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子規《ホトトギス》の追憶

「俺が死んだ時の話が聞きたいって? あんたも酔狂だな」


 時は天順チョンスン元(一四五七)年十月、第七代王イ・ユ治世下の朝鮮。


 先々代王の長男として生まれたばかりに、地位も身分も取り上げられ、妻とも引き離され、叔父の手によって死に追いやられた少年王がいた――。


※2018/07/05~07/07執筆。

※2021/02/21現在執筆途中の『前略、永渡橋ヨンドギョの上から』のネタバレを多分に含みます。

 楼閣から見上げた空は、その日も青かった。


 今頃、彼女も同じ空を見上げているのだろう。そう思えば、少しだけ慰められる。離れていても今、俺たち夫婦は、同じモノを見ているのだと。

 鮮やかな青を裂くように、子規ホトトギスが飛び去る。

 そう言えばこのあいだ、子規にこと寄せて詩を作ったっけな、なんてコトをふと思い出した。まあ、詩は詩だけど、愚痴に近かったような気もする。書き付けた紙を、どこに仕舞い込んだか……始末したほうがいいだろうか。

「イ・ホンウィ殿!」

 その時、無粋な呼び声が、静かな時間を遮った。

 目線を下ろすと、見張りの武官ともう一人、たった今さっきまではいなかった男がこちらを見上げている。

 その男は、団領タルリョンと呼ばれる官服を身にまとっていた。色は赤で、胸背ヒョンペには二匹の虎の縫い取りが施されているところからすると朝廷の、これも武官だろう。

 反射で飛び降りそうになって、思い留まる。

 楼閣の高さは、大体地上から十尺〔三メートル〕くらいのモノだ。飛び降りたからって、俺にとっては怪我だってする高さじゃない。ただ、変に身体能力を見せつけて、また警戒されても面倒くさい。

 誤魔化すように一呼吸置いて、俺は楼閣に付けられた階段を、礼儀正しく降りた。

「都から来たのか?」

 地上へ足を着けると、俺は初めて会う男に視線を向ける。

「殿下の遣いで参りました。急ぎ、居所へお戻りください」

 俺は、思わずピクリと眉尻を跳ね上げた。


 ――殿下、か。


 そう思わず脳裏で呟く。

 去年までは、俺もそう呼ばれていた。もっとも、去年までの呼び名には、『殿下』の上に、位を退いた王であるコトを示す『上王サンワン』が付いてたけど、それでも王族の扱いだった。

 それが今や平民だ。だから、さっきみたいに本名、つまりいみなで呼ばれてるわけで、人生なんて分からない。

 俺は、またたき一つでその男に答えると、率先して歩を進めた。


 殿下――現国王は、俺の叔父に当たる。

 父上の弟だが父上、つまり先々代王の存命時から、喉から手を出しながら涎を垂らす勢いで王座を欲しがっていた。

 王座に相応しい人間は自分以外にいない、と思い込んでいたのだから、始末が悪いなんてモノじゃない。

 王座が欲しいあまり、父上を死に追いやった男だ。

 俺も、父上の死があまりに唐突すぎたから、真相を追及したけど、決定的な証拠を掴むところまでいけなかった。その結果が、返り討ちにあって平民まで降格された上に、今は流刑地暮らしという始末である。

 それにしたって、血のえにしなんて、儚いモンだ。権力と秤に掛けたら、圧倒的な勢いで権力に傾く。

 あの人は、血の繋がった叔父だって言うのに。

 そこまで考えて、俺は小さく首を振った。

 あの人に情を求めても無駄だ。あの人は、甥より近しい血縁であるはずの、実の兄も手に掛けた。

 兄だけじゃない。弟さえも――こないだ、俺にとっては何人かいる叔父の一人である錦城クムソン大君テグン様も亡くなった、と風の便りに聞いた。それも、叔父王の命令で、賜薬サヤクの刑に処されたらしい。

 ちなみに、賜薬の刑ってのは、毒殺刑のコトだ。

 王から薬を賜る(・・)んだからありがたがれってこの名が付いたみてぇだけど、まあ、本当の犯罪者はともかく、錦城叔父上みたいな言い掛かり死刑囚にはハタメーワクな話だ。


