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未知と20  作者: イトー
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アンノウンに導かれて

風光る中、僕、野上春斗は新品の制服に袖を通し、初登校に備えている。

 鼻歌交じりに朝食をとり、五歳の妹の紫苑の頭を軽く撫でて、新生活を送る高校へと足を急がせた。

 玄関を出たところで背後から紫苑が呼び止めた。

 「待ってお兄ちゃん。頑張ってね!いってらっしゃい」

 「ああ、いってきます」

 そう言って、僕は、笑いながら手を振る紫苑に見送られ学校へ向かった。

 僕の目線の先には七分咲きの桜並木が広がっていた。


 僕がスマホの時刻表示を気にしながら小走りをしていると、突然足元がグラつき、次に大きな揺れを感じた。

 地震だとすぐに悟った。

 「うわっ……」

 声を上げ損ね、地面に手をついた瞬間だった。地面が突如大きく割れ、地中から黒く怪しげに光る物体が昇ってきた。

 「……何だ……これ」

 僕は目の前で宙に浮いているその物体に躊躇しながらも好奇心から手を伸ばした。

 僕がそれに触れようとした時だった、激しく形を様々に変え始め、発光し、体内へと勢いよく入ってしまった。

 不思議と痛みはなかった。

 「おい、どうなってんだよ……。いったい何が起きたんだ」

 激しく動揺していると、僕は、だんだんと意識が遠のくのを感じ、次の瞬間には地面に倒れてしまった。


 「……あれ、僕、確か、倒れて……」

 周りを見回すと、白い壁が四方に広がっており僕自身はというと、白いベッドに寝ている。

 意識が徐々に回復する中で、同時に僕の周囲もあわただしくなるのを感じた。部屋に数人の白衣を着た人たちが入ってきて口々に何か言っている。

 「おい!意識が……」

 「そんな、まさか……」

 「担当医を呼んで来い!今すぐにだ」

 白衣を着た大人たちが僕を囲んで、何やら険しい表情で話し込んでいる。

 僕は、体を起こし、バクバクと鳴る心臓の音と、瞳孔が揺れるのを感じながらそこへ割り込むように声をかけた。

 「あの、すみません。僕はどうして……。ここはどこです?何があったんですか……」

 立て続けに質問し、担当医らしき人が口を開き僕に説明しかけた時だった。

 いきなり部屋のドアが開き、またもや数名の大人たちが勢いよく入ってきた。今度はスーツ姿だ。

 さらに、後ろからもう一人、今度は女性だ。その女性は、黒く長い髪をなびかせて、ツカツカと担当医に詰め寄り言った。

 「これよりこの少年の身柄はうちで引き取ることになった。そこをどいてもらおう。なお、この少年、野上春斗に関することは国家機密であるため他言しないように」

 その女性は、なにやら金色に光るバッジを見せている。

 すると僕の周りを囲んでいた白衣姿の大人たちは、仕方なさそうに道を開けるようにたじろいだ。

 眼前で起きている事態を呑み込めない僕は恐る恐るその女性に聞いた。

 「えっと、何が起きてるんですか?あなたは誰ですか?」

 「やっぱり。覚えてるわけないか……」

 「えっ……」

 「もういい!運び出せ」

 女性は、微かに瞳を潤ませながら命令した。

 僕は、厳ついスーツ姿の男に両脇を抱えられながら部屋を後にし、外で待機している黒塗りの車に無理やり押し込められた。

 車窓から確認できたのは、僕がいたのは病院だったということだけだ。


 ニ十分程車に乗せられた後、僕は、見慣れない大きなビル群の中の一つに連れてこられた。入り口には資源エネルギー庁と書かれた看板が見えた。

 僕はエレベーターに乗せられ、薄暗い部屋へと案内された。室内には机を挟んでニ脚の椅子が置いてあるだけだ。

 「まるで警察の取調室みたいだな……。でも確か資源エネルギー庁って……」

 僕がそう呟いているとさっきの黒髪の女性がドアを開け、入ってきた。そして、開口一番に言った。

 「やっと会えたな、兄さん……」

 「えっ……」

 「わからないか?私は野上紫苑。お前の妹だ」

 そう言うと、彼女は僕の方へ歩み寄り、僕を強く抱きしめた。彼女の鼓動、吐息、僅かな体の動き、全てが伝わるまでに強く、強く抱きしめられた。僕は少しの間呆然としてしまった。

 ハッとして、僕は、慌てて彼女を引きはがし、言った。

 「いやいやいやいや、そんなことあるか!僕の妹は五歳だし、背もまだ、腰の高さくらいしかないんだぞ!それに紫苑はあんたみたいな目つきの凛々しいタイプではなくてもっと優しい目をしてるし、言葉遣いもそんなに粗暴じゃないんだよ」

 「まぁ、そんなに慌てるな。お前の置かれている状況を一から説明してやる」

 「落ち着いてなんかいられるか!さっき、地震が起きて、地面から黒い変なものが出てきて僕の中に入ったと思ったら、突然現れたあんたが紫苑だとか……信じられない事の連続で頭パンク寸前なんだよ!」

 「それも含めて説明してやるから、まずは、座って話を聞け」

 「だから、無理だって……」

 僕がまた口を開いた瞬間だった……紫苑と名乗る女性が拳を握り僕の腹部に勢いよく、めり込ませた。

 「痛い!なんで殴るの?」

 「お前がいつまでも騒ぐからだ。まだ騒ぐならもう一発いくが?」

 「ごめんなさい。勘弁してください」

 僕は、渋々席について、話を聞くことにした。

 彼女も席に着く。そして話し始めた。

 「まず、最初に、お前は高校入学の日地震に遭ったな」

 「はい」

 「そして怪しい物体がお前の体内に入り、直後に意識を失ったと」

 「そうです。……なんで知ってるんですか」

 「知っているさ。妹なのだからな。そして、結論から言うと、今現在は、その日から二十年後ということだ」

 「に、二十年後⁈」

 「そうだ。これを見てみろ」

 そう彼女が言うと、ポケットから電子端末を取り出して日付表示を見せた。

 そこにはちょうど二十年後のカレンダーが表示されていた。

 「う、嘘だ。こんなもの設定をいじればいくらでも……」

 「信じられないか?まぁ、無理もない。外を見てみるか?」

 彼女は席を立ち部屋の端にあるスイッチを押した。すると壁が窓に変わった。

 窓の向こうには、信じられない景色が広がっていた。

 見たこともない超高層の摩天楼が数えきれないほど立ち並び、空中には車らしき物や電光掲示板が浮いているではないか。更には、街の中心にはあの黒い物体と似たようなものまで浮いている。しかし、それは僕の体に入ったものとは比較にならないくらいに巨大で不気味であった。

