後藤悠谷とジェリー・ミサ(弐)
「はぁー。財布の中身が札から円になって重くなったァ。重くなったけど嬉しくねぇよぉ」
少女の服を買った後、近くの喫茶店で休むことにした。
「良かったじゃない。人間はたいてい『外見』で判断するものよ」
「良くねぇよ!俺は『質』で決める派なんだよッ!」
コーヒーの香りが怒りを静めてくれている。溜め息をつけばコーヒーの湯気が飛んでいき、口へ運べば上唇から鼻にかけて熱い。
「···自己紹介するか?」
悠谷はコーヒーをズズッと軽く飲む。猫舌だから冷めるまで多く飲めないのだが。
「逆に、あなたは初対面の人に自己紹介をしないの?するでしょ?だから自己紹介をするのよ」
――どういう神経してそんな言葉を発するのやら。
「じゃあまず俺からな。俺は『後藤悠谷』だ。えっと···あ、年齢は今年で丁度二十歳だからな」
悠谷はもう一度コーヒーを飲む。まったく冷めてない。
少女はこちらを――悠谷か?それともコーヒー?を見つめている。
「ふーん。あなたって、『日本人』なのね」
「え、あ、あぁ。『イーズランド』は日本語が普通に通じるし、日本人似の人だっている。どこか日本らしいところがあるからな」
悠谷がそう言うと、感心したのか興味なかったのか、少女は「へー」とだけ言って髪をいじり始めた。
「――···君は自己紹介しないのか?」
「···私がする必要、ある?」
「あるよ!俺が自己紹介したんだから、君が自己紹介するのは必然的だろうがッ!」
少女との会話は疲れる。こいつは今まで何を学んできたんだ、と思う。ある程度の知識はあるようなのだが。
「···私は『ジェリー・ミサ』。年齢とか普通言うの?···14歳···だけど」
――「は?」
「14歳だと?君が?そこにいる子の歳じゃなくて、『君が14歳』なのか?」
少女――ジェリー・ミサは深く頷いた。そして、自分はジェリー・ミサを『外見』だけで判断していたと理解した。
「···何よ?8歳そこらの方が良かったの?えっと···『ユーヤ』ってロリコンなのね」
「ばっ!お前が何歳だろうと俺はロリコンって決まったわけじゃねぇぞッ!てか俺のタイプは歳上の女性だからな!」
大きな声を出しすぎた。周りの女性がざわざわと騒ぎ始める。すぐに代金を払い店を出ていった女性もいた。
「···ユーヤの自己紹介に免じて私は自己紹介をしてやったのよ?お前や君じゃなくて、私は『ジェリー・ミサ』、『ジェリー』と呼んで」
「あ、ああジェリーさんよぉ···いま、すごくイライラしてるんだが···」
ぬるくなったコーヒーをいっきに飲み干す。コーヒーカップをテーブルに置くと、ジェリー・ミサはコーヒーカップを見つめた。
その時――
「おい、今すぐこの袋に金をつめろ!」
レジで何か騒動が起こっているみたいだ。
「···あれが強盗ってやつね?」
日本より平和だからイーズランドに来たというのに、こういうのを見ると不安というか逆に笑い的な変なものが込み上げてくる。
「帰りましょ。帰る場所ないけど」
「···え?ちょっ、止めに行ったりしないのか!?」
椅子から立ち上がるジェリー・ミサの手首を掴み、悠谷は言った。
「ヒッ!い、いきなりボディタッチとか本当にロリコンじゃないの!」
――「あ、ごめん」
悠谷が手を離すと、ジェリー・ミサはおしぼりで手を拭いた。
「おい!そこの女ァッ!そこのだよッ手ェ拭いてる女!」
騒ぎすぎたか、強盗の目に止まってしまったらしい。強盗はジェリー・ミサにナイフを向けるが、ジェリー・ミサは一切動じてはいない。
「···その「アマ」って、私のことかしら?私の名前は「ジェリー・ミサ」であって「アマ」じゃないのよ?勘違いだったら申し訳ないのだけど···『マジ腹立つ』わ」
ジェリー・ミサが強盗へ向けた眼差し――ケルベリタ跡地で見た表情と似ているようで···似ていない。嫌悪や残虐に満ちた表情。
「お、おいジェリー···止めないのかとは言ったがよぉ、まさか『アレ』をするんじゃないだろうなァ」
――手遅れだった。いや、『言遅れ』というのだろうか。既にジェリー・ミサの口から『シャボン玉』が吹き出ている。
「···ッ」
『シャボン玉』は『音』に反応する。つまり声を出してはいけない···のだが、『周りの声が煩すぎる』ッ!これでは『シャボン玉』が強盗を向かわない。
「···煩い」
ジェリー・ミサが嫌いなこと。それは『騒がれること』
ジェリー・ミサが嫌いな場所。そこは『騒がしい場所』
ジェリー・ミサが殺したいと思う者。それは『騒ぐ者』ッ!