 俺が王座から引きずり下ろされた日から、錦城叔父上や、安平アンピョン叔父上が、何やかやと画策して、俺を王座に戻そうとしてくれていたことは知っている。

 錦城叔父上が処刑されたのは、その企てが失敗してのことだ。

 彼だけでなく、ほかの臣下や、姉上の夫であるチョン・ジョン義兄あに上も、俺が王位をわれたのは不当だと、不当をそのままにしておくべきでないと動き回って命を落とした。

 その果てに、俺自身が降格されるより少し前に、俺は思ったのだ。


 もう、余計なことをするべきじゃないと。


 あいつは――今の国王である首陽スヤン叔父上は、望みだった玉座に尻を乗せて、ご満悦なんだ。それを反対したり、邪魔したりする者は、当然放っておかない。

 だからもう、そっとしておけばいい。こっちが刺激しなきゃ、向こうだって牙を剥かないのがどうして分からないんだろう。

 王座なんて、欲しい奴が座ればいい。俺はもう、大切な人間と過ごす、ささやかな日常があれば、充分だ。


 ――大切な、人。


 その言葉で、ふと脳裏に浮かんだのは、都へ置いて来ざるを得なかった、彼女の顔だ。

 別れの夜――俺がこの流刑地に発つ前日の夜、あいつはひどく泣いていたっけ。

 一緒に行きたい、と。なぜ、たったそれだけのことも許されないのかと。そうき口説きながら、泣きじゃくっていた顔しか思い出せないのが、苦しい。

 笑顔で過ごした日々も、確かにあったはずなのに。

 もう一度、会えるだろうか。あいつの笑顔が無性に見たくなって、自然顔が歪む。


 ――セア。


 無意識に胸中で名を呼んだ、直後。

 その願いがどうも叶えられそうにないことに、流刑先の居所・観風軒クァンプンホンが見える距離まで近付いて悟った。


 観風軒の前には、何人かの役人と、筒状の書翰を携えた、明らかに武官と分かる格好をした男が一人立っていた。

 その足下あしもとにはゴザが敷かれ、簡素な円盤ウォンバンの上にポツンと器が載っている。その中身が毒薬だというのは、一目瞭然だった。

 並足で歩んだ俺は、武官の前で一度立ち止まった。

「イ・ホンウィは、謹んで王命を受けよ」

 前置きを抜きに口を切った武官は、俺にゴザへ進むよう身振りで示しながら、書翰を開く。

 死ぬのが嫌だったわけじゃない。

 いや、嫌かそうじゃないかで言うなら正直な話、嫌だ。けれど、流刑が決まって、この寧越ヨンウォルへ来てから、いつかこんな日が来るかも知れないと、頭のどこかでいつも覚悟はしていた。