 僕はその黒い物体を指さして言った。

 「あれは何?僕の中に入ったものに似てるんだけど……」

 「あぁ、あれか。あれは『アンノウン』と言ってな……。お前の体内にあるものと同じものだ。」

 「アンノウン?聞いたこともない……」

 「当然だ。お前が意識を失った日に発見されたからな」

 「どうゆうことです?」

 「あの日、大地震によって東京は壊滅的な被害を受けた。それと同時に〝あれ〟が地中から突然出てきたのさ。見たこともない物質に政府や学者は目が釘付けに……。被災地のことも後回しにするくらいにな。そして学者たちが必死に調べてた結果、新発見の物質であることが分かった。学者たちは未知の意味を込めて『アンノウン』と名付けた」

 僕は息をのんだ。

「東京が壊滅……」

 「そうだ。しかし、不幸中の幸いもあった。アンノウン発見から一年後、研究の末に、あることが分かった」

 「あること?」

 「アンノウンの性質だ。アンノウンは金属で金よりも安定した物質で加工も容易で、電気伝導性も銀よりも高く、熱や湿気にも強いことも分かった」

 「あのぉ、もう少し簡単に言うと……」

 「とても便利な金属、ということだ。もう少し勉強しろ」

 「はい……。それで、どうしてそのアンノウンとやらが僕の体内に入ったんですか?」

 「わからん。これまでにアンノウンが人体と融合した事例もなければ報告もない。それだけまだまだ未知の物体ということだ。それに加えてお前の容姿も二十年前と一切変わっていないんだ」

 そう言うと彼女は手鏡を取り出し、僕に手渡した。そこにはいつもの自分が映し出されていた。

 「特に変わったことはないですけど……」

 「それが異常なのだ。二十年間も容姿の変わらない人間などいないからな」

 僕は沈黙した。

 僕は、その後もアンノウンと意識を失っていた二十年について長々と説明を受けた。

 アンノウンの発見のおかげで日本経済が飛躍的に潤ったこと。アンノウンを使用した電子部品の開発により日常生活が画期的に変容したこと。アンノウンが携帯電話から兵器に至るまでに使用されていること。そして、東京の復興についてもだ。

 気が付くと、僕は、自分が二十年間意識を失っていたことに納得し始めていた。

 そして目の前の疑問を解消するべく、恐る恐る質問した。

 「これまでの話には、少し納得しました。でも、あなたが、僕の妹の紫苑だという証拠はあるんですか?」

 「証拠か。これだけ説明しても、まだ私のことを信じていないのか……」

 「当たり前です。さぁ、早く証拠を……」

 僕が詰め寄ろうとした時、彼女がスーツの内ポケットから何かを取り出した。写真だ。

 そこには僕の、野上家の集合写真が手にされている。

 僕はそれを受け取り言った。

 「……写真だけでは判断できません。もっと確たる証拠を見せてください」

 「分かった。ならこれでどうだ?」

 彼女がそう言うとまた内ポケットから何かを取り出した。そこにはこう書いてあった。

 「ディーエヌエー鑑定……。99.9%一致……。じゃあ、本当に……」

 僕は、動かぬ証拠を突き付けられて、狼狽したと同時にほんの少し安堵した。目の前の見知らぬ人間が、自分の肉親であるとわかったら肩の力が抜けてきたのを感じた。

 そして、紫苑が言った。

 「これでわかっただろう。私たちは正真正銘の血のつながった兄妹だ」

 「分かった。紫苑なんだね……」

 「そうだ。兄さん。……コーヒーでも淹れてこよう。まだまだ話は長いからな」

 そう言うと、紫苑は部屋を後にした。

 

 五分後、僕はまたしても、当然の疑問を紫苑にぶつけた。

「ところで、ここはどこなの?」

コーヒー片手に紫苑が答える

「資源エネルギー庁だ」

「資源エネルギー庁?」

「そうだ。詳しくは資源エネルギー庁新エネルギー部アンノウン課の取調室だがな」

「長い……。そ、それは、何をする機関なのかな?」

「アンノウン関係の流通、開発の統括、事件、事故の調査及び解決を任されている。私はそこの課長をしている」

「かっ、課長⁈じゃあ……よくわからないけど偉いの?」

「兄さん、少し質問がバカっぽいぞ」

紫苑が呆れた顔で僕をため息交じりに見て言った。

「しょうがないだろ!わからないことだらけなんだからさ」

「しょうがない、では済まされないぞ。なんせ、お前にはここで働いてもらうからな」

「えっ?えええええええ⁈働くって、ここで?いきなりすぎやしませんか?あと、さっきから兄に向ってお前呼ばわりとはなんだ!兄さんは悲しいぞ。二十年の間に何があった⁈」

「五月蠅い!決定事項だ。ただでさえ、アンノウンと融合しているのに、野放しにできるか!お前の存在は国家機密なんだ。詳しく調査もしなければならないし、外にこのことが漏れると、色々と厄介事か付きまとう」

「厄介事ってなんだよ」

「もし、お前の存在が知れてみろ。犯罪組織が黙ってないぞ。それに外国もお前のことを欲しがるだろうな。こんな貴重な存在を欲しがらないわけがないからな」

「……わかったよ。だけど、お前呼ばわりはやめなさいな。せめて兄さんとかにしなさい」

「無理を言うな。これからは上司と部下の関係になるからな。部下相手に兄さんはおかしいだろ。それに他にも職員はいるんだ。体裁がある」

「だからって、妹にお前呼ばわりされるのもな……」


消えない悲しみが残る中、僕はこれから働くことになるアンノウン課を紫苑の案内の下で見て回ることになった。

部屋を出て長い廊下を突き当りまで進むと紫苑がアンノウン課と書かれたドアを開けた。中に入ると数十人の職員がいた。一歩踏み出し中の様子を伺うと、沢山の目がこちらを一斉に向いた。そして、口々に皆ぼそぼそと話している。

