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2017年/短編まとめ

世界の産声

作者: 文崎 美生

真っ赤な雨が降っていて、透き通ったような真っ青な空に良く映え、真っ白な雲を見てはお腹が鳴った。




***




数日前――軍内部でも一番狭くて小さな会議室で、ボクは大きく眉を寄せた。

周りにある顔を見て、首を撫でる。


先ず一人、この中で一番良く知っている人物。

後頭部で結えられた茶金の髪に、焦げ茶の瞳を持つ男。

真っ白な軍服を着て、頬杖をつきながらニコニコと人好きのする笑みを浮かべている。

元少将で、現大将。

本名は知らないが、皆が皆、この人のことをラッキーセブンと呼ぶ。


いつか死ぬ人間の本名なんて、ボクには興味も無ければ、関心の一欠片もない。

ただ、ラッキーセブンの由来としては、未だ二十代前半という若さで出世街道をまっしぐらだからということは知っている。


「そんな怖い顔するなよ」


なぁ?と首を傾けられ、溜息が落ちた。

少将だった頃には、階級こそ上だが、直属の上司では無かったので、だから何だと鼻で笑えたが、何故か今は上司だ。

階級が変わり、配属まで大きく変わったということだ。


「これはお前に必要なことだよ」


「何が必要なのか、サッパリですね」


ひらりと両手を広げ、他の顔を見た。

少将改めて大将の直ぐ脇に座っている女。

黒髪に紫の光を含む黒目は、大将とは全く違うものだが、実の妹、らしい。

黒縁眼鏡の奥から、こちらを見据えるその目は、大将のように笑ってはいなかった。


次に、その女の横に座る男。

こちらを見据える両目は、左右で色が違う。

ボクから見て左目はダークブルーだが、右目は濁ったグレーブルーをしている。

詰まらなさそうな顔で、ボクを見た。


更に男の隣には、女。

目が痛くなるほどの真っ赤な長い髪に、明るい茶の瞳を輝かせていた。

何がそんなに楽しいのか、口元は会議室に入って来た時から、弧を描いている。


そこから戻って、大将の妹とは逆方向の隣。

大将の隣を一つ空けて座る男。

射撃訓練の帰りなのか、と問いたくなるような大振りのサングラスを掛けている。

オールバックに纏められた髪は脱色済なのか、鈍い灰色になっていた。


「お前には必要なものだよ。お前のための特殊部隊なんだから」


大将が全員の顔を見渡しながら言う。

物心付いた時には、既に軍に所属しており、否応なしに武器を手に取り、硝煙と血の匂いのする戦場を走り回っていた。

生きたくても死ぬような、毎日当たり前に死ぬ誰かのいる世界だ。


そんな軍内部で分けられる所属部隊。

中でも最も死に近いのが、ボクが属している特殊部隊で、軍内部でも特に戦績の良い人間を集める、と表向きでは語られる部隊である。

実際は、ただの厄介者のお払い箱だ。


「仲間とか、要りませんよ。どうせ殺しちゃうし」


唯一の固定武器と言ってもいいナイフ。

固定と言いながらも直ぐに手放せるように、何本も仕込んであるが、長さはさほどなくて、肉を切り、抉る感触がしっかりと伝わる。

柔らかなそれが、重く手の平に沈むのを思い出しながら言ったところで、大将の笑顔は変わらない。


「問題ないよ。強いから」


ゆるり、大将の目が、隣に座っていた妹に向けられた。

大将の視線は感じているはずなのに、相変わらず妹の方はボクを見ていて、居心地が悪い。

眼鏡越しだと言うのに、その視線は不躾にも会議室入室から外れることがなかった。


「俺の妹、戦場の鬼なんて呼ばれてるし」


はっはっはっ、と態とらしい笑い声と共に、その妹が紹介される。

瞬きはするが、視線自体はずっとボクに向けられて、ゆっくりと頭を下げられた時には、小さな溜息を吐いてしまう。


戦場の鬼――それなりに聞いたことのある名前で、覚えていた数少ない渾名だ。

軍に所属し、それなりの戦績を持てば、自然と妙な渾名が付いてくる。

それも、言い得て妙なものが。


「宜しくお願いしますね。隊長殿」


悪意しかない呼び方に、肩を竦めた。

座っていても時折カチャリと音を立てるそれは、鬼と呼ばれる彼女の持つ日本刀で、いつだって彼女の腰にぶら下がっている。

彼女の出た戦場には、血の雨が降る、まるで鬼のような戦い方。


「そっちは今は軍医だが、過去には戦場に立っててな。まぁ、今もたまーに出るけど。聞いたことあるだろ、魔弾の射手」


「オペラかよ、と思いましたね」


色の違う両目を見れば、ハッ、と鼻で笑われた。

正直な話、何だコイツと思う。


魔弾の射手――魔弾とは百発百中を意味する言葉で、実際にこの男は凄腕スナイパーだった。

遠距離を得意としていたが、本質的に得意としていたのは銃火器の扱いだ。

戦場で、大型のライフルを組み立てていたとか。


「餓鬼のお守りなんて俺だって御免だ」


一々、そんな言葉で腹を立てて腰を上げることはないが、故意的に戦場で殺傷してしまいそうだ、とは思う。

どの道、軍医になっている魔弾相手では、そんな機会があるとは思えないが。


「そっちの子は、まぁ、軍犬を育ててたんだけど。ほら、狂犬って聞いたことあるだろ」


大将が少しばかり距離のある女を指差す。

真っ赤な髪の女は、やっと自分の出番か、と言うようにガタリと椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がり、ボクの顔を、身を乗り出して覗き込む。

小さな星が飛んでいるような、そんな瞳だ。


「私!屍姫に憧れておりまして!この度の異動、とても嬉しいです!ご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願い致します!!」


