リストラ魔王は勇者になれない~ならば、その称号を得る日まで、魔族を狩ります~
なんてことのない、夢物語だ。
特別な力と正義の心を手に、世界の危機へ立ち向かう夢。
多くの仲間たちと、たくさんの冒険に繰り出し、あらゆる世界に出会う夢。
そうして――世界を救い、人々を守る、『勇者』となる夢。
あの頃に見た夢の世界は、果てもなく広がり、疑いようもなく澄みきっていた。
「アインは本当に、そのお話が大好きだねぇ~」
お気に入りの絵本を手に、夢の世界に没頭する日々のなかで、そんな吐息が聞こえてきた。
振り返ると、見知った初老の姿が見えて、笑みがこぼれたのを覚えている。
「うん! おれ、しょうらいはゼッテーこのえほんみたいな勇者になるんだっ!」
幼いながらに宣誓したあの日から、二十年。
想いのまま、願いのままに、何者にもなれたあの日を眩しく思うことがある。
あの日、あの時の初老も、いまの自分と同じ心境だったのだろうか。いまはもう確かめるすべもない、が。
「――ようやく、ここまで来たぞ……ッ!」
銀色に輝く鎧と白刃の剣を手にした青年が、そう吼える。
その目は、かつての自分と同じ輝きを湛えていて、ひどく羨ましく思えた。
小さくため息を吐いてから、椅子に貼りついていた腰を引っぺがす。
――今度こそは、と信じて。
「よくぞ来たな、勇気ある戦士よ。さぁいまこそ、この【片角の魔王】アイン・シューベルトを倒してみせよ!」
――――――――
遥か昔、勇者と魔王がいた。
勇者は天族より享け賜わりし奇跡と天命に従い、幾多の冒険と死闘を経て、遂に魔王を打倒した。
その後も人族と天族の共存関係は継続し、降伏した魔族たちも捕虜として受け容れられることとなった。
しかし、すべての魔族が捕えられたわけではなく、復讐を企てる残党の襲撃は度々行われ、中には勇者すら苦戦するほどの手練れもいた。
これに人族と天族は危機を感じ、戦力の底上げを目論んだ、あるシステムを構築した。
それが『試練のダンジョン』。
かつて勇者が辿った魔王との闘いをもとに組み上げられた、勇者育成システム。
これにより素質ある戦士たちが後継者として『勇者』という職業を担い、凶悪な魔物や復讐を画策する魔族を相手に活躍する、勇者社会が築かれていた。
そんな勇者社会を支え、『勇者』という人材を育てる職業が――『魔王』。
各自が独自のダンジョンを形成し、最終的には倒されることで、世に『勇者』を輩出するという、勇者育成システムの要とも云える存在である。
このアイン・シューベルトもまた、そんな勇者を育てる魔王のひとりであった――……の、だが。
「アインくん。キミ、魔王クビね」
「……………………はい?」
眩しいほどに白い空間で、アインの間の抜けた声が反響した。
「だからぁ、アインくんクビです。リストラ解雇切り捨て御免、また来週ってことで。さいなら~」
「ちょ、ちょいちょいちょい待って待って! そりゃさすがにあんまりじゃないですかシェキナさんっ!?」
厄介払いするように振るわれる守護天使――シェキナの大きな白翼に、アインは抗議の声を上げた。
「ちゃんと説明してくださいよ! どうして俺がクビなんですか!?」
「どうしてぇ~……? よくもまぁそんなことが言えたもんだねぇ~この給料泥棒」
「グハァッ!」
容赦なくぶっ刺された言葉のナイフ。
この第十都市マルクトの守護天使を任されるシェキナは、近辺のダンジョン運営者を監督する役目を担っており、有り体に言ってしまえば、アインたち『魔王』の上司にあたる人物である。
そんな人物からこのような暴言を受ければ、精神的ダメージは計り知れない。痛いところどころか、いっそ致命傷である。
「ねぇーねぇーアインくぅん? キミは『魔王』だよね? ひとりでも多くの『勇者』を育てるのが仕事だよね? 違いますかぁ??」
「お、仰る通りです……」
「それがァ? 今期も勇者を輩出できなかったどころかァ? 遥々やってきた勇者志望者を? 逆に蹴散らしちゃうっていうのは一体どーゆー料簡なのかなァ~?」
なぶり殺しなんて生易しいオーバーキルに、アインのライフポイントはとっくにゼロであるが、ここで引き下がればアインは明日の食いブチはおろか屋根のある建物すら失うことになる。
それは避けるべく、アインはあてもなく言葉を探し、やがて絞り出した。
「ゆ、勇者育成の方法および方針につきましては、ダンジョン運営を行う魔王に一任されている事項でありまして……。輩出する勇者が、果たしてそれに値する実力か否かを見定めるのもまた『魔王』の務め……かと。ましてや自分のような出来損ないも倒せない者を果たして勇者に相応しい者と判断できるか、と……」