「誰だ?」

「さぁ……」

「知ってる?」

「知らないな」

皆の反応をよそに、紫苑が部屋の隅々まで届くような大きな声で僕を紹介した。

「聞け‼ここにいるのは、野上春斗。今日からアンノウン課に配属となった。ほら、挨拶をしろ」

そう言うと、僕は背中を軽く押され皆の前に出た。

「野上春斗です。よろしくお願いします」

「野上は、第二班に入れる予定だ」

紫苑がまた大声で言うと、周りがざわつき始めた。

「聞いたか?第二班だってよ……」

「あぁ、新人がいきなりとはね」

「あいつ体持つのかね」

「可哀想……」

皆が口々にそういうので、僕は一抹の不安を覚えた。もしかしたらとんでもない問題班に、配属されたのかもしれないと。この推測がすぐに現実のものとなることを僕はまだ知る由もなかった。何も知らされない恐怖と不安、心臓の鼓動が速くなるのを感じながら、僕は第二班のメンバーが待つ部屋に案内された。

紫苑が扉を開くと、室内は静寂に包まれている状態だった。中には三人のメンバーが椅子に腰掛け、鋭い目つきでこちらを凝視している。

僕は、背筋に緊張が走るのを感じ、思わず目線を逸らした。

紫苑がため息交じりに言った。

「おい。新人をビビらすんじゃない」

すると、その中の一人の金髪男性が吹き出し笑い、謝ってきた。

「ごめんごめん。ちょっとからかっただけだから、そんなに固くならないでくれるかな?」

僕は、あはは、としか言えなかった。

再び紫苑が僕を紹介した。

「野上春斗だ。今日からこの第二班に配属が決定した。皆、よろしく頼むと同時に、十分にしごいてやってくれ。ほら、お前からも挨拶しろ」

「の、野上春斗です。よろしくお願いします」

僕が挨拶をすると、さっきの金髪男性も挨拶と自己紹介をしてくれた。

「俺は、アルベール斉藤。一応フランスと日本のハーフだよ。気軽にアルベールと呼んでくれ。よろしくね!ほら、みんなも挨拶しなよ。皆顔怖いよー。ほらほらー。じゃあ、千里ちゃんからね。はい!」

アルベールが手をパンと叩いて、奥に座っている黒髪の女性の方を指差した。

「……よろしく」

「それだけ?もっと他に言うことがあるでしょ!……もう、相変わらず照屋さんなんだから」

「誰が照屋だって?」

鋭い目つきでこちらを睨む千里。それをしれっと無視するアルベール。

「彼女は、夜霧千里ちゃん。とにかく怖いけど、慣れると可愛い一面もあるから乞うご期待だよ」

するとアルベールの後頭部に勢いよくペン立てが飛んできて、見事に命中した。犯人はわかりきっている。夜霧だ。同時に、チッと舌打ちもしていた。僕は、怖いなあ怖いなあと思ったが、眼前で起こっている事実と空気を読んで黙っていた。

アルベールはもちろん怒ったが相手にされていなかった。

そんなやり取りを見ていた紫苑が呆れて言った。

「そこまでにしておけ。おい、アルベール!紹介を続けろ」

「すみません。紫苑さん。……ではでは紹介を続けましょう。こちらに座っている強面の人が本郷総一朗さんです。本郷さん、よろしくお願いします」

アルベールがそう言って深々と頭を下げると、本郷が重そうな腰を上げこちらに歩み寄ってきた。そして、握手を求めると同時に自己紹介が始まった。

「本郷総一朗です。ここの班長をしています。どうぞよろしくお願いします。ここでは、というかアンノウン課では、一番の古参で最年長者です。因みに四十五歳ね。長くいるだけに此処のことは何でも知っているつもりだから、困ったことがあったら聞いてね。できるだけ力になるからさ」

「よ、よろしくお願いします」

そう僕が言うと、本郷さんは固い握手をしてくれた。大きな手が一層彼の人の大きさを表しているように感じた。

班員全員の自己紹介が終わったところで紫苑が言った。

「よし、全員終わったな。何か質問はあるか?」

アルベールが元気よく手を挙げ、質問する。

「はいはーい!課長と野上君は同じ苗字ですけど、親戚とか?」

「……この際はっきりと言っておくか。野上春斗は私の兄だ」

そう紫苑が言うと部屋の中は張り詰めた空気に一瞬で変わった。それまでこちらに見向きもしなかった夜霧や穏やかな雰囲気を醸し出していた本郷の顔色も疑問を浮かべ、こちらに視線を向けている。あんなに陽気だったアルベールでさえも頭の上に?マークを浮かべている。

疑問を持つのも当然だろう、紫苑と僕の背格好や物言いからして紫苑が姉で僕が弟ならまだ納得がいくが、その逆ともなれば話は大きく変わってくる。

アルベールが思考停止している最中、本郷が疑問を解消しようと問いただす。

「課長、一体どういうことですか?どう見たって彼はせいぜい十五、六歳。一方課長は二十五歳……採算が合わないです」

「そうだろうな。今からその事と野上春斗の身に何が起きたか説明するが、この話は第二班の中だけでとどめておいてくれ。なにせ、こいつのことは国家機密なんでな。いいな」

そう紫苑が言うと、皆は黙って頷き話を聞いた。

紫苑は僕の身に起きたこと全てを話した。震災当日にアンノウンと遭遇したこと、体内にアンノウンが入り融合したこと、そして、二十年間眠っていたこと。そう、全てを。

紫苑の話が終わったころには日が暮れ始めていて、空はほんのり茜色に染まっていた。


「そんなことが実際あるんだね」

「全く、信じられん」

「……」

紫苑が僕の失われた二十年間について説明した後は皆一言口にするのがやっとなくらいに驚いていた。

そんな状況の中、紫苑が言った。

「驚くのもそこらへんにしてくれ。これからやることがあるからな」

僕は、正直に質問した。

「やること?」

「あぁ、まずは、野上春斗の指導役兼パートナーを決めたいと思う。誰か立候補するものはいないか?……いないのなら私が決めるが……。本郷、どうだ?」

「私は、辞退させて下さい」

「何故だ?」

「私には妻子がおります。ので、勤務時間外を共に行動することの多い指導役は家族に負担がかかります。それに、年齢差も野上君とはだいぶあるので馬があまり合わないと思います。以上の事から私は辞退したいと思います」