「いくら周りが煩いからって『爆発』はやめろよ!」
悠谷が大声を出しても、『シャボン玉』は悠谷ではなく周りの騒いでいる者たちへと向かって行く。
「ユーヤ、止めようとしたって意味ないわよ。だってしょーがないでしょ?『煩い』のだから」
(こ、こいつぅ···『煩いから無関係の人を殺す』って、どういう神経してやがんだぁっ)
恐らく、いまのジェリー・ミサを口説くのは難しい。口説いてる間に『シャボン玉』は誰かに当たって『爆発』する。――なら、『シャボン玉』を止めるしかない!
「ジェリーッ!お前の『的』は強盗だぞ!『シャボン玉』を外してるじゃねぇか!」
悠谷はそう言いながら、ついさっきまで自分が座っていた椅子を、『シャボン玉』を目掛けて思いっきり投げた。――的中ッ!『シャボン玉』は『爆発』した。怪我人は見た感じいないが、椅子の破片が人混みへ飛んでいくのを見て不安になる。
「ユーヤ!邪魔しないでよッ!私は強盗を倒すために――グェッ!」
――『シャボン玉』に気を取られている間に、強盗がジェリー・ミサの後ろへ回っていたのだ。そして、いま!強盗はジェリー・ミサの頭を鉄パイプで殴った。
「おとなしくしやがれぇ···サツが来ちまうだろうがァ!」
ジェリー・ミサは倒れたまま、立ち上がらない。よく見えないが目を開けていない。
「そこの兄ちゃんヨォ···お前だよ。いまさっき『爆発する椅子』を投げたお前。こっちへこい」
「へ?いやぁ最近耳が遠くなったかなぁ?まさかボクのことじゃないですよねぇ?」
――いや、俺でしかない!だってこっち指差してるもん!俺の後ろ誰もいねぇよぉ!そっち行ったらどうなるのォ!死ぬ?90パーセント以上の確率で死ぬよォォッ!
「あ、あのぉ···ボク、殺されるんですかぁ?」
「ンなもんこっちへ来たら分かんだろうがッ!」
――あ、これ死ぬわ。そっち行ったら絶対鉄パイプで殴られるわ。
「···へへっ。『痛め付けられる』って思った上で、どぉーしてあんたなんかのトコへ行かなくちゃなんねぇんだよ。――俺はッ!逃げるぞッ!」
どうせ殴られるなら···『抗って死んだ方が格好いい』ッ!
