古民家カフェ『あかしや』〜座敷狐とおもてなし〜
さて問題です。貴方の店の前に男の人が倒れています。どうしますか?
警察を呼ぶ? 救急車を呼ぶ? とりあえず拾う?
都心から離れた、東京の西側、山間にある小さな町。
ちょっと田舎で、駅から離れているけれど、優しい人が多い。最近何かブームで観光客も増え出し、活気がでてきた街らしい。
そこでカフェをやろう、心機一転スタートだと意気込んだ。
「命ちゃん。果物おまけしておくな。明日の朝届けるから」
「ありがと、正雄さん。配達の時に一杯お茶サービスするね」
「命ちゃんの茶も、スイーツも美味いもんな。楽しみだ」
かかかと笑うおじちゃん。八百屋の正雄さんは、いかつい顔に似合わず、下戸の甘党で私の試作品スイーツをいつも喜んで食べてくれる。品物の目利きもぴかいちで、特にお勧めの果物は物がよいのにお手頃だ。
牛乳屋、卵農家、パン屋、食料品の問屋。この街のいろんな人と知り合って、店の開店までの準備期間、交流を深め、信頼関係を築き、とうとう開店の日。
──なんで人生の門出の日に……私は行き倒れを発見したのだろう?
店の前で行き倒れとは、開店早々縁起が悪い。
「まいっか」
そう呟いて、男の人をつんつんとついて見る。見た目は30前後くらいにみえる、濡羽色の黒髪が頬にかかる綺麗な顔立ち。なぜかすり切れた着物を身につけている。
男の腹からぐぎゅるる……と音が鳴り響いた。
「……お腹すいた……」
「なるほど。お腹空いて行き倒れてるんだ」
ぽんと私は手を叩く。男が薄く眼を空けてぼんやり私を見つめる。
「ご飯食べる?」
男に手を差し伸べる。それが彼との出会いで始まりだった。
店の中は古い木の匂いが漂っていた。窓から差し込む日の光と、テーブルに置かれたランプが、ほのかに店内を照らす。
古道具の机と椅子を並べ、小物類で今時のオシャレ感をだしたカフェ。
木の匂いと温もりを感じる古民家カフェと言えば、かっこいいが……ようはお金がなかったのだ。
古い日本家屋を安く買い、友人に手伝ってもらって、できるだけ手作りで改装をして。
そうして出来上がったばかりの、築100年以上のカフェ『あかしや』新規開店です。
「貴方が記念すべき、第一号のお客さんよ」
「客……と言っても……僕、お金持ってないけど。店なら対価が必要だよね?」
彼はくわえた饅頭を落としそうになり、慌てて飲み込んだ。おずおずと申し訳なさそうに机の上に眼を落とす。
栗饅頭、チーズクッキー、枝豆と鶏牛蒡おにぎり、スモークサーモンとクリームチーズのサンドイッチ。
和洋ごちゃ混ぜの料理の数々を散々食い散らかし、合間にセイロンティーと宮崎の釜入り緑茶を、すすった後である。
「お金はいらない。美味しそうに食べてたから。見てて楽しかった。お金にならない価値がある……プライスレス」
「ぷらいすれす……という言葉は知らないけど、君はずいぶん前向きな人なんだね」
ちゃきーんとキメ顔で言ってみたら、彼はぽかんとした後、くすくす笑った。
前向きという言葉は、最大の褒め言葉だ。
よくて、おおらか、楽天家。
友人達なら、能天気、後先考えない、無鉄砲と散々に言うだろう。
でも……私は幸せも不幸せも、それなりに経験し、それを乗り越えて今があって、そして悟りの境地に至った。
「悩んだり、泣いたり、立ち止まってても幸せはやってきてくれないから。だから『まいっか』っていいながら、今楽しければそれでいいって、そういう気持ちで前に向かって歩いて、毎日を生きる。そのほうが楽しいの」
また彼は驚いて、今度はくしゃりと顔を崩して笑った。その子供みたいな笑い方が可愛いなと思った。
「禍福は糾える縄の如し。君は不幸も幸福に変えて生きて行くんだね。凄い。食事もとても美味しかったし、君はとても優しそうだし……うん決めた」
彼は立ち上がって、小さくお辞儀をした。その所作はとても綺麗で思わず見惚れる。
「食事をご馳走してもらった対価。身体で払おう」
「身体で払う? ここで……働くつもり? 私貧乏だから給料なんてまともに払えないけど」
「生きる上で最低限の衣食住さえあれば、お金なんていらない。それにね……」
そう言った瞬間、彼の身体から小さな光の泡が立ち始める。きらきら光る泡に包まれた姿は、幻想的な程に綺麗で。黒髪が薄く透けて銀色に変わり狐耳が生え、着物の隙間から、ふさふさの大きなしっぽが伸びてきた。
「僕は人間じゃないから。お金の使い道。知らないんだ」
さて問題です。拾った男が妖狐だった。どうしますか?
丁重にお帰りいただく? 神社に行ってお祓いしてもらう? 餌付けして飼いならす?