うるせぇ。

ビシッと目の前で行われた敬礼に、体を引きながら、はぁ、と頷いた。


「……いや、てか、屍姫って」


引っ掛かった単語に眉を上げ、大将を見れば、ケタケタと笑い声を上げて、狂犬と呼ばれる女を指差す。

「死神のファンだったらしいけど、可愛くないからって屍姫だって」なんて、他人事の言葉に頭が痛くなる。

良いネーミングセンスだよなぁ、とか何とか聞こえてくるが、額を押さえて聞き流す。


狂犬――覚えていなかったが、思い出した。

軍内部には軍犬を飼育する部署もあり、戦場に直接立つことはあまりないが、唯一、自分が手塩に掛けて育てた軍犬と戦場に立つ女がいたはずだ。

それこそ、お前が犬なんじゃないかと思わせる程に、大きく口を開き、犬歯を剥き出しに、相手の喉笛を噛み切る。


話に聞いていた姿とは随分離れた女だ。

狂犬と言うよりは忠犬。


「俺も、特殊部隊には憧れておりました」


横槍のように放たれた言葉に振り返れば、サングラスをしたままの男が、狂犬同様に立ち上がり、敬礼をしていた。

直立不動の状態を一瞥して、大将を見れば、にっこりと効果音の付きそうな笑顔。


「新参兵。憧れてた割には、特殊部隊には入りたくないってゴネたから、一発入れて連れて来た」


狂犬が、と聞こえたが気のせいだろうか。

一人だけ妙な渾名がない男は新参兵で、どうやらまだ特殊部隊には入りたくなかったようだ。

余計なことを言われ、体が僅かに揺れたのを見逃さなかった。


「何、死にたくないの?」


机の上に肘を置き、新参兵を見た。

サングラスの奥の瞳が、僅かに透けて見えたが、本来の色までは分からない。

左右に揺れるそれを見ていると「違います」と硬い声が聞こえた。


軍にいる時点で、死にたくないなんて言ってられなくて、何言ってんだコイツとボクは思う。

その中でも、ボクの特殊部隊は、激戦区に駆り出され、いつ死んでも一番おかしくない。

それ故に、まぁ、待遇も悪くないが。


「取るなら天辺であります。しかしながら、自分はまだ新参兵。このように、特殊部隊へ選抜されるような立場ではないと思っております」


新参兵は堅苦しい言葉と、敬礼を崩すつもりはないらしい。

面倒臭いタイプだと思う。

生憎、特殊部隊に属してからは特に上下関係に疎くなり、だから何だよ、と上司相手に鼻で笑ったことは数え切れない。


「まぁ、配置を決めるのは上だからなぁ」


「……さい、ですか」


大将の言葉と共に、新参兵が座る。

全員の視線がボクに向けられ、ボクのボク自身の紹介を待っていた。

そもそも、この配置に納得がいっていないのだが、大将に言ったところで何にもならない。


ぐしゃりと前髪を握り、息を吐く。

ラッキーセブンに戦場の鬼に魔弾の射手に狂犬、随分と豪華な面々だと思う。

そして、本当に厄介者のお払い箱だとも。

新参兵に関しては、同情を禁じ得ない。


「特殊部隊所属、死神とか屍姫とか好き勝手言ってくれてるけど、どうでもいい。この異動及び配置には納得がいってない。ボクに殺されないように、精々気を付けて」




***




ナイフを一本、右手で握り締めて駆け抜ける。

レッグホルスターに入れた小さな銃は、中距離で左太腿に仕込んだまま。

瞬時に取り出して、撃てる自信があるからこそ、一々手に持って走ることはない。


「なっ……!」


目の前に飛び出して来たボクを見て、銃口がボクに向くよりも早く、速く、ナイフを突き立てる。

喉笛を掻っ切るが如く、突き立て、抜く。

噴水のように飛び出す赤は、もうずっと、思い出せないくらい前に慣れていた。


重い音を響かせ、血塗れの体が倒れたのを見届け、一つ、息を吐く。

