第1話『怠け者勇者』
昔の夢を見た。『伝説の勇者』と慕われていたころだ。あのときは仲間たちと各地を旅したものだ。
思い出を振り返っていると、まるで、それを邪魔するかのようにドアがノックされた。感傷に浸る間も与えてくれないというわけか。
何の要件くらいかは察しが付く。適当な理由を言って断るか。
ため息をついて、ベッドから起き上がる。
「勇者様! どうか、街の復興にご協力ください!」
「――いやだよ。別に、復興ぐらいボクじゃなくてもできるだろ」
「そこをなんとか! あなたが協力してくださるだけで、皆の士気が高まるのです!」
やや太めの体型をした男はこちらの事情などお構いなしに必死に頼んでくる。まるで、たまに家に商品を売りつけようとしてくる行商人のようだ。この男は行商人ではなく、どこかの市長だったような気がするが。
まあ、この男と行商人の違うところといえば、戦う意思があるかどうかというところだとう。
この家はどこかの山の頂上に建てられているから周りは木に囲まれている。人と友達になることは難しいが、ここに住んでいれば木と簡単に友達になれる。そんな冗談はさておき、
男の後ろ、山道の両脇に生えている木の陰に二人の男が隠れているのが見えた。獣の皮で仕立てられた服に、腰にかけられている血がついたままの鞘。身なりからして傭兵だろう。
行商人は自分の命よりも金貨を大切にする人が多い。だから傭兵のために支払う金はないのだと聞いたことがある。
自身の警護のために傭兵を雇っているのではないことは、傭兵のいる位置からすぐにわかった。
「ボクが行ったところで士気が高まるとは思えないけど。要件がそれだけなら、ボクはこれで――」
「あ、お待ちくださ――」
強引に話を終わらせる。ああいう人たちはこうやって話を終わらせるのが正解だ。まあ、あの男の要件がそれだけ、ならだが。
「――くそっ!」
市長は怒りを木にぶつける。木が揺れ、木の葉が一枚落ちる。
「市長さんよ、諦めたほうがいいんじゃないかい? 一応、俺たちはあんたから金貰ってるからあんたについていくが、あいつは俺たちしがない傭兵が二人並んで勝てる相手じゃないぜ」
傭兵の一人がそう言う。もう一人もうんうんと頷いている。
「何をバカなことを言っている。私はあの『怠け者勇者』が複数の国から貰った莫大な富をこの手にするまでは帰る気などない。ここで帰っては何のためにこんな険しい山道を歩いてきたのかわからないではないか」
「莫大な富、か。俺も聞いたことはあるぜ。二年前、魔王を倒したときに報酬として貰ったんだろ。具体的な金額までは知らないが、確か、噂によると……」
「――小国が一つ、余裕で買えるくらいだ」
傭兵たちはごくりと唾を飲み込む。
大国には満たないが、小国一つ買えるだけでも十分な金額だ。庶民が一生働いても届かないだろう。
「国の法では国民の金を盗むことは重罪だと書かれている。だが、それは相手が一般人ならばの話だ。相手は国際指名手配されている『怠け者勇者』だ」
「二年前、魔王を倒した伝説の勇者。しかし、報酬を貰うだけ貰って逃走。街の復興に一切協力しなかった『怠け者勇者』。だから、何をしても許されるってわけか。いつもお金のことばかり言っている傭兵の俺らが言えたことではないが、あんたも相当、腹黒いやつだな」
「ふっ、誉め言葉として受け取っておこう」
市長は家の方を向いてニヤリと笑う。
「――今に見てろ、怠け者勇者。この世界にお前は不要なのだ!」
市長は勇者の家へもう一度、歩き出した。傭兵たちも武器を取り、市長についていく。
そして、もう一つ、彼らの後を追う影が。
「さて、市長たちは今頃どうしているかな……」
ただの協力要請でないことは確かだ。真正面から来るか、それとも窓から入ってくるか、どう出てくるか。
少年は耳を澄まして警戒する。だが、聞こえたのは予想もしていなかった声だった。
「――うわあああっ!」
「――クソっ、こいつっ!」
市長の悲鳴だ。その次に剣を抜く音が聞こえるが、剣が交わる金属音が聞こえない。
