寝取られたと勘違いされた賢者は覚醒する
幼い頃からずっと一緒にいた幼馴染。
『アレク、わたしが あなたを まもるわ!』
男勝りで、虐められていた僕をいつも助けてくれた女の子。
僕は彼女が好きだった。想いが通じ合ったときは嬉しかった。
村を出て冒険者になってからは肌を重ね、愛し合う仲になった。
『アレク、私があなたを幸せにしてみせるわ!』
男前な性格は昔から変わらない。
そんな彼女に甘えていたのだろうか。
『アレク……私、妊娠したみたいなの。だからね、今回のダンジョン探索が終わったら――』
目の前で彼女の唇が奪われた。
『お前のガキじゃないぜ?』
マリーに接吻したのは所属するギルドの仲間だった。
ギルド長の覚えめでたい優秀な剣士。
『なッ!?』
彼女は俯いていた。
『ど、どういうことなの……マリー?』
『…………』
彼女は何も答えない。
『そういうことなんだよ、悪いな。彼女のオマケだったお前には、もうギルドに居場所はない。マスターもお前を引き留めないと思うぜ?』
彼女の肩を抱いて立ち去る男を僕は呆然と見送った。
僕はギルドを抜けて、故郷に帰った。
幸い、貯金はかなりある。マリーとの将来のために貯めたお金。
人生の意味を失ったかのような喪失感に襲われた。
傷心の僕の側にいたのは妹だった。
血は繋がっていないが、実の妹のように可愛がっていた女の子。
彼女が僕を慰め、支えてくれた。
現金なものだと思う。あんなにマリーのことを愛していたのに、僕はクロエと肌を重ねた。クロエの嬉しそうな顔を見ていると、僕の心も温かくなった。
僕はクロエと結婚することにした。
両親や村の皆が祝福してくれた。マリーの両親は「娘がすまなかった」と頭を下げてくれたけど、彼女に恨みはなかった。想いと一緒に捨ててしまったから。
結婚式は村の教会で行った。幸せだった。
披露宴も滞りなく進み、お色直しのために僕たちは席を外した。
僕の準備が終わり、あとは彼女を待つだけだった。
しばらく時間が過ぎても、彼女が戻って来ない。
付き添いで彼女と共に部屋に入った者からの連絡もない。
何か不都合があったのか?僕は彼女の許に向かった。
部屋をノックするが返事がない。
ドアノブを握ると鍵が掛かっていなかった。
一言、断りを入れて僕は扉を開いた。
真っ赤だった。
一面の、赤。
嗅ぎなれた血の匂いに思考が切り替わり、室内の状況を把握する。いや、把握してしまった。
胸から血を流し倒れているのは、クロエの着替えの手伝いをしてくれた村の娘たち。何が致命傷なのか分からないほどの状態で事切れた両親。そして、紅く染め上げられた純白のドレスを身に纏い、倒れ伏した誰か。
彼女だけ、首が無かった。
ようやく手に入れたと思った幸せが音を立てて崩れていく。
不意に、背後に人の気配がした。
「アレク、私が何とかするわ」
僕が最も信頼していた彼女の声。そして、ここに居るはずのない声。
彼女は血まみれで何かを抱え、いつもと変わらない顔で笑っていた。
そんなマリーの姿が、何か得体の知れないモノのように見えた。
頭が状況に追いつかない。
どうしてマリーがここにいるのか。
僕を捨てたのではなかったのか。
どうしてどうしてどうしてどうして……
クロエの頭を抱えているの?
