1,姐御との出会い
前世の事は、薄らぼんやりとしか覚えていない。
人間として生まれ、適当に育ち、適当に生き、適当に死んだ……くらいの事は漠然と覚えている。
相当、適当に生きたか、余程つまらない人生だったんだろうな、と我ながら呆れてしまう。
転生してから聞いた話だが、思い入れの強い物事は魂に刻まれ、輪廻転生を幾度繰り返しても忘れる事はないと言う。
行った事のないはずの場所に懐かしさを感じてしまう事があったりするのは、そう言う事なのだそうだ。
俺の1つ前の人生は、相当地味なモノだったらしい。
だって、本当に何1つ、はっきりと思い出せる事が無い。
あらゆる記憶に霞がかかっている。
わかりやすく例えるなら……そうだな、「さっきすれ違った見ず知らずの人の顔」レベルでしか思い出せない。
まぁ、何だ。
流石の俺も、この現状はなんとなく寂しい。
今生は、ちゃんと来世に記憶を持ち越せるくらいの人生にしよう、とか思う訳だ。
こう、ダイナミックかつエキセントリックな生涯を送っちゃたりして、来世で「俺だって前世はすごかったんだぜ」とか自慢したい。
……そんな事を考えていたのが、3歳を過ぎた辺りの頃。15年くらい前か。
その考えに従って、俺はこの15年を生きてきて、現在に至る訳だが……
今では、その考えをちょっとだけ後悔している。
「くっそ……完全に壊れてやがる……!」
薄気味悪いジメジメとしたジャングルの中を走りながら、俺は自身の現状を確認する。
全身に軽い裂傷と打撲。疲労はMAX。
右手の先から肘までを覆う篭手型の『魔法制御器具』は完全にお釈迦になっている。
今、まともに武器として機能するのはベルトから下げた小鉈くらいか。
浅い小川に入ってしまったが、気にしている場合じゃない。
浸水していく感触を感じながら、裂けたブーツで水を蹴っ飛ばして走り続ける。
とりあえず後悔だ。後悔しかない。
己の阿呆さを全力で呪うしかない。
俺は、大分調子に乗っていた。
何故かって?
前回がどうだったかは知らんが、今回の人生、俺は生まれながらにやたら身体的才能に恵まれたからだ。
どうやら俺は、そこそこ神様に愛されていたらしい。
俺は幼くして猿の様な身軽さに熊の様な剛力を兼ね備え、悪魔の様な魔力量と、骨折も1週間程で完治する非常に高い自然治癒力を持っていた。
両親や兄から、「お前は『冒険家』になるべくして生まれた様なものだな!」と小さい頃からベタ褒めされて育てられた。
『冒険家』とは、主に危険地域を探索し、そこで得た珍品や狩猟した珍獣を売ったり、見聞きした事柄を伝記等にして出版し、生計を立てる職業である。
要するに、心躍る職業だ。
俺も子供の頃に凄腕の冒険家が出版した冒険記録を読んだ事があるが、あのワクワク感はすごい。
冒険家が持ち帰り、博物館に寄贈された巨大モンスターの骨格標本を見た時、「こんなのが実際に生きて動いてたとかマジかよ」と非常に好奇心を刺激された思い出もある。
その成果や生き様で、人々に楽しみや夢を与える職業。それが冒険家だ。
前世の薄ら記憶から似た様な物を挙げるのであれば、プロスポーツ選手がそれに近いだろう。
周りの褒め言葉に乗せられ、更に小さい頃から抱いていた「今回は派手な人生を送りたい」と言う願望も相まってしまった事もあり、俺は浅慮で『冒険家』と言う職業を選択してしまった。
猿だって煽てられりゃ木に登ると言うではないか。万物の霊長とは言っても人間だって類人猿、俺が調子に乗るのは当然の事だろう。
そういう訳で、今に至る。
馬鹿強いモンスターの前に、手も足も出ずに敗走中。しかも絶賛追われている。
遠く背後、木々がなぎ倒される愉快な音と、低く重い獣の咆哮が徐々に迫ってきているのを感じる。泣きそう。
もう何と言うか、身軽さとか筋力ではどうにもならない相手だ。
そして溢れんばかりの魔力も、魔法制御器具が壊れてしまっていては何の役にも立たない。
撃鉄が壊れたピストルと弾丸だけでは何もできないのと一緒。
裸一貫で魔法が使える程、人間は便利にはできちゃいないのだ。
今の俺に、勝機は無い。
「あぁぁもう! ちゃんと段階踏むべきだった畜生!」