「いったいなんだ……?」
この騒ぎで気にならない者などいない。クローゼットにしまっている赤マントを羽織り、急いで、ドアを開け、飛び出す。そこには、市長と傭兵二人の死体があった。背中からひどい量の血が流れている。しかも、傷口からは紫色の靄が溢れ出ている。
これを見ただけで誰の仕業がすぐにわかった。
「……この傷は、間違いない……魔物か!」
大抵の魔物には人間の言語が通じないはずだが、まるで呼ばれたかのようにこの魔物は草むらから飛び出してきた。
鋭い牙を持った狼の姿をした魔物だ。黒い毛並みをして、目が赤く光っている。
「どうして魔物が……?」
真っ先に浮かんだ疑問はそれだった。だが、考えている暇はない。
こちらの都合などお構いなしに狼の魔物は鋭い牙で噛みつこうとする。
「くっ……!」
何もないところから剣を取り出す。左手で剣を取り、即座に腕を前に出して、魔物の噛みつきを防ぐ。普通なら道化師の手品か何かだと思ってしまうが、このくらいならこの世界では驚く者はいないだろう。
これは『魔術』だ。具体的には『生成魔術』という魔術の一種だ。頭でイメージしたものを具現化する。だから、先ほどのように剣を生み出すことができたわけだ。だが、生成した剣は刀身の半分がなかった。魔物にかじられたわけではなく、取り出したときからすでになかった。
「やっぱり、か……」
大体の原因はわかっている。
「でも、このくらいの相手なら!」
半分の刃がなくなったナイフみたいな剣に噛みついたまま空中で静止している魔物を振り落とす。地面に着地した魔物を右足で空中に蹴り飛ばす。その高さ三メートル。少年の右足が淡い白い光に包まれている。これは『強化魔術』という魔術の一種だ。自身の身体能力を強化する魔術だ。便利な魔術だが、あまり強化しすぎると。
「うわっ、と……飛びすぎたな……」
あまりにも強く蹴りすぎたせいで、空中で後転してしまった。頭から落ちないよう安全に着地する。魔物はまだ空中に浮いたままだ。
「これで、終わりだっ!」
右手で左手を支え、呪文を唱える。
「『詠唱準備』!」
左手に白い魔方陣が浮かび上がる。
「『二重魔術・雷・雷』」
魔方陣に二つの小さな穴が均等な間隔で開く。そこに水色の宝石のように輝く球が埋まる。
「……『落雷』!」
魔物が浮いている地点からさらに上に黒い雲が発生し、そこから生み出された雷は空中の魔物を貫通して地に落ちた。小指と同じくらい細い雷で、とても複数の敵がいるときには使えないが、敵にうまく当てることができれば即死させられると言っても過言ではない。まあ、即死させられるのはせいぜいあの狼の魔物みたいな小さい生き物に限られるのだが。その分、魔力の燃費はいいので総合的に見れば評価は高い魔術だ。
「久しぶりに詠唱して魔術を使ったな。この二年間、ずっと平和に暮らしていたから戦えるか不安だったけど、まだ問題なく戦えるな……」
ただ単に雷を発生させるだけの魔術であんなに長い詠唱をする必要は普通、ない。本格的な戦闘にもなれば、詠唱などしていたら間違いなく死ぬだろう。昔は詠唱ありの魔術が主流だったが、今は詠唱などしないのが普通なのだ。
先ほどの戦いでわざわざ詠唱したのは相手を舐めているからではなく、詠唱ありの魔術にしかないメリットがあるからだ。それについてゆっくり語る時間はどうやらなさそうだ。
草むらから先ほどと同じ狼の魔物が現れる。
「新手か……。魔物がいること自体、信じられないが……でも、これだけの数の魔物がいるということはどこかにいるんだろう?」
これだけの数、現れた魔物は左右の草むらから三体ずつ、山道をちょっと歩いたところにある両脇の草むらから三体、合計で十二体だ。人の血の匂いで釣られたか、それとも先ほどの雷に反応して来たか。どちらにせよ、一人で十二体は普通なら何もできずに死ぬだろうな。
「すぐに見つけるから、待っていろ――」
だが、それは普通ならの話だ。
「――悪魔か」
少年は折れた剣を右手に移し、獣の大軍を迎え撃つ。