第1話 いつもの朝
朝。いつも通りの朝。
いつも通りの時間に目を覚ました俺は、いつものように顔を洗って、歯を磨いて、ササっと朝食を食べて、それから着替えて家を出た。
こっちに来てどれだけ経ったかな。
妹のハルはちゃんと学校に行ったかな。
そう思いながら時計の方に目を向けると、時計がいつも通りの家を出る時間を既に過ぎていることに気が付いた。やべっ、俺もそろそろ行かないとな。
ガチャッとドアをあけると、気持ちのいい陽気に包まれる。ああ、今日もいい天気だな。
「あ、来た来た。もー遅いよー」
そしていつも通り、待ち合わせ場所には恵の姿があった。
「おはよう恵、いつも早いな」
彼女の名前は恵。世話焼きなご近所さんで同級生だ。
「おはよう。もう、コウが遅いんだよ」
「そうか?まだ普通に間に合うだろう」
俺は大抵のことはギリギリにならないとやる気の起きないタチなのだが、恵はそうではないようだった。
何でもかんでも早め早めに行動を起こし、なにかと行動の遅い俺に世話を焼いてくる。
「それはそうだけど、私はもっと時間に余裕を持って行動したいの」
ほらまた始まった。俺は余裕は先に消費したいタイプなの。
「だったらわざわざ俺を待ってないで、先に行けばいいだろ」
そう返すと、恵は頬を少し膨らませ、そして言い返してきた。
「そんなこと言って、遅刻したって知らないからね。この前だって・・・」
う、それを言われるとキツイな。この前日直でどうしても早く家を出なければならなかった日、恵は自分は
いつも通りの時間で良いのに、わざわざ早くに家に来て、起こしてくれたのだった。あれがなかったら確実に遅刻していた。
「あ、あれはたまたまだって!いつもはちゃんと起きてるだろ」
「ちゃんとギリギリに・・・ね」
「ぐっ・・・」
なかなか痛い所を突いてくる。全く、ただの真面目と見せかけて、なかなか意地の悪い奴だよ。
よし、かくなる上は・・・必殺の!
「そ、それより!今日はいい天気だよな!」
「あ、話題逸らした」
必殺、話題逸らし失敗。
ガーンと衝撃を受ける俺を見て、恵は可笑しそうにクスクスと笑う。
「ふふっ、もういいよ」
「でも本当、天気が良いと朝から気分もよくなるよねー」
お、なかなか分かってるなチミ。
「でも今日は夕方から雨だってテレビで言ってたよ」
この晴天で雨?なんかの間違いだろう。
「へえ、こんな天気なのにな」
「うーん・・・こっちだとあまり関係ないんじゃない?」
「そういうものかねぇ・・・」
そんなこんなで二人で話しながら歩いていると、一人の少女が目に入った。
「・・・」
小柄な少女だ。中学生か、精々高校1年生って所かな。
俺は少女の事が気になって暫く見つめていた。
綺麗な顔立ちをしているが別に見惚れている訳じゃない。
ただ、彼女が・・・
「何見てるの?」
「っ!?」
少女のことが気になって見ていた俺は、恵に急に話し掛けられ、つい驚いてしまった。
「え、な・・・何?」
振り返ると恵は不思議そうな顔をしてこちらを見ていた。
「今、向こうの方じっと見てたよね?どうしたのかなって」
「ああ・・・ほらあの子だよ」
別に隠す理由もないので、俺は正直に目線の先の彼女のことを打ち明けた。
すると恵は最初はキョトンとして、それから少し考えた後、俺の目線の理由を解釈した。
「あっ、そっか。あの子、私服だね」
「・・・」
「学校サボりかな?不良には見えないけど。それとも・・・」
違う。そうじゃない。
ただ、彼女が・・・
あそこに突っ立っていて、一歩も動く素振りを見せない彼女が
酷く虚ろな目をしていた。
少なくとも俺の目にはそう映った。
なんていうか・・まるで、空っぽみたいだな。
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「それから、えー明日は急遽午前授業になった。部活動も禁止なので放課後は学校に残らず速やかに下校するように」