開店早々店前で行き倒れに遭遇するだけでも、想定の範囲外なのだけど。さらに人外だった……なんて、誰も予測できないよね。
「まいっか。安く雇える従業員と思えば良いかも」
「……本当に前向きすぎて心配になるね」
「よく言われる」
私が笑ったら、彼も釣られたように笑った。
「どうして……うちの前で行き倒れてたの?」
「僕のうちだったから……」
「へ?」
「たぶん……何十年も、あそこで眠ってたんだと思う。久しぶりに起きた。君が見つけてくれたから、僕は起きられたんだ」
古民家に憑いた座敷童のようなものだったのだろうか?
「格安物件だったけど、こんなおまけがついてくるなんて運がよかった」
「……自分でいうのも何だけど……身の危険とか考えないの?」
「悪い人に見えないから。私、人を見る目には自信があるの」
背も高いし、綺麗だけど男の人にしか見えなくて。でも……とても空気が柔らかで、穏やかで、優しそうに見えたのだ。
差し出された料理の数々を、とても美味しそうに食べて、お金がないと申し訳なさそうに言う。
素直で子供みたいだなって思えて。だから……私の直感がこの人はいい人だって告げたのだ。
胸をはってみせたら「僕……人じゃないんだけど」と言いながら、盛大に溜息をつかれ、それからまた笑われた。
そんな事を気にするより、ぴこぴこ動く耳や、ゆらゆら揺れる、もふもふしっぽが、触りたくてうずうずだ。
「ねえ……そのしっぽ触らせて」
「しっぽはだめ。耳ならいいよ」
彼は少しだけ身を屈めた。そうしないと私の手が頭に届かないから。そうっと狐耳に触れて見ると、予想以上にふわふわふかふかで、幸せ気分。この触り心地は癒される。
「ペットを飼ってみたかったし、ラッキー」
「ぺっと……というのが何かわからないけど、僕は君に飼われるんだね。……君の流儀に習うなら、まいっか……かな?」
くすりと笑って小首を傾げる姿が和む。うん、これは癒し系ペットだな。
「私の名前は葛木命。貴方の名前は?」
「名前……?」
困ったように首を傾げてぽつりと呟く。
「久しく誰にも呼ばれてなかったから……忘れてしまったね。君が好きな名前をつけてくれればいいよ」
「好きな名前? う……ん。狐だから、ゴン太」
「却下」
真顔で即答されたよ。相当嫌なんだな。
「君に任せると……ろくな名前をつけてもらえなさそうだね……」
ほう……と溜息をついて、窓の外を眺めた。少し切なく眼を細め、ぽつりと呟く。
「……永久。今まで、長い時を生きてきたし、きっとこの先も、たぶん長く生きると思うから」
「良い名前だね。これからよろしくね。永久」
「よろしくお願いします。命さん」
永久は丁寧に頭をさげた。名前を呼んだその時、なぜか今までより、幼く見えた。でも些細な問題かもしれない。
よろしくとばかりに、手を差し出したが、握手を知らないらしい。代わりに指切りげんまんをする。
「僕、店で働いた事も、人に飼われた事もないんだ。何をすればいいのかな?」
凄く純粋な瞳でじっと見つめ、本当に何にも知らなさそうに素直な言葉を零す。
見た目は大人、中身は子供。一から全て教えるしかないらしい。
「えっと……とりあず、食器をあの流しの所まで運んでもらえる」
「わかりました」
素直に頷いて、そっと皿を持ち、丁寧に運ぶ姿にほっとした。改めて観察すると、仕草がとても品があって綺麗だ。着物に慣れているからか、袖を家具にぶつける事もなく、静々と歩く。
全部皿を片付けて、布巾で机を拭く所から教える。丁寧で一生懸命な姿が微笑ましい。
「よくできました」
狐耳に触りたくて、子供を褒めるみたいに頭を撫でてみたら、永久が初めて恥じらうように眼をそらした。
「僕を飼うのはいいけれど……たぶん、けっこう、面倒だよ」
「その毛並みを維持するのに、毎日のブラッシングが欠かせないとか……。凄い大飯ぐらいだとか?」
恐る恐る聞いて見ると。永久は私の髪の毛の先にそっと触れた。
「命さんは僕のご主人様何でしょう? どんな手を使ってでも、僕は命さんを守るよ。どんな手を使ってでも……ね」
今までの可愛らしい笑みとは違う。何か不穏なものを滲ませた妖艶な笑み。
さて問題です。拾ったペットがヤンデレ疑惑。どうしますか?
…………。
あまりに面倒な問題で、私は思考を放棄した。
「まいっか」
想定外の出来事が多すぎて、この先どうすればいいかもわからない。でも空元気でもそう言うしかない。
後戻りできないなら、人生前のめり。結果オーライ。根拠はないけどきっと上手くいく。
のんびり田舎で、優しい人達に囲まれて、古民家カフェを始めよう。
今度こそカフェ『あかしや』開店です。……あやかしのおまけつきで。