さて、と足を僅かに下げたところで、気付いた。

個人的には気付いても気付かなくても、大差のないことではあるが。


振り返った先には誰もいなかった。


静まり返った戦場。

自分の駆けて来た道程には、パタパタと赤い斑点が残っていた。

探さずとも、死体も道程に残っているだろう。


「……あー……」


前後にたっぷりの間を含み、唸る。

ナイフを腰に引っ提げたホルダーに突っ込みながら、頬に付いた返り血を拭う。

心中で、やっぱり付いて来れないじゃん、と思った。


特殊部隊に所属しているボクは、今まで一人で戦場に立ち、一人で戦績を上げてきた。

今更誰かと一緒なんて無理なのだ。

過去にも他の部隊と一緒に出たこともあるが、誰一人としてボクに付いて来られなかった。

付いて来られないだけならまだしも、敵味方の区別が付かないままに殺したこともある。


うーん、と古い記憶を漁るようにしていたが、一瞬で思考を戻し、レッグホルスターを探った。

振り向きざまに軍から配給されている銃を抜き、銃口を向けた瞬間に、乾いた音が鼓膜を揺らす。

目を見開いて、口を開く。


「え」


間の抜けた声と一緒に両手で構えたはずの銃を下ろし、倒れた体を見た。

ドクドクと流れる赤が水溜りのようになっており、ホルスターに銃を戻して傷口を確認する。

膝を折り曲げ、その場にしゃがみ込むように、敵軍の誰かも分からない見覚えのない顔を見下ろす。


ヘッドショット。

マジマジと見詰める傷口は脳天を一発。

周りに味方はいないはずだが、この手のことを得意とする人間もいる。

――スナイパーだ。


「ボク、結構前に出てると思うんだけど」


方向音痴なので、正確な位置も分からず、方位磁針を見ても良く分からない。

そんなボクに付いて来る奴?と首を捻ってしまう。

鉄錆の匂いに鼻を擦り、思い返すのは、片目が濁った色をしている男だった。


いや、でも。

眉を寄せたところで、また、乾いた音が響く。

タンッ、パンッ、破裂音にも良く似ており、しゃがみ込んだままで振り向いた。

重そうな体が二つ、折り重なるように倒れており、どちらも既に息がないことが分かる。


「聞こえた銃声二発。敵二体。正確に急所を狙えてる」


よっこいしょ、と立ち上がり、腰に手を当てた。

辺りを見渡すように腰を動かし、視線を動かす。

場所は、あそこか。

外壁が煤汚れした高さのあるビルの窓を、目を細めて見れば、僅かな光が見える。


普段は一切使わないインカムに触れ、窓を見た。

ザーザーと聞こえるノイズ音の後には、気の抜けるような『はいはいー。なんですかぁ』と言う声。

戦場には相応しくない、のほほんとした声音だ。


「あーあー。テステス」


『えっ。え、ええ?!』


鼓膜を通り越して頭蓋骨にも響く声。

ノイズ混じりの声は酷く不愉快で、普段他所の部隊ではこんなもので連絡を取っているのか、と感心してしまう。


「あぁ。聞こえる?」


『き、聞こえてますけど……』


のんびりと、自身が通って来た道を戻るように歩き出す。

インカムの奥からは困ったような声がして、ええぇ、と小さな呟きが聞こえる。

的確過ぎるスナイパーだったので、もしかしたら、魔弾の射手かも、と思ったが違ったようだ。

魔弾の射手の声は、もう少し低く、落ち着きがある。


「君、誰に狙撃習ったの?」


『特に誰ってことはないんですけど……』


言い淀むのを聞いて、ふぅん、と声が出た。

これが魔弾の射手から、なんて言われれば納得のしようもあるのだが。

厄介者のお払い箱に入れられた理由にもなる。


敵も出てこないのでのんびりと歩いていたが『俺なんかより……』という声で、目の前の光景に笑う。