6限も終わり、帰りのHR。早く帰らせろ、早く部活に行かせろとそわそわしていた教室内は、担任の思いがけない言葉に大いに沸いた。
「あーうるさいうるさい」
「では以上。日直!」
担任はうんざりした表情で日直に号令を促した。
「起立。気を付け、礼」
HRを終えると共にガラッと扉を開ける音が鳴り、何人かの生徒は部室棟の方へ駆けて行った。全く、あそこまでスポーツに情熱を注げるなんて大したものだ、と俺は彼らへ尊敬の念を抱きながら帰り支度をのんびりと始めた。
朝見た女の子の事なんて、微分積分について考えている間にすっかり忘れてしまっていた。
まさかこっちまで来て学校に通うことになるとは思わなかったな。これで毎日寝る前に英単語を覚える生活ともおさらばだ、なんて喜んでいたのにまた学校に通うことになって落胆したものだ。でもまあ、今の生活も悪くはない。
「おっす。お疲れさん」
話し掛けてきたのはクラスメイトの健二。
まだ出会ってほんの数ヶ月だが、気の合う良い友人だ。
「おう。お疲れ」
「しっかしツイてたなー」
嬉しそうに言う健二だったが、何のことだか分からない。
「ん?何の話だ?」
「先生の話を聞いてなかったのか?午前授業だよ。午前授業」
あぁ…そのことか
「確かに2時間早く帰れるってのはありがたいよな」
俺がそう言うと健二はフッと笑って得意げに言った。
なんだ、何が言いたい。
「それだけじゃないぜ。明日は金曜日…そして5限の英語の課題の提出日は本来なら明日!つまり、今日はまだやらなくても良いってことだ!」
なるほど。それは確かにツイているな
なんて思っていると、恵が呆れたような顔をしてこちらにやってきた。
「二人ともまだ終わらせてなかったの?」
「お、恵ちゃんか」
「聞いてたのか?」
「大きな声だったもん。聞きたくなくても聞こえてくるよ」
そんなデカい声だったかと、俺と健二は顔を見合わせる。
しかし、俺は健二とは違うぞ。それを今から見せてやろう。
「恵さんお願いします!写させてください!」
「あ!ズリィぞコウ!」
ええいやかましい!引っ込んでおれ!
さあ、肝心の恵大先生の反応は!?
「駄―目♪」
笑顔で断られた・・・
「宿題は自分の力でやるものなのだよ、コウ君」
ぐぬぬ・・・言い返せない。
「ははっ!ザマあないぜコウ!」
うるさい約束された敗者め。
仕方ない、ここは必殺の・・・
「そこをなんとかお願いします!何でもしますから!」
「!!」
おお、さっきとは明らかに反応が違う。
「何でも・・・?」
よし、揺らいでるぞ。
「コ、コウ・・・お前、なんて恐ろしいことを・・・」
わなわなと震える健二。何、何をそんなに震えてんの?
「お前・・・鼻でスパゲティを食べる覚悟があるっていうのか・・・?」
「お前は一体何を言っているんだ」
「そ、そうか・・・!目でピーナッツを噛む方かもしれないな・・・!」
何でも言うことを聞くと言われてそんな命令をする奴がいたら、そいつはきっと青狸が来てもどうしようもないほどの間抜けだろう。
こういうときはもっと自分に利益のある命令をするものだ。
「うーん・・・」
一方恵様は未だ悩んでいるようだった。
「・・・よし!」
お、決まったみたいだ。
「いい?コウ。見せてあげるのはこれで最後だからね」
おおっ!もちろんで御座いますとも!して、命令の方は・・・
「命令は・・・えっと」
「・・・ごくり」
「あ、あのね!その・・・」
さっきさんざん考えていたはずなのに、なかなか言い出さない恵。
そんなに言い辛い内容なのだろうか。怖い。
「お、落ち着いて、ほら深呼吸」
「う、うん・・・」
俺が深呼吸を促すと、恵は素直にそれに従った。
そして2,3回深呼吸を繰り返すと俺の目をじっと見て口を開いた。
覚悟は良いか?俺は出来てる。さあ来い!
「あのね・・・?」
「今度・・・私の買い物に付き合ってください!!」
「え?」
正直、そんなことでいいのか?と思った。
しかし、恵の顔は真っ赤で・・・
さて、こんなとき、どんな反応をすればいいんだろうか。
続く