「そうか、経験値豊かな本郷が適任者だと思ったが、それならば仕方ないな。では、アルベール……はないとして」

紫苑が即却下するとアルベールが反論すべく立ち上がった。

「ちょっと!課長!ひどいじゃないですか。あきらめるの早すぎでしょう。なんかないんですか俺には。本郷さんには理由聞いたでしょうに。まぁ、俺だって辞退するに決まってますけどね」

辞退するんかい、と思ったが、僕は、くちには出さなかった。

紫苑が小さくため息をした後に言った。

「理由はなんだ」

「待ってました!そのお言葉!俺には可愛い子猫ちゃん達、もとい、女の子達がいるからね!だから野上君の相手を」

「夜霧、頼めないか?」

アルベールのどうでもいい話を遮るように紫苑が言った。

奥に座っておとなしくしていた夜霧がこちらを向く。

「……紫苑さんが言うなら、いいですよ」

却下すると思いきや、夜霧はあっさりと受け入れた。僕としてはさっきのペン立てを投げた辺りからこの夜霧千里という人物を少し警戒していたので正直当たらないでくれとは思っていた。それだけに、頭のてっぺんから足先に至るまでに緊張が電流のようにビリビリと走った。

僕は、夜霧の方を向いてよろしく、と一礼した。

当の本人と言えば相変わらず奥に座って言葉も発せず机に向かっている。

僕は、この先やっていけるか不安だったが、まずは、ひと段落し、ホッとした。

そのころにはもう日は暮れアンノウン課の人間も残り少なくなっていた。


時計の針が夜の八時を回った頃に紫苑が言った。

「今日はこのくらいで解散するとしよう。明日からは野上春斗の研修期間だ。夜霧、頼むぞ」

「はい、分かりました」

「それと各面々も夜霧と野上のサポートをすること。いいな?」

「了解です。課長!」

アルベールが調子よく返事をしたところで解散となった。

皆が帰り支度をする中僕は、紫苑に訊いた。

「あのさ、今日はどこに帰ればいいのかな?病院かな……。家は……地震で壊れたんだっけ?だとすると……」

「安心しろ。お前にはしっかりと居住地を用意してある。実はな、資源エネルギー庁の寮があるんだ。そこに住んでもらうことになっている」

「なんだよかった」

「まぁ、私と夜霧もその寮に住んでいるのだがな」

「そうなのか。それなら心配ないや」

「心配とはなんだ?」

「ん?あぁ、これまで一人暮らしなんてしたことなんかなかったから、紫苑と夜霧さんがいて良かった、ってこと」

「そういうことか……。まあいい。夜霧!野上を寮まで案内してやれ」

帰り際の夜霧を紫苑が呼び止めた。

夜霧はボソッと何か言った。

「……なんで私が……」

「どうした?何か言ったか?私は所用で少し遅くなる」

「いいえ。何でもないです。分かりました。野上春斗!行くわよ」

そう彼女が言うと、はい、と返事をした。身一つだった僕は帰り支度をする事なく帰路についた。


寮への帰り道、僕と夜霧の間にはほとんど会話はなく、気まずい時間だけが只々流れるだけだったが、それを切り裂くように夜霧が話しかけてきた。

「私、アンタのこと認めてないから。それだけ」

僕は、中々の先制ジャブを貰い心がよろめきそうになったが、何とか平静を装うことができた。そして、僕は、彼女の気に触れないように黙っていることにした。

暫く両者無言のまま歩いていると四階建てのマンションが見えてきた。周りには目立った建物もないのでおそらくここが寮だろうと推測した。

「ここよ」

やはり。

僕たちは寮舎の中に入り各々の部屋に向かうことになった。夜霧が僕を部屋まで案内していると、彼女が立ち止まって言った。

「アンタの部屋は……って、何で⁉どうしてなの⁈」

驚いた表情を浮かべる夜霧の横顔を僕は、覗き込むように訊いた。

「ど、どうしたんですか?何か問題でも……。えっ……」

僕たちは部屋のドアの右横にある表札を見て言葉を詰まらせた。沈黙が五秒にも十分にも感じられた。表札には僕、野上春斗と夜霧千里の名前が印字されているではないか。

僕は、何かの間違いではないかと思い何度も目をこすっては表札の文字を確認した。しかし、現実が変わることはなかった。

「相部屋……」

僕が、そうつぶやくと、夜霧は物凄い形相でこちらをキッと睨んだ。つり目の凛々しい顔立ちの彼女がその様な表情をするのだから尚のこと怖い。

僕は、言った。

「と、ともかく、このままじゃ埒が明かない。取り敢えず中を確認しませんか?」

「えぇ、そうね」

不機嫌な夜霧を何とか説得して、僕たちは鍵を開け部屋の中に入った。室内灯が自動で点く。目の前には二つのベッドと僕の荷物が入っているであろう段ボールが数箱置いてある。他にはというと目ぼしい家具などはなく……というか、色味のない生活感がない部屋だ。

僕は、部屋の中を見回して言った。

「殺風景な部屋だな」

「悪かったわね、何の色気もなくて。……それよりも、今は目の前の問題をどう対処するか、よ」

「そ、そうですね。でも、どうするんですか?」

「簡単よ。アンタが外で寝ればいいのよ。はい、問題解決。風邪ひかないでね。明日からの研修にひびくから。じゃ、お休み」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ‼いきなり外にほっぽり出さないでくださいよ‼今日結構冷えますし、確実に風邪ひきますよ、てか風邪通り過ぎて死にますよ‼お願いしますから中に入れてください。ちょっとだけでいいから、中に入れさせて下さい。開けてください」

