7,夜の肉弾戦
いまいち、現状は理解できない。
ダイダスと名乗るこの巨漢が一体何者なのか。
イカロスとは一体何を意味する言葉なのか。
姐御を『紛いモノ』と呼ぶ所以は何か。
何故最初、ダイダスは俺に姐御から距離を取れと言ったのか。
そして何故、俺が姐御を姐御と呼んでいる事を知った途端、物々しい雰囲気に移行したのか。
なにもかもが意味不明だ。
だが、1つだけ理解できる事がある。
こいつら、闘る気だ。
色々と意味がわからんが、闘ると言うのなら受けて立つ。
俺は確かに犬だ犬だと呼ばれながら尻に敷かれちゃいるが、マゾヒズムに覚醒している訳じゃない。理不尽に対して無抵抗を決め込むのは趣味じゃない。
……でも、自然治癒とクノンの糸のおかげで大分良くなっているとは言え、俺は万全では無い。
その状態で1対5、か……
こりゃ、適当に凌いでトンズラする方向で進めた方がいいかもな。
現状、黒装束の4人組が四方を固めているため逃げるのが難しい状況だが、混戦になれば隙は生まれるはずだ。
「良い目だな。冷静で、切り替えが早い奴の目だ」
「っ!?」
声が聞こえた時には、ダイダスの胸板が目の前にあった。
元々の距離が近かったし、ダイダスは2・3歩俺に詰め寄っただけだろう。
しかし、その動作の気配を全く気取れなかった。
そして、殴り飛ばされた。
「がぁっ……!?」
顎、モロに食らった。
視界が星空に満たされ、ブレる。
この俺が、一発で意識を刈り取られかけた。
ダイダスの巨体から想像通り、いや、あの巨体でも想像を越える重さだ。
ワンパンで人殺せるレベルだ。俺じゃなかったら絶対死んでた。少なくとも確実に数日間は意識を持って行かれるだろう。
つぅか……いつの間に拳を構えた? いつの間に腕を振った?
全く、動きが、気配が読めない。
まるで機械か死人にでも殴られた気分だ。
一体……いや、そんな事を考えている場合じゃない。
追撃が来る前に、跳ね上げられた頭を無理矢理引き戻す。
張り手が目の前に迫っていた。
身を捻ってそれを躱すと、いつの間にか放たれていた膝蹴りが、俺の脇腹を襲う。
だが、
「む……」
俺の腹には今、クノンの糸がガッチガチに巻かれている。
僅かな衝撃が腹に響き、骨折箇所が疼いたが、大した痛みじゃない。
奇妙な手応えに、ダイダスは一瞬だが動揺してくれた。
この隙に、ダイダスから距離を取る。
「『銀騎士光輪』ッ!」
チョーカー型ユニットに魔力を流し込み、魔法を発動させる。
全身に白銀の鎧を纏う魔法だ。
全方位防御、この事態を予想していた訳ではないが、1対多の戦闘には中々向いている。
チョーカーから溢れ出した白銀の光が、俺の全身を包み……あれ?
……溢れ出した光が、霧の様に散ってしまった。
「……は?」
魔法が、発動しない。いや、発動しかけて、不発に終わった。
「故障っ……!?」
「違うぞ」
冷静な否定は、ダイダスの声。
またしても、突然ふって湧いた様な上段蹴りが放たれる。
「ぉう!?」
全力で後退し、ギリギリで躱す。
本当にギリギリだった。襟が掠った。
「まぁ、タネを明かしてやる事もない。その混乱を利用させてもらう」
一体何なんだ。理解不能な事が連続し過ぎて、流石にそろそろ脳みそが沸騰しそうだ。
……それでも、落ち着け。
わからない事を考えても混乱するだけだ。
混乱すれば付け入られる。
とにかく整理しろ。
過程を考察しても何も変わらない。むしろマイナスに働きかねない。
今、目の前に在る結果を整理して、現状を切り抜ける事を考えろ。
銀騎士光輪は使えない。
ダイダスも魔法を使う様子は無い。
つまり、純粋な格闘戦に臨む事になる。
そうなってくると、問題はダイダスのあの動きだ。
予備動作が見えないと言うか、気配を感じない奇妙な格闘術。
気付けば拳や蹴りが放たれている。まるで小規模なタイムスリップをしている様に錯覚するレベルで動きが追えない。
純粋なスピードもあるだろうが、それだけじゃない。
明らかに、「予備動作で動きを読ませない」事に重きを置いた武術を修めている。
格闘戦で気配を読めないってのは、致命的に不利だ。
常に虚を突かれ続けては、戦いの中で優位性を確保するどころか、まともに戦う事も難しい。
「ふん、魔法が使えなくても、抗戦意思を曲げないか。だが、純粋な格闘戦に置ける自身の不利さを理解していない訳でも無いだろう?」
「確かに、厳しい感は否めねぇな、どうも」
だが、対抗策が皆無な訳ではない。
どれだけ強かろうが、妙手で攻めてこようが、所詮は人間だ。
モンスターの一撃に比べりゃ軽いし、モンスターよりも脆い。
だったら、やり様はある。
教えてやろう。
