賢者チュパカブラの伝説
初投稿です。動作確認のために書きました。
目を覚ますと、石造りの部屋の真ん中に立っていた。
周りには何だかよくわからない格好の連中がいる。
古めかしい装飾のローブを着た連中とか、毛皮のマントに金ぴかの王冠をかぶせたオッサンとか、配管工に助けられる桃姫みたいなドレス着た女とか。
――何だお前ら、ファンタジーか。
周囲のコスプレに呆気に取られていると、王冠をかぶったオッサンが両手を広げて前に出てきた。ものっそ、いい笑顔で。
「よくぞ召喚に応じてくれた、勇者よ!」
このオッサン、言葉が不自由です?
「勇者って何? 俺のこと?」
「そうだとも。勇者よ、名を何と申す」
「倉田彰浩」
「クラタ・アキヒロか! 苗字を持つとは、アキヒロ家とはいかなる貴族かな?」
「一般庶民です」
ただの高校生だっつーの。
ついでに、クラタが苗字で、名前がアキヒロだと訂正しておいた。
それはさておき。
「で、ここはどこだよ? 今から購買に昼飯買いに行こうとしてた俺は、誰にどこへ、どうやって連れ去られたの?」
「うむ! 古代の秘儀により、お主の住む世界から、この世界へ召喚した! 勝手に!」
それ、拉致誘拐って言わないです?
「ふざけんな、元の世界に帰せよ!」
「それは困る。お主には、人類を脅かす魔王を討伐してもらわねばならぬ」
無茶言い始めた。
「それって、軍隊とか指揮して戦えってこと?」
「いや、お主の肉体と技量を持って討伐して欲しい。軍を出す余裕はない」
「無理。おうち帰る」
「勇者の力に、我が国と人類の存亡がかかっているのだ!」
お前は訓練もしていない未成年を拉致して、何をさせようとしとんじゃ。
一般人がそんな無双できるなら、地球はとっくに暴力で崩壊しとるわ!
「無論、一人でとは言わない。もう一人、賢者を召喚しているところだ」
「やめてあげて、それ誘拐だから! 犠牲者を増やさないであげて!」
このオッサン、思考が世紀末である。
速やかに悔い改めて、俺を帰して無かったことにしてほしい。割と本気で。
「――陛下! 二つ目の召喚魔法が起動いたします!」
「おお、賢者の到来か!」
「また犠牲者がッ! お前らそれ、俺らの世界じゃ犯罪だからな!?」
「我らの世界では犯罪ではない!」
殴りたい、その笑顔。
背後の床に描かれた、複雑な紋様が光を放つ。
気づいてなかったが、こうして呼ばれたのか。
どうすんだよ、このままいたいけな女の子とかが召喚されちゃったら。いや、男でも充分にマズいんだけどさ!
「出でよ、賢者よ!」
オッサンの叫び声とともに、部屋の中に光が満ちる。
まばゆい光の奔流に、思わず目を塞ぐ。
まぶたの裏が焼けるような強烈な光が収まると、そこには――
トカゲがいた。
体長は一メートルほど。
二足歩行しており、肌の色は鮮やかな緑色で、背中から頭にかけて角みたいなトゲが一列に生えている。
顔の半分はありそうな目は赤々とした大きな瞳で占められており、獰猛さより純粋さを感じさせるつぶらな光を発していた。
ただのトカゲじゃねぇ。こいつはまさか、
「――チュパカブラやん!」
「いかにも、我が名はチュパカブラ。南米の奥地に生息する吸血生物である」
「しかも、しゃべった!?」
どうしよう。異世界人というか、UMAが召喚されてしまった。
しかもしゃべり方が無駄に賢そうだ。
下手すると、この王冠かぶった世紀末オッサンより賢そうかもしれない。
「何と……その異形……ま、魔物か……?」
「む? ――お初にお目にかかる。我を呼ぶ声に応じ、馳せ参じた。我が名はチュパカブラ。装いを鑑みるに、貴殿はこの世界で身分あるお方とお見受けするが、いかがか」
「む、むぅ? その見識と礼節……異形などと毀損いたして申し訳ない。いかにも、我が名はグァルコス三世。このトーランド王国の王にして、人類抗魔同盟の一員にございます、異世界の賢者よ」
「これは丁寧な紹介、かたじけない。異世界より至る身にて、非礼があれば許されたい。して、私をこの世界に呼んだ用件とは?」
チュパカブラとオッサンは、互いに慇懃に頭を下げあって、言葉を交わしていた。
オッサンはこの世界の人類が魔王なる存在が率いる軍勢に脅かされていること、
人類はそれに抵抗するのに精一杯で、首魁である魔王を討伐する余力が無いこと、
なので、それを俺と二人で討伐して欲しいこと――
などを、俺に対する説明より詳しく、言葉を選びながら語った。
何この扱いの差。
未確認生物に礼儀で負けた俺は、文明人として切ない気分になる。
「――なるほど、私の仕事は、そこな少年を支えて、魔王を討伐することなのだな」
「さようにございます、賢者殿。ひいては、人類にあまり時間は残されておりませんが、魔法の習得など、この城で可能な限りの準備を整えていっていただきたい」
「まぁ、お待ち召されよ。それよりも大事なことがある――」
まくしたてるオッサンを圧し留めて、チュパカブラは俺に向き直った。
「少年。王はこう言っておられるが、きみの気持ちとしてはどうなのだ? 見れば、まだ年端も行かぬ学生のようだ――本当に、勇者などと過酷な責務を負ってもいいのか?」
「あ、はい」
頷いてしまった。
違うんだ、思考停止しててうっかり生返事を返しちゃったんだよ!
