9 目覚めの予兆
聖が訪れたのは、小学校を卒業するまでお世話になった養護施設だった。
「院長先生」
「ん? おお、聖じゃないか。久しぶりじゃのう」
花壇の手入れをしていた巨漢でたくましい体つきの院長――山那が笑って聖を出迎えてくれた。
「はい。最近は受験勉強で何かと忙しくて……。でも、たまには顔を見せた方がいいかなって……。光川先生も、お久しぶりです」
同じく花壇で土いじりをしていた男性――養護施設の先生である光川にも、聖は丁寧に挨拶をする。
「よく来てくれましたネ、聖君。ワタシも会えて嬉しいですヨ。君がここを出ていってからというもの、ワタシも子供たちを宥めるのに苦労しましテ。なんせ、この顔ですカラ」
光川には、左頬全体に大きな火傷の痕がある。それを子供たちは不気味がって、見ただけで泣き出す子もいるのだ。
聖がいた頃は、光川が怖い人ではないと仲立ち役を務めていたのだが、いつも幼い子供たちの輪の中心にいた聖がいなくなった穴は大きかったらしい。聖が出ていった後、新しく来た子供たちに、光川は大分苦戦をしいられたようだ。
「そんな。光川先生が本当は優しい人だっていうのは、みんなわかってくれていますよ。人は外見じゃありません」
「世の中の人間がみんなそういう考えならいいんですけどネ。子供は特にわかってくれませんカラ」
「そうかも、しれませんけど……」
ここにいた頃、聖は本当に、光川にはお世話になった。
風邪を引いたときにはつきっきりで看病してくれたし、悪夢を見て眠れなかった夜には寝つくまでずっとそばにいてくれた。
そんな光川がみんなに認めてもらえないのは、心の底から、寂しい。
「まあ、聖よ。そんな顔をするでない。わしたちはわしたちでなんとかやっておるから、お前は何も心配するな」
山那が聖を安心させるように、自分の胸を自信満々にドンと叩く。
「……はい」
「あー! 聖兄ちゃんだ!」
聖の来訪に気づいた子供たちが歓喜の声を上げて建物の中から出てくる。あっという間に聖を囲み、満面の笑みを浮かべた。
「久しぶりー! 会いたかった!」
「ね、ね、今日は遊んでくれるの?」
聖は少し迷ったが、瞳を輝かせる子供たちに、つい負けてしまう。
「うーん、じゃあ、もうすぐ日が暮れるから、ちょっとだけね」
「わーい!」
聖は子供たちと鬼ごっこをし始める。それを、山那と光川は愛おしげに眺めた。
「不思議な子じゃな。いるだけで、子供たちが自然と笑い出すわい」
「ええ。だから言ったでショウ。彼がどれだけ特別なのかヲ。知らず知らずの内に、人の心の闇をも浄化しているんでしょうネ」
「ああ。光川先生よ、ときは、もうすぐ来るのか?」
「ええ。もうすぐデス。そのときは、ちゃんとワタシたちが彼を迎えに行きまショウ。彼はきっと……いいえ、必ずワタシたちを信じてくれますヨ」
厳しい顔になって不可解な会話をする二人。けれどそれは、とても重要で深刻な内容だ。遊びに夢中で、聖の耳には届いていないが。
「え……?」
鬼ごっこの最中、聖はまた覚えのない視線を感じた。
しかし、辺りを見渡しても、子供たちと山那と光川がいるだけで。感じた視線はその誰でもなく、とにかく不気味な感覚を聖に与えた。
「聖お兄ちゃん、どうしたの?」
急に動かなくなった聖を心配する子供たちの声さえ届かぬほどの恐怖が、瞬く間に心を支配する。
……誰?
今回は一層強く、それもはっきりと感じただけあって、余計に恐ろしく思える。そのため聖は、我知らぬ内に震え出した。
一体誰が、俺のこと……。
恐怖が極限にまで達した瞬間に、それは起こった。
ピシャーン!
「っ!」
「きゃあ!」
「うわあ!」
敷地内にある一本杉に、突如落雷が起こった。
轟いた雷鳴に子供たちは悲鳴を上げ、杉の木は落雷の衝撃でか、バキバキという音を響かせた後、聖に向かって倒れてきた。
「聖君!」
突然のことで動けずにいた聖を光川が突き飛ばし、二人揃って地面に倒れる。ドシーンと轟音が鳴り、さっきまで聖がいた場所に杉の木が横たわった。
「大丈夫ですカ?」
「あ、はい……」
「他の子供たちも、無事みたいですネ」
しかし、子供たちは落雷の衝撃に驚いて、泣き叫ぶ。山那がそれを必死に宥めた。
聖は、呆然と杉の木を見つめる。
「なんで急に……。空だって、こんなに晴れているのに……」
「力が目覚めかけているせいでしょうかネ」
「え……?」
「いえ、なんでもありません。ときが近づいてる、と言ったんです」
「とき?」
そう言えば、今朝の登校中に聞いた、夢みたいな暗闇の世界での謎の声もそのようなことを言っていた。
ときって、なんのことだろう?
疑問を抱く聖だったが、しかし、光川の返答は曖昧なものだった。
「ええ、ときデス。でも今はまだそのときではありまセン。だから聖君は、今は何も心配しないでくだサイ」
「でも……」
「安心せい、聖。ときは、来るときには来る。さすれば、嫌がおうにもすべてを知ることになろう」
そう、山那にも言われて。聖は気がかりだったが、取りあえずそれ以上は何も問わなかった。
なぜだろう。
心臓が……いや、魂が、興奮している気がする。