丁度建物を曲がったところで、血塗れの女がいた。

日本刀片手にこちらを振り向く女の目は、血塗れの眼鏡で見えにくいが、ギラギラと飢えた獣のように光っている。


「付いて来れなかったみたいですけど、実力は確かってことですか」


ふはっ、と笑い声を上げれば、死体の肉を抉っていた女が顔を上げて、にっこりと効果音の付きそうな笑顔をこちらに向ける。

人好きのする笑顔だが、如何せん、血塗れで肉片を持った手を見せられれば、引く。

ついでに死体を貪るような軍犬もいた。

しかし、食べてはおらず、肉を抉っては吐き捨てている、怖い。


「遅いですよ」


「どの口が言ってるんですか。君達がボクに追い付けなかっただけでしょう」


日本刀を振るい、血液を落とす戦場の鬼。

鞘に収められたそれを見届けながら、お互いにそれなりの棘を含んだ言葉の応酬をする。

インカムで聞こえているらしい新参兵は、あー、とか、んー、とか唸っていた。


「屍姫はとっても速いですもんね!付いていけませんよ」


ニコニコと笑顔を浮かべっ放しの狂犬は、立ち上がり、今度は足で死体の腹を抉る。

粘着質な音が気持ち悪い。

まるで幼子が物珍しげに虫を殺すそれだ。

この場合、幼子がの方が、まだ、良い。


「何でもいいけど、そのいっ」


犬、と言おうとしたが、眉を寄せる。

本日何度目かの聞き慣れた音は、本日一番不愉快に聞こえて、腹部が熱を持つ。

勢いに任せて体を前に折り、噎せ返れば落ちるのは赤い液体だ。


戦場の鬼が抜刀するのが、狂犬が牙を剥くのが、軍犬が耳を立てるのが、全て、遅い。


インカムから聞こえる雑音を無視して、ただの反射でナイフを抜いた。

その場にいる誰よりも、何よりも自分の動きが、一番速いと思う。


後は、全身で振り返り、体を捻った勢いのままに、大きく一歩、右足を踏み出す。

左足は強く地面を蹴り上げ、距離を詰める。

薄いサングラスの奥で見開かれた目に、ボクは笑った、嗤った。


「そんな距離で心臓以外撃ってんじゃねぇよ」


口の中に溜まった、真っ赤になった唾を吐く。

右手で握ったナイフは、いつも通りに喉元に吸い込まれて行き、時間を掛けずに抜いてやる。

カヒュッ、なんて変な音と一緒に、吹き出す赤が視界を染め上げた。


「汚ねぇ」


倒れる体を見ながら呟けば、後ろから伸びて来た細腕に体が持ち上げられ、強制連行で本日の出戦が終わってしまった。

見開かれた四つの人間の目と、犬の吠える声が嫌に耳について、非常に不快だったのは言うまでもない。




***




薬品臭く、全体的に白い部屋で舌打ちを一つすれば、頭上に拳が降って来る。

鈍い音と一緒に揺れる脳味噌と視界。


「お前、本当に人間かよ」


呆れたような声は、やはり拳と同じで頭上から降って来る。

視線だけを向ければ、左右の瞳の色が違う男が、小綺麗な白衣を着て立っていた。

魔弾の射手が、白衣。


「人間ですよ、立派な」


柔らかく自分の腹部に触れながら答えるが、魔弾の射手は納得がいかないらしい。

端正な顔を歪めてボクを見下ろす。

しかし、人間らしくないと言われても仕方が無いくらいの回復力を、たったの数分前に見せてしまったのだ。


戦場でたまたま生きていた敵軍の一人に、腹部を撃ち抜かれたボク。

残念なことに、その程度では死なないので、自分の手で相手に引導を渡した。

心臓を狙えよ、と文句を言い、汚い、と不満を言った後には、何を血迷ったのか「屍姫が死んじゃう!!」と騒ぎ立てる狂犬。

ほぼ拉致という勢いで拠点まで戻された。


「人よりもほんの少し回復力が高くて、生命力に溢れてるだけです」