思考が追いつかなくても、仕方ないよね。チュパカブラだもん。
――何でチュパカブラなんだよ!?
何とか撤回しようと慌てる俺を、チュパカブラはその大きな瞳でじっと見つめた。
「……不安か、少年?」
「え? ええ、まぁ」
「無理もない。――だが、心配は要らない。少年は一人ではないのだ、非才の身ながらこのチュパカブラ、少年のために微力を尽くそう。少年が無事に役目を果たして元の世界に帰れるよう、この身を盾としてもらえれば本望だ」
チュパカブラは、真摯な瞳を固まる俺に向け、男前に言い放った。
「――少年。きみは、私が守る」
こうして、俺はチュパカブラと魔王討伐の旅に出ることになった。
********
チュパカブラとは、主にチリやメキシコ等の南米に伝わる未確認生物だ。
スペイン語で「ヤギの血を吸うもの」を意味し、その目撃例は一番古くとも1990年代中盤と、比較的新しい怪奇伝説の類である。
その正体は毛の抜けたコヨーテを見間違えた錯覚、という現実的なものから、宇宙人説、生物兵器説など多岐に渡る。
出自に関しては荒唐無稽な憶測が多数飛び交っているが、生態に関しては一つ、共通して認識されていることがある。
吸血生物という呼称の通り――
生物の血を吸うのだ。
そして、今も元気に血を吸っている。
野生のウサギの血を、その首筋からちゅうちゅうと。
「うむ。異世界でもウサギはウサギだな。血の味が変わらん」
「元の世界の、南米にウサギっていたっけ……?」
ぼやきながら、野営の焚き火に薪をくべる俺。
チュパカブラは小さな手で器用にナイフを持ち、血を吸い終わったウサギを解体した。
手ごろな大きさに切り分け、串を通して直火で焼いているのは、自分で食べるためじゃない。俺の食糧を確保するためだ。
あれから一ヶ月、俺たちは魔王討伐の旅に出た。
俺は王国一とか言われている騎士の人から付きっきりで指南を受け、いっぱしの剣が扱えるようになった。
どうやら召喚された勇者には能力補正がつくらしく、たった一ヶ月で実戦経験者から太鼓判を押されるほどの剣術を習得し、王様から一級品の装備一式を受け取った。
なんてご都合主義だろうか。
これで嫌が応にも魔王を倒さなくちゃいけなくなったわけだ。気が重い。
しかし、もっと凄いのは、何とチュパカブラだ。
チュパカブラはたった一ヶ月で魔法を極めた。王城の書庫にあった魔道書を読破し、魔法の概念と理論を理解し、宮廷魔術師なる連中をしのぐほどの魔法を修めてしまった。
見た目は爬虫類、礼儀は完璧、性格も紳士。
そして、その魔法の実力は人類を超えた、王国最強。
何この未確認生物。ちょっと意味わかんない。
かくして旅に出た俺は、チュパカブラの魔法にお世話になりっ放しなのだった。
旅の間の飲み水はチュパカブラが水魔法で精製し、この焚き火もチュパカブラが火の魔法で着火した。
薪は土魔法で木を生やし、風魔法で乾燥させて精製するという万能ぶりだ。
野生動物らしく狩りにも長けていて、俺には見つけられなかった野ウサギを一瞬で見つけ、ひと跳び数メートルと言う驚異的な身体能力であっという間に追い詰めては仕留めてしまった。
さらには自分は吸血だけで済まし、俺に肉をくれるという至れり尽くせりぶりだ。
何というサバイバル能力。
もうこれ、チュパカブラだけで旅した方がいいんじゃないかな。うん。
「もう焼けたんじゃないかな、チュパカブラ」
「そうだな。だが待て、アキヒロ。焼きあがった肉は火から遠ざけて休ませておくと、肉汁が回って美味くなる。塩も、焼く前ではなくこのときにかけるのだ。生のうちに塩をかけると、焼いているうちに水分が抜けてしまうからな」
やだ料理まで上手なの?
