その純白は希望
繰り返し、何度も見てきた夢があった。
自分は純血のアンジエーラ族で、誰もがこの背から生える巨大で美しい純白の翼に憧れていた。
三兄弟は仲睦まじく、誰が声をかけるわけでもなく集まって、毎日のように午後の茶会を楽しんだ。
「なあにーちゃん、今度××国から来る交換留学生のことなんだけど……」
王である自分の右腕として、弟はよく動いてくれた。元々真面目で頭の回転も速い子だった。少しさわりを教えれば、あとは自分から興味を持って積極的に勉強に励んでくれている。
「兄様、庭の薔薇がもうすぐ咲きそうなんです。綺麗に咲けたら、今度兄様のお部屋に持っていってもいい?」
「なんだよステラ、俺の部屋にもくれよ」
「ハイドラ兄様はすぐに枯らしてしまいそうだから嫌よ」
妹は才色兼備の麗人だ。最近は弟と共に外交について学んでいるらしく、その為か二人の仲も今まで以上に近づいているように思う。
二人はこの国にとっての自慢で、そして私自身の最愛だった。
「どうしたんだよ、にーちゃん。にやにやしてさ」
そんな二人の様子を眺めていると、決まって弟が気恥ずかしそうにこちらの様子を指摘する。
「いいや、なんでもないよ」
私は手にしていたティーカップに口を付ける。
二人のたわいのない会話を聞きながら、こうしてただ時を過ごすだけで良かった。
「何言ってんだ。なんにもねェわけ無いだろ」
しかしそんな幸せは、必ず終わりへと導かれていく。
口の中に含んだ液体は、どろりと生暖かかった。
「そうですよ。こんな都合の良い夢を見て――」
「いつまで、家族ごっこを続ける気だよ?」
二人の表情が漆黒に染まり、朗らかな景色が崩れ落ちていく。
並んだ菓子も、手にしていたティーカップも、腰かけていたアイアン製の椅子も、何もなくなって。
やがて私は、現実世界で目を覚ます。
思うように動かない身体と、痛いほど脳裏に刻まれた自身の宿命が、夢は夢のままなのだと私に告げた。
その度に、夢での出来事を忘れようと頭を抱えた。自身へ言い聞かせるように、何度も何度も繰り返した。
わかっている。そんなことは。
私にできることは、ただ、彼らを救うこと。そのための命なのだということを。
* * *
「お前……ッ、お前ェ!!」
言葉が続かない。言いたいことがありすぎて、何から言えばいいのか分からない。
「ニーナは、ずっとお前を! なのに、それを……ッ!」
生まれてからこれまで、こんなにも黒に渦巻く感情を抱いたことはない。自分は今にも血管が切れそうだというのに、なぜこの男は笑っている――?
「不服そうだな」
ダリアラの声が、エリィの感情を逆撫でた。
「っ、!」
彼の手首を掴んだダリアラの手のひらが、身震いするほどに冷たい。およそ人の力とは思えない握力で手首を握られ、少しずつエリィの指先から感覚が消えていく。その腕は少しずつエリィの体を押しやっていき、エリィの踏ん張りもむなしく徐々に二人の距離が開いた。
このまま離れてしまうわけにはいかない。どうにかこの感情をぶつけようと、エリィが再び息を吸ったとき。
その呼吸はうめき声となって、苦悶の表情を浮かべたエリィの口から零れた。
「が……ッ!」
ダリアラの靴の裏がエリィの腹部を直撃し、折りたたまれるようにエリィの体がしなって吹き飛ばされる。背中から地面に叩きつけられたエリィは一瞬で肺の中のすべての空気を失い、更に衝撃で内臓が切れたのか血液さえ吐き出した。
「お別れだ」
一瞬火花のような光が飛び交った視界の中心で、漆黒の翼を従えたダリアラが立っていた。差し出した手のひらはエリィの手を待っているのではない。どこからか生まれる山吹色の花びらが、その手に集い、剣の形をなしてゆく。
剣先がエリィに向けられ、振り上げられた。
彼の背後に見える満月が、エリィに終焉を告げる。
走馬灯の様に、この数日間の記憶がエリィの意識を飲み込んだ。ハイドラやフランソワ、ゲルダ、ヨル、ジェシカ、そしてニーナが、彼を温もりへと誘う様にほほ笑んでいる。現実と夢が混ざり合うような世界を前に、エリィは時が止まるような感覚に陥った。
彼を完全に現実から切り離すかのように、迫り来る剣先をエリィの視界から遮るように、純白の羽根が一片、はらりとエリィの鼻先を舞ったように見えた。
それは彼を『救済』へと誘う走馬灯の中のニーナの物であり、同時に彼が酷く傷つけ、一人で戦場へと向かっていったニーナの物でもあった。
ひらひらと舞い落ちながら確かに時の進みを告げている美しい羽根は、やけに鮮明にエリィの視界に映り込み、その意識を惹き込んだ。
「…………まだ、だ」
絶望の淵で、エリィはゆっくりとその純白へと手を伸ばす。
「まだ、諦めねえ」
走馬灯の先で、追体験したアレクシスの記憶が呼び覚まされる。
彼の決意と決断は、その存在が尽きるその一瞬まで、折れることは無かった。
彼の声が、エリィの心を読むように訴えかけてくる。
何のためにここに来た? オマエは、何を決意した?
この世界も、皆のことも、守るんじゃないのか
納得のいく答えを、見つけたんじゃないのか
姿の見えないその声の主が、エリィの背中を叩く。
もう一人の『アレクシス』として。
『魔女の使いのエリィ』として。
自分にしか出来ないことを為すために来たのだ。
まだ、果たせていない。まだ、なにも。
そうだ。まだ――
「まだ、終わってねェ!!」
背中に触れていた温もりが離れたと同時に、指先に触れた純白の柔らかな感覚がエリィを現実へと引きずり出した。
崩壊した城、闇に染まる空、迫り来る死の中心に、その純白は確かに存在していた。
「――そうよ、エリィ」
聞こえた声が、福音のようにエリィを包み込んだ。
細い腕と美しい純白の翼がエリィを背後から抱き、危険に近寄らせまいと引き寄せる。
「まだ、終わってない」
それは確かに、エリィを絶望の淵から引き上げる。