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アナザーリアル


「まずは礼を言わせてもらう。この世界を救ってくれたことに感謝する」


 何もない空間だった。あるいは何もかもがある空間とも呼べた。

 一見して一聞して一触して何も感じ取れない暗闇は、意味あるものが膨大な量の無意味によって薄められている。そんな空間だった。

 だから、そんな空間で意味ある言葉を発するそれは不気味で同時に神秘的だ。


「あなたは……神様?」


 その存在を認識してこの言葉が初めに出た。

 言葉は響きはしない。音が反響できないほどこの暗闇は途方もなく広いか、または果てがないという証だった。


「神とは少し違うが、まあ君たちからすればその認識で問題ない」

「よく分からないわ。何か用?」


 冷たい声でなんとなくでしか認識できないそれをあしらう。

 ここだけの話、彼女はとても疲れている。ついでに機嫌も悪いし余裕もない。

 だから、遠回しな言葉はただ会話を冗長させているようで腹立たしかった。


「気分を害してしまったのならすまない。我々は君たちと接する事がないから、沢山話したいんだ」

「だからそういうのはいいから、用があるなら早く言って!」

「では単刀直入に言おう。君は世界を救った。だから、その礼として願いを一つ叶えよう」


 彼女の目の色が変わる。自身を認識する方法のないこの空間で、体を使った比喩は正しいのか分からないが、確かに変わった。


「私の願いは……あの人と帰ることよ」

「知っている。神だからな」

「なら今すぐ叶えてよ!」

「待った、今のは意思確認だ。本題はここからだ」


 今度は首を傾げる。


「結論から言うとその願いを叶えることはできない。例えば蘇生する場合、単純に願いを複数叶えることになる。君の蘇生、彼の蘇生、そして二人の帰還、この三つを叶えなければならない。だが私が叶えられるのは一つだけだ」

「なにその屁理屈」

「そう言うな、我々にも我々なりのルールがあるんだ。もう一つの例としてタイムスリップを行う場合。君が過去に飛び、結末を変えるという方法だ」

「それも問題があるの?」


 暗闇の中でそれは頷いたようだった。


「一度経験をしたものは、同一のものとして存在できないんだ。今の君を五分前の世界に飛ばすことは可能だが、五分前の君が今の君になるわけじゃない。五分前の世界に五分前の君と五分を経験した今の君、二人の君が存在するようになる。その場合」

「その場合、私は過去の私を消してすり替わらなくちゃならない」

「そうだ。そして、君はそれができる人間ではないだろう?」

「……! 知った風な口を!」

「知っている。神だからな」


 一発この神を殴りたかった。が、それも叶いそうにないので少し間を置いて落ち着くことにする。


「じゃあ、神様は私に何をさせようってわけ?」

「この話を聞いた上で君の願いを聞きたい。世界を救った君は何を願う?」

「私は……」


 この暗闇の中でも、この時、この瞬間、それだけは明確に分かった。それは、その神は、彼女を見て――笑っていた。



 △▼△▼



 暗闇の中で利き手を前に伸ばす。次に親指と人差し指と中指をくっつける。すると指先に青白い光が灯る。

 そして三指をそれぞれ別方向に開いて三角形を作れば青白い光が伸びてヘキサグラムのエフェクトともに宙にウィンドウが現れた。

 その表面を人差し指で左へスライドすれば、目当てのものは見つかる。

 青年はほくそ笑む。

 選択したのはAとRの二文字でデザインされた蒼いアイコン。


『アナザーリアル』


 それがこのゲームのタイトル。

『もう一つの現実』を名乗るそのオンラインゲームは実際、一部の人にとっての現実そのものだった。

 23世紀。

 発達した電脳技術は現実と仮想の境界を曖昧にしていった。

 地球上を覆い尽くしたバーチャルインターネット空間によって世界中の誰とでも交流することが可能となり、ある企業が開発した3Dアバター作成ソフトによりどんな外見にでも、音声合成ソフトの発達によりどんな声にでもなれるようになり、誰もが簡単に誰にでもなれた。

 最早この時代に国境と呼べるものは存在しない。

 VR言語と呼ばれる新言語の発明によりネット上の言語はいつか世界中で使われる言語となり、今となっては誰もが顔も声も国籍も知らない人間と心置きなく交流するようになった。


 娯楽の地位は300年前に比べて飛躍したと言われている。

 特に絶大な人気を誇るオンラインゲームで開かれる催しは、かつてのオリンピックに匹敵する盛り上がりを見せるという。

 そして現在、星の数ほどあるオンラインゲームの中で頂点にあると言われているのが『アナザーリアル』である。

『アネモネ』という会社が開発したこのゲームは、現代の他社のオンラインゲームと見比べても技術力が群を抜いており、飽きさせない多様なシステム、目を惹く秀逸なデザイン、的確な運営、トラブルを滅多に起こさない安定性を地盤として支持され続け、サービスを開始して8年が経った頃には全世界に億単位のユーザーを抱える一大コンテンツと化した。