野生のどこでそんなこと覚えたんだよ、チュパカブラ。
夜に露天で串焼き肉という原始的な食事だったが、チュパカブラの知識と技術によりおいしい夕食をいただけた。
食事を終えると、寝袋にくるまって就寝だ。野宿とも言う。
チュパカブラが土魔術で仮設住居を作ってみようかと提案してくれたが、さすがに衣食住すべてお世話になってしまうと俺の心が折れる。霊長の尊厳的な意味で。
丁重にお断りした。
それでも、夜間の見張りは野生の危機察知能力があるので必要ない、熟睡しろと気を使われて、肩身の狭い思いをしながら寝袋に潜り込んだ。
どうも、倉田彰浩です。異世界で勇者やってます。
もうおれ、チュパカブラさんちのこどもになゆ。
やがて、慣れない環境で浅い眠りについていると、チュパカブラが俺の肩をゆすった。
「起きろ、アキヒロ。――襲撃だ」
どうやら、魔物の群れが迫っているようだ。
俺は急いで寝袋から這いずり出て、剣を抜く。
やや置いて、夜の暗闇に、周囲の茂みの中から無数の光るものが見えた。
爛々と目を光らせた、ゴブリンの群れだ。
しかも数が多い。四十以上はいるんじゃないか?
俺は息を呑み、剣を構えた。
これが初めての実戦だ。王国の訓練では、期間が短すぎて技術の習得が精一杯だった。生き物と対峙するのは、これが初だ。
果たして、俺が生き物と戦えるのか。生き物を斬れるのか――?
緊張していると、チュパカブラが俺を制して前に出た。
「下がっていろ、アキヒロ。私だけで充分だ」
そう言って、チュパカブラは呪文を詠唱し始めた。
身長一メートルの小柄なチュパカブラの体躯の前に、光で紡がれた紋様が陣を描いた。
「――派手に行くぞ」
チュパカブラの呪文が解き放たれる。
荒野を飲み込むような爆炎が、轟音とともに大地を舐めた。
圧倒的な熱量が渦巻き、去った後の更地には、殆どのゴブリンが焼け落ちていた。
「……すげぇ。何だ、この強さ」
「勇者を支える賢者としては、このくらいのことができなくてはな」
胸を張るチュパカブラ。どう見ても過剰戦力です。
チュパカブラはもう一度魔法陣を展開し、撃ち漏らしたゴブリンを、光の矢で射抜いていく。次々と倒れていく残りのゴブリン数匹。
俺の出番まるで無し。
と、思ったら、チュパカブラは一匹を残し、おもむろに魔法陣を打ち消した。
「あ、あれ? まだ一匹残ってるぞ?」
「……あれはお前の分だ、アキヒロ」
躊躇うように、チュパカブラが口を開く。
「アキヒロ。お前はまだ、本当に戦ったことがないのだろう? ならば、今がそのときだ。あれ一匹ならば、窮地に陥っても私が助けられる。危険は少ない。今が、経験を積むチャンスだ――」
「そんな……」
絶句する。
でも、チュパカブラの言う通りだ。
俺は勇者を請け負った。請け負ってしまった。なら、俺は戦わなきゃいけない。
チュパカブラは強いけど、俺が戦わなくていい理由にはならない。チュパカブラでも勝てないような相手が現れたら――魔王が現れたら、戦うのは俺の役目なんだ。
今が、その最初の一歩だ。
「……わかったよ。手出ししないでくれ、チュパカブラ」
剣を手に踏み出し、生き残ったゴブリンと対峙する。
ゴブリンは逃げ場がないと悟ったのか、それとも何も考えていないのか、手に持った棍棒を振りかぶって俺に襲い掛かってきた。
手が震える。
迫り来るゴブリンの矮躯が、ひどく大きく見える。
誰かに、何かに、殺意を持って襲い掛かられるというのは、こんなに怖いことなのか。
そして、襲い来るその命をこの手で摘まなければいけないというのは、こんなに覚悟のいることなのか。
目をつぶりたくなる恐怖を我慢して、目の前の敵を見据えた。
「うぅあぁぁぁぁ――――――――ッ!!」
俺の振るった一撃で、ゴブリンはあっけなく倒された。
たった数秒の出来事だった。
だが、俺は肩で息をして、立ち尽くしていた。
怖い。気持ち悪い。なんでこんなことしなけりゃいけないんだ。
今さらながらに、そんな負の感情が俺の心に溢れ返る。
俺は勇者なんかに向いてない。
こんな猟奇的な環境で、いったい俺は何をやってるんだ。帰りたい、元の世界に。
立ち尽くす俺の腰を、背後から誰かが抱きしめた。
「……がんばったな、アキヒロ」
チュパカブラだった。
「何も言わなくて良い。良いんだ、アキヒロ。お前を見ていたら、気持ちは伝わる……」
言葉にならなかった。
チュパカブラは、優しく包み込むような声で、俺を抱きしめていた。
「帰ろう、アキヒロ。魔王を倒せば、元の世界に帰してくれると王は約束してくれた。生きて、住んでいた平和な世界に帰ろう。私が、支えになるから」
俺は、知らず、泣いていた。
チュパカブラの小さな身体に抱きしめられて、俺は、恥も何も知らずにその場で泣きじゃくっていた。
チュパカブラ。俺、帰れるかな?