俺だったら大丈夫。だって天才らしいから。更にその才能を研磨すべくそれなりの訓練だって受けた。やってやれない事は無いはずだ。
そんな感じで、初っ端から上級者向けの危険地域に乗り込んだのが運の尽き。
井の中の蛙は大海を知った。
しかし、塩水が体に合わずに溺死した……って所か。笑えない。
俺はまだ死ねない。だってまだ特に何も成してはいないのだから。
このまま死んだら、またぼんやりした前世の記憶を抱えて来世を迎える事になりかねない。
「くそ、直れ! 直れ!」
薄ら覚えている前世の記憶。
機械類の調子が悪くなったら、斜め45度の角度からチョップを入れるとたまに直る事がある。
神に祈りつつ、右手を包む魔法制御器具にチョップを叩き込みまくる。
「チェストォ!」
全力の一撃。
「おっ」
すると、プラスユニットの肘の部分、嵌め込まれた小さな翡翠色の宝玉が薄らと輝き始めた。
ユニット内部に魔力が循環し始めたサインである。
マジで直った。半信半疑の荒業だったのだが、とにかくよっしゃ。
小川のど真ん中で立ち止まり、反転する。
俺が戦闘中だったのは、『イビルズボア』と呼ばれる全長3メートルは悠に越える猪型のモンスターだ。
イビルズボアの肉は筋張っていて食えた物ではないが、毛皮の需要は高く、狩猟難度も相まってかなりの高値が付く。
その黒輝の毛皮はまさしく黒いダイアモンド。雨の様な砲撃すら耐え抜くと言われている。現に、この俺のユニット『爆裂篭手』の最大級の一撃を叩き込んでも、焦げひとつ付けられはしなかった。
俺の最大級の一撃が効かなかった以上、勝機は無い。
だが、このまま追われ続ければいずれ追いつかれる事は想像できる。
相手はこのジャングルに適応した獣なのだ。普通に逃げ切れるはずが無い。
だから、ここで奴の目と鼻を潰す。
あの無駄にデカい目ん玉や鼻の穴の中に、ありったけの魔力をつぎ込んだ全霊の爆撃を叩き込んでやる。
俺を追跡する能力を潰し、逃げ切る算段だ。
「さぁ、来やがれ猪野郎!」
「ごぼあぁぁぁああああ!」
俺の声に応える様に、木々をなぎ倒し、黒鉄の巨塊が姿を現した。
俺の軽く倍近いデカさの黒猪、イビルズボア。
唾液を撒き散らし、2本の大牙を俺に差し向け、突進してくる。
猪突猛進とはよく言ったものだ。
狙うはあのくりっくりのお目目と、歪な鼻の穴。
「いくぞ、イクス…」
ふしゅん、という情けない音を立て、俺のユニットが稼働を停止した。
「…………」
終わった。
俺の2度目の人生、18年目にして、特に何かを成した訳でもなく終わった。
「ぷぎゅっ」
走馬灯が流れ始めるのを待っていた俺の目の前で、イビルズボアが奇声を上げる。
その眉間から、大量の血潮を吹き出しながら。
「なっ……」
イビルズボアの黒鉄の毛皮をブチ抜き、何かがその眉間を抉った。そしてイビルズボアは今死にかけている。
目の前に転がり、弱々しく四肢を震わせる巨獣を見れば、そういう展開になった事は理解できる。
理解できないのは、何故こうなったのか、だ。
小川の水が、イビルズボアの血で赤く濁っていく。
「一体、何が……」
「ピンチの様だったから、助けてやったのよ。この私が」
「!」
背後から聞こえたのは、落ち着いた女性の声。
振り返って確認してみる。
そこに立っていたのは、俺よりも若干歳上っぽい雰囲気の黒髪の女性だった。
日焼けが染み付いた様な小麦色の肌をしている。深く開いた胸元から除く絶景は「見事」の一言に尽きる。
全体的にスタイル抜群の美人さん、と言いたい所だが、目つきが鋭すぎてちょっと台無しな感はある。眼光だけで人を撃ち殺せそうな見事な三白眼だ。
「…………?」
妙だ。
状況と今の発言から考えて、俺を助けてくれたのはこの人で間違いない。
でも、この人……プラスユニットをどこにも付けていない。
「……で、私はあんたを助けたんだけど、何か忘れてない?」
「あ、すんません。ありがとうございます」
「言葉はいらないわ」
女性はその鋭すぎる目で俺を見据えながら、静かに手を差し出し、そして……
「礼は金でよこせ」
もし、いつの日か「あなたの人生を変えた一言は?」と言う質問をされたなら、俺は迷う事なくこのフレーズを挙げるだろう。
要するに、俺の第2の人生は、ここで大きな転機を迎えた訳だ。