天使からの依頼
鼠姿のヨルを、自身のベッドの枕元に寝かせた後。リビングルームに戻ったエリィは、二人の少女を前に気まずそうに視線を泳がせた。
「……連れてってやると言った手前、こんな状況になっちまうとは……」
普段エリィがヨル、ジェシカと共に食事を取るこのリビングルームには、長いテーブルと三つの椅子が用意されている。そのうちの一つに腰を下ろしたゲルダが、エリィと顔を見合わせ苦笑した。
「まさか、ジェシカさんがおうちから居なくなってるなんて、思わないもんね」
ニーナからの依頼を聞いたエリィは、二人を連れて屋敷へと戻ってきていた。二人と一匹をリビングルームへ通した後、普段通り姿の見えない主人を探す。しかし屋敷の隅々まで探したものの、ジェシカの姿はどこにもなかったのである。
エリィはテーブルの上に置かれた便箋と手紙を見て、深いため息を吐いた。
それは一度ヨルを回収するためリビングルームに戻ってきたエリィへ、ゲルダがこの部屋で見つけたと差し出して来たものだ。
丁寧に封がされた便箋を開けると、中の便箋には見慣れた筆跡で短い文章が書かれていた。
『信愛なる息子と使い魔へ。暫くの間屋敷を空けます。探さないでネ。偉大な魔女より』
ご丁寧に、文章の最後にはハートマークまで描かれている。
「誰が探すかってんだよ! あの傍若無人ババア!!!!」
苛立ちのままにテーブルを殴ったエリィに、ゲルダの向かいの席に座っていたニーナがびくりと肩を震わせた。
「まあまあ。それで、ヨルちゃんの様子はどう?」
そんなエリィを宥めながら、ゲルダが問いかける。
「さっきは無理させちまったからなぁ。まあ、長くて五日も寝れば元気になんだろ」
体力よりも魔力を活動源としているヨルにとって、無茶な能力の使用は体調の悪化に直結することをエリィはよく知っている。
ただ眠りについているだけのように見えて、今の彼は寝返りをうつ体力すら残ってはいないはずだ。
「そんなことより、さっきは驚いただろ? 俺も詳しい話は聞いてねーけど、ただの喋る鼠じゃねーんだぜ、俺の相棒はよ」
どこか誇らしげにそう言ったエリィに、ゲルダがふっと口角を上げる。
「不思議なザデアスなんだね。最近は個体数が少なくて、あまり知られてない種族も多いからなあ。ヨルちゃん、早く元気になるといいけど……」
心配そうに腕を組んだゲルダの前で、ニーナが視線を下ろした。
「……ごめんなさい。私が、話も聞かずに……」
鞘に納めた剣を脇に置き、ニーナは両手を膝の上で握りしめている。困ったようにゲルダへと視線を投げかけたエリィだったが、救いを求められたゲルダはわざとらしく首を傾げて見せた。
普段、こういった時はヨルが何かしらの対応をしてくれているのだが。エリィは言葉を探しつつ、内心頭を抱えた。
「あ~、あのさ。ヨルのことなら良くある事だし、そんな気にすることねーって! それより、こうなったらあのバ……ジェシカは、いつ戻ってくるかわかんねーんだ。わざわざ呼んだのに、ごめんな」
軽く頭を下げるエリィに、ニーナは顔をあげて首を振る。
「い、いいえ。いいの。私の方こそ、突然押しかけてしまってごめんなさい。事前に連絡をすべきだったのよね」
「いやいや、そんな謝んなって……」
微妙な空気が生まれてしまい、再びエリィは睨むようにゲルダへと視線を投げつける。
どうにかしてくれと早口で口を動かした幼馴染へ、仕方がないなと言う様に腰を上げかけたゲルダだったが、彼女がなにかを言うよりも先に、再びニーナがその口を開いた。
「あなた、エリィだったわよね」
「おぇ?! あ、ああ! ゲフン、……そ、そうだけど」
突然のことに動揺を隠しきれなかったエリィが、どうにか平然を装ってニーナに答える。彼女は改めて、エリィへとその体を向けていた。
「その、これは、私の我儘……なのだけれど。私一人でこの国を散策するのには限界があるわ。だけど私は、『アレクシス』を少しでも早く見つけなくちゃいけないの。出来ることならば、魔女ジェシカの帰りを待ちたいのだけれど、待っている間の時間が惜しい」
先ほどゲルダが言っていたように、ニーナにとってこの国は右も左もわからない未開の地。だからこそ彼女は最初に『アレクシス』ではなく、ジェシカを探したのだろう。
彼女にとって、頼みの綱だったはずの相手を。
「……だから。魔女の使いであるあなたに、依頼しても構わないかしら」
ニーナの瞳に宿る決意の中に、様々な感情が混在しているのが、エリィにも伝わってくる。
感じたことのない圧力だった。
エリィはほんの一瞬、その空色の瞳に魅入られる。
そして同時に、何よりも、その言葉は彼の胸を高鳴らせていた。
彼女は、自分に依頼をしているのか?
(ジェシカじゃなくて、この、俺に……?)
「……エリィ?」
再び名を呼ばれ我を取り戻したエリィが、再度咳払いをして頷いた。
「おう、任せろって! その依頼、魔女の使いが請け負った!」
握りしめた拳でドンと胸を叩く。何とも言えぬ高揚感が、エリィの脈拍を速めていた。
エリィの言葉に、ニーナの表情がふっと和らいでいく。
そんな二人のやり取りを微笑ましそうに眺めていたゲルダが、両手の肘をテーブルについてニーナへと声をかけた。
「よっし、話はまとまったね! ねえニーナ、もしよかったら、私にもその依頼の詳しい内容を聞かせてもらえないかな」
「え?」
意外だったらしい進言に、ニーナの目が丸くなる。
「私はジェシカさんのお使いじゃないから、もし嫌ならこの部屋から出ていくよ。でも、ある程度の人脈は持ってるつもりなんだ。少しでも君の役に立てるかもしれない」
彼女の人脈の広さはエリィも知るところだ。ジェシカに頼れない今、確かに彼女の力添えがあればこれ以上の心強さはないだろう。
エリィは普段ジェシカが座っている中央の椅子に腰かけると、答えを求めるようにニーナへと視線を向けた。
ニーナはほんの少し考えた後、小さく首を左右に振った。
「嫌じゃないわ。ただ、なるべく『アレクシス』の名前は出さないように探してほしいのだけど……、お願いできるかしら」
ゲルダの表情がぱっと明るくなる。
「うん、わかった。あくまでも、私はエリィとニーナのお手伝いをするだけ! あんまり派手に動かないようにするね」
ありがとうと答えたニーナが、一度座り直して息をついた。
窓の外は既に夜の闇だ。街路樹を揺らす夜風の音を背景に、エリィはニーナの言葉を待つ。
「五十年前に起きた天変地異のことは、二人とも知っているわよね」
予想外の切り出しに、エリィは数回睫毛を瞬かせた。