 今日はそんなアナザーリアルが世に出てから10年目を迎える日である。


 唯一退屈な時間(ローディング)が終わった。

 暗闇は晴れる。自然光となんら変わらないエフェクトが視界を妨げ、同時に喧騒が聞こえた。

 どこか遠くの方で笛の音が聞こえたと思えば次は心臓が震えるほどの花火の怒号。

 仮想の青空には綿を千切ったような雲が浮かび、NPCがカラフルな紙吹雪や風船を飛ばす。

 右を向けば雑踏が押し寄せ、左を向けばNPCたちが出店を大通りに並べている。

 アナザーリアル10周年記念イベント。その最中だった。


「よおシオン! 何してんだ?」

「おわっ⁉」


 突如後ろから現れた金髪の美男が勢いづきながら肩を組んで来た。その右手に握られた酒瓶が目の前に迫る。

 灰色の髪でサファイアのような瞳のイケメンと目が合う。それは紛う事なく彼のアバターの『シオン』だ。


「ライゼンさんか、俺は今ログインしてきたとこですよ」

「そうか! まあインしてきたとこ見えたから知ってんだけどな!」

「え、じゃあなんで聞いた?」

「はっはっは! 細けぇこた気にすんな!」


 陽気に笑いながらライゼンはバーチャルでも痛いほどに背中を叩く、アバター越しなので見えないはずだがそうだと思うと心なしか顔が赤くなっているように見え始めた。


「あのお酒飲んでます?」

「おう、これ見りゃ分かんだろ?」


 言いながらライゼンは酒瓶を振る。深緑のガラス越しに紫色の液体が踊る。


「いや、ゲームじゃなくて現実の方でもって意味です」

「祭りだぞ祭り! 祭りは飲む時だろ!」

「いや23世紀も終わるって時代に現実で飲んでるのあなたくらいなもんでしょ」

「あのな、俺の月収じゃ高い酒なんて買えねぇの。でもな、バーチャルで飲めば安酒だって忽ち超高級ワインに早変わりよ。じゃあ飲まなきゃ損ってもんだろ⁉」


 現代のVR技術は五感全てを操作するようになった。

 視覚を操作して部屋の模様替えをしたり、アバター同士がぶつかった時に衝撃を受けたと錯覚させることもできる。そして飲食物のグレードを味覚を操作して上げる事も可能だ。


「だから今時飲酒してる人の心情なんて知ったこっちゃないですよ。ってか超高級ワインの高級感のなさヤバイな」


 そうぼやきながらも二人は暫し行動を共にした。喧騒に紛れて普段とは一風変わった街を様々な官能で堪能する。

 1時間も経った頃、西の空から何度も派手に咲く花火が見えた。


「やばっ!」


 起動の時と同じように手元で三指を開く。ウィンドウが宙に展開され、時間が表示される。


「何か始まるのか?」

「試合ですよ試合、10周年記念トーナメント!」


 呑気に構えて2本目を開けているライゼンをシオンは急かす。


「ライゼンさんも見るでしょ?」

「俺はいいや。エンジョイ勢だからガチ勢の試合見たって分かんねぇって」

「エンジョイ勢に託けて迷惑かけるプレイヤーは通報されますよ」

「なに、どこのどいつだそんな不届き者は!」

「今自称エンジョイ勢に絡み酒されてるんだよ!」


 お互い、無遠慮に笑う。


「付き合ってくれてありがとよ。俺は祭りに紛れて可愛い子の尻でも触ってくらぁ」

「何する気だよあんた……」

「何だよ、お前だって試合と言いつつ目当てはナポリちゃんだろ?」

「は?」


 考えてもいない発言につい冷たい反応をしてしまう。そんなことは気にも止めずにライゼンは背中を叩いてくる。バーチャルでも痛いほどに。


「惚けんなって! いいよなぁヴァンパイアの白い肌に夕焼け色の綺麗な髪。俺もああいう子とよろしくしたいぜ」

「だから何する気だよあんた。俺とあいつはそう言うんじゃない、ってかあいつも中身は男でしょ」

「いや、あの子は女の子だね! それもJKあるいはJDか……」

「は」


 呆れる。ものも言えないくらいに呆れる。


「一体何を根拠に」

「俺のリアルのレーダーがビンビンしてんだよ!」

「祭りに乗じて何言ってんだあんた⁉」


 共に大声で叫んだ。祭りの中でも目立つやり取りは心なしか二人と周囲のプレイヤーの間に距離を生じさせる。

 ため息を一つ。もっと言いたい気もしたが、時間があるわけでもない。何より酔っ払いの相手をするのが不毛なのは有史以前から明確だ。


「じゃ、俺は闘技場の方に行きますからここでお別れですね」

「おう、またな!」


 手を振って別れを告げる。

 ライゼンが祭りの喧騒の中に溶け込んでいくのを見届けるとシオンは踵を返し、駆け足で進む。景色の向こう側に見える円形闘技場に向けて。

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