◇ ◇ ◇
私はアレクさえ居れば何も要らなかった。
あなたが私を幼馴染としてしか見ていない頃から、ずっと好きだったの。
彼を虐める者は誰であろうが赦さない。
私を受け入れてくれたときは、涙が溢れた。本当に嬉しかった。
アレクが冒険者になりたいっていうから、私も冒険者になった。
彼は剣士、私は〈賢者〉と呼ばれるほど莫大な魔力を持つ魔法使い。この力があれば彼を守ることができる。でも、アレクはギルドに憧れていた。だから、大手ギルドからの勧誘もアレクのために受け入れた。本当は二人で冒険したかったけれど……。
アレクは決して弱い訳ではない。ただ、大手ギルドだけあって新人も粒揃いだ。アレクよりも優れた剣士もいた。名前は知らない。憶える気もない。馴れ馴れしい態度が鬱陶しいし、妙に付き纏ってきて面倒くさい。そんなことよりも、アレクとの関係が進んだことが嬉しかった。アレクに包まれて幸せの絶頂。することは勿論していた。だから私は、妊娠した。真っ先にアレクに伝えたくて彼の許に向かった。
他人はどうでもいい。だから私は周囲が見えていなかった。
「アレク……私、妊娠したみたいなの。だからね、今回のダンジョン探索が終わったら――」
不意に横合いから顎を掴まれ、唇を奪われた。
混乱している間に舌を捻じ込まれ…何かを飲まされた!? 急激に酩酊したかのような感覚に囚われる。意識が掠れ、頭が重い。何かを話しているようだけど、思考が空転して理解ができない。誰かに肩を掴まれ、連れられて行く。あれ? 私アレクに妊娠の報告をしようとしていたのに、どう……して……。
気がつくと私はベッドに押し倒されていた。アレクではない男に。
虫唾が走る。殺したい。男の股間に蹴りを入れた。
立ち上がり、途切れる意識を何とか繋ぎ止めて魔力を練ろうとするが霧散する。集中ができなくて魔法が発動できない。名残惜しいけど、蹲る男が復活したら厄介だ。私は身体を引き摺り、その場を離れた。
次の日は最悪の目覚めだった。何があったのか正確には把握できていないけれど、アレクの目の前で唇を奪われたのは憶えている。アレクの誤解を早く解きたいのに、今日はダンジョン探索がある。私は先発でダンジョンに向かわないといけない。アレクは後発で補給物資を運ぶから準備で忙しい。ダンジョンで合流したときに頑張ろう……ぐすっ……。
あんな事があったのに男の態度が普段通りだった。殺したい…が、仲間の前だから自重した。後でアレクに引かれるのが怖い。もうっ! なんなのよっ! ダンジョンの上層は私が魔法で一掃した。怒りを魔物にぶつけまくった。ギルマスが苦笑いしていたけれど、どうでもいい。早くアレクに会いたい。後発組が到着し、アレクの姿を探す。アレクが見当たらない。不安になってギルマスに聞くと「彼なら昨日、ギルドを辞めたよ」と告げられた。
「どうして彼が辞めたのを私に教えてくれなかったのですか!?」
「アレクがブラスと幸せになって欲しいと言っていたからな。最近はブラスと一緒にいることも多かっただろ? アレクと不仲という噂もあったから、そういうことなのかと……違ったのか?」
どうしてそんなことになっているのよっ!! というかブラスって誰よ! 初耳よ!! ……アイツなの? あのチャラいクソ剣士。強引にしても受け入れてくれるって勘違いしていない? 下手にモテるから質が悪いわね。
「勘違いですね。このまま帰ってもいいですか? アレクを追いかけたいので」
「まてまてまて。いま抜けられると困る。せめてダンジョン探索が終わってからにしてくれ」
「数か月も掛かりますよ!? アレクが寂しい思いしているかも知れないじゃないですか!!」
「本当にすまない。戻ったらアレクの捜索もギルドとして協力する」
「……納得はいきませんが、このギルドにはお世話になりました。最後の仕事と思って頑張ります」
