8,空を夢見た者達
ったく、とんだ夜になったモノだ。
ダイダスとか言う意味不明な巨漢に負わされた傷はもう大分回復してきた。
額からの血も止まり、意識も安定している。
俺はあの黒装束4人組がプチパニックに陥っている隙を突き、どうにか離脱に成功した。
とにかく距離を取る事に専念して逃げ回ったせいで、姐御達の待つ宿から少し離れてしまったのはミスったと思う。
「つぅか……マジでなんだったんだ、あいつら……」
結局、何もかも意味不明なままだ。
だがダイダスを拉致るのは難しかった。
「ダイダスに、イカロスザッツライだっけか?」
とりあえず、姐御に聞いてみるか……
「イカロス・ザ・スカイハイだ」
「っ!」
不意に響いた重低音の声。
ついさっき聞いたばかりの声だ。
「テメェ……!」
いつの間にか、ダイダスが俺の背後に立っていた。
俺がぶっ壊してやった右腕をかばいながら、脂汗をかいている。
……結構エグめにタタんだつもりだったが、まさかこの数分で覚醒した上に追いつかれるとは……
「驚いたかな? 私もそれなりに苦労してきた身でね。相応に回復力等の生存能力に富んでいる自信がある」
「くっ……!」
「待て、少年。もう私に交戦の意思は無い」
「あぁ……?」
「あの『紛いモノ』対策の奥の手に君を抑えておこうと思ったが……気が変わった。もう君に乱暴な真似はするまい」
こいつの言う紛いモノとは、姐御の事だ。
どうやら、突然襲いかかって来た理由は、俺を姐御への人質として使うため、だったらしい。
「アホか……姐御が俺の生命を優先してどうこうしてくれる訳ねぇだろうに……」
「そうでもないと思うぞ。奴に取って『弟』と言う存在は大きな意味を持っているらしいからな。自身を姉と呼ばせている君なら、人質として機能し得ると思う」
「弟……?」
「私は多くを語っていない。君としても多くの疑問があるだろう。聞きたまえ。答えよう」
「……見返りはなんだよ」
「話が早いな」
もうこの世がそんなに甘くない事は重々理解している。
「私の作戦に協力してもらいたい、それだけだ」
「作戦……?」
「『紛いモノ』を殺す」
「!」
つまり、姐御を殺すって事か……!?
「君が奴に付き従っている大雑把な事情は部下が掴んでいる。君は奴に借金をしているそうだな」
部下……さっきの愉快な4人組か。
どうやら、姐御や俺らの事を探り、復讐の機会を疑っていたらしい。
「奴が死ねば、それはチャラだ。悪い話じゃないはずだ。報告を聞く限り、君は借金返済のため仕方なく、アレに追従しているだけだろう?」
「……何であんたらは姐御を狙ってんだ?」
「先に答えろ、と……まぁ良い。だが、それに答えるには、まず我々の事を説明した方が良いだろう。先に名乗ったが、我々は『神に臨む翼』……あの『紛いモノ』がこの世界に現れた事で結成された、『神』を探求する組織だ」
「この世界……?」
まるで、別の世界から姐御が現れた……そう言っている様に聞こえるが。
「『紛いモノ』は異世界の人類であり、その世界の人類はこの世界の人類に比べ非常に『進化』している。次元が違う。そういう存在だ」
「姐御は異世界人って事か?」
「まぁ、最早あれは人と表現できる存在ではないがな。元々、あれは人の形ですらなかった」
「は……?」
「18年前、私が初めてアレを見た時は、紅い宝玉を宿した薄琥珀色の球体だったよ。スライムに近かった」
何を言ってるんだ……?
「己の細胞を変質させ、どんなモノにでも変形できる。体内の魔力を、魔宝玉を介さずあらゆるエネルギーに変換可能。その変幻自在の細胞は経年での劣化…つまり老化する事はない。それが異世界より現れた高次元的人類の特性。要するに、変幻自在であり摩訶不思議であり不老の存在と言う事だ」
万能にして、不老の存在。
「まるで『神』だろう?」
「あんた、気は確かか?」
「ホラ話だと思うか? 君は見ていないのか? あの『紛いモノ』の万能性を」
「…………」
まぁ、確かに、姐御が何らかの化物だったとしても違和感は無い。
むしろアレで真人間だと言う方が信じられない。
でも、いくらなんでも「異世界から来た神様だ」なんて言われて、信じられるものか。
「信じる信じないは君の自由だが、これは事実だ。これを前提として話を続けさせてもらう」
「………………」
「奴に『神』の可能性を見、研究しようとして生まれたのが我々の組織だ」
「イカロス・ザッツライか……」
「ザ・スカイハイだ」
「ところで……このイカロスってのは……」
「『紛いモノ』のいた世界で、神の居場所である空を目指した者の名だそうだ。『紛いモノ』は『神』を探求せんと集まった我々にお似合いだとこの名を付けた」
「異世界の……」
そんな者の名が、何故俺の薄らぼんやりした前世の記憶の中にあるんだ……?
まさか、俺は姐御と同じ世界の人間だったのか?
