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魔女の使いは戦わない  作者: 柚月 ゆめる
8章 愛されなかったこの世界で【ベテルギウス突入編】
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最後の慈悲

 ダリアラは一度剣を降ろし、軽蔑を含んだ瞳でニーナを見下ろした。

「それ程までに大切か? あの人間が」


 ダリアラの記憶の中にある彼女の瞳には、尊敬と小さな畏怖、そして慈しみが含まれていたはずだ。

 そんな妹の姿は、今、この場のどこにも無い。


「神に成り損なった人間に、一体何の価値がある?」

 山吹色の剣が、ニーナを挑発するようにはらはらと花弁を散らしている。何の抵抗もなく、ただ崩れかけた床へと落ちて、赤と黒に染まっていく。


「お前が庇い、信じ、慈しみを向けるだけの価値が、あの男の何処にある?!」


 びりびりとニーナの皮膚が痺れた。今のダリアラに抱く感情は、恐ろしさだ。ジェシカの屋敷で、ヨルに感じたものとよく似ている。得体の知れないものを前に、体が竦む感覚。


 それでも立ちすくみ、膝を折り、首を垂れては駄目だと、ニーナは自らの意思を奮い立たせた。

 怒りのままに、ニーナは兄の姿を見つめ続けた。


 自分が選ぶと、決めたのだ。

 たとえ兄を、独りにしたとしても。


「……不愉快だ」

 無言を貫き通したニーナへと、ダリアラは短く言葉を吐き捨てた。ニーナの腕を掴み、彼女の体を引き寄せる。


「おい!」

 その一瞬の間に、彼女の体を繋ぎとめる力など、ハイドラには残されていない。それでも咄嗟に伸ばした腕が、これまでに作った傷の存在を主張し激痛を訴えた。


 痛みにしわを寄せたハイドラの眉間を、ダリアラの低いヒールが蹴り飛ばす。


「ぐ……ッ!」

「ハイドラ様!」


 顎を掴まれ、ハイドラへと無理やり向けられたニーナの視線が、強制的にダリアラの瞳へと吸い込まれる。

 今お前の前に居るのは誰だ、と。その瞳が問いかけている。

 恐ろしいほどに美しく、深い金色が、ニーナから声を奪い去った。


「お前は何か、勘違いをしているようだな」

 彼の周りを、山吹色の花弁が舞っている。夜空を彩る、星々の様に。


「魔法とは、神の力。愚かにも人間に近づきすぎた神が、人間へ与えた武力に過ぎない」


 芯から体が凍り付くような殺意だった。顎を掴んでいた彼の片手が離れ、何かを呼び寄せるような動きを繰り返す。


 花弁となっていた山吹色が、その動きに答えるように、彼の手の内で再び剣の形を生成していく。

 鋭利な刃物は、たった一突きでニーナの命を奪い去るだろう。

 主観的にも、客観的にも、そんな一寸先の未来は簡単に想像することが出来た。


 丸腰の自分は、この力を前に、圧倒的に無力だ。


 ニーナへと見せつける様に、山吹色の剣を降り上げる。ダリアラの声に答え、彼の肌に浮かぶ幾何学模様の輝きが増していく。


 殺される。

 そうわかっているというのに、ニーナの体は抵抗を躊躇った。


(……この違和感は、何?)


 例え希望的観測なのだとしても、この違和感に目を背けることが出来ない。

「私が教えてあげよう、ニーナ」


 この数日の間に、何度も何度も経験した殺意だ。今更、勘違いなどあってなるものか。

 そう頭では理解しているというのに、どうしても、心の底から恐怖に身を捩ることが出来ない。


「これが、神の力の――。お前の言う()()の、あるべき姿だ」


 有無を言わさぬ圧力に、ニーナの体が竦んだ。

 ニーナの瞳が絶望に歪む。だというのに、残された違和感は、執拗に彼女の意識を飲み込んでいく。


 違和感の正体をつかみ取ろうと見上げた先のダリアラが、微笑んでいた。

「……!」


「――ふざけるな!!」

 ダリアラの腕からニーナの体を無理やりにはぎ取ろうと、ハイドラが腕を伸ばした。

 その瞬間を、ダリアラは待っていた。


「まさか……!」

 ニーナはようやく、違和感の全てを察した。


「駄目、ハイドラ様!」


 ダリアラは、ハイドラから引き離すように、ニーナの体を投げ捨てる。

 永遠のような刹那に、ニーナの体が冷えていく。伸ばした手が、ハイドラの指先をかすめ、遠くへと離れていく。

 ハイドラと絡めた視線が、山吹色の一太刀で絶たれた。


 ハイドラの意識が、真白に染まった。音のない世界に、突然放り込まれたかのように。

 どこか遠くで、なにかが落下する音が聞こえた。その鈍い音が、ハイドラの意識を現実へと引き戻す。


 状況を理解して、真実を理解して。

 押し寄せる荒波のように、彼を痛みが襲う。


「――――!」

 言葉にならない悶絶。ハイドラの膝が崩れ落ちた。

 右手で痛みの元凶を弄る。


 二の腕、肘、手首、そして指先。

 あるはずの腕が、無い。


「嫌あぁぁぁぁぁッ!!」


 背後から聞こえてきた悲鳴が、確認したばかりの現実を、更に肯定したようだった。

 痛みに視界が霞んでいく。もうなにも、考えることが出来ない。


「ステラ、リリア」

 自分の声すら、聞こえない。


「逃、げ――」

 ハイドラの体が傾いて、血に染まった地面に倒れ込む。


「ハイドラ様ぁッ!!」

 震える足が駆ける。それでもニーナの体が、朱色に染まりゆくハイドラの元にたどり着くことは無かった。


「これで解っただろう」

 再び拘束された体が、ダリアラの手を拒んでいる。


「嫌、離して!」

「期待など無駄だ。この状況を見て、まだわからないのか?」


 怖い。視界が赤に染まる、この現実が怖い。


「いい加減、現実を見なさい。ニーナ」

 強い力で、引き離されていく。動かない、ハイドラの体から。


「神に愛されなかったこの世界で、調和を失ったこの世界で。力無き人間は、誰もが惨めに混沌へ堕ち、誰もが等しく朽ちてゆく」


「離して、ダリアラ様……!」

 一歩、また一歩と、ニーナの脚が後退する。ダリアラに導かれるまま、連れられるまま。


「故に神は、最後の救済を与えるのだ」


 ぐいと腕を引かれ、遂にダリアラの脚が止まった。

 高所を吹き荒れる強風が、冷えたニーナの体から更に体温を奪う。対面したダリアラに、ニーナは言葉を見つけることが出来なかった。


 ただ一つだけわかったことは、今度こそ、彼の瞳に先のような違和感はないという事実。


「あ――――」

 これが、本当の終わりなのだと。

 ニーナは圧倒的な力を前に、ただ事実を受け入れることしか、許されなかった。


世界の終焉(神の救済)を、天の上から見ているといい。――これは最後の慈悲だよ。ただ一人の愛しき妹」


 床の感覚が消えた。

 ダリアラの姿が視界から外れ、彼女の瞳が捉えたのは、黒ずんだ空。


 床の縁から、自分は押し飛ばされたのだ。

 そう理解した時には、瞬きをする気力さえニーナの体から零れ落ちて、曇天へと消え去っていた。

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