「思って……返り討ちにしちゃいました、と?」
「……はい」
「こんっの、バカチンがァ~ッッ!!」
か細い喉からドスの利いた怒号が響いて、アインの肩がビクリと震えた。
「いいかい、アインくん? 確かにキミの言う通り、原則ボクたち守護天使は魔王の監督はすれど、ダンジョンの設営システムそのものに口出しなんてしないわけさ。勇者の輩出にしたってそう、育成方針や方法は各魔王に一任していることで、その改善法や具体策もキミたちが決めることだよ」
だけどね、とシェキナはひとしきり眉間を揉みしだくと、おもむろに口にした。
「キミは、やりすぎ」
「やり、すぎ……?」
眉根の寄りきったシェキナに、今度はアインが眉をひそめる番だった。
「アインくん。さっきも言ったけど、そもそもキミたち『魔王』の仕事の本懐ってなんだい?」
「そりゃあ、もちろん。『魔王』として管轄の領地を営み、『試練のダンジョン』にやってきた素質ある冒険者を立派な『勇者』に育てることです」
「うん、そだね。それを踏まえて、もいっこ質問ね」
言うと、シェキナは小さく息を吐いてから、質問を重ねた。
「この十年で、キミが輩出した勇者の数は?」
「ぐぅっ……!」
天使の溜息に、アインは初めて言葉を詰まらせた。
「キミがこれまでの十年間で輩出した勇者の数は――……ゼロだよ、ゼロ」
嫌みったらしく、強調するように、シェキナは指の輪をアインに突き付けた。
「キミがこの仕事に……特に勇者を育てることに、誰よりもご執心なことは解っているよ。でもだからこそ、キミの課す試練は過酷極まる。キミの勇者を育てることに対する異常なほどの熱量が、攻略難易度にそのまま反映されているんだよ」
薄々感じていたことではあった。
この十年、魔王の間までに辿り着いた者でも片手で数えられる程しかいない。
たとえ辿りついたとしても、心身ともに疲労困憊した状態で、とても戦える状態でなかったり……。
結果、アインは一度として倒されることなく、勇者育成の悉くに失敗していた。
「勇者に対して、キミがどんな憧れや夢を抱こうが一向に構わない。ただ、それで勇者のひとりもまともに育成できないようでは、キミの『魔王』としての資質を疑わざるを得ないのさ」
「わかるかい?」というシェキナの声はどこまでも穏やかで、聞き分けの悪い子どもに言い聞かせるようなその口ぶりは、アインの身に重たく圧し掛かった。
わかっている。このシェキナとの会話も一度や二度のものじゃない。
度重なるシェキナの指導にアインは理解を示すも、それを実践できなかった。いや、実践しなかったというべきだろう。
「一言断っておくと、ボクは何もキミが憎くてこんなことを言っているわけじゃないのさ。むしろ人族と魔族の混血という不遇の生まれでありながら、豊富な魔術知識と妥協を許さない熱心な姿勢には、好感すら抱いていると言っていい」
けど、とシェキナは前置いて、
「キミに期待はしても、信頼を寄せられないのが現実なんだよ」
そうキッパリと告げられる声に、アインは首を落とした。
今年齢三十二となる男……しかも自分は、人と魔族の混血という最も忌むべき半端者だ。
そんな自分が、唯一まともに生きていける職業が魔王であった。
領地を任され、勇者社会の要を担う公務員。
安定した収入と、働き次第では貴族という地位すら得ることのできる職業。
それを……――こんなくだらない理由で、失うことになろうとは。
ついに観念した様子のアインは、守護天使の決定的な言葉を待って、静かに瞑目した。
「だからね、アインくん――キミには来期、もしもひとりでも勇者を輩出できなければ、クビになってもらうね」
「……………………はい?」
思っていた展開と違い、アインが慌てて視線を持ち上げれば、天使が意地悪く微笑んでいた。
「だぁ~かぁ~らぁ~。次までに勇者輩出できなかったら、今度こそアインくんクビだかんね?」
「で、でもさっきは……」
「何もいますぐにクビだなんて、ボクはただの一言も言ってないよ~だ。キミの早とちり~!」
「ひ、ひでぇ……」
ケラケラ笑う天使に、アインの膝がへなへなと崩れ落ちた。
明らかにワザとだ。危機感を覚えさせるにしたって、三十路のおっさんにそのジョークはあんまりである。
――が、クビの皮一枚繋がった、と言えるだろう。
「言ったじゃないか。ボクはキミのことを評価しているし、期待しているって。だから今度こそ、キミにはその厚意に応えてもらいたいね」
挑戦的に微笑むシェキナに、アインもまた胸を張って答えた。
「この【片角の魔王】アイン・シューベルト。今期こそ立派な勇者を育てあげてみせます!」
こうして、アインの『魔王』としてのクビを賭けた一年が始まった。