「辞めるのか? アレクを連れ戻すという選択は……」
「嫌です」
「……そうか」
ギルマスが残念そうな顔をするが、落ち込みたいのは私だ。
笑顔の男に対する殺意を抑え、ダンジョンを攻略していく日々。
ようやくダンジョン探索が終わり、地上に戻ると半年近い月日が流れていた。
ギルマスを脅し、アレク捜索をしようとしていた矢先。両親から手紙が届いていた。手紙の内容は、アレクが村に戻って来たこと、私に対する文句。そして、アレクが近々、クロエと結婚する……は? ちょっと待って。私はアレクが好き。アレクも私のことが好きなの。クロエがアレクのことを慕っていたのは知っていたけれど、兄としてじゃなかったの? 逸る気持ちを抑え、故郷に向かう。約束通りギルドは抜けた。
そして、私が目にしたのは幸せそうな顔をしたアレクとクロエの姿だった。結婚式……か。何よ、これ。もう手遅れじゃない……。何て言えば良いのよ……今更、勘違いだよって言えるの? お腹にあなたの子どもがいるのって泣きつくの? 私が彼の幸せを壊す。冗談ではない。私はあなたとの幸せを守りたかっただけ。私もクロエのことは妹みたいに可愛がっていたから、これで幸せになれるならもう……。居場所、無いなぁ……。私は結婚式の様子を遠くから見続けた。
お色直しで席を外した彼らを見届け、私はその場を離れる。辛すぎた。私が居なくても幸せになれるじゃない。こんな惨めな姿、見られたくなかった。もう此処には帰って来ない方が良いだろう。私は故郷を見納めるために歩いた。村人はアレクたちの結婚式に行って、閑散としている。目深に外套のフードも被っているし、これなら見咎められる心配もない。何処を歩いてもアレクとの思い出があった。涙が零れる。そんなときだった。息を切らせ走る男の姿が見えた。
「あれは……ブなんとか? アイツの所為で私は……ッ」
どうして此処にいるのかなんてどうでも良い。アイツの所為で私たちの……私の幸せが奪われたのだ。丁度いいわ。此処で殺してあげる。走る男の足を氷の槍で貫いた。
「ぐがッ!?」
「……ねぇ、此処で何をしているの?」
地の底からわき上がるような女の唸り声が聞こえる。
倒れた男は声のする方に顔を向けた。
「マリー……? き、奇遇だな。お前も仕返しに来たのか?」
「意味が分からないわ」
「お前を捨てて、他の女と結婚するんだぞ。赦せないだろ?」
「……あなたが、あんなことしたから、こんなことになったのでしょう?」
「悪かったって。俺もこんなことになるとは思わなかった。行く当てがないんだろ? 助けてく――」
男の頭を貫いた。
痙攣する男だったモノを無視して、手に持っていた袋に目を向ける。魔物の討伐依頼を受けたときに、討伐証明として使う部位を入れる袋のようだ。中身がある……? こんなところで偶然、依頼を受けていたなんて馬鹿なことある訳ない。私は、袋を開けた。
「これは……」
クロエだった。正確には、クロエの頭。可愛い妹のようなクロエ。血で汚れ頭だけになったクロエ。ああ、そうか。
「これじゃあアレクが幸せになれないわね」
私はクロエを袋から取り出し、そっと抱き上げた。クロエがいないとアレクが幸せになれない。私がなんとかしないと。私は片手を自分のお腹に当てる。
「大丈夫、何とかして見せるから」
私は教会に向かった。
新婦がお色直ししていた部屋。血生臭い。背を向け佇むアレクがいた。此処にいたのね。クロエ以外にも犠牲になった者がいるようだが、それはいい。私はいつものようにアレクに語り掛ける。
「アレク、私が何とかするわ」
振り返ったアレクが目を見開いた。
「……マリー?」
「そうよ。私がきっとあなたを幸せにしてみせるわ」
「く、来るなッ!!」
アレクが怯えた表情で私を見つめる。どうして? 私があなたもクロエも救ってあげるわよ?
