9,姐御は最後まで姐御
翌朝。
俺達は宿を出て、更に北上すべく北の森に足を運んでいた。
現在、森の中を歩いているのは俺と姐御だけだ。
クノンには俺達と別行動を取る様に指示しておいた。
旦那の作戦のために、必要な事だ。
……さて、そろそろか。
旦那が「仕掛ける」と言っていたポイントは。
「ふん、久しぶりだな、紛いモノ」
出てきた。
ダイダスの旦那だ。右腕はガッチガチにギプスを巻いている。
「……? あんたは……誰よ?」
「覚えていないか、無理もない。所詮貴様に取って我々など、一時の気まぐれで関わった相手でしか無いのだろうからな」
旦那は左手をゆっくりと上げた。
今回はきっちり手袋を外している。
「とりあえず、平伏してもらおうか。紛いモノ」
パチンッ、と軽快な音が響く。
しかし……
「………………」
何も起こらない。
「……何……?」
今のフィンガースナップを合図に、待機していたあの愉快な4人組が颯爽登場する予定だった。
今回の作戦については全部聞いてる。
旦那が姐御に仕掛けるポイント。
その際に旦那が取る位置。
4人組が待機しておく配置。
何もかも、聞いたらすんなりと教えてくれた。
まぁ、そうだよな。
俺と姐御の関係性上、俺が姐御に付くなんて、普通は考えないだろうからな。
「イヌー、終わったよー」
「おう、ご苦労だったな、クノン」
頭上の木の枝から、クノンが糸を垂らして降りてきた。
「っ……!? 何故だ、そのアラクネは不確定要素だから別行動を取らせる様にと……」
「ああ、だから別行動を取らせてたよ」
「4人ともしっかい吊うしてきた! 人間ストイングプエイスパイダーベイビー!」
「4人……まさか……!?」
「そのまさかよ、ダイダラボッチ……だっけ?」
「ダイダスだって言ったろ、姐御」
「なっ……まさか……」
俺はギリギリまで姐御に付き添い、作戦開始と同時に旦那達に呼応して動く……手筈だった。
まぁ、俺は最初からその気なんて無かったので、昨夜の内で全てまるっとどこまでも姐御に報告させてもらった。
そして、クノンにはあの4人組の処理をお願いしといた訳である。
「ぐっ……」
「良い顔ね。たかだか凡人が、私を嵌め様なんて片腹痛すぎて盲腸になるわ」
ちなみに、ダイダスだけは直接自分が手を下すと言うのは姐御の案である。
本当、良い趣味してやがる。
「な、何故だ!? 何故君はその紛いモノに付く!? 借金の形に追従を強要されているだけなのだろう!?」
「おう、全くもってその通りだよ」
「ならば何故!」
「俺は所詮犬だ。だけどな、犬だって尻尾を振る相手を見極める程度の甲斐性はあるんだよ」
悪いが、俺は姐御に付いた方が利益になると踏ませてもらった。
何故なら……
「礼を言っておくぜ、旦那…いや、ダイダス。今回のあんたの作戦の情報のおかげで、大分借金が減った」
「っ……金で情報を売ったのか!?」
その通りである。
この情報は、姐御の生命に関わる事だ。
だから、俺の生命を救ってもらった時と同額の1000万Cで取引させてもらった。
これで借金はほぼ相殺され、残高は3万6500Cだ。
いくら俺でも、たかだか3万6500Cのために知り合いを殺す気にはなれない。
そんな金額で人を殺せる様な奴だったなんて記憶、来世に持ち越したくない。
あと、俺如きに負ける様な奴の作戦じゃ、姐御の狡猾な知略で逆転されるなんて展開もありえるからな。
俺の事をすぐに信用して作戦内容をペラペラ喋っちゃう、旦那の素直さもその不安を助長した。
もしこの作戦が失敗に終われば、ダイダス達と一緒に俺も殺される。
まぁ、そんな感じで色々と考えた結果、姐御に情報を売っ払っておくのが吉だと判断したまでだ。
決してこんな悪魔の様な守銭奴に情が移った訳では無い。
「き、貴様ぁぁぁああぁぁぁ!」
「悪く思うなよ。俺だって生きるのに必死なのさ」
「ま、そういう訳よ。利口な犬に育ってくれて私としては嬉しい限りね」
「イヌはお利口!」
「ぐ、ぬぬぅ……ここは……撤退だ!」
身を翻したダイダス。
その前方に、一瞬で姐御が周り込む。
「っ!」
「あんたさ……私の生命を狙った上に、個人情報をペラペラ漏洩しといて、タダで済むと思ってるの?」
ビキビキ、と姐御の体内から不穏な音が響く。
そして、姐御の背中から大量の禍々しい腕の様なモノが吹き出した。
……ああ、あれが、ダイダスの言っていた高次元的人類の特性の1つ、変幻自在の肉体か。
「ま、待ってくれ、こ、こんな展開は、想定外だぁぁぁ!」
「驚きは人生のスパイスよ。刺激的な人生の幕引きね」
生物には相応な分が存在する。
