第6話『もう一つの目的』
「ぐっ!」
そうだ、あのときも悪魔の魔術に何もできなかった。ただがむしゃらに何度でも起き上がって立ち向かったんだ。みんなを守るために、ボクが倒れたら何も守れないからって、ただ無謀に。
「レイズっ!」
そうだ、あのときもこんな風に誰かが声をかけてくれて。そういえば、あのときはどうやってあの危機を乗り越えたんだっけ……。
「あのときは、魔王を倒すだなんて言ってたよな。勇者は人のために戦うって」
確かにそんなことも言っていた。今のボクには縁のない言葉だ。勇者だとか、人のために戦うだなんて。
「でも、結局、倒せなかった。そうだろう? 何の成果も得られずに屍の山だけが積みあがっただけじゃないのか? お前のしたことは全部無駄だったんじゃないのか?」
否定できない。事実、そうだ。思い出したくもない、あのときのことは。
思い出したくもないのにアビスの言葉で一瞬、脳裏にその情景が映る。
「――バイバイ、レイズ」
金髪の少女は手を振って魔王の下へと歩き出した。
「それは……」
今だってそうだ。こうして壁にもたれかかっているだけで何もできないんだ。体が動かないんだ。
唇を噛み締める。何も言い返せない。全部、アビスの言う通りだ。
「――そんなことありませんっ!」
反論したのは隣にいる白猫の少女だった。ずっと、泣いていたその蒼と紅の瞳は一切の迷いなくアビスを見ている。
「なんだお前は。いや、その感じ……なるほどな、レイズ。随分、その子がお気に入りなようだな。あれだけ人と関わることをやめたお前がそいつと一緒にいるのは、やっぱり、あいつによく似ているからか?」
「ち、違うっ……! フィーとボクは別に何の関係もない!」
「えっ、ひ、ひどい……」
フィーは誰にも聞こえないようそっと呟いた。
「んで? 何がそんなことないって?」
「……レイズ様のしてきたことは無駄じゃない」
「ふっ、何を言うかと思えば。無駄だったに決まってるだろ。魔王を倒せなくてただ死体の山を築いただけだ。魔王を倒すために犠牲になったやつだってたくさんいるはずだ。結局、俺たちの二年間の旅は無駄だったんだよ!」
アビスは昔のことを話せば話すほど声を荒げる。後悔、無駄、無念、いろんな感情が言葉となって現れる。
アビスの怒りに満ちた鋭い目にも怯まず、フィーは迷いのない瞳でアビスを見る。
「無駄なんかじゃないです。確かに、魔王は倒せませんでしたが、死体の山よりも多くの救われた人がいます」
「へっ、どこにいるんだよ、そんなやつ」
「――ここにいます。私は、レイズ様、あなたに命を助けられました」
フィーはレイズと同じ高さになるくらいまでかがむ。
目を合わせられない。魔王を倒す道中で何人も犠牲になったのを知っている。もしかしたら、その中にはフィーと関係のある者だっていたかもしれないのだ。どんな顔をしてフィーと話せばいいのだろうか。
「助けた……? ボクが、フィーを……?」
「覚えていませんか? 白猫の王国で悪魔が現れたとき、あなたはただ一人逃げ遅れた私を助けてくれました」
「白猫の王国……まさか、あのときのっ……!」
思い出した。ちょうど、白猫の王国に辿り着いたときだった。何か不穏な空気を感じたから急いで街に向かったのだ。そうしたら、街にいる人は全員避難が完了していて、ただ一人だけ逃げ遅れた、いや、取り残されたとでも言うべきか。一人の白猫族の少女が悪魔たちに囲まれていたんだ。
「三年前のことですね。私はまだ全然、背も低くて幼くて何もできない無力な私だったけど、今は、背も伸びてちょっとは大人に近づいて、こうしてあなたに会うことができました。これも、全部命を救ってくれたあなたのおかげなんですよ」
フィーがレイズのボロボロになった手を握る。
「だから、レイズ様には感謝しているんです。私がレイズ様に会いに来た目的は魔王討伐ということもありますが、もう一つ目的があるんですよ」
「目的……?」
「ありがとうございます。ずっと、お礼が言いたかったんです」
彼女の目を見ると何か感じるものがあった。心の鍵が一つ外れたような、そんな感覚だった。
人に感謝されるなんていつ以来だろうか。もう、そんなことさえ思い出せない。
「ふっ、最後の言葉はそれでいいか? そろそろ終わらせてもらうっ!」
アビスに会話を遮られる。まだ戦闘中だ。だけど、体が動かない。次、攻撃されたら防げない。
祈る必要もなく、アビスは早急に攻撃を仕掛ける。
先ほどレイズを吹き飛ばした闇の塊をもう一度生み出し、放つ。悪魔語の魔術で生成された闇の塊は先ほどよりも速い。ほんの手のひらサイズの塊なのに木の葉、土、塵、あらゆる物質が闇に飲み込まれていく。あんなのを受けたら今度は傷を受けるだけでは済まされないだろう。
せめてフィーだけでも。
そう思って手を伸ばす。だが。
「――させません!」
フィーが左手を伸ばしている先に光の障壁が展開されていた。右手には風も吹いていないのにページがめくれる運命の書。フィーの周りが聖なる光で包まれている。強化魔術を使ったときに出る白い光とは違う、完全な白い光。強化魔術の光を白というなら、フィーの光は純白。
「なっ、なんだ、その力はっ……!」
「私にもわかりません。でも、レイズ様をこれ以上傷つけさせません!」
アビスはフィーの決意の瞳を見て舌打ちする。
「……チッ、その目。そういうところまであいつとそっくりだな!」
アビスが闇の塊を再び生み出し、発射。連続で三つの塊をフィーに向けて飛ばす。
「はあっ!」
その塊がフィーに届くことはなかった。光の障壁を貫通することができず、触れた瞬間、またしても吸い込まれるように消えていった。
「たとえあなたが何度攻撃しようとレイズ様は私が守ってみせます!」
「ああ、そうだな。今の俺じゃ、レイズに傷一つつけられないだろうな」
降参でもするのかとアビスは両手を上に挙げたように思えたが、胸の前まで両手を持っていき、手のひらをこちらに向けている。
「『%&#$%&』」
そう唱えるとアビスの両手から黒い塊が出現する。先ほどと同じようにも見えるがよく見ると違う。大きさは先ほどよりも一回り小さい。そして、黒い球からバチバチと紫色の雷が発生している。なんとも禍々しい魔術だ。
「でも、レイズ様には――」
黒い球はこちらまで一直線に進んでくるのかと思ったが、予想は違った。フィーの目の前で止まり、今度は地面に吸い寄せられるように落下した。
「――じゃあな、レイズ」
アビスが指を鳴らすと黒い球を吸った地面が紫色の光を発している。そして、大爆発を起こした。