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魔女の使いは戦わない  作者: 柚月 ゆめる
9章 いつか、大魔王になる少年【ベテルギウス突入編】
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望まれないヒーロー

 その月は巨大化を続けているのか、それともこちら側が近づいているのか。終焉を目の前にしたこの世界にとって、それは些細な違いだった。

 ダリアラは、自身の肉体が徐々にこの世界と同化していくのを感じていた。自身という外界との境界線が曖昧になっていく感覚。空間に溶けていくような、空間を吸収していくような、まるで羊水に浸るような心地よさとともに、異物を飲み込み消化していく強い胸焼けにも似た感覚を。


 そんな彼の元へ、焦りの滲む足音が近づいてくる。やがてその足音が彼の数歩先で止まると、ダリアラは待ちわびていたかのように微笑み、足音の主を迎え入れた。

「ようやく来たのか、我が半身。……この世界の、救世主よ」


 ヒーローと呼ばれるには、あまりにも不釣り合いな登場だとエリィは思う。山道の散策であればお手の物だが、長距離走は専門外だ。酸欠で脳が働かない。汗が滴り目に染みる。筋力の足らないふくらはぎが締め上げられるように痛い。肩を上下に揺らしながら、収まらない動悸と格闘する。


「どうやら私は、すっかり悪役のようだな」

「う、るせ……」


 余裕な様子のダリアラに、荒れた呼吸の隙間でどうにか悪態を返す。

 トレーニングという言葉は嫌いだが、今後の日課には組み込む必要がありそうだ。そうしたらヨルも巻き込んでやろう、ニーナも呼んでしまおう。トレーナーはゲルダが喜んで引き受けてくれることだろう。

 そんな日常が、この先もあればの話だが。


「……して、なにをしに来た?」


 わざとらしく肩をすくめるダリアラの瞳が、金色に輝いた。少しずつ呼吸が落ち着いていくと共に、エリィの脳内が澄んでいく。

 無我夢中で駆けた道中、本当に多くのことを考えた。ジェシカやヨルから聞いた過去の出来事、これから先の未来のこと、ニーナと出会った日のこと。

 そしてダリアラと、自分自身のことを。


「俺は――」

「この期に及んで『皆を守りに』、などと言うつもりでは無いだろう?」


 エリィの呼吸が止まる。

「今更、一体何を守ると言うのだ」


 その落ち着き払った声が、エリィの焦燥をより一層駆り立てる。

 彼と対峙しているだけで体中に鳥肌が立つ。それでもエリィは、ダリアラから視線を外さなかった。


 空間のうねりに逆らう様に、エリィは奥歯を噛み締めて一歩前に出る。

「うるせえ」

 エリィの短い一言に、ダリアラの眉が動く。


 ここまでの道のりで、エリィは地面に倒れ込む幾人もの騎士と兵士たちの姿を目にした。いくつもの血痕を見てきた。その全てが、既にダリアラとの戦闘は一段落がついていて、その結果は彼の勝利であったという事実を物語っていた。自分が悩み、立ち止まっていたあの間に、彼らは勇敢にもこの世界の敵に立ち向かっていたのだ。


 答えを出すのが遅すぎたことは、誰よりも彼自身が自覚している。

 だが、そんな時間を取り戻すために、エリィはここへ来た。


「俺はもう、逃げねえって決めたんだ」

 その先で、どんな非難を受けようとも――。


「そうか」

 そんなエリィの決意を嘲笑うかのように、ダリアラは短く答えた。微笑を浮かべるその表情からは、慈悲を感じない。まるで物分かりの悪い子供を相手にしているかのようだ。


 ダリアラの視線がふとエリィから外れた。ほんの些細な変化の原因は、自らその存在を主張する。

「――エ、リィ」


 背後で聞こえたか細い声に、エリィの息が止まる。

 振り返った先に、白の衣服を赤黒く染めた知り合いの姿があった。


「フランソワ?!」

 普段の彼からは想像もつかないほどに乱れた髪が、小さな声が、この地で起きた異常をありありと体言している。駆け寄ったエリィがその傍に駆け寄り膝立ちになると、フランソワは苦しそうに眉をひそめた。


