脅威への反応がほんの少し遅れてしまった。ダリアラは振り向きざまに翼を広げ空中へと逃亡を図るが、ヨルはそれを許さない。


「っぐ!」

 むしろ翼を広げたばかりに、ヨルの鎌は嬉々として巨大化した的を捉えた。切り落とされた漆黒の翼から、黒や紫に近い色をした血液が溢れ出る。


 落下中に体制を立て直したダリアラだったが、彼の靴裏が地表に触れた瞬間、その細く長い脚をニーナの回し蹴りが掬った。ぐらりと体制を崩したダリアラは、それでも反撃の手を休めずに再び山吹色を集めていく。


 その時、ニーナの視線が、遂にダリアラから外された。

 彼女の視線を追いかけ振り向いた先で、少年と目が合った。


「お前――」

 山吹色の花弁はダリアラの思い描く形を成すよりも先に、そこに居た少年の手によって消え失せてしまった。


 いや、正しくは還っていったのだろうか。

 本来の主人の元へ。


「エリィ!!」

 彼を信じた誰もが、この瞬間に居合わせた誰もが、その名を呼んだ。


 エリィは衝動のまま、ダリアラへと手を伸ばした。

 身体中から溢れ出る熱の正体を、エリィは昔から知っていたような気がした。

 自身がエリィとして生まれ落ちるよりも、ずっと昔から。


 意識を保て。飲み込まれるな、このうだるような熱さに。

 力を籠めろ。身を任せるな、この心地よい浮遊感に。


 二人のアレクシスの指先が触れ合い、しかしダリアラの手が何かを掴むことはない。

 エリィの細い指は彼の手のひらをかすめ、その手首を握りしめた。


「変われ! アレクシス――――!!」


 エリィがダリアラの腕を引く。

 彼の力に答えるように山吹色が吹き荒れ、やがて薄紫へとその色を変えていく。

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