「私はクロエとのことは祝福しているの。だから安心して」
努めて優しい声で語り掛けるが、アレクは私から離れていく。
机に置かれたペーパーナイフを手に持った。
「アレク、危ないわ。そんな物を持ってどうするの?」
アレクはペーパーナイフで自分の首を切り裂いた。
「アレク!? 何やっているの!?」
首から血を噴き上げるアレクに駆け寄り、止血しようとするが止まらない。治癒魔法でも間に合わない。急速に精気を失い、瞳から光が消える。
「ごめん、マリー。……愛しているよ……クロ……エ」
アレクが息を引き取った。
妙なところで思い切りが良いんだから……。
私は剥ぎ取り用のナイフを取り出し、アレクの首に当てた。
「ちょっと我慢してね」
手早く切断し、アレクとクロエを抱き上げた。
「本当は全身、連れて行きたかったのだけれど」
早く此処から離れないと誰かが来てしまう。面倒は避けたい。
後ろ髪を引かれる思いで、その場を立ち去った。
冒険者を辞めた私は、王都に屋敷を購入した。子どもを産み育てる場所が必要だった。アレクとの結婚生活のために貯めていたお金があったから問題はなかった。王族からの指名依頼も偶に受けていたし、一生遊んで暮らせる程度は貯めた。使用人を雇い、身重になった身体を休めた。
そして、子どもが産まれた。女の子の双子だった。
姉をクロリンダ、妹をアレットと名付けた。
出産後、二人とも全く泣かなかった。産婆は心配していたけれど、私は確信していた――成功したのだと。
私は来世でもアレクと一緒に居られるように、以前から禁術に手を染めていた。転生魔法で魂を保護すれば記憶は失われない。あとは出たとこ勝負になるけれど。だから、それを応用した。今世の身体と来世の身体の両方が揃っているなら、霊的な繋がりを補助して転生魔法を施せば魂を導ける。回収した頭部とお腹に宿った命を使った。本来の魂はまた別の身体に転生することになるけれど、仕方がない。アレクとクロエを救うことを優先した。
クロリンダは驚いたような顔で私を見つめていたけれど、特に問題もなく育てられた。問題は、アレット。自分からは何も動かない。反応もしない。母乳も飲もうとしないのだ。仕方なく、母乳を胃に直接、転移させている。意志疎通できるようになったら、ちゃんと説明してあげたいなぁ……。
マリー:アレク一筋だが、一応表向きは取り繕っていた。アレクといちゃつくのも隠れてしていた為、ギルド内での認知度も低い。もともとヤンデレの気質があったが覚醒した。ヤンデレと言っても対象に危害を加えるタイプではないので比較的安全?かもしれない。
アレク/アレット:マリーとの夜の生活がしばらくご無沙汰だった。マリーは妊娠したかもと思っていたので誘いを断っていたが、ブラスと一緒にいるところを良く目にしており不安だった。止めとばかりに見せつけられてギルドを抜けてしまう。アレットとして生まれ変わってからは前世の死の間際を思い出し、絶望していた。意志疎通が取れるようになってから、ようやく真実を知るが、それでもマリーが怖い。愛しているし信頼もしているけど、やっぱり怖い。クロリンダが居て良かった。
クロエ/クロリンダ:昔からアレクのことは恋愛対象として見ていたが、マリーがいたので控えていた。故郷に帰って来た傷心のアレクをサクッと篭絡し、結婚しようとしたが、ブラスに殺されてしまった。クロリンダとして生まれ変わった当初は状況が飲み込めず驚いていたが、安全そうなので身を任せることにした。意志疎通ができるようになってからは、母娘という関係以上に意気投合する。アレットを何とかするために、共同戦線を張る。
ブラス:剣士として卓越した才能を持つ身目麗しい美青年。マリーに一目惚れし、アプローチを続けていたが袖にされている。仲間内ではマリーとお似合いと言われていた。マリーが妊娠した情報をアレクより先に手に入れており、アレクから無理やり奪う方法を考え実行した。ベッドに押し倒すところまではいけたが、マリーに抵抗され逃げられる。その後もマリーを狙っていたが、明らかに敵意を剥き出しにされたことでアレクを逆恨みする。マリーが故郷に向かったときも後を追っていた。アレクの幸せそうな顔に腹が立ち、凶行に及んだ。真正のクズ。