魔王なんて、倒せるのかな。
――こんな俺でも、勇者になれるかな。
*****
初めての実戦を経て、俺とチュパカブラは少し仲良くなれた気がした。
あんな弱みを見られたのだ。もう恥ずかしいことなんて無い。
そもそも、チュパカブラは元から俺に歩み寄ってくれていたのだ。
一度仲間だと認められれば、チュパカブラは何でも出来て、優しくて厳しい、誰よりも頼れる相棒だった。
けれども、困難はいくつもチュパカブラを襲った。
旅の途中で立ち寄った街では、チュパカブラを魔物だと恐れて、怯えられた。
いくら俺やチュパカブラが理知的に話そうとしても、チュパカブラの見た目は爬虫類だ。魔物扱いされて、罵声や、石を浴びせかけられることも何度もあった。
あるとき、食糧の補給のため、街に買出しに出かける必要に駆られたとき、チュパカブラは頑として街の中に入ろうとしなかった。
「……私のせいで、アキヒロまで石を投げられることはない」
俺は平気だ、と言おうとしても、チュパカブラはゆっくり頭を振るだけだ。
「人間に疎まれることは、慣れている。元の世界でもそうだった」
その言葉を聞いて、俺は胸が痛くなった。
チュパカブラは、いい奴だ。何でも出来て、他人を思いやれる、優しい奴なのに。
でも、未確認生物だ。
短い旅の間に何度もチュパカブラのお世話になった俺にとっては、心が苦しくなる現実だった。話をすれば、きっとこいつのことを理解してもらえるはずなのに。
「そうだ! ――ちょっと待っててくれ、チュパカブラ!」
俺は思い立って、街の中の古着屋で衣類を探し求めた。
急いで街の外で待つチュパカブラの元に戻り、古着を手渡す。
「これは……」
「これなら、チュパカブラも街の中に入れるだろ?」
それは、全身をすっぽりと覆うフード付きのコートだった。
チュパカブラの体格なら子ども用になってしまうが、主な移動手段が徒歩のこの世界、長旅用の衣装として古着屋に並べられていた。
それに、足元を隠すゆったりめのズボンと靴。
尻尾を隠すように着込んでしまえば、外からはもうチュパカブラの姿は見えない。
「それを着て、街に入ろう、チュパカブラ! 宿に泊まって、温かいベッドで寝よう。食事は部屋に運んでもらえばいいさ。美味しいものを、一緒に食べるんだ!」
チュパカブラは、感極まったようにコートを抱きしめていた。
「……っ、ありがとう……アキヒロ……」
その目に、赤い大きな瞳から溢れた涙が伝う。
良かった。爬虫類でも、涙は流せるんだな。チュパカブラだもんな。
その日、俺たちは同じ部屋に泊まって、柔らかいベッドで幸せな夢を見た。
チュパカブラと一緒に、元の世界に帰る夢だった。
*******
チュパカブラと俺の冒険は続いた。
幾度も襲い来るモンスターを倒し、たくさんの国々を巡った。
勇者になれるかと泣いた、あの夜の俺はもうどこにもいない。
オーガやグリフィン、果てはドラゴンや魔族とも戦い、無数の勝利を重ねた。
チュパカブラの魔法で助けてもらったこともあれば、俺の剣でチュパカブラを助けたことも何度もあった。
俺たちは、互いに支えあう仲間になっていた。
旅の間、チュパカブラはずっと、俺が買ったコートを肌身離さずにいた。
やがて、仲間が増えた。
魔王率いる魔族に、遠い大森林の王国を滅ぼされたという、エルフの王女だ。
名前を、フェリカと言う。美しい少女だった。
食糧と水が尽きたところにオーガの群れに襲われていたところを、俺とチュパカブラが助けた。
俺たちの旅の目的を話すと、自分も力になりたいと言ってついてくる。
その目的が容易に察せられた俺たちは、深夜に二人で相談してある条件を出した。
チュパカブラは、フードを目深に被ったまま、フェリカに言った。
「フェリカ。きみが復讐を望んでいるのは、わかる。こんな世界だ、不毛だと止める気はない。脅威を打ち滅ぼさねば、いつかまたきみの住む場所が焼き払われる可能性もあるだろう。――だから、私たちから出す条件は一つだ」
やらねばやられる。
そんな世知辛い世界だ。だから、俺たちは彼女に一つ条件を出すことにした。
「なに? ――何でも、言うことを聞くわ。たとえこの身がどうなっても……ッ!」
「幸せになってくれ」
フェリカは、呆けた顔でチュパカブラを見た。
「……えっ?」
「いつか、きみの目的が果たされた後、どんなに時が経っても良い。きみの思う、きみの望む幸せを、その手に掴んでくれないか。血塗られた道を歩もうとも、憎悪にその生涯を染めないでくれ。誰かに奪われた悲しみを取り戻すために、誰かから奪う逃避を覚えないでくれ。――この旅が終わったとき、いつか、愛しい者と添い遂げる覚悟を抱いてくれ」
それは、俺たちの願いだ。
甘っちょろい、平和な時代に生きた俺の、俺たちの願いだ。
俺たちの旅の目的は、元の世界に帰ること。
魔王を倒すのは、手段だ。目的じゃない。
フェリカの目的はわかる。それでも――目的を果たした後に、何も残らない生涯を歩んで欲しくない。
「一緒に行こう、フェリカ。きみの旅はここで終わりだ。俺たちの旅について来てくれ」
「……いいの? わたしにも……そんな風に思える日が、来るの……?」
「来るさ。私たちは、そのために幾万の屍を超えて旅をしよう」
地にへたり込むフェリカを抱きとめて、チュパカブラが彼方を見つめながら応えた。
うつむくフェリカの髪を優しく撫でるチュパカブラの小さな姿は、まるで母親のように慈愛に満ちていた。
*******
旅路の果てに、俺たちはフェリカの故郷である大森林に辿り着いた。
エルフの王国、その跡地だ。
王国が滅びた後も集落には生き残りのエルフの民が残っていた。
跋扈する魔族の手からエルフの民を救うべく、俺は先陣を切って剣を振るった。
「チュパカブラ! ――魔法で殲滅してくれ!」
「ダメだ、アキヒロ! 私の魔法では威力が大きすぎて、大森林を傷つける!」
そこでエコなのか、チュパカブラ!