調子に乗ってその分を逸脱しちゃうとどうなるか。
俺の場合は借金を背負った。
そしてどうやらダイダスの場合、来世に期待する事になる様だ。
「はぁー、ひと暴れしてすっきりした」
「アーニェ強い」
……もうあれは強さ云々を語る次元じゃねぇな。
まるで神、か。
確かに人類に太刀打ち出来るモンじゃない。
「にしても、犬。あんたもおかしな奴よね」
「何がだよ?」
「今まで私に受けた仕打ちの仕返しをしてやりたい、とか思わなかった訳?」
まぁ、その辺も少しは思ったけど……
「死んで欲しいと思う程じゃなかった」
それに、姐御のおかげで金の重みを学ぶ事もできた。
今後生きていく上で、かなり役に立つモノを与えてもらったと言うのは理解している。
「それに……いや、何でもねぇや」
「ちゃんと言いなさいよ、気持ち悪い」
「別に」
ここから先は、俺の勝手な脳内補完だからな。
口にするのはやや憚られる。
姐御には、弟がいたらしい。
それも、あの姐御がその死に心を痛めるくらい、大切な弟が。
そんな姐御が、俺に姐御呼びを強要する理由。
まぁ、おそらくは昨夜俺が考えた通り、弟の代替品が欲しかっただけだろう。
大切な弟の代わりとして扱っているにしては雑くね? とか考えもしたが……
姐御の性格的に、もしかしてこの扱いが姐御なりの大切な身内への接し方なのではないか? とも思った訳だ。
俺が子供の頃、兄貴はやたら意地悪な時が多かったが、俺が困ってる時は必ず助けてくれた。
仕方無い弟だ、とか、ちゃんと恩は返せよ、なんて憎まれ口の様な事を言いながら、手を差し伸べてくれた。
思い返してみれば、都度料金を請求してくるものの、姐御の俺に対する面倒見の良さは中々のモノだ。
その辺から、料金請求はもしかしたら照れ隠しの一種、兄貴の憎まれ口に近いモノなのでは……? と言う可能性が俺の中で浮上した。
まぁ、全部俺の勝手な妄想だ。
現実とは乖離している可能性は非常に高い。
でも『素直じゃない、ちょっと面倒くさいお姉ちゃん』……そう考えると、何かちょっと可愛らしい。
「……何よ、そのムカつく微笑みは」
「癒されるだろ?」
「正気?」
「本気で心配そうな顔をしないでくれ、冗談に決まってるだろ」
俺だっていい加減、身の程はわきまえてるっつぅの。
まったく……まぁ、何にせよ俺の借金は残り3万6500C。
これからボーナスが一切付かなくても1年姐御に付き合ってりゃ返済完了する額だ。
俺はこれからも奮闘する予定なので、ボーナスが付かないなんて事は無い。
つまり、1年以内には返済完了する訳だ。
もうすぐ姐御のカバン持ちみたいな犬生活ともオサラバ……
「………………」
「何つっ立ってんの? 気を取り直して冒険再開よ。目指すは北国、銀世界!」
「雪!」
「へいへい」
まぁ、何だ。
借金を返済し切ったら、俺と姐御の関係はイーブンになる。
一緒にいても、理不尽にこき使われる事はなくなるだろう。
そしたら、仲間として姐御についてく、ってのも悪い選択肢では無いのかも知れないな。
「あんた今、借金返済後の明るい未来計画でも考えてたでしょ?」
「相変わらず良い勘してるぜ……流石は神様だ」
「確かに、このまま行けばすぐに完済できるかもだけど……そう上手くいくかしらねぇ?」
「不吉なフラグを立てるな」
そう、借金は必ずしも減るばかりとは限らない。
それは俺も重々理解している。
だって実際に何度か増えたし。
「今に見てろ、すぐに完済して、あんたの事を名前で呼ぶ立場に立ってやる」
「まだまだ身の程が知りたりないみたいね。……ま、万が一借金を返しきれたら、その時は好きに呼べば良いわ」
好きに、か。
「姉さん、とか、お姉ちゃん、とかでもいいのか?」
「……そう呼びたい訳?」
「聞いてみただけだ」
「……あっそ」
今、ちょっと残念そうな雰囲気が一瞬だけ感じられたのは、気のせいか、それとも……
どうやら、姐御の弟さんは「姉さん」派か「お姉ちゃん」派だったらしい。
「……姉さん、か……」
冗談で言ってみたが、なんとなく、姐御をそう呼ぶのはしっくりと来る気がした。
理由はわからない。本当に、なんとなく。薄らと、そんな気がする。
「さ、くだらない冗談ばっか言ってないで、行くわよ」
「イヌ、行くよ」
「おう」
冒険再開だ。
姐御への借金返済のための……そして、俺の素敵な来世へと続く冒険。
借金の額に関わらず、姐御との冒険は、長く続く事になるかも知れない。
俺の現在の借金。
1003万6500C
-1000万C(情報提供料)
総額3万と6500C。
The future isn't to know.