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天寿を全うしたい!  作者: 某中将
傍観者の異世界入門
2/8

春畝公

 冷水が、顔に掛かる。


「うひゃっ!冷たっ!」


「なんだ君、顔を糞まみれにして…」


地下深くから汲み上げられた井戸水は澄んでいて、しかもとても冷たかった。


 しかし、その水は顔にべったりと絡みついた馬糞を綺麗 に洗い落としてくれる。

 俺に水を掛けた主は楽しそうな声を上げていた。


「ほれ、ほれ、ほれ、まだ落ちんか」


 しかし、冷たい水に驚いた俺の反応が面白かったのか、何度も水を掛けて来るのには閉口した。


「ぷはっ!」


「むむう…」


「何ですか、いきなり…」


「綺麗にしてやらねば、いかんと思ってな?」


「明らかに、楽しんでましたよね…?」


「楽しむだなんて言い方が悪い、私はあくまで君を助けようとしていたのだよ?何しろ顔中糞まみれの奴がフラフラこっちに来るもんだから、見ていてかわいそうになってな…」


「…」


「疑っているな?」


「…いえ、ありがとうございます」


「随分と素っ気ないの」



悪びれない。






畜生、異世界か?これが異世界ってやつなのか?

疑心暗鬼といってはあれだが…

目の前の男は、明らかにこの場には似つかわしくない服装をしていた。

のどかな農村には似つかわしくない、コートに革靴、シルクハット。

この農村の、地主か何かだろうか?


しかしそれ以上に目を引いたのは、じっとりとした赤い血糊に彩られた白いシャツである。


「ふふ、驚いたかね?」


そこまで、分かりやすく驚いたつもりは無かったのだが…

何だろう、この人は。


「や、驚くのも無理は無い。私だってついさっきまで哈爾濱の駅にいたのだからな」


哈爾濱(ハルピン)


「何しろ、いきなり拳銃で撃たれてこれだよ。奴は…」


拳銃?


「死んだかと思ったよ」


死んだ…


「おい、聞いているのか?君」


話を聞け、とは一言も言われなかった。

しかし、もう少し事実を整理する時間が欲しいのだ。


ハルピン、拳銃、血に濡れたシャツ、一人の男の死。


間違い無く、ある事件の事であろう。

にしては、目の前の人物は若い気がするが…


少なくとも彼が殺害された時は、もう少し年を食っていた筈だが…


え?まさか、え?


矢継ぎ早に繰り出される話を徹底的に無視した結果、ふくれっ面をしている男の目を、じっと見つめた。


「あ、なたは…」


「い、伊藤…」


「ん、左様」




「朝鮮総監、伊藤博文である」

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