「『紛いモノ』の承諾も得て、我々は研究したよ。人類進化のメカニズム……いや、この場合『神化』と表現した方が良いかな……だが、研究の最中、我々は残念な事実を発見してしまった」
「なんだよ?」
「この世界の技術力では、『紛いモノ』を解析しきる事はできない……と言う事実だ」
つまり、研究を進め様がないと言う事態に直面したって訳か。
「その事実に直面し、途方に暮れる我々に、『紛いモノ』は追い打ちをかけた」
「追い打ち……」
あの姐御の事だ。何かしらやらかしても不思議ではない。
「……『飽きた』と騒ぎ出したんだ」
脳内再生余裕である。
さっきまで現実味の無い話だったが、急にリアルに感じられる様になった。
「研究に協力するのに飽き、自由気ままにこの世界を探索したいと言い出した。今のあの人間の姿を用意してな。当然我々は必死に慰留したが、奴は聞く耳もたず……それ所か、『この私を束縛しようなんて上等じゃない、私の不興を買った事を後悔させてやる』と研究施設を跡形もなく吹き飛ばした」
「姐御……」
ああ、実に姐御らしい。
「あの光景を見て、我々は確信したよ。あの破壊の権化と表現すべき理不尽さは神などでは無い。悪魔だ。人の紛いモノであり、神の紛いモノでもある。それが奴だ」
それが姐御を紛いモノと呼ぶ理由か……
「姐御を殺そうとする理由、その事から来る復讐って所か?」
「私は聖人では無いのでね」
良い笑顔で言いなさる。
「……じゃあ、俺の事も憎いんじゃないのか?」
「今日の事は私の方が先に暴力的手段に出た以上、文句は言えないと理解している。君を侮った、自業自得だ」
あくまで、ダイダスが許さないのは「理不尽な仕打ち」か。
「奴の事と、我々が奴を殺したい理由は理解してもらえたかな?」
「まだ、姐御に取って『弟』がうんぬんって話を聞いてない」
「研究中に奴から聞いた昔話だ。奴にはとても肝入りの弟がそうだ。その弟が死んでしまった時はかなり凹んだと言っていた」
「死んだ?」
姐御は高次元的人類とやらで、万能不老の生物なんじゃないのか?
「奴らは不老と言うだけだ。不死ではない。生命活動の中枢である紅い宝玉、我々でいう心臓を破損すれば死ぬ」
ああ、それもそうか。殺せるから、ダイダスは姐御を殺そうとしているんだ。
「何でも、奴の弟は自ら死を選んだらしい。不老であるが故に自然に終わる事のない、そんな長久の人生に飽き飽きしたとかで、な」
「人生に飽きた、か……」
相当つまらない、退屈な人生だったんだろうか。
「……………………」
気に入っていた弟が、自殺してしまった……そのショックは、どれ程のモノだっただろうか。
俺に姐御呼びを要求した理由は、弟の事を忘れられなかったから、その代替品として扱うため……?
……気に入っていた弟の代わりにしては、大分扱いが酷い気もするが……
「で、まだ返答を聞いていなかったが、君は奴を殺す作戦に協力してくれるのか?」
「……勝算はあんのかよ?」
姐御は化物だ。
今の話が丸々と事実なら、ダイダスだってその暴威は知っているはず。
「ほぼ確実な勝算がある。……さっき、私との戦闘中、魔法の発動に失敗したのは覚えているかな」
「ああ」
「あれは、『魔封陣』の効果だ。我々イカロス・ザ・スカイハイ残党が『紛いモノ』を殺すために開発した特殊魔法でね」
「特殊魔法?」
「部下達が隠し持っていた4つの専用ユニットを同時稼働させる事で、特殊な磁場を形成する魔法だ。その磁場は魔力に干渉、掻き乱し、コントロール不能にする」
成程な……だから、俺の魔法が不発に終わった訳か。
あの4人組が頑なにあの配置から動かなかったのも、その陣とやらを展開するための必要配置だったから、と言う事だろう。
「『紛いモノ』……異界の高次元的人類は、生命活動の大半をその膨大な魔力の循環に依存している。魔力の制御を乱してやれば、奴はそれだけで瀕死になる」
そして、その弱りきった所を……
成程な、そいつは確かに呆れる程に有効な戦術だ。
「魔封陣だけでも勝算は充分だが、念には念を入れたい。そこで君を人質にしようとも考えた訳だが……」
ダイダスは薄らと笑みを浮かべ、
「君の強さは想定外だ。どうせ保険にするのであれば、人質ではなく戦力としておいた方が良いかと思ってね。ご覧のとおり、君のおかげで私個人の戦力もダウンしてしまったし」
丁度、俺には借金と言う「姐御を始末したい理由」もあるから、そう言う話を持ちかけてきた、と。
「………………」
さて、この話、どうしたものか。
この場で断れば、また戦闘になりかねない。
何せ、俺はこいつらの対姐御切り札の詳細を知ってしまった訳だから。
……そして何より、俺には姐御に消えて欲しい理由がある。
「わかった。協力するぜ、ダイダスの旦那」
「賢明な判断に感謝する」
……当面は悩まされるであろうと思っていた借金を、早急にどうにかできる宛が付いた。
このダイダスと言う男には、感謝させてもらおう。
「……悪く思うなよ」
今の俺は所詮、犬だ。
犬は犬らしく、自分の利益になる方に尻尾を振って擦り寄るさ。
そう、自分の利益になる方にな。