元は野生動物たるもの、自然環境の保護には厳しいらしい。
仕方ない、俺ががんばるしかなさそうだな。勇者の剣を見せてやる!
「アキヒロ、弓で援護するわ!」
「頼んだ、フェリカ! 誤射は勘弁してくれよ!」
精霊魔法と併用したフェリカの矢が、討ち漏らした敵を貫いていく。
風の精霊のナビゲートによる誘導弾は、見事に俺を避けて標的だけを射抜いていった。
敵の軍勢を切り伏せ、魔王の側近だとか言う強そうなボス魔族に斬りかかる。
俺の剣がボス魔族を捉えたとき、魔族は強大な魔力を膨らませた。
――このやろう、自爆か?
これだから切捨て上等の手駒は!
自爆魔法が発動する寸前、チュパカブラの防御魔法が俺を包み込むのが見えた。
大森林の大半をえぐり飛ばす大爆発が起こり、俺たちは吹き飛ばされる。
後には一体たりとも魔族の姿は残っておらず、荒涼とした荒野が広がるばかりだった。
「そんな……森が……」
エルフの民こそチュパカブラの魔法で無事だったが、かつて王国だったフェリカの故郷は、見るも無残な死の土地に変わってしまった。
地表は爆発に舐められ、草木の一本も燃え残ってはいない。
落胆に、表情の抜け落ちたフェリカがくず折れる。
生き残ったエルフの民たちも、同様に悲嘆の声を漂わせていた。
「――ここは、私の出番だな」
悲壮な思いを振り払うように、覚悟を決めた賢者が皆の前に歩み出た。
「何をする気だ、チュパカブラ?」
「私のすべての魔力を使い、この大森林を復活させてみる。不可能ではないはずだ」
「……そんなことをして、大丈夫なのか?」
「死にはせんさ、アキヒロ。まだ、お前を元の世界に帰していないからな」
そう言ってチュパカブラは、フードの奥で表情を緩めた。
だが、それが無理をした決死の微笑だということは、一緒に旅をした俺には簡単に読み取れた。
「やめろ、無茶はよせ、チュパカブラ! ここでお前がいなくなったら――」
「フェリカは私たちの友だ。友の故郷を救えずして、この世界など救えようか!」
大賢者の詠唱が始まる。
チュパカブラの大きな真っ赤な目が光を放ち、小さな身体が光に包まれた。
見た目は爬虫類、礼儀は完璧、性格も紳士。
そして、その魔法の実力は人類を超えた、王国最強の大賢者。
けれど、何よりも……俺を支えてくれた一番の友達だ!