納得がいかないような瞳が向けられるが、はっ、と鼻で笑って見せる。

離れたところから様子を見ていた大将が「まぁまぁ」と言うが、ボクは悪くないだろう。

そもそも、用事もないのに医務室に来るな、と怒鳴られていなかったか、この大将。


数日前とは違い、短くなった茶金の髪は、後頭部で結わえられておらず、肩に触れるか触れないかのところで揺れる。

態とらしいくらいの声で笑う大将は、ボクを見て「お前覚えてない?」と問い掛けた。

全く以て何の話やら。


「運び込まれた時、お前寝てたんだけど。ガチ寝とか久々に見たわ」


狂犬には抱きかかえられていたが、ボクが寝落ちた辺りで背負うに切り替わったらしい。

そんなもん知らねぇよ、と顔を歪ませたが、目の前で快活に笑う大将の笑い声は消えなかった。


「まぁ、普段気張ってたし。仕方ないな」


「狂犬には後日改めてお礼を言います。なので、もう二度とその話はしないで頂きたい」


軍に所属するものとしては、常に一定の緊張感を持っている。

眠ったところで、気配が感じれば直ぐに起き、音が聞こえれば意識が浮上するのだ。

それが無かったことには、自分自身驚きである。

同時に思い返したくもない苦い思いになった。


黙ってボクと大将のやり取りを見ていた魔弾の射手は、包帯を替えると言って掛布団を捲る。

突然のことに目は見開いたが、別段騒ぎ立てることでもなく、されるがままに薄手の黒いTシャツが捲られるのを見ていた。

視界の端で、きゃっ、と語尾にハートマークを付けながら目を覆う大将が映ったが、見なかったことにする。


「塞がってるな……」


音もなく外された汚れてしまった包帯。

酸化した赤が鈍い色になり、その白を汚していたが、魔弾の射手の視線はボクの腹に向けられた状態で固定される。

自分でも見下ろしてみたが、普通だ。


普段露出をしない部分なので、色は白く、それなりに鍛えているので弛みはない。

数時間前の銃弾は見事に貫通しており、摘出手術などは必要としなかった。

皮膚が穴の空いた部分を覆うように、歪な痕を残して穴を塞いでいる。


「塞がりますよ、そりゃあ」


化け物じみてるな、という魔弾の射手の呟きは、聞こえなかったことにする。

全治三ヶ月の怪我を、気合い一つで十日掛けて治したこともあったので、個人的には何一つとして不思議でも何でもない。


「これなら、死神や屍姫なんて呼ばれても不思議じゃねぇな」


「魔弾の射手に褒められるとは」


光栄ですね、と胸に手を当てて一礼をしたが、スコンと軽い音を立てて頭を小突かれた。

決して褒めたわけではないらしい。

一応、と取り替えられた包帯は、綺麗に腹の傷を覆っている。

下ろされたTシャツで、その包帯も姿を隠す。


一息吐いた瞬間、ノックもなしに開かれる医務室の扉。

……もしかすると、開かれるでは語弊があるかもしれないが、ドアノブを捻って開けるような扉が、開く方向の壁に大きな鈍い音を立ててぶつかっていた。


今度は誰だ。

眉を寄せたが、あんなに明るい髪色を見間違えることはない。

炎のような赤い髪を揺らし、医務室に突入して来たのは狂犬で、ベッドの上に座るボクを見て、その丸い目を更に丸く大きく見開いた。

眼球が落ちそうだ。


続いて突入してくるのは新参兵。

何故かボクよりもボロボロで、顔には大きな湿布やガーゼが貼られている。

怪我で言えば、狂犬もしているが、新参兵はそれ以上だった。


更に入室したのは、戦場の鬼だ。

一人だけ悠々と歩いて入室したが、その腰には相変わらず日本刀がぶら下がっている。

大将を見て、小さな舌打ちをしていた。

何これ全員集合なの?