 でも、いざそれが現実になった今、出し抜けに沸いた想いは。


 ――簡単に死んでたまるか、だった。


 沈黙して動きを止めた俺の脳内は読めないのだろう。

 書翰を手にした武官が、早くゴザへ座れと目で合図してくる。

 けれど、俺は冷ややかにその目を見つめ返した。

 あんな、クソ叔父の為に――自分の欲望の為に兄弟まで手に掛けたロクでもない男の思惑で、死んでなるものか。

 ヒュッという風切り音が耳に響いたのは、その時だ。

「――――ッッ!!」

 息が詰まる。

 首を確実に何かが締め上げているのが分かる。

 呼吸を取り戻そうと、無意識に喉元を探る。何か、極細の糸のようなモノだ。

 身を捩り、無我夢中で腕を振り回した。

 低い呻きと共に、喉元の圧迫が外れる。唐突に戻った呼吸が、激しい咳になって俺の動きを阻害した。

 だが、暢気に咳き込んでる場合じゃない。視界に誰かの足が入ったのを認識するや、俺は咳き込んだことで涙の滲んだ目を上げる。

 ぼやけた視界の中で陽の光を反射した銀色が、容赦なく振り下ろされた。夢中で避けたそれを蹴り上げる。

「うわっ!」

 手首を俺の蹴りに直撃された武官は、悲鳴を上げた。同時に、彼の持っていた刀が弾かれ、持ち主の手を離れた。

 必死でそれに飛び付いて拾い、身構える。視線を走らせ、敵を確認した。一目で分かる武官は三人。随行してきた役人の胸背は、全員が虎の模様の縫い取りだ。

 思わず舌打ちが漏れる。

 団領を着ている連中の力量は分からないが、それ以外の三人は多分『使える』ほうだろう。


 ――こりゃ、ヤバいかもな。


 思うと同時に、首陽には手の内がバレているのを思い出す。

 まだ、あの野郎が『いい叔父』の仮面をかぶっていた頃、俺はあいつに懐いていて、迂闊にも武術の手ほどきはあいつにも受けていた。

 武術の師匠はあいつだけでないのも確かだけど、俺の腕はあいつも知っている。

 だから多分、俺が抵抗した時の為に、賜薬の遣いに全員武官を選ぶという用心をしたのだろう。

 相手は全部で九人。その全員が今や武器を構えて、それを俺に向けている。

「ホンウィ殿! 王命に逆らうのか!」

 俺に武器を奪われた男が叫ぶ。

「王命だって? あんた、正気か?」

 鼻先で笑うように返すと、男たちは息を呑むように口を引き結んだ。

「叔父上に言っとけよ。家族を大事にするっていう儒教の基礎もできてねぇ奴が、ウカウカ王を名乗るなってな」

 すると、明らかに男たちの顔色が変わった。

「口を慎め! お前は今、王族ではないのだぞ!」

「武器を捨て、潔く王命を受けよ! さもなければ、我々があなたを殺さねばならない!」

「たった今さっき、問答無用で首絞めようとしといてよく言うな」

 クッ、と喉から笑いが漏れる。

 その拍子に、さっき締め上げられた感覚がよみがえった気がして、俺は空いた手を無意識に喉元へ当てた。

 それが合図になったかのように、弓矢を構えていた六人が、一斉に矢を放った。

 地を蹴って後方に下がりながら刀を振るう。

 何本かは凪ぎ払えたが、一本が上腕部を掠めた。もう一度舌打ちしながら、痛みを頭の外へ閉め出す。

 弓矢部隊が次の矢をつがえる前に、俺はきびすを返して駆け出した。

「ホンウィ殿!」

「追え! 逃がすな!!」

 定番なセリフを吐いた男たちが、一拍遅れて俺の背後に続くのが分かった。

 あの野郎、ここまで見越して流刑地にここを選びやがったのか?

 走りながら周囲を見回して、三度舌打ちが漏れる。

 一歩、観風軒の敷地を出ると、周囲には見事に何もない。いや、あるにはあるが、その辺にある民家は点在という表現がピッタリで、そこへ駆け込もうとすれば多分その姿は追っ手に丸見えだろう。