こいつを失いたくないと、強く思う俺がいる。
「涙を拭うんだ、アキヒロ」
「――ばかやろう、泣いてなんかねぇよ!」
「お前ではない、民の涙だ。民の、そしてフェリカの涙を拭おう。泣き塞ぐこの世界の涙を拭い去り、ともに笑って元の世界へ帰ろうぞ!」
なぁに、とチュパカブラは俺を振り返り、不敵に笑う。
「……言っただろう、アキヒロ。――勇者を支える賢者としては、このくらいのことができなくてはな!」
大賢者の魔法が広大な森を包み込み、そして元の姿へと蘇らせた――
「……気がついたか、チュパカブラ?」
「アキヒロか。ここは……?」
「大森林さ。お前が命を蘇らせた、な」
俺は涙を拭い、横たわるチュパカブラの身体を抱き寄せた。
「心配……かけさせんじゃねぇよ……三日も眠りっ放しだったんだぞ……」
「……すまない」
「チュパカブラ! 目が覚めたのね!?」
俺たちのいる天幕に飛び込んできた少女が、俺の手からチュパカブラを奪い去った。
フェリカだ。
「ありがとう、チュパカブラ! わたしたちの森を救ってくれて!」
「ふぇ、フェリカ。離してくれ、フードが……」
はらり、とチュパカブラの顔を覆うフードがずれ落ちる。
その下の未確認生物の顔が顕になり、チュパカブラは慌てて顔を背けた。
だが、フェリカは何も動じず、小さな賢者に抱きついていた。
「ふぇ、フェリカ……? 私の姿を見ても、なんとも思わないのか……?」
俺は、抱きすくめられてふためく未確認生物に、笑って言った。
「もう、みんな知ってるんだよ。チュパカブラ」
「あなたが寝てる間に、あなたの素顔はみんなが目にしたわ。――でも、そんなの関係ないわ。貴方は私たちエルフの民の英雄よ、チュパカブラ」
「私が……怖くないのか……?」
「チュパカブラ」
俺は、自分の相棒の大きな赤い瞳に向けて、相好を崩した。
「俺も、フェリカも、エルフたちも――みんながお前を認めてるんだ」
少なくとも、この世界では、チュパカブラはもう未確認生物なんかじゃない。
ましてや、魔物でも、周囲に忌避される存在でもない。
これはきっと、誰もが後世に語り継ぐ、英雄の伝説の始まりだ。
抱きしめられる小さな大賢者の、大きな瞳には、温かな涙が滲んでいた。
*******
エルフの民たちとの、別れの夜がやってきた。
居心地の良い暖かな場所だけど、いつまでもこの森に留まってはいられない。明朝にはボス魔族の残した手がかりから、魔王の居城を目指す旅に戻る。
その前に、確認しておかなければいけないことが、一つあった。
フェリカは、失われたエルフの王国の王女だ。
元、とは言え、王国の民たちは少数ながらまだ残っている。
俺とチュパカブラ、そしてフェリカの三人は天幕の中で向かい合っていた。
「フェリカ。きみには、二つの選択肢がある。一つは、私たちについてくること。――もう一つはこの王国に留まり、王族の一人として、残されたエルフの民を統治していくことだ」
「わたしの答えは決まってる。このまま、ついていくわ」
即答だった。
俺とチュパカブラは、思わず顔を見合わせる。
「フェリカ、よく考えてくれ。エルフの民にも生き残りはいたんだ、魔王討伐は私たちに任せて、きみはこの土地で伴侶を見つけて幸せに暮らすこともできる。きみの未来のためにも、私たちは必ず勝利する。約束しよう。だから……」
「貴方たちのことは忘れて、わたしだけ幸せに暮らせって言うの? そんな寂しいことを言わないで。――エルフの民の総意としては、みんなをわたしが率いて、貴方たちと一緒に戦いに行くって声で占められてるのよ?」
その答えに、俺たちは呆気に取られた。
それが叶えば、まさしく百人力だ。だが、そんな選択をせっかく生き延びたエルフたちに強いてもいいものか。軽々しく頷くことはできない。
「アキヒロ、チュパカブラ。貴方たちの気持ちは嬉しい。でも、二人だけを戦わせて、その犠牲の上に成り立つ幸せを選ぶなんてわたしたちにはできない。それに――」
「……それに?」
「――貴方たちは、もう戦わずに済む選択肢もあるのよ?」
フェリカの言葉は、俺たちにとって、とても衝撃的な事実だった。
「……二人の魔王討伐の報酬である送還魔法は古代の秘儀とされているけれど、寿命の長いわたしたちエルフ種族にも、同じ技術が伝わっているわ。生き残りの民の中に、その口伝を受け継いだ者もいる。――二人を呼んだ王が帰さなくても、わたしたちが二人を元の世界に帰すことができるわ」
フェリカが、俺たち二人を見つめながら神妙に尋ねた。
「選ぶのはわたしじゃないの。貴方たちの方よ。――呼び出されて、押し付けられただけのこの世界を救うために、これ以上命を懸けるの? 貴方たち二人がここで元の世界に帰っても、誰も文句を言わない……いえ、言える権利なんて無いんだからね?」
選択を問うたつもりが、逆に選択を問われている。
呼び出されて、押し付けられただけ。確かに、始めはそうだったかもしれない。
だけど、俺たちの答えは決まっていた。
「俺たちはまだ帰らないよ、フェリカ。みんなが安心して住める世界を作って、そして俺たちは笑って帰るんだ。――なぁ、チュパカブラ?」
