5 初対面への違和感
なぜだろうと思った。
なんであの人は、俺を見るときだけ――。
休み時間。
聖のクラスには隣のクラスの生徒がやって来て、甲斐谷についての口論が勃発していた。騒々しかったので廊下に避難した聖は、窓からぼうっと中庭を見下ろす。
気にかかる点は山ほどあるのだが、ありすぎて今は何も考えたくなかったのだ。そんな放心状態であるときに、
「永野君」
と出し抜けに声をかけられたので、「うひゃあ!」と大袈裟に叫ぶと同時に両肩が跳ねた。
「どうしたのですか?」
声を耳にした時点で誰だかわかったのだが、振り向いて、それをより確実なものとする。
「あ、甲斐谷先生」
「驚きましたよ。話しかけると同時に大声を上げるので……。また考え事ですか?」
間近で見ると、甲斐谷は一層美人に映った。見惚れてしまいそうになりながら、聖はその青い瞳を直視する。
マコトに鬼だと言わせるだけのことはあり、授業中の甲斐谷が醸し出す空気は確かに冷たくて、視線も相手を睨んでいるかのようにきつく、不機嫌そうで無愛想な表情は他人という他人を拒絶しているみたいに感じ取れた。
だが、今は。
甲斐谷はまるで人が変わったかのように微笑んでいる。それに加え、どこか寂しげで聖を心配しているようにもうかがえた。
「いえ、今はただ、外を見ていただけです」
「今は? では、授業中は本当に考え事をしていたんですか?」
嘘をつく意味はないので、聖は「はい」と頷く。すると、甲斐谷は鬼とは到底思えない発言をした。
「何を考えていたんです? もしや、悩み事ですか? 私にできることなら力になりますよ」
「え……?」
聖は己の耳を疑う。
けれども、甲斐谷の顔つきは本気で心配しており、その思いが特に眼力を通してひしひしと伝わってきた。
「一人で悩むことはありません。困ったことがあるのなら、構わず言ってください」
言える……わけがない。貴方のことを考えていたなんて。恥ずかしくて。
「いえ、大丈夫です。甲斐谷先生が気にするほど大した問題ではありませんから。俺、次の授業の準備をしなきゃいけないので、そろそろ失礼します」
これ以上優しくされたら甘えてしまいそうなので、聖は逃げるように適当な言葉を並べて教室に入ろうとする。
そんな聖の背中に甲斐谷は咄嗟に手を伸ばした。まるで愛おしいものを追うように。
「ま、待ってください、ゆ……」
「え?」
甲斐谷の待ったに心臓がどくんと鼓動し、聖はつい、足を止めて今一度甲斐谷を見た。
……今、なんて言おうとした?
疑問を含んだ目を向けるも、しかし、甲斐谷はもっと寂しそうな顔をして口を手で塞ぐ。
「いえ、なんでもありません」
とてもなんでもないようには見えなかったが、本人は言いたくない様子だったので、聖はこれ以上探らないようにした。
代わりに、ずっと確認したかったことがあったので、やっぱりこの機会に訊いてしまおうと考え至る。
「あの、甲斐谷先生、俺たちって初対面ですよね?」
「…………そうですが?」
答えるまでの些細な間と甲斐谷の何かに耐えるような表情が非常に気にかかった。そして、とある推測が生まれる。甲斐谷は何か大切なことを隠していて、何かしらの理由があって言えないのを寂しがっているのではにだろうかと。
「どうしてそんなことを訊くんです?」
甲斐谷の様々な感情が入り混じった眼差しを受け止め、聖は一瞬だけ俯くが、すぐに顔を上げる。
「や、自分でもよくわからないんですけど、俺、貴方に初めて会った気がしないんです」
言われて瞠目する甲斐谷は、また何か言いかけて、口を閉ざした。その点に関しても、聖はあえて追求はしない。
「ご、ごめんなさい、変なこと言って。では……」
今度こそは教室へと入っていく聖。
その背後を甲斐谷は切なげに見送った。
歯車はもうとっくに動き出している。
止める術など、ありはしない。