「なんでこんな……! 痛ぇよな? 大丈夫……、じゃねえと思うけど、とりあえず生きてるんだよな?!」

 最早どこが傷口なのかもわからない程、彼の体の至るところが血液と砂埃で汚れていた。変に触ると一層痛むかもしれない。エリィは行き場の失った両手を空中に泳がせる。

 普段のフランソワであれば、そんなエリィの行動に茶々を入れたかもしれないが、今の彼にそんな余裕はない。フランソワは紫に変色した唇を動かし、その吐息が言葉を成すまでに何度か咳き込んだ。


「僕は、平気だ」

 混乱の中で小さく胸を撫でおろしたエリィは、少しでも安全な所へ彼の体を移そうと周囲へ視線を向ける。そんなエリィの姿を見上げながらフランソワが奥歯を噛み締めると、小さな歯軋りが響いた。


「どう、して」


 フランソワの声が、震えている。少しでも傷に響かないようにと気を使いながら、エリィが彼の体を起こそうとした時。フランソワは残っていた力でぐっと彼の体を押し返した。


「どうして、来たんだ!」


 その声が、悲痛な表情が、エリィの動きを止めた。

 それは、彼が覚悟していた非難ではない。

 エリィの身を案ずる、友人としての声だとすぐに理解した。


「……」

 なんの言葉も返せない。行き場のないこの感情に、エリィは名前を付けることが出来なかった。


 遅すぎると鼻で笑われた方が、幾分か救われたかもしれない。

 ここに来たのが自分ではなくジェシカだったなら。フランソワは安堵の表情を浮かべ、彼女にその身を預けたのだろうか。


「――ごめん」

 この謝罪が一体誰に向けてのものなのか、何に対してのものなのか。

 そんなことも分からないまま、エリィは吐き出す様に呟いていた。


「でも……!」

 溢れそうになる涙を必死にせき止めながら、エリィは自身を奮い立たせるように声を上げた。例え誰にも頼られない存在だとしても、期待なんてされていないとしても。

「俺はもう、逃げたくないんだ! 俺が、守るんだ! っ、だから!」


 再びフランソワの歯軋りが聞こえた。彼も朦朧とする意識の中で、必死にエリィへと伝えるべき言葉を探している。浅い呼吸を繰り返しながら、ゆっくりと瞬きを繰り返す。


「……違うんだ、エリィ」

 フランソワの視線に合わせて、エリィの視線が誘導されていく。

「申し訳、ない」

 彼の呼吸が浅くなる。言葉を紡ぐことを、彼の身体が拒否しているかのように。


「君が来てくれる、まで……。守り、切れなくて」


 見た先で横たわる赤黒い塊が、知り合いの身体だと気付くまで。

 エリィは数秒の時間を有した。


 エリィの体から力が抜けていく。

「ハ、イドラ……?」


 血だまりの上でうつ伏せに倒れこんだハイドラは、返事を返さない。蔓延る死の香りが一気にエリィの体内を蝕み、彼の体を芯から凍えさせていく。


 嫌な水しぶきの上がる音がした。

 ハイドラの頭のすぐ脇を、その血だまりを踏みつけて、ダリアラが笑みを浮かべていた。

「さあ、改めて教えてくれ」

 冷ややかなその笑みが、柔らかな物腰のその声が、恐ろしい。

「お前は今から、一体何を守るというのだ?」


 そして気付いた。

 その場にいない、彼女の存在に。


「……ニーナ、は」


 ここに、来ているはずだ。居ないはずがない。

 震える体を押さえつけながら、湧き上がる悪寒に背を向けながら、エリィが問いかける。

 ダリアラは手を顎に当てわざとらしく思考するような動作をして見せた。すぐに何かを思い出したように短く声を漏らし、その口角をさらに上げて、ほんの少し笑い声さえ漏らして答えた。


「この先だ」

 彼の示す先は、空白だ。


「堕ちていったよ、私の手によって」


 まだ間に合うと奮い立たせた自分の決意が、音を立てて崩れていくのが分かる。

 例えその時、自分にできることなど何も無かったとしても。

 その場に居合わせることも、抗うことすら、出来なかったというのか。


 自分の決断が、遅かったせいで。


「――――!」

 エリィの喉から絞りだされたのは、言葉にならない悲鳴だった。考えるよりも先に体が動く。どうにもならない怒りが、不甲斐なさが、衝動となって彼の感情を掻き立てた。


 弾かれるようにダリアラへと駆け、その胸ぐらを両手で掴む。

 それでもダリアラは笑みを絶やさぬまま、エリィの双眼を真っ直ぐに見つめていた。

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