「うむ」
頷きあう俺たちを、フェリカは頬を染めて見ていた。
やがて、ごにょごにょと搾り出すような声でつぶやく。
「その……アキヒロ。全部終わったら、わたしも、貴方の世界に連れて行ってもらえないかしら?」
「無理だろ。エルフのみんなはどうすんだよ」
「な、何よ! 幸せになれって言ったのは――私に、好きな人と添い遂げる覚悟を持てって言ったのは、貴方たちじゃない!」
「え……」
思わず絶句する俺に、むくれたフェリカが詰め寄る。
なぜだか、隣のチュパカブラが不機嫌そうに頬を膨らませて、たしたしと細い尻尾でフェリカを叩いていた。
フェリカの部分的に豊かな身体が俺の胸に飛び込み、その口から叫びが漏れる。
「せ、世界の違いなんかに負けないんだから――――ッ!」
*******
皆が寝静まった夜、俺は天幕の中に誰もいないことに気づいて、外に出た。
チュパカブラは一人、外で夜空を見上げていた。
コートを脱ぎ、未確認生物としてのその身体を月光にさらしながら、一人、佇んでいた。
「どうしたんだよ、チュパカブラ?」
「アキヒロか。なに、詰まらないことを考えていた」
「なんだよ、大賢者の悩み事か」
「……私は、二人がうらやましい」
俺は、首をかしげた。
「俺とフェリカのことか?」
「二人は伴侶として過ごしていくのだろう。エルフと人間だが、種族的には近いと聞く。子を成すこともできるだろう、二人に幸せになって欲しいと思っている」
「気が早ぇよ、チュパカブラ。そんなのは、全部終わってからの話だ」
「終わってから……全部終わったら、私はどこへ帰るんだろうな?」
それはもちろん、元の世界じゃないか――
そう言いかけて、チュパカブラはそんなことを悩んでいるんじゃない、と思い直した。
「それは、同族のところじゃないか?」
「同族などいない。昔、元の世界を旅してみたが、私と同じ種族は見たことがない」
俺は、チュパカブラは種族だと思っていた。
チュパカブラにも親がいて、元の世界にも多寡は知らないが同族がいる。そう思うのが自然で、信じて疑わなかった。だが、それは違うとチュパカブラは頭を振った。
「私は、自分がどういう種族なのかを知らない。その由来がどこにあるのか、どうやって生み出されたのかも……」
チュパカブラは、元の世界ではUMAだ。
一説には、パラレルワールドから来た未知の生物だ、なんて説もある。その詳しい生態は知られていない。もしかしたら、元の世界ではなく異世界の生物なのかもしれない。
「知らないのではなく、覚えていないのだ。私自身が何者なのか……」
「帰ろう、チュパカブラ」
俺は、チュパカブラの小さな背中を後ろから抱きしめた。
「会いに行くよ。元の世界では、俺は日本の学生だけど、金を貯めて、いつかチュパカブラの住んでる南米まで会いに行く。チュパカブラは、もう一人じゃない。いつか、謎の生物でもなくなるさ」
「アキヒロ……」
チュパカブラは、胸の前に回された俺に手に、そっと自分の手を添えた。
「いつか、知る日が来るのだろうか? 私は、私自身が何者なのか。その正体を」
「正体が何であろうと、チュパカブラはチュパカブラだよ。俺の大事な仲間だ」
もうすぐ、俺たちの旅は終わるだろう。
この小さな賢者との別れも近づいている。
けれども、それは永遠の別れじゃない。同じ世界に帰るのなら、会いに行くこともできるはずだ。
俺は、そのとき、そう信じて疑わなかった。
*******
魔王の居城に辿り着いた。
それは、人類対魔族の最終戦争の始まりと同義だった。
魔王城を取り巻く軍勢は人類がその総力を結集させた人類抗魔同盟の軍と、俺たちについて来てくれたエルフの軍勢が引き受け、俺たち三人を居城内の魔王の元へと送り出してくれた。
いわく、俺たちは人類やエルフ、この世界のすべての種族の最後の希望なのだそうだ。
何が何でも勝たなくてはいけない。
だが、外の軍勢は味方が引き受けてくれたとはいえ、居城内にもまだ無数の魔物たちが残っていた。
俺の剣やフェリカの弓、チュパカブラの魔法で血路を切り開いていったが、俺たちは三人。すべての魔物を全滅させられるはずもない。
押し寄せる大群に呑まれようとしていた。
「……アキヒロ、フェリカ。後ろは私に任せて、先に行け」
「チュパカブラ!?」
「私の魔法は広範囲魔法だ。多数を相手にするのに向いている。誰かがこの大群を足止めして勇者を魔王の元に向かわせるのなら、その役目は私が適任だ!」
「無茶だ、お前一人じゃ! 俺たちもここで戦う――」
「役目を履き違えるな!」
チュパカブラの叱責が、俺の足を押し留めた。
「お前の剣が魔王に届けば、この世界は救われる。行け!」
チュパカブラは、俺を振り返り、にっこりと笑った。
「――アキヒロ、勇者になれよ」
そう言って大群に向かうその小さな背中を、俺は忘れない。
それは、賢者チュパカブラ最後の雄姿だった。
迫り来る魔物の群れに、賢者の咆哮が轟く。
「我こそは、賢者チュパカブラ! 遠き異世界で未確認生物と恐れられた化け物だ! これより先は通させん、命がいらぬ者からかかってこい!」