「お前みたいなクズの『命令』に『抗うこと』はッ!世界――いや、この『街一』くらいに格好いいことだ!」
強盗が激怒してこちらへ走ってくる···が、悠谷はコーヒーカップを強盗へ向けて地面を滑らせた。
「『逃げる』というのは!ただこちらが一方的に走るんじゃなくてだ!相手のボロを掴むことが大事···って、俺のじいちゃんが言ってたんだッ!」
強盗はコーヒーカップに気が付かず、足元に転がるコーヒーカップを見事に踏んだ。
「なッ!?」
強盗は体勢を崩し、豪快に転んだ。――頭を打っただろう。
「···ジェリー!大丈夫か?息してるか?俺そういう知識ねぇからお前がどうなってるか分からんぞ」
取り敢えず、悪いと思いながら、目が覚めても教えなければ大丈夫とか考えながら――胸に手を当てる。
「···ッ!こ、こいつ!以外と『大きい』ぞッ!ケルベリタのトコでは恐怖のあまり気付かなかったがよぉ!」
――そうじゃなくて。
「『鼓動がない』じゃねぇかッ!」
下手なのではない。医師が診ようと、ジェリー・ミサの心臓は止まっている。
「ま、まさか鉄パイプで殴られて死んじまったかぁ?服の代金、まだ返してもらってねぇのにさぁ」
揺すってもジェリー・ミサは起きない。さいあく人工呼吸も考えたが、ジェリー・ミサが目を覚ましたとき、本人に殴られそうだ。
――悠谷がジェリー・ミサを揺すっているとき、悠谷の影とは違う『影』が後ろから出てきた。
「ッ!背後――か――」
悠谷が振り向こうとしたときには既に、ヤツは鉄パイプを振り下ろしていた。
宙を浮いているような感覚と、鼻の下辺りの激痛。完全にやられた。
「このクソガキがァ···よくもやってくれたなッ!」
強盗は右手に持った鉄パイプで、気を失っている悠谷を何度も殴る。
骨が折れる、筋肉が千切れる音――。
「『疾風』ッ!」
その声と共に、後ろから尖った木材が飛んできた。尖った木材は、強盗の脚に刺さった。
「イッてェえェエッ!」
脚の筋肉が切れたのか、強盗はよろめいて近くの机にもたれ掛かった。
「強盗よッ!いますぐこの店から去るんだッ!この店は唯一わたしに安らぎを与えてくれる場所だ!血などぶちまけるなッ!」
人混みの中から出てきたのは、1人の中年男性だ。たいへん怒っている様子だ。
「て、てめぇ···何しやがんだッ!」
「そこで倒れている男が椅子を投げたとき、既にお前の『負け』は決定していたッ!」
中年男性が飛ばした木材は、悠谷が『シャボン玉』に目掛けて投げた椅子の破片だったのだ。人混みへ飛んだ椅子の破片を、中年男性が拾ったのだ。
「腹が立ったぞォ···てめぇのドヤ顔を潰してやるッ!」
強盗は入れられるだけの力を込めて、中年男性の顔を目掛けて、右手に握っている鉄パイプを投げた。
「わたしは『去れ』と言ったのだ。――脚を負傷してまでわたしに立ち向かう『勇気』に免じて、わたし直々にお前を倒してやろうッ!『疾風』!疾風に立ち向かうことこそ、真の『勇気』だッ!」
鉄パイプは確かに中年男性の顔を向かっていた。なのに――どうして――『俺に向かって飛んでいる』んだ···。
――グチュッ。
強盗が最期に聞いた音は、自分の顔に鉄パイプが刺さり、眼球が飛び出し、顔の筋肉と血管が潰れる音だった。
中年男性は悠谷とジェリー・ミサが倒れているそばに近寄り、息をしているか確認する。
「···この男の、強盗への抗いは『勇気』そのものだった。そして···この少女が出した『シャボン玉』は···『レガリア』じゃな」
中年男性は悠谷の口に手をそえる。――朦朧とだが、息をしているようだ。殴られているときの音から推測するに、骨は折れただろう。
次にジェリー・ミサの口に手をそえる。――息をしていない。首に指を当てる――脈がない。ジェリー・ミサは『死んでいる』。
「ふん。『レガリア』の使い手だが···この少女は『生と死の中間に存在する生き物』···か」
――中年男性は救急車が到着する前に悠谷とジェリー・ミサを担ぎ、疾風の如く人混みの中から姿を消した。