「――放て!」

 掛かった号令に、ハッと背後へ視線を投げる。

 上から降ってくる矢の雨に、俺はとっさに前方へ飛び込み、地面へ転がった。

 素早く立ち上がる動作の合間に、相手は次の矢をつがえて放っている。身体に複数の衝撃が走った。確認するのも嫌だったが、視線は自然下へ落ちる。

 胸から二本、腕から一本、そして左腿にも一本――紛れもなく矢が生えている。逃走劇は短かった。

 胸元から、何かがせり上がる。意図せず咳き込んだ口から漏れたのは、赤黒い液体だ。鉄錆びた臭いが否応なく、血を吐いたと認識させる。


 ――ああ、これで死ぬんだな。


 そう思ったら、やっぱり脳裏にはセアの顔しか浮かばなかった。

 ノロノロと上げた視線の先に、男が妙にゆっくりと駆けて来るのが見える。その手には、鈍色にびいろに光る刀が握られている。

「お覚悟!」

 避けられそうな速度に見えるのに、避けられなかった。

 腹部に、深々とその刀身を飲み込んで、俺は膝を突く。

「……セア」

 喘ぐように、彼女の名を口に乗せる。

 なあ、セア。

 どうせ死ぬなら、せめてお前の腕の中がよかった。なのに、現実はどうだろう。

 こんなおっさんに抱えられて、俺は意識を飛ばそうとしてる。

 むさいオヤジの顔を見ながら息絶えるくらいなら、毒薬を呑んだほうがよかっただろうか。

 ズルリ、と身の内を総毛立つようなおぞましい感触が走る。それが、刀が引き抜かれた所為だと分かったのは、ずっとあとになってからだ。


 ――もう一度、会いたかったな。


 痛みも感じなくなって、いつの間にか地面へ転がっていた俺は、仰向けに寝そべった。

 視界に、もう男の顔はない。目の前はすでに暗かった。だのに、見上げた空は青かった気がした。

 たった今さっき、楼閣から見上げた記憶が、そう見せていたのだろうか。


 ――そういや、言ったことなかったっけ。


 言っておけばよかった。

 一緒にいた時は短かったとは言え、それでも告げる時間はたっぷりあった。

 たった一言なのに。


「……セア……」


 最後の夜にも言わなかったんだと気付いて、覚えず苦笑する。

 それとも、抱けば通じるなんて、バカなコトを考えてたんだろうか。


 息を引き取る瞬間、その言葉を口に乗せたかどうかは分からない。

 目の前に相手がいないのに言って何になる、とか、死の間際だってのに打算的な言い訳に逃げていたのかも知れない。

 いつとも知れない瞬きの内に、俺の意識は一度闇に落ちた。その瞬間、どこかで子規が鳴いたのを聞いた気がした。


***


「――恨まなかったの?」

「誰を?」

「首陽大君様を」

「さてねぇ。確かに恨んでたけど、死ぬ間際に思い出したのは、見事にあいつのことだけだったな」

 クスリ、と自嘲の笑いを零して、肩を竦める。

 俺は、現在の正宮である昌徳宮チャンドックン後苑フウォンにある、愛蓮池エリョンジ端の東屋に腰掛けていた。愛蓮池は、芙蓉池プヨンジからは、一町〔約百九メートル〕弱離れた場所にある。