僕が半泣きでドアに縋り付きながら寝床を懇願していると、微かにドアが開き隙間から夜霧の目が見えた。そして、彼女が言った。

「アンタそれセクハラだから。そんなハラスメント野郎に居座らせる部屋もベッドもないから。それだけ」

また扉が閉まる。

「そ、そんなつもりなかったのに……。じゃあ、これから僕はどうすればいいんだ」

僕が夜霧に締め出されてから三十分程経った時だった。奥の方から聞き覚えのある声がした。紫苑だ。

「そんなとこで何やっているんだ兄さん」

「あっ!丁度いいところに来た。紫苑、困ってるんだよ。助けてくれ」

僕はこれまでの経緯を紫苑に説明した。

「……なるほどな。それで、外で惚けていたわけか」

「そうなんだよ。どうにかしてくれないか?頼むよ紫苑。夜霧さん部下でしょ?何とか説得してくれないかな?」

「……分かった。明日にでも話すとしよう。今日のところは私の部屋に来い。泊めてやる」

「本当に?助かるよ紫苑。ありがとう」

そう言って、僕は紫苑の頭をいつものように軽く撫でた。

紫苑はというと少し顔を赤らめたと思ったら、直ぐに僕の手を振り払った。

僕は、振り払われた手を見てアハハと苦笑した。少し悲しかったが、実感のない二十年という月日をようやく感じた瞬間でもあった。

ともかく、今日の寝床は確保できたわけなので風邪をひく心配は皆無となった。一安心した。


僕は、紫苑の部屋に招かれた。部屋の中はと言えば、僕を締め出した誰かさんと似て殺風景で生活感のない様子だ。恐らく自室と仕事場とを行き来するだけで、ここには休眠しに来ているだけなのだろうと、妹の私生活を心配しつつも、どこか寂しいと感じる僕がいた。

振り返ると紫苑が夕飯の支度を始めていた。僕も何か手伝おうとキッチンへ足を運んだ。

「僕も何か手伝おうか?何作ってるの?」

「無難に肉じゃがを作ろうと思ってな。いいんだ。兄さんはそこらへんでゆっくりしていてくれ」

「そっか。じゃあ、お言葉に甘えるとしよう。ところで、二人きりだと『兄さん』と呼んでくれるんだね。嬉しいよ」

「う、うるさい。黙ってテレビでも見ていてくれ」

僕は、少し動揺した大人の紫苑も可愛いと純粋に思ってしまったが、可愛いなどという言葉は今の彼女には似つかわしくないと思い心の中にしまうことにした。

三十分程経ちいい匂いがしてきた。

「できたぞ兄さん。さあ頂くとしよう」

「ああ、そうだね」

僕たちは箸をとり、肉じゃがをつまんだ。すると、紫苑がフッと笑った。

「どうしたの?」

「いや、こうして二人で食卓を囲むのは二十年ぶりで、最後に兄さんと食事をした事を思い出すと何だかおかしくてな。こんな温かい食事と時間は久しぶりだ」

「ハハ、僕にとっては、今朝のことだしね。お互いの時間感覚がこうもずれていると確かに不思議を通り越して面白く感じるよね。……僕思うんだけど、こうしてゆっくりでもいいから二人の失った二十年間を取り戻せたらいいなって」

「そうだね、兄さん」

「うん。それと、二人きりの時はやっぱり素直な妹に戻るんだね。外だと僕に対して上からっていうか、思いっ切り上司感出てるもんね」

「当たり前だ。部下の手前、今みたいな態度は取れない。威厳のない上司に誰もついてこようなどと思わないだろ。だから、皆の前では勘弁してくれないか?」

「分かったよ。僕も他では紫苑の部下としての言動をとることにするよ」

「そうだな。助かる」

これからの方針も決まり、食事も終わったところで僕たちは眠りにつくことにした。あいにく、ベッドは一つしかないので、僕は、雑魚寝をすることにした。すると紫苑が心配そうに言った。

「兄さん、床でいいのか?詰めればベッドだって二人寝られるが?」

僕は、紫苑を見て思った。ついさっきまで五歳だった彼女が急にナイスボディのお姉さんとなって現れて、その日のうちに一緒に寝ようと言ってきた。寝息の聞こえる距離で彼女の体温を微かに感じながら寝るなんて、これは理性が……いや心が落ち着かない。

「ぼ、僕のことは気にしないで、ゆっくり寝なさいな。疲れているだろう?大丈夫。床で寝るの好きだし」

心にもない、訳の分からない言い訳をして、僕は、借りた毛布を被り紫苑に背を向けて就寝体制に入った。

月明かりが部屋に差し込んで二人の間をやさしく照らす。 

時計の時刻表示はとっくに日付をまたいでいた。


「……おはよう。兄さん。起きてくれ」

「んんん……」

「もう八時だ。起きる時間はとっくに過ぎているんだ。支度をして、出なければ」

僕は、重い瞼をやっとの思いで上げ、あたりを見まわした。目の前には紫苑の顔が迫っており、一瞬ドキッとした。慌てて起き上がると朝日の差し込んだ、既視感のある薄暗い部屋が広がっている。

「あぁ、そうか。僕は……。夢じゃなかったんだな」

「夢?……寝ぼけてないで、さっさと準備しろ。時間が無い」

「わ、分かったよ。そう急き立てるなよ紫苑。朝弱いの知ってるだろ?」

「だからといって、悠長に待つわけにもいかんだろ。ほら、行くぞ」

慌ただしい朝のひと時を過ごした僕たちは朝食も取らずに庁舎に向かった。

道中、僕たちは昨夜の約束事を確認していた。

「兄さん、昨日も言った通り部下たちの前では態度を改めるからよろしく頼むぞ」

「わかってるよ、紫苑。僕も二人の時以外は、皆と同じ様にふるまうから安心してくれ」

「ところで、夜霧のことだが……」

「あぁ、夜霧さんね。昨日は突然の事で驚いたけど彼女からしたら当然の反応だと思うよ。紫苑からもよろしくお願いするけど、僕も何とか説得してみるよ」

「そうか……。……相部屋だなんて羨ましい」

「ん?何か言ったかい?」

「いや、何でもない。気にしないでくれ、兄さん」

そんな話をしていると、昨日連れてこられた資源エネルギー庁の庁舎が見えてきた。

僕たちは、お互いに顔を見合って、うんと頷き、表情を引き締めてアンノウン課へと向かった。

僕の胸中には、上手く仕事に慣れることができるかという不安が濃く渦巻いていた。


僕たちはほぼ同時にアンノウン課の入口をくぐった。僕は恐る恐る一礼をして、入った。紫苑は、堂々とおはようと挨拶をした。そして瞬時に方々から無数の挨拶が返ってきた。

「おはようございます!課長!」

「おはようございます」

「課長、おはようございます」

僕は圧倒されたと同時に、部下の挨拶を一心に集める紫苑を尊敬した。紫苑はツカツカと歩きながら挨拶を返し、自分のデスクまで一直線に向かった。

そんな彼女に目を奪われていると、後ろから声がした。

「邪魔」

振り返ると不機嫌そうに立っている夜霧がいた。

「ご、ごめんなさい」

僕は慌てて道を譲った。

「ボーっと突っ立てるだけなら馬鹿にでもできる。さっさと来なさい」

「は、はい」

僕は夜霧の後を追うように第二班の部屋に向かった。早歩きで。

部屋の扉を開けるともう既に来ている人物がいた。がっしりとした体格に、少し白髪交じりの頭髪。本郷さんだということが一目で認識できた。本郷さんはほうきとちりとりを持って室内の清掃をしていた。