俺は、チュパカブラを振り返らずに、剣を手に駆け出した。
「行くぞ、フェリカ!」
「いいの、アキヒロ? あのままじゃ――」
「俺は魔王を倒して、ここに戻ってくる。必ずだ! だから――それまで死ぬなよ、チュパカブラ!」
俺の剣は魔王を討ち滅ぼした。
魔王の力は強大だったが、仲間の窮地に追い詰められた俺の全力には届かなかった。
その命が潰えたのを確認し、フェリカを引き連れて急いで戦場に戻る。
そこは、屍の山だった。
夥しい数の魔物の躯が、チュパカブラの死闘を物語っていた。
屍山血河と化したその場所に動くものはなく、俺は必死に仲間の姿を探した。
「――チュパカブラ!」
屍の山の上に、チュパカブラは立っていた。
俺が駆け寄ると、その身体がぐらりと揺れた。剣を投げ捨て、崩れ落ちる身体を抱える。
チュパカブラの姿は傷だらけで、無事なところなんてどこにもないほど、ぼろぼろだった。
「しっかりしろ! 外に、治癒術士たちがいる!」
「アキヒロか……魔王は……倒したか……?」
俺が治癒魔法を使えればよかったのに。魔法はチュパカブラの専門だ。
剣しか持てない勇者の無力が、悲しかった。
「思い……出した……思い出したんだ……アキ、ヒロ……私が……何者だったか……」
「しゃべるな、血が止まらない! お前が何者でも、お前はお前だよ、チュパカブラ!」
「私は……私の正体は……さ……」
がふ、とチュパカブラの口から血が溢れる。
小さな身体を抱え上げ、外に待つ人類やエルフの魔術師たちの元へと運ぼうとした。急ぐ俺の服を、チュパカブラの手が掴み、押し留める。
腕の中のチュパカブラは、その大きな瞳で俺を見上げていた。
何かを言おうとしたのだろう、口が動き、そして思い直したようにその動きが止まった。最後の言葉だと思ったのかもしれない、チュパカブラは俺を見つめて口を開いた。
「アキヒロ……私は……最後まで、お前の仲間でいられたか……?」
「当たり……前だろっ!」
やめてくれ、チュパカブラ。一緒に帰ろうって言ったじゃないか。
元の世界で、会いに行くよって約束したじゃないか。
最後まで、俺を支えて、お前は帰れないなんてそんなのあるかよ!
けれど、チュパカブラは、満足そうに微笑んで言った。
「そうか……ひとりだった私にも、仲間が……できたのだな……」
「チュパカブラ!」
「……覚えて……おいてくれ……アキ、ヒロ……わた、しの正体は……さす……」
その言葉は、最後まで続かなかった。
俺の服を掴んでいたチュパカブラの手が、力なく離れ、動かなくなる。
さす、何なんだよ!?
「チュパカブラぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁっっっ――――!」
*******
チュパカブラがいなくなった。
俺がこの世界から呼び出されたときから、一緒に冒険を続け、ずっと俺を支えてくれた小さな相棒は、この異世界で命を散らした。
チュパカブラは英雄として祀り上げられ、その葬儀は国葬として行われた。
国を挙げて英霊を悼む廟が作られることになり、勇者と、それを支えて世界を救った大賢者チュパカブラの伝説は、この世界の民の間でずっと語り継がれていくことだろう。
帰還から時をおいて魔王討伐の凱旋パレードが開かれ、俺はフェリカと一緒に大きな馬車に乗せられ、多くの民の前で手を振り続けた。
俺の隣にはフェリカが俺の腕に身体を押し寄せ、一緒に腕を振っている。
でも、反対側には、誰の姿も無い。
そのことが、俺にはすごく寂しいよ、チュパカブラ。
民に向ける俺とフェリカの笑顔には、ずっと涙が滲んでいた。
やがて、異世界には平和が戻り、俺は元の世界に帰ってきた。
俺が召喚された瞬間からほとんど時間は経っておらず、俺の勇者の力も失われた。
何もかもが、召喚される前と同じだ。元通り。
――でも、一つだけ違う点がある。
「これからどうするの、アキヒロ?」
俺の隣にいるフェリカだ。
エルフの国の復興を他の民に任せ、世界を渡って俺についてきた。この世界でも魔法は使えるらしく、フェリカと俺は地球と異世界を行き来できることになる。
この世界で目立つエルフの耳は、魔法で隠しているらしく、彼女なら、そのうち戸籍なんかも何とかしてこの世界に住めるようにしてしまうかもしれない。
そのうち、俺の家族にも紹介しようと思ってる。
「……まずは、金を貯めなきゃな」
異世界の俺たちの冒険は、決して夢なんかじゃない。
なら、俺は、約束を果たしに行かなきゃいけない。
「チュパカブラに、会いに行く」
知ってるんだ。
チュパカブラは一人だけで、仲間なんていないと言っていた。
そのチュパカブラは異世界で死んだ。この世界には、もうチュパカブラは存在しない。
でも、本当にそうなんだろうか? 誰かそれを確かめたのか?
俺は、心に決めていた。
金を貯めて、南米を、世界中を探して、チュパカブラの同族を見つけるんだ。
そして語ろう。
異世界で生きた仲間の、小さな大賢者の、その伝説を。
その生涯を。
「待っててくれよ、チュパカブラ!」
チュパカブラ――
いつか俺は、もう一度お前に会いに行くよ。
そして血を吸われる。