 この東屋には、愛蓮亭エリョンジョンて名前が付いてて、今の王が数年前に建てたらしい。

 目の前には、愛蓮亭について教えてくれた内人ネインが座って、俺の話に耳を傾けていた。

 幽霊状態になった俺の姿が視える人間は珍しかったんで、俺もつい問われるままに、自分の死んだ時の話なんて披露しちまったけど。

「あんた、そろそろ仕事に戻ったほうがいいんじゃねぇの?」

 風に乗って、後苑で行われている宴の音楽が微かに聞こえた。

 俺は、側頭部の髪を掻き上げ、目を伏せる。

「今日は、宴で忙しいんだろ? 女官がこんなトコで油売ってたら、あとで尚宮サングンか誰かに大目玉食らうぜ」

 尚宮、というのは、女官の中での最高位だ。各部署で、女官を取り纏める役割を担っていて、下の位の女官たちの保護者代わりを務めることも珍しくない。

「よかったら、一緒に行かない?」

 向かいに座していた内人が立ち上がったのか、落とした視界の端に、チマの裾が映る。

 一つ瞬いて、視線を上げた俺は、瞠目した。

 その先にあった顔は、先刻初めて会ったばかりの内人のそれではない。

「お前……」

 見知った、顔だった。

 この世を彷徨さまよっていたあいだも、片時も頭から離れなかった――泣いた表情しか思い出せなかったその容貌は、今は笑っていながらも泣き出しそうだ。

 セア、と呼び掛けるのと、彼女が抱きついてくるのと、どちらが早かったものか。

 気付けば彼女は、俺の首にしっかりと腕を回して、嗚咽を漏らしている。

 つまり、彼女も霊体だったのだと、遅まきながら悟る。人間と幽霊じゃ、相手に抱きつくなんて真似はまずできない。

「何で……最初から」

 最初から、そうと言わなかったのか。

「……怖かった、から」

 涙に掠れた声が、耳朶を震わせる。

「あたしは……長生きし過ぎたもの。だから……だからあんたは待ちくたびれて、あたしを忘れたんじゃないかって……不安で」

「……そんなわけないだろ」

 死んですぐ、霊になったらしい俺は、彼女に会いに都へ戻った。

 もちろん、当時まだ生きていた彼女には俺が視えなかった。生き残った彼女は、朝な夕なに、人気ひとけのない高台へ登って泣き叫んでいた。

 一人残された寂しさと、俺を想っての涙だという解釈は、多分自惚れじゃない。

 派手に泣いていた彼女の涙は、時を経て少しずつ収まっていくように見えないこともなかったけれど、そんな彼女を見ていられなかった。

 度々彼女の元を離れて、時折様子を見に戻るようになったのは、見ていることしかできないのが辛かったからだ。けれど、ある時都へ戻って、彼女の暮らしていた草庵を訪ねたら、彼女は亡くなったあとだった。

 ずっと傍に付いていなかったのを、どれだけ後悔したか知れない。年を考えれば、臨終の時がいつ来てもおかしくないと分かっていたはずだったのに。

「お前は……まっすぐあの世に逝ったんだと思ってた」

「死んだあと……迎えにきた使者に頼まれたの」

「使者?」

「あの世からの使者よ」

 スンッと鼻をすすり上げる音を立てたセアは、少し俺から離れた。互いの顔が、見えるようになる。

「お前の夫は、まだあの世に来ていない。きっと何か、思い残すことがあって、この世を彷徨ってるんだろうって。だから捜して、妻のお前が、夫の未練を解消してやれって……」

「……あの世の仕組みも随分ズサンだな」

 思わず、呆れた声が漏れる。

 普通、そういうことは、それこそお迎えの使者の仕事の範疇じゃないのだろうか。

「いいじゃない。そのお陰で、こうしてまた会えたんだから」

 言いながら、またも彼女の目には涙が盛り上がった。

「ああ、もう、泣くなよ」

 彼女の頬を捉えて、乱暴にその頬を拭ってやる。

「……会いたかった」

 俺もだ、と同意を言葉にする代わりに、彼女の唇を自分のそれで塞いだ。

 何百年か振りに触れた彼女の唇は、思った以上に甘くて、早々に理性が飛びそうになる。

 霊体でも抱けるんだろうか、なんてコトを頭の端で思いながら、ひとしきり貪り合って一度唇を離した。呼吸の限界を感じたのも、幽霊になってからは初めてだ。

「……ねぇ、あっちに逝く前に、少しだけ宴を覗かない?」

 泣いた所為だけでなく、目を潤ませた彼女は、開口一番色気のないことを言う。

「……お前がそんなに宴好きだとは知らなかったな」

 なら、王座にいる時に言えばよかったのに。お前の為なら宴くらい、いくらだって開いてやったんだ。

 すると、それをまるで読んだように、彼女は「そうじゃなくて」と泣き笑いで首を振る。

「今日の宴は、あたしたちの為のモノだから」

「どういう意味だ?」

「今の殿下が、やっとあんたの身分と名誉を回復して下さったの。そのお祝いの宴なのよ」

「へー」

 じゃあ、少しだけ覗いていくか。興味をそそられて立ち上がった俺は、肝心なことを訊ねる。

「お前の名誉はどうなったんだ?」

「もちろん、一緒に回復されたわ。諡号しごうも付いたの。朝鮮第六代王・端宗タンジョンと、その王妃・定順チョンスン王后ワンフですって」

 花のように笑った彼女が、俺の手を握りながら答えた。

 死の間際、見たいと切望した笑顔を眺めながら、俺は彼女の手を握り返す。

「もう一つだけ、心残りがあった」

「何?」

「セア」

 小首を傾げる彼女の手を引いて抱き寄せ、耳元に唇を寄せる。

「――愛してる」

 何百年か越しに叶った愛の告白に、ピクリと身体を震わせた彼女は、やがて俺の背に回した腕で縋るようにしがみついた。

 俺の胸元に顔を埋めた彼女が、やはり涙声で「あたしも」と囁く声に、遠くで子規の鳴く声が微かに絡まった。


【了】脱稿:2018.07.07. 加筆修正:2021.02.21.


©️和倉 眞吹2021.

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