俺が身体的にどれだけ恵まれているのかを。
「しゃあっ!」
ダイダスに向かって、突っ込む。
「ヤケクソか? 我武者羅は時代遅れだぞ」
当然、迎撃される。
突然目の前に現れる拳。更に俺は前進中、躱せる訳が無い。
その殺人級の拳を、額でモロに受ける。皮膚が裂け、肉と頭蓋が激しく軋むのを感じた。
余りの衝撃に、片足が浮く程に仰け反ってしまう。
だが、こちらもこれくらいは想定して突っ込んでんだ。
「があぁっ!」
無理矢理、体を跳ね起こす。
脇腹の筋肉が阿呆みたいに捻れ、それ自体の痛みに骨折箇所を肉が圧迫する激痛が並走する。
それでも、体を動かす。
浮いた足を、全力で大地に叩き付ける。
「あの体勢から…っ!?」
シンプルな話だろう。
避けれないなら、耐えるだけだ。
俺なら、それが出来る。
金の神に見放された俺が、恵まれたモノ。
それは、この優れた肉体だ。
相手がイビルズボア級の破壊力を持ったモンスターなら、こんな戦法取ったら一瞬で死ぬ。
だが、今の相手は人間だ。
ダイダスの膂力は確かに凄まじいが、所詮は人間の枠を出ちゃいない。だったらある程度は耐えられる。
正面からの突貫は、有効な戦術だ。
「このっ……!」
追撃の膝蹴り。
これも襲来を予測できず、顎にモロ喰らいした。
だから何だ。一瞬視界がブラックアウトしたが、すぐに戻った。気合で戻した。あのクソ猪の突進に比べりゃ、羽毛の様に軽い。こんなんで持って行かれてたまるか。
即座に顔を下ろす。見据える。目の前の、標的を。
ショートレンジだ、ぶっ込む。
「オォラァッ!」
目の前、ダイダスの腹に向け、下から抉り込む様に、全力の拳を突き立てる。
弾力性に富んだ粘土の塊を殴りつけた様な感触だった。
異常にしなやかな筋肉……破壊力を生むためによく鍛え抜かれた肉体の感触、と言った所か。
「かっ……」
「アァァァッ!」
まだだ。
ここで距離を取られたら、もう勝機は無い。
流石の俺と言えど、もう意識が千切れかけだ。
いちいち重い殺人級の打撃を、顎に2発、額に1発もらってんだ。しかも顎にもらったのの内1発は、勢いの乗った膝蹴りである。
いくら俺でも流石にガタが来て当然っちゃ当然。もう軽いビンタ1発でももらえばプッツンだろう。
このまま、ダイダスを戦闘不能にまで追い込む。それが無理だとしても、勝機を継続できるだけのダメージを与える。
そうしなきゃ御終いだってんなら、そうするしかねぇだろう。
ダイダスの右腕を、掴む。そのまま跳びかかり、全身で絡め取る。
ジャンピングブリーカーの途中で、腕ひしぎへと移行する様な形で、関節をキメる。
「っぁ、まさか……貴さっ…」
さぁ、俺の身軽さと筋力の合わせ技、喰らうが良い。
「オルァッ!」
絡め取った腕を、全力で「曲げてはいけない方向」へ、捻る。
捩じってもぎ取るくらいの勢いで、思い切り。
「ぎ、あ、がぁぁああぁぁぁぁああぁぁああぁぁぁぁっ!?」
鈍い音と、重い悲鳴。
前者はダイダスの右肘と右肩がブッ壊れた音。後者はダイダスの絶叫だ。
「ダイダス様!」
「ああっ、なんということを!」
「痛そうだZE!」
「グロです! スプラッタです! 情操教育にノンノンです!」
周囲の4人組が慌てふためいた様に声を荒げる。
……? 何故、こいつらは声を荒げるだけで、さっきから動こうとしないんだ?
まぁ良い、とにかく追撃だ。一気にタタませてもらう。
関節の概念を失ったダイダスの右腕を解放し、着地。
間髪入れず、そのまま体を回転。地表を削る程の低空回し蹴りで、ダイダスの足を刈る。
宙を舞う巨体。
その喉笛に、全力の踵落としを叩き込む形で、大地へと叩き落とす。
「が、ぴゃっ、は」
その奇声の後、ダイダスが白目を剥いた。
完全に入った。クリティカルって奴だ。
っし、勝った。
首の骨をへし折ってやるつもりだったが、感触的にそれは叶わなかったっぽい。
まぁ良い、どうしても殺したい相手って訳じゃない。
今はこの男を仕留めるより、俺自身の無事を確保するのが最優先事項である。
「だ、ダイダス様!」
「あ、動いちゃ駄目ですよ! 『陣』が崩れちゃいます!」
「そんな事を言っている場合か! ああ、でも勝手な判断で動いていいのか!?」
「指示待ち世代の俺らにゃこの状況は荷が重すぎるZE!」
「でも何かしら行動しないと後で怒られるかも知れんよ!?」
「は、反省文は嫌ですよう!」
「俺だって嫌だ!」
「どうすんだZE!? なぁ、どうすんだYO!?」
……なんか、黒装束4人組が混乱と動揺で半狂乱状態、隙だらけだ。
それだけ、ダイダスの敗北が信じられない現象、想定外の事態だと言う事か。
とにかく、今なら逃げられるだろう。