僕は挨拶をした。

「おはようございます。本郷さん」

「あっ!おはよう野上……春斗君だったね。今日からよろしくな」

「はい。よろしくお願いします」

強面の持ち主である本郷さんは、その見た目に相反して温厚な性格であることがうかがえた。何せクシャッと笑ったときの顔が素敵だからだ。

本郷さんの笑顔に安心感を得た時だった。扉がバタンと勢いよく開き見覚えのある金髪が姿をのぞかせ、聞き覚えのある声が響き渡った。

「ボンジュール!おはよう皆!今日も一日頑張ろうぜ」

アルベールだ。

彼は出勤してくるなり僕に絡んできた。

「おはよう。なあ野上君、千里ちゃんとは仲良くなれたの?どうなの?」

しつこく聞いてくる彼に僕は困りつつ答えた。

「ま、まだ何とも……」

「えっ?そうなの?てっきり意気投合したのかと思ったよ。だって昨日一緒に帰ってたじゃないか」

「誤解ですよ。あれはただ単に寮へ案内してもらってただけです……てか見てたんですか」

「バッチリね。なんだ残念だったな~。折角千里ちゃんがデレたと思ったのに」

アルベールがチラッと夜霧の方を見て言うと、彼女が一言呟いた。

「……最悪」

「怖っ。千里ちゃん怖っ。笑顔、笑顔だよ!スマイル!」

「五月蠅い!」

彼女がさらに不機嫌になったことは一目瞭然だった。そして彼女は昨日と同じ様に自分のデスクにおいてあるペン立てを手にしてアルベールに思いっ切り投げた。

見事に命中した。痛がるアルベールは床で転げまわっている。僕はどうすることもできず、身を固めて立っていることしかできなかったが昨日の衝撃よりはまだましだった。

時計が九時を回ったところで班長である本郷さんが集合の号令をかけた。

「全員席に就け。これから朝のミーティングを始めるぞ」

先程まで床で悶絶していたアルベールが立ち上がり着席する。夜霧も姿勢を正し、視線を本郷さんの方へ向ける。僕に至ってはまだデスクが用意されていないらしく、部屋の隅にある少しさびたパイプ椅子を見つけて座った。

「えー、おはようございます。今日から課長のお兄さんの野上春斗君がこの第二班に配属されました。野上君、自己紹介改めてよろしく」

本郷さんに指名されて、僕は再び自己紹介をした。

「野上春斗です。まだ右も左も分かりませんが、一生懸命頑張ります。よろしくお願いします」

僕が一礼したところでアルベールが明るく声をかけてきた。

「よろしくね!」

「よろしくお願いします。アルベールさん」

「固い固い!気軽にアルベールでいいよ。あとため口でもいいからさ。敬語とか堅苦しくて嫌なんだよね」

「わ、分かったよ。アルベール」

「うん。宜しい」

アルベールに対しての呼称が決まったところで本郷さんが言った。

「そろそろ続きいいか?……本日の活動内容だが、いつも通り各自待機だ。以上、連絡終わり。他になければミーティングを終わるが」

アルベールが手を挙げる。

「はいはーい!一個決めたいことがあるんだけど」

「なんだアルベール?」

「野上君の呼び方なんだけどどうする?」

アルベールがたわいのない質問をした。

僕は割り込むように質問する。

「それって重要ですか?」

「重要だとも。チームワークで動くからね」

「はあ」

本郷さんが一つ提案してきた。

「普通に野上でいいのでは?」

アルベールが反論する。

「いや、それだと課長と被るでしょう?だから俺一晩考えたんだよね」

「ほう。随分と考えたな。それで?」

「『姫』ってどうかなと」

「姫?何故だ?男につけるにしては大分珍妙ではないか?」

「そこがいいんですよ!二十年も眠ってたから、眠り姫からとって『姫』にしてみたんです。ただでさえ面白い……じゃないや、珍しい過去を持っているんだからさ。それくらい突飛なニックネームの方がいいですって。響きもいいし。何より覚えやすい」

「なるほどな」

見るに見かねて僕は発言した。

「なるほどな、じゃないですよ本郷さん!勘弁して下さい『姫』だなんて。恥ずかしくて死にそうですよ。最初に出た野上でいいですよ。もしくは春斗でいいじゃないですか!」

そんな異論を無視してアルベールによる強行採決が始まった。

「多数決とりまーす。『姫』でいい人―」

アルベールと本郷さんが手を挙げる。

「千里ちゃんは?」

「……何でもいい」

「じゃあ、決定です。今日からお前は『姫』だ」

「ええー!いやですよ!やり直しを要求します」

「却下」

「本郷さん何とか言ってくださいよ」

「いや、決まったことだ。観念しろ。姫」

「そんなー」

僕のニックネームが絶望的なものに決まったところで今まで沈黙を決め込んでいた夜霧が立ち上がった。僕はなんだ?と思い彼女の方を注意深く見た。そして彼女は僕の目の前に来て言った。

「おい……姫、これから研修と訓練を兼ねて別の施設に行くわよ。ついて来なさい」

「は、はい。てか、夜霧さんも僕のこと姫呼ばわりなんですね」

「何か言った?」

「いえ。ちょっと絶望しただけです」

「ごちゃごちゃ言ってないで行くわよ」

僕たちは部屋を後にし、庁舎を出た。


外に出ると黒塗り車が待機しており、僕と夜霧さんは後部座席に乗った。間もなく車は発車し、快適に走らせた。車内では沈黙が続いており、気まずい僕は思い切って夜霧さんに話しかけた。