「それ、何ですか」


狂犬が変な機械を持ち、新参兵が一キロの砂糖袋を抱えている。

この医務室の王的な存在の魔弾の射手が、苦い顔で機械と砂糖袋を睨む。

新参兵がキョトンとした顔で、小首を傾げ「え?だって、隊長が……」と、ボクを見る。


「ボク?」


「隊長がわたあめって」


「綿飴?」


全く以て要領を得ない会話だと思う。

首を傾げる新参兵に、ボクも同じ方向へと首を傾げるが、狂犬まで同じ動作をする。

綿飴なんて単語を出した覚えは一切無い。


答えを求めているのに、戦場の鬼は狂犬から機会を受け取り、コードを伸ばす。

コードの先の差し込みプラグが、医務室のコンセントに差し込まれたところで、狂犬と新参兵が、ワーイと両手を真上へ上げた。

一体何なのだ。


「運び込まれた時のお前が、唸り声と一緒に綿飴って呟いてたのを狂犬は聞いたらしいぞ」


戦場の鬼が懐から割り箸の束を取り出したのを、目を細めて見ていたボクに、大将が笑い声を隠さずに言う。

大将の顔を見てみれば、それはそれは愛おしそうに目を細めていた。

その場にいる自身の妹だけではない。

狂犬のことも、魔弾の射手のことも、新参兵のことも、愛おしそうに見つめていた。


「お腹減ったなぁ、ってお前、いつも言うだろ」


「生きてればお腹くらい空きます」


楽しそうに割り箸を受け取る狂犬。

砂糖袋を開けて、豪快にそれを機械へと投入する新参兵に、大量に零された砂糖に眉を寄せ、新参兵の頭を鷲掴みにする魔弾の射手。

それを見ては首を振る戦場の鬼。


些か、空気が読めていない。


既に普通に動けるようになったボクだが、それを見ては動く気をなくすというもの。

ベッドの上に座ったまま、四人を見ていた。

大将も同じように、ベッド脇のパイプ椅子に腰を下ろしたまま、動かない。


「白い雲を見て綿飴って言うだろ」


「いつの話してんですか」


ナイフを持って間もない頃の話だった。

言われた瞬間に戻ってきた記憶に眉を寄せ、口の端を引き攣らせたが、大将は相変わらず四人を見詰めている。

膝の上で組まれた指先に力が込められるのが、見ていて分かった。


「それに、ボクが食べたいのはああいう綿飴じゃなくて……」


大将の手から目を逸らすようにして言うが、逸らした先に突き出された白いふわふわ。

もふ、と鼻先が埋もれた。

仄かな甘い香りが鼻腔を擽る。


ゆっくりと顔を後方へ逸らし、突き出された物を見て、それを持つ者を見た。

真っ黒なサングラスの奥で、こちらを見ているであろう新参兵。

口元は弧を描いている。


「どーぞ!隊長」


「……」


溜息も出なかった。

押し付けられるように受け取った綿飴。

白くてふわふわしているが、決して雲なんかじゃない。

狂犬なんて、渾名に似合わないくらい目尻を下げて、綿飴を食べている。


戦場の鬼も食べているが、魔弾の射手の口に押し付けては、顔を逸らされていた。

此処、軍基地だよね、と言いたい。


「……ボク、空のが食べたいのに」


もそ、と綿飴に口を突っ込みながら言えば、同じように新参兵から綿飴を受け取った大将が、無骨な手を伸ばして来て、髪を掻き混ぜる。

あまりにも乱雑で脳味噌も揺れた。


「新特殊部隊。これからも、宜しくな」


頼むぜ隊長、そんな言葉を欲したことはなかった。

医務室で綿飴を作り、押し付けたり、食べたり、食べなかったり。

口を突っ込んだところから、砂糖の塊とも言えるそれを口内で溶かして、胃の中へと入れる。


軍に属する人間としては、不釣り合いで不似合いな笑顔がそこにはあって、言いたいことが言えなくなってしまう。

一人で良かったのに、一人で良いのに。

飲み込んだ言葉が、砂糖と混ざり合って胸を焼いた。

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