1 平穏な登校
「真田幸村!」
大きな声が異常なくらい鼓膜に深く突き刺さり、聖は極度にびくっとして我に返った。
目に飛び込んできたのは、クラスは違うが同じ学生寮で生活している二人の友人。一人は男子でもう一人は女子だ。三人で両脇がブロック塀の小道を歩いていた。
西へと伸びる影に、小鳥の鳴き声。眩しい太陽。制服という格好。それらの事柄を即座に結びつけて、聖は登校中であるのを思い出す。
「むむ~、正解。じゃあ、次は聖君が問題を出す番ね」
「え?」
女子の方と視線が合い、聖は戸惑う。その目は何かを求めて待っている目で、何をしていたか思い起こそうとするも、結局、叶わなかったので諦めて謝る。
「ご、ごめん、問題って、何?」
そしたら案の定、女子――青凪ミズナはむっと腰に両手を当てた。
「ちょっとぉ、私の話、聞いてなかったの? 高校受験に備えて、登下校中も有効活用すべきだよねって話になって、それで、歴史上の偉人が答えの問題を出しっこしようという話にまとまって、まず、私から問題を出してたとこなんだよ? 覚えてる?」
聖は顎に手を添えて思案する。しかし、記憶は定かでない。
「ほ、本当にごめん。俺、なんかぼうっとしちゃって……」
「も~」
ミズナは憤り半分、呆れ半分でふっくりと頬を膨らませる。
一方で男子――赤八木ゴウは朗らかに笑い出した。
「まあでも、おかげで俺が正解できたんだし、いいんじゃないの?」
「よくないわよ。私が一体いくつヒントを出したと思ってるの? 最終的に真田昌幸の次男っていう大ヒントを言わせるまでわからなかったのは、完璧に勉強不足である証拠だわ」
痛いところを突かれ、ゴウは「うっ……」と言葉を詰まらせる。それに対して聖は「なるほど」と納得。
「それで、真田幸村、か」
その名をゴウが叫んだ理由がわかり、無意識にほっとする。正直、ものすごくびっくりしたのだ。まるで自分の名前を呼ばれたかのような錯覚に襲われて。
「だけど、聖君が人の話を聞かないなんて珍しいわよね。そんなに深く考え込んじゃう悩みでもあるの?」
「え、いや、俺にもよくわからないんだ」
三人一緒に学生寮を出たのは覚えている。しかし、知らず知らずの内に意識を手放してしまったのだろうか。気づいたら暗闇の中にいて、謎の声が脳内に届いたのだ。
「なんか、変な夢っぽいものを見てた」
聖のその一言に、ゴウは「はあ?」と不審がる。
「夢? だったら何? 聖は歩きながら寝てたってこと? すごいね、そんな器用な真似ができるんだ」
ミズナも気難しい顔になって「むむう」と低く唸った。
「でも、聖君、目は開いてたわよ。ちょっと俯き加減だったから、問題の答えを必死に考えてるのかと私は思ったんだから」
「え……じゃあ俺、やっぱりぼうっとしてただけなのかな?」
「ぼうっとしながら夢は見ないと思うけど」
ゴウの台詞を最後に、三人は行き詰って黙り込む。気まずい暗雲が漂うも、それに耐えかねたのか、しばらくしてミズナが沈黙を破った。
「あ~もう、やめやめ! こんな暗い話はなし! もっと明るい話をしましょ」
「うん。そうだね」
「……うん」
ゴウが賛同し、聖も軽く頷く。
が、これですべて解決したわけではない。不可解で未体験な出来事であるが故に気がかりな点はいくつも存在したが、せっかくミズナが機転を利かせてくれたので、ここは彼女の案に乗っかることにした。
「じゃあ、問題に正解できなかった聖君は罰として、自分が好きな歴史の偉人の自慢話をするっていうのはどう? あ、だけど、それじゃあ範囲が広すぎるわね」
ミズナは考え込むも、すぐに電球を光らせる。
「では、テーマは戦国武将にしましょ。歴女の間ではね、戦国武将って結構人気なのよ」
得意顔でそう語るミズナに、聖はそうなのかと素直に受け入れた。聖の中では、武将といえば血生臭い上に男臭いイメージがあったので、女子には毛嫌いされているかと思っていたのだ。
「武将って言ったら、やっぱり徳川家康じゃないの?」
ゴウが真っ先に言う。
「だって、天下分け目の関ヶ原で勝利して、天下を統一して、江戸幕府を開いた人なんでしょ? 鳴かぬなら、鳴かせてみせよう、ホトトギスって……」
「や、なんでゴウが答えてるの? それに最後の一句、それは豊臣秀吉だから。鳴かぬなら、鳴くまで待とう、ホトトギス、でしょ。バカねぇ~、本当に好きなの?」
ミズナに疑いの目を向けられ、恥ずかしさで顔を真っ赤に染めるゴウ。誤魔化すように言い訳を並べるも、ミズナの目線の冷たさは変わらず、最後には聖に話を振った。
「な、何はともあれ、聖も家康が好きだよね?」
「え、俺は……」
好きな武将など考えたこともなかったが、聖はそんなに悩むことなく返答した。
「俺は、武田信玄かなあ?」
「えええ!」
ミズナが意外だと言わんばかりに声を張り上げる。
「あのお館様の武田信玄? 確かに有名な武将ではあるけど、私の中では渋い中年のおじさんってイメージがあるから……聖君、マニアックね」
「マニアックって……。でも、俺も信玄って言えば、お父さん世代の人物像を思い浮かべるかな」
うんうんと首肯するゴウ。ミズナは聖に顔をぐいっと近づけて問い詰める。
「それで、その武田信玄のどこがいいの?」
「えっと……」
改めて訊かれると、理由らしい理由は思いつかない。
「わからない。なんとなく、強くて優しそうなイメージがあったから……かな?」
「ふーん?」
納得しているのかしてないのか、不明瞭な表情をするミズナ。
聖的には、信玄に対して悪い印象はまったくと言っていいほどない。なので、聖もまた、驚くという反応をしたミズナが意外だった。
「俺、変かな?」
切なげな瞳をする聖に、ミズナは慌てて首を横に振る。
「そんなことないわよ。好みは人それぞれだからね。ただ、ホントに意外だったから……」
「マニアックとか言ってたくせに……」
と、ゴウがぼそり。
「そ、それは、仕方がないでしょ! 女子の間ではちょっとイメージがアレなんだから!」
「聖が可哀相。好きな武将がマニアック……」
「好きな武将の性格を表す一句を間違えた人に言われたくないわよ!」
口喧嘩を始めるミズナとゴウを、聖は苦笑いをしながら見守る。それから天を仰いで、今日も綺麗な青空だなとしみじみ思った。
聖には昔から、空を見るたびにもの思いにふける癖がある。自分が屋外の世界を人一倍好いているのを、本人はいまだに無自覚のままでいた。