「あの、夜霧さん」

「さん付けしなくていいわ。変に堅苦しいの、嫌いなの。それにアンタの方が実年齢上じゃないの。見た目とは裏腹に」

「で、でも三十五歳の自覚も無ければそうでありたいという願望もないんですよね」

「……」

「分かりました。よ、夜霧?」

「敬語もやめて、気持ち悪い」

「わ、分かった」

 僕は再び沈黙の時間が流れるのが嫌で、引き続き夜霧に質問した。

 「夜霧は、歳いくつなの?」

 「十八」

 「へ、へえー」

 聞くことが無くなった。我ながらコミュニケーション能力の低さに嫌気がさす。

 三度沈黙の時間が流れる。

 僕はもう口を閉ざすことにした。何故なら彼女が会話を望んでないと思ったからだ。

 その後も僕たちの間に会話はなく、空虚な時間だけがただ過ぎていった。それから十分程経ったところでどうやら訓練施設とやらのついた様子だ。車が停止してドアが開いた。車を降りると、目と鼻の先には打ちっぱなしの灰色のコンクリート壁がそびえ立ち真ん中に自動扉があるだけだ。

 あっけにとられている僕を夜霧がせかした。

 「突っ立てないで早くしなさい。本当に今朝のことといい、どんくさいわね」

 「ごめん」

 彼女が自動扉をくぐり中へ入って行ったので、僕も駆け足で後を追った。

 「ここがアンノウン課の訓練所よ。通称、猟犬の巣」

 「猟犬の巣……。穏やかでない名前だね」

 「まぁそのうちわかるわ」

 「ところで、何で訓練施設に連れてきたの?てっきり僕は雑用係かと」

 「アンタ何も聞かされてないのね。第二班の別名は、作戦実行部隊なのよ」

 「作戦実行部隊?それって何をする部隊なの?」

 「第二班は主にアンノウン絡みの事件事故時の治安維持や解決をする、要は戦闘部隊よ」

 「せ、戦闘部隊だって⁈聞いてないよそんなの」

 「知らないわよ。……アンノウンが発見されてから法改正が進んで、特別にできた部隊よ。事と次第によっては武装して事件現場に向かうわ」

 「武装って、銃とか?」

 「ええ、そうね。拳銃からライフルまで様々な武器を使用するわ。その為の訓練施設ってのがここなわけ。ここまでいい?」

 「わ、分かった」

 「でも、少しは安心しなさい。最近は他部署の活躍で出動自体が減少してるの。だから滅多に銃撃戦にもならないし、いつも待機しているか時々ここに来て訓練するだけの毎日よ」

 「へー。案外暇な部署なんだね」

 「まあね、暇に越したことはないわよ。私たちが暇ってことは、それだけ世間が平和ってことだからね」

 「なるほど」

 「でも、アンタには訓練してもらうわ。もしもの時にただのでくの坊では困るのよ」

 「今のところ僕はでくの坊なのね。アハハ……」

 「決まってるじゃない。今のままじゃ到底使い物にならないわよ。それに……」

 「も、もういいかな。ところで訓練てのはどんなことをするのかな?」

 「まぁ、普通は射撃訓練とか体術や格闘術かしら」

 「射撃訓練!射撃訓練がしたい」

 僕は目を輝かせて言った。銃といえば一度は触れてみたいアイテムの一つであると同時に男心をなんとなく誰しもがくすぐられるワードだからだ。

 「いいけど、銃の所持は十八から……ってアンタ見た目それでも実年齢三十五だったわね。すっかり忘れてたわ」

 「地味に傷付くからやめてくれ。と、とにかく撃ち方教えてくれ」

 「はいはい。教えるからついて来なさい」

 そう彼女が言うと、射撃訓練場に案内された。視界に入ってきたのは数多くの拳銃やライフルといった武器から銃弾、机を挟んだ向こう側の人型の的だった。僕は少しワクワクしながら周りを眺めた。中には知っている銃もいくつかあった。

 僕が銃に手を伸ばすと、夜霧が制止した。

 「勝手に触るな。まずは説明を聞いてからよ」

 「はい、すみません」

 夜霧が銃の打ち方、仕組みなど事細かにメモ帳などを見ずに説明し始めた。僕は感心しながらも熱心に聴いた。そして三十分程経ち、ようやく打つ段階に入った。

 「やっと撃てる……」

 「本当ならもっと説明に時間をかけるところを大分省いたんだから感謝しなさいよ」

 「ありがとうございます」

 僕は早く打ちたいがために夜霧に対して従順になっていた。

 「ほら、撃ってみなさい。まずはこの拳銃からね。これは、イタリア製の拳銃で……って言ってもわからないか。まあいいわ。さっき教えた通りやってみなさい」

 「分かった。えっと、マガジンを入れて……安全装置をと。よし」

 僕は夜霧に教えてもらった通りに操作し遂に撃つところまで来た。狙いを付けて引き金を引いた。

 「バン!」

 銃声が響く。同時に腕を介して体全体に反動が伝わった。

 「当たったか?」

 僕は的を確認した。しかし、弾痕らしきものは見当たらない。

 「残念。はずれね」

 夜霧は外れることが分かっていたかのように冷静に言った。

 僕はもう一回銃を構えなおした。するとあきれたのか、夜霧がため息をつきながら僕の後ろに立ち腕を回してきた。

 「え⁉なに?」

 僕は驚きのあまり彼女の方に振り向く。すると彼女は鋭い目つきで言った。

 「いいから前向きなさい」

 「はい」

 彼女がそっと僕の手に手を被せながら言う。

 「こうするの……ほら、狙いが定まった」

 「ほんとだ。これなら狙える」

 「手、放すからそのまま撃ってみなさい」

 「はい」

 再度僕は集中して引き金を引いた。

 「バン!」

 銃声が鳴り響き、銃口からは火花が散る。今度は確かな手答えを感じた。

 「おめでと。当たりよ」

 夜霧が軽い拍手と共に言った。的を見てみるとそこには弾痕が一つ空いていた。僕は思わずやったと言って拳を握りしめた。しかし喜びも束の間、夜霧が喋り始める。

 「たった一発当たっただけで喜びすぎよ。アンタにはもっと訓練してもらうわ。そうね、今日のところはあと百発で勘弁してあげる。でもただ撃つだけじゃなくて、百発的に当てるまで帰れないってことだから。よろしく」

