2,借金は背負った時点で大体詰んでいる
「お兄さん、何か悩みを抱えてるの?」
雑踏の中、幼い少女の声に呼び止められた。
振り返って見ると、声の印象通り、俺の腰程しか身長の無い少女が立っていた。
雑巾を体に巻きつけた方がマシではないか、と思える様な服装からして、決して裕福な家庭の子ではないだろう。
右の手首にはこれまた薄汚れたミサンガを巻いている。
「……まぁな。よくわかったな、お嬢ちゃん」
「負のオーラが出てたから」
「へぇ、お嬢ちゃんは魔眼系の能力を持ってんか?」
魔力が体の一部に溜まり、異常変異を起こす事がある。
その症状の一種が魔眼であり、普通じゃ見えないモノが見えたりするんだそうだ。
「ううん。でもなんとなくわかる。お兄さんはそれくらいどんよりしてる」
「…………そうか…………」
まぁ、俺は確かに今、それくらい負のオーラを放っていてもおかしくはない。
つい1週間前に、今後の人生を決定付ける様な大チョンボを犯してしまったのだから。
「私に協力できる事があれば、協力する」
「ありがとな、お嬢ちゃん。だが、生憎俺は他人に駄賃をやれるほど裕福じゃないんだ」
服装がそこそこ良いから勘違いしてしまったのだろうが、残念ながら俺は無一文……むしろ負債持ちだ。
実家はそこそこ普通に裕福だったから、独り立ちの際に持ち出した衣類と俺個人の経済力が不相応な感は否めない。
まぁ、あれだ。人生はボロボロでも服は錦……あれ、なんか違う気がするな。
とにかく、俺は集る相手として適切では無い。
「別に、見返りはいらないよ。困ったらお互い様。心までは貧しくなるなって、お母さんから習ったもの」
「っ……!? 正気で言ってんのか……?」
「? そんなにおかしい事? 良い事だと思うんだけど」
「い、いや、……あ、ああ。素晴らしい精神だな。うん」
本当、「今の俺」からすると冗談抜きで感涙してしまいそうなくらい素晴らしい教えだと思う。
あまりにも素晴らし過ぎてちょっと取り乱すレベルで素晴らしい。天使かよ。
「……下衆な勘ぐりをして悪かった」
「ううん。別にいいよ。慣れてるし」
俺は自分も気付かない間にすっかり荒んでしまっていた様だ。
こんな純朴で天使の様な笑顔を浮かべる少女を、物乞いの類だと決めてかかるなんて……
「で、何か私にできる事ある?」
「そうだな……じゃあ、君の爪の垢をもらっていいか」
「……お兄さん、変態?」
「そういう趣味って訳じゃない。ただ、ちょっと煎じて飲ませてやりたいと思って。割と真面目に」
見返りを求めない慈善の心。
是非とも見習って欲しい方がいるのである。
俺は今年で18歳になる。
服の上からではわかりにくいだろうが、これでもそこそこ鍛えている。
元々、筋肉が付きやすい体質だった事もあるだろうが、俺の努力もそれなりに認めて欲しいのでアピールしている。
この体質以外にも、色々と俺には才能と呼べるモノがある。芸術方面はてんで駄目だが、肉体的な事なら大抵人並み以上だ。
いわゆる恵まれた天才、神に愛された男とでも表現しようか。
そんなガキの頃から将来を有望視される才能の塊であった俺なのだが、どういう訳かこの歳にしてちょっとした事から道を踏み外した。
まぁ、正直に言えば諸悪の根源は俺自身だ。
俺があの日、己の天才ぶりに酔い、調子に乗って上級者向けの危険地域に乗り込んだ事が、全ての始まりである。
「中々肩揉みが上手くなったわね、犬」
「……おう……」
宿屋の一室にて。
俺の肩揉み奉仕を受けながら、上質なソファーにふんぞり返っているのは、褐色肌の三白眼クールビューティ。
名はアーニェ・マスタ。
大人しくしていればモッテモテ間違い無し、文句無しの「良い女」だろう。
されどその傲岸不遜な性格と鋭すぎる眼光が全てを台無しにしている。
このお方は俺の「姐御」……まぁ、わかりやすく言い換えれば「所有者」だ。
丁度1週間前、俺は姐御に生命を救われた。
その際、姐御はその救命行為の報酬として俺に1000万Cを要求して来たのだ。
1000万C、市場でりんご1個の適正価格が100C前後だと考えれば、どれだけの額かお分かりいただけるだろう。
この国に暮らす国民達の月別平均世帯収入が大体30~50万C、と言うと更にわかりやすいかも知れない。
いや、まぁ確かにさ「生命を買ったと思えば良心的な額だと思うけど?」とか言われたらぐうの音も出ないけどさ。
才能は持って生まれたものの、家柄はそこそこだった俺には、そんな大金をポンと払えるアテなど無かった。
実家を頼れば500万くらいは即金で用意できたかも知れないが、期待の息子として送り出されておいてそのスネにむしゃぶりつく様な行為はできなかった。
「なら借金だ」との事。血も涙も無い。
と言う訳で、俺は現在、姐御の犬である。
借金の形に人権をごっそり持って行かれた。
姐御の犬としてキビキビ働く事で、日給100C、働きぶりに応じて相応のボーナス支給。
……さっきも言ったが、100Cはりんご1個買ったら消滅する額だ。それが基本日給。堂々たるブラック契約である。
「嫌なら踏み倒して逃げればいい。ただし、逃げ切れる自信があるのなら」との事。
この人から逃げ切れる自信などないし、逃げて捕まった後が怖すぎる。
こうして俺は、姐御の犬として生きていく事を余儀なくされてしまった訳だ。
「あー……本当に上手くなった。うん。毎日揉ませてきた甲斐があったわ」
「そらどうも……」
先にも言ったが、俺は肉体的な事は全般的に優れている部類だ。
体を動かす事に関してはコツを掴むのは早い方という自信がある。
マッサージ技能に関しても、1週間もやってりゃそれなりのクオリティに仕上げられる。
「特別サービス。今日の日給は200Cしてあげる」
「マジか姐御! あの子の爪の垢が効いたか!?」
「爪の垢?」
「あ、いや、なんでもない」
普段、姐御は1Cの損得にもこだわる守銭奴だ。滅多な事ではボーナスなんて付けちゃくれない。
そんな姐御が100Cもボーナスをくれるなんて……さっきコーヒーをお出しした時、昼間のあの素晴らしきミサンガ少女から提供していただいたブツを混入したのだが、大きな効果があった様である。
「よし、もういいわよ。上出来」
「おう」
「そうだ、犬。そこの箱」
「箱?」
姐御が顎で指した方向。
木彫りの卓の上に、上等そうな黒塗りの木箱が置かれていた。
「開けなさい」
指示に従い、蓋を開けて見る。
「これって……!」
その中に入っていたのは、
「イクスプロティア!」
俺の相棒とも言える魔法制御器具、篭手型魔導兵装『爆裂篭手』だ。
あの日、「そんなスクラップ、いつまで大事にしてんの、阿呆か」と姐御に取り上げられて以来、1週間ぶりの再会である。
てっきりジャンク屋にでも売り飛ばされたモノだと……
「そろそろ休暇はおしまいにして、冒険家稼業に戻るからね。丸腰の人間を連れて冒険はできないし」
つまり、俺を連れて歩くために、こっそりと修理に出しておいてくれたと言う事か。
血も涙も枯渇しきった砂漠女かと思っていたが、こんな……
「ちなみにそれの修理費はアバウト4万C。借金に足しておくからね」
「そんな事だろうと思った!」
こうして俺の犬期間は延長された。
俺の現在の借金。
1000万C
-3万800C(所持金3万C・7日分の日給・ボーナス)
+4万C(ユニット修理費)
総額1000万と9200C。