 「百発ってマジですか……」

 「マジもマジ、大マジよ」

 「分かったよ。やるよ」 

 僕にはある考えがあった。それは寝床に関する重要な案件であった。昨晩のことは忘れることはない。夜霧との相部屋事件である。彼女に相部屋の件を納得してもらわないと今夜の寝床もまた色々大きくなった紫苑のところになってしまう。そうなっては僕の心臓がもたない。なので一つお願いというか、勝負、いや賭けを持ち込んだ。

 「あの、一つ提案なんだけどいいかな」

 「なによ」

 「もしこの課題をクリア出来たら今晩から部屋に入れてくれる?」

 「い、いきなり何言ってんのよ!馬鹿じゃないの?そんな唐突に言われたって困るわよ」

 「しょうがないだろこっちだって死活問題なんだから」

 「昨日はどうしたのよ?野垂れ死にしてないってことはどこかで寝たんでしょ?」

 「あぁ、昨日は紫苑……じゃなくて野上課長のところで」

 「じゃあ今晩もそうしなさいよ」

 「無理言うなよ。こっちにだって事情があるんだから」

 「事情って何よ」

 「そ、それは言えない」

 成長した妹に色んな意味で緊張するからなんて言えるわけがない。

 「意味わかんない」

 「じゃあ条件を付けていいよ」

 「条件?条件付けてクリアしたらアンタと一緒の部屋で寝ないといけないわけ?そんなのごめんよ」

 「どんな無理難題でもいいからさ」

 「……ふーん。言ったわね。だったら時間制限を設けましょうか。そうね、十分でいかがかしら?十分で百発当てたらいいわよ」

 「本当に?いいの?よし!」

 「つべこべ言ってないで早く始める!」

 「はい!」

 「まあ本当にむりなんだけどね」

 「ん?なにか言った?」

 「別に」

 夜霧は到底不可能な事を押し付けていた。三十メートル離れた的に百発当てる。自身の記録は最高で十分をギリギリ切る程で、これはアンノウン課第二位の記録であった。その自分を越える条件を出したのだ。

 五分経過したところで僕は、二十発も当てられていなかった。

 夜霧が鼻で笑いながら僕に言った。

 「フン!やっぱり無理そうね」

 「まだ時間はあるだろ。集中させてくれ」

 「もうやめたら?無駄よ。諦めなさい」

 「まだ諦めるわけにはいかないんだ。今夜の寝床がかかってるからね。それにここから挽回したらかっこいいだろ?」

 僕は必死に銃を操作していた。汗ばむ手で鉛の弾を銃に込めては撃つ。これの繰り返しだ。しかし無情にも時は過ぎてゆく。

 このままでは夜霧の提示した条件を達成することはできない。僕はじわりじわりと迫ってくるタイムアップに焦りを感じ始めていた。

八分が経過した時、ようやく半分の五十発を達成した。だが、僕の腕は限界を迎えていた。頬を汗が伝い、照準を合わせようとしても手元が大きく震えて狙えず、ダメもとで撃ってはみるがやはり銃弾は的をかすりもしない。

 そんな状況下では安全に射撃を行えるわけもなく、案の定僕は銃のスライドに手の甲の肉を挟まれて出血した。

 「痛っ!しまった」

 「あら、大丈夫?まあ素人さんにはよくあることよ。これでわかったんじゃない?無理だって」

 夜霧が僕を諦めさせようとした時だった。

 「……力が欲しいか?」

 野太く、力強い声が何処からともなく頭の中に響いた。

 僕は困惑して思わず夜霧の方を振り返ったが、彼女は変わらず僕を諦めさせようと何か言っている。しかし僕の耳には彼女の声は届かず、あの声だけが頭の中を駆け巡る。

 「力が欲しいか?力が……欲しいか?」

 しつこく流れるその声に僕は心ともなく荒々しく応えた。

 「あぁ、欲しいね!少なくとも今のこの状況を乗り切れるだけの射撃の腕前が欲しいね!」

 すると声は消え、周囲は静寂に包まれた。

 夜霧が言った。

 「アンタ何言ってんの?大丈夫?」

 「さあね。自分でもよくわからないよ。さて、続きをやろうか」

 「まだやるの?あと一分もないわよ」

 「諦めたらそこで試合終了ですよ」

 「なにそれ」

 「知らなくて当然か」

 僕は銃を構えなおし撃ち始めようとした瞬間だった。

 僕は異変に気付いた。何故ならさっきまであんなに震えていた腕が微動だにせず、視界も鮮明になり照準も合っているではないか。引き金も軽く感じた。

 実際に撃ってみるとあれほど感じた反動も微少になり、まるで玩具を扱っているような感覚に陥った。銃弾はいというと的のど真ん中に当たっている。僕は無心で撃ち続けた。

 その様子を見ていた夜霧は、目を丸くして驚いていた。

 「一体何が起きているの?ありえないわ、こんな短期間に成長するなんて」

 「バン!バン!バン!」

 連続する銃声が辺りに響き渡る。

 僕はさながら機械のようだった。照準がブレることなく、正確に的を捉えた。ところが時間の流れは変わることなく、十分という制限時間はあっという間に過ぎ去った。

 「はい、終了」

 夜霧が終わりを告げた。

 「何発当たった?」

 「九十八……ね」

 「そんな。あと少しだったのに……クソ!」

 僕は、拳で机をドンと叩いた。

 「残念。時間は時間よ。失敗ね。惜しかったけど、部屋の件はなしね」

 「マジかよ!どうにかならない?」

 「ならないわよ。そもそもアンタが言ってきた事じゃない」

 「そうだよね。……わかった、諦めるよ」

 「それにしても最後の追い上げはどうしたわけ?あんなの私でも……」

 「それが、わからないんだよ。突然声が聞こえたと思ったら急に正確に撃てるようになったんだよ」

 「声ね。……一応報告しとくか。兎に角今日はここまでね」

 「終わり?はぁ~疲れた」

 「明日も明後日もその先も訓練があることを忘れないで」

 「そ、そうですよね。精進します」

 「さて、帰るわよ」

 「どこに?」

 「どこって、庁舎によ」

 「何で?」

 「報告書、書くのよ。アンタもね」

 「そうなんだ。知らなかった」

 「アンタは分からないことだらけね」

 僕たちはひと騒動あった猟犬の巣を